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月に咲く花  作者: 麗月
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丘の上

水に触れた瞬間に元の姿に戻る。そうすればこの深いとは言えない滝坪でも一切怪我をしなくて済むのだ。それを見届けると山の民たちは帰っていった。ずっと元の姿でいると衣類が流されてしまうので、また人間の姿をとる。自分の体内もしくは触れている所に十分な水が無いと術は使えない。滝窪付近に溜まっている海水にゆっくりと浸かる。底に座るようにすれば肩辺りまだは水に浸かることができる。目を閉じて息を吐いた。もうほとんど夜になっていた。


ふと、今日別れた少女のことを思い出す。暖かい雰囲気の心優しい少女だった。今頃どうしているだろうか。ついうとうとしそうになって頭を振った。もう十分休めただろう。これ以上いると眠ってしまいそうなので、水から上がり、山沿いを歩く。今朝は大勢の人に声をかけられてゆっくり人里を見ることができなかったので、人がいない夜のうちに少し見てみたいと思ったのだ。辺りは暗いが、夜目は効くほうなので問題はない。


まずは今朝あの少女と別れた辺りに足を向けた。彼女の屋敷があるという丘の近くまで来ると、その上から何人もの人間が大声で何かを叫んでいるのが聞こえた。何事かと思い、耳をすます。


「__様!_百合様!白百合様!」


はっとその丘を見上げ、呟いた。


「白百合様が、居なくなられた……?」


声に出した途端、急に心臓が暴れだした。いつもは存在すら忘れてしまっているのに、今はばくばくと音を立てて激しく自己主張している。慌てて辺りを見渡した。だが、彼女がこんなところにいるはずも理由も無い。それに、あんなにたくさんの人が探しているのだ。ここはもうとっくに探し終えただろう。しかし、だからといって気にしないことなど出来よう筈がない。彼女には恩がある。彼女にもしものことがあれば、と思うと平静ではいられない。


案の定ここは、どんなに見ても、枯れた川とそこに突き出るごつごつとした岩たちが闇の中に浮かび上がるばかり……のはずだった。


「人陰……?」


だから私は己が目を疑った。ごつごつした岩たちの中に丸みを帯びた、人の背中らしい影が見えるのだ。すぐに駆け出した。こんなに側にいたのにその気配は感じなかった。近くにいても気配が感じられないとき、それは相手の意識が無い、もしくは命そのものが無い場合だけだ。岩に凭れるようにして動かない陰の前に膝をつく。


「大丈夫ですか!?」


その俯いた顔を覗き込んで言う。閉じられた瞼には長い睫毛が並び、癖のない髪が目の上できっちり切り揃えられているその人は、昨日も今日も見ず知らずの私に親切にしてくださった少女だった。


「やはり白百合様でしたか。しっかりして下さい!」


彼女からの反応は無い。とにかく彼女を丘の上で探している人達のところに帰さなければならないだろう。傷が痛むのも忘れて彼女を抱え、少し呻く。構わず丘を登り始めた。


そして、彼女の顔が近づいたことで気付く。彼女は、とても穏やかな寝息を立てていたのだ。思わず立ち止まりその顔を見つめる。なんて気持ち良さそうに眠るのだろう。何か良い夢でも見ているのだろうか。安堵して軽く目を細め、また足を進めた。


間もなく着いた丘の上では、灯りを持った人間たちが口々に彼女の名を呼んで歩き回っていた。もう少し屋敷に近付くと、すぐに一人の女性が気付いて近寄って来た。


「白百合様!一体何があったのですか!」


そして、抱えている私のほうを鋭い目付きで睨み付けた。


「安心してください。白百合様は眠っていらっしゃるだけのようです。先程、この丘と源山の間の川の辺りを通りかかったところ、このような状態でいらっしゃいましたので、此方までお運び致しました次第にございます」


その女性は安心したように周りの人間達に知らせる。


「白百合様はご無事でいらっしゃいます!」


そして、こちらに向き直った。


「失礼致しました。先程は何も知らずにあのような態度をとってしまって…」


彼女は本当に申し訳なさそうに俯く。


「大したことではございません。どうかお気になさらず」


そのときだった。腕の中にいた白百合が少し身動(みじろ)ぐ。その顔を見つめていると、彼女はゆっくりと目を開いた。そして彼女を抱え、見下ろしている目を見て、二、三度瞬きをする。


「…っ!、えっ、ええっ、な、なんで!」


戸惑う彼女を見て声を出さずに笑う。彼女は少しずつ状況を理解したのか、その頬は赤らんでいく。


「お、降ろしてよ、恥ずかしいじゃない。てか、なんであなたがここにいるの!」


彼女は腕の中でじたばたと動いた。


「痛っ…、急に動かないで下さい、今降ろして差し上げますから」


苦笑しながら、そっと降ろす。


「あ、ごめんなさい!あなた怪我してるのに」


彼女は急にしゅんとして言った。


「そんな、私は平気ですよ」


そう言ったとき、がたいの良い中年の男が駆け寄って来た。


「白百合、心配したじゃないか。一体何をしていたんだ。……ん?その人は誰だ?」


ただ白百合のほうを見て話していた男性は、その後ろに立つ私に気が付いて尋ねた。


「心配かけてごめんなさい、お父様。気持ち良かったからつい眠っちゃって。彼は、昨日から私が話していた人よ」


「白百合様をここまで連れて来て下さったそうです」


白百合の言葉に先程の女性が付け加える。


「ああ、君がそうだったのか。本当に傷だらけじゃないか。さあ、入りなさい」


白百合の父らしい男性は躊躇わず手招きした。


「そんな、私があなた方のお世話になるわけには参りません。私は白百合様をお送りする為に来ただけですので、どうかお気になさらないでください」


驚きつつも丁寧に断ったのだが、男性は諦めなかった。


「じゃあ他に行く当てがあるのか?迷惑ではない。楽しそうで良いではないか」


そう言って、半ば強引に屋敷の入り口まで導いた。それから男性は家に一歩上がってから此方を振り向くと腰に手を当てた。


「ここに住むことは嫌か?」

「住むのですか!?」

「嫌か?」


男性が不安そうに尋ねたので慌てて答える。


「いえ、決してそのような訳ではございません」

「じゃあ良いな」


男性がすかさず言ったもんだから呆気にとられてしまって思わず言葉を失う。すると男は悪戯っ子のように笑った。


「決まりだ」


「え、いや、そんな…」


戸惑いを隠せずにいると側にいた女性が慣れたように微笑みながら言う。


「あなたの負けです。もう折れなさいませ」


男も白百合もうんうんと頷いた。皆の視線が集まり、一度下を向く。 "差しのべられた手は取るのよ。拒んでは相手を傷付けてしまうから" 頭の中に月夜様の声が響いた気がした。深く、肺の中の空気が全て無くなるくらい、息を遠慮と共に吐き出すと、真っ直ぐに男と白百合のほうを見る。


「有難うございます。ではお言葉に甘えて、短い間ですが宜しくお願い致します」


深く礼をして顔を上げると軽く微笑む。


「よし」


男は満足そうに笑った。

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