第1話~降臨~
魔界の大地は血に染まっていた。
『渇きの丘』と呼ばれるなだらかな丘や小山が続く丘陵地帯。
普段は魔界においては比較的おとなしい生物や種族がちらほらと散見される穏やかな風景なのだが、今は多くの怪物と妖魔に分類される亜人たちに埋め尽くされていた。
彼らは赤色と青色を基調にした旗や塗料を塗った鎧や兜などの装備をつけて両者が入り乱れて殺し合っているのだった。
インプが噛みつき、ダイアウルフが爪で切り裂き、巨体のオーガがこん棒でなぎはらう。悲鳴か咆哮がそこかしこで鳴り響くたびに、血や身体の一部ないしは全身が宙に舞い続ける。
見た目や戦いかたは野蛮で残虐なもので見境の無い殺し合いのようにも見えるが、指揮官らしきホフゴブリンやダークエルフが指示らしきものを叫び、太鼓や角笛が規則的に鳴り響くことが、この殺し合いは戦争なのだということを示していた。
そんな戦場の端を女が走っている。そこらに転がっている怪物たちとは違い上等な鎧を身につけて腰にはやや小ぶりな曲刀を下げている。髪は長く灰色がかっていたが老人なのではなく彼女の種族がグレイニンフと呼ばれる亜人種なのだからだろう。鎧や鞘などの装飾や整った顔立ちから雑兵ではないことがわかる。
「はぁっ はぁっ ちくしょう」
追っ手は3名の黒の騎士。全身を赤黒い鎧兜と仮面で覆い、黒毛の二角馬を駆っている。
見るからに手練れな彼らは魔界では『ブラッディナイト』と呼ばれ、誰もが怖れる存在である。
グレイニンフの女は俊足と言っていいほどの足の持ち主だったが、馬の速さに勝るはずもなくどんどんと距離を詰められている。
シュンッ!!
風切り音
「あっ!」
ブラッディナイトの一人が放ったボウガンの矢が女の鎧の隙間左肩に後ろから突き刺さり、
衝撃で激しく転んだ。
乾いた土煙が舞い上がる。
3名はすぐに追い付き彼女を取り囲んだ。
痛みを堪えて体勢を起こすと同時に曲刀を抜き右手のみで構える。
黒の騎士たちは大剣や槍を構えてジリジリと二角馬に乗りながら距離をつめていく。
「はぁ はぁ はぁ」
グレイニンフの女の息は激しい
左肩の傷口から流れ出る赤い血と、ほどなくして訪れるであろう死の恐怖からか
もともと白い肌がさらに色を失っていく。
槍を持ったブラッディナイトが馬の腹を気合いの声と共に蹴る。
瞬間、飛び出すように馬が女をめがけて突進する
女は横に飛んで避けた
間髪入れず馬上から槍が女に向けて鋭く繰り出される
女は曲刀で槍をすり上げて軌道を変えつつ、身体をひねってかわそうとした
しかし、片手で持つ曲刀には槍の威力を充分に受け流すだけの力を込められず、槍の穂先が女の鎧まで届き衝撃を与えた。
女は空中で斜めにひねるように1回転し、また地面にうちつけられた。
幸い鎧の性能のおかげか体までは槍は届かなかったが、
恐怖心は増大し身体がガクガクと震えだした。
それがブラッディナイトの恐るべき魔法によるものだとは彼女は気づく余裕もなく反撃の意志をくじかれていた。
そうなれば、黒の騎士たちにしてみればもはや小動物を狩るに等しい。
大剣を持つ1名が下馬し、ゆっくりと女に近づいていく。
大きく弧をえがくように上段に構えて狙いをつける。
女は地面に横たわったまま震え、自らを殺そうとしてる騎士を仰ぎ見るしか出来ないでいた。
死を悟った彼女の顔は能面のように表情が消えていた。
女の視界に何かが映った。
晴れた雲のない青空に何か小さな点がある。
黒い点がどんどん大きくなる。
女が(何か落ちてくる!)と気づいた瞬間
ズドォオン
轟音が響く
雷かと思うほどの衝撃で槍を持った黒の騎士と二角馬の上に何かが落ちてきた。
もうもうとした土煙と血煙の中から、大きめの棺桶のような直方体の箱が現れた。
材質は青銅のような色合いで、壁面に魔術師が使うルーン文字のようなものがびっしりと刻み込まれていて、その文字からはわずかな光を放っていた。
あまりのことにその場の誰もしばらく動けないでいた。
その棺桶の下敷きになった1名の黒の騎士と1匹の二角馬は、落ちてきた衝撃と共にバラバラにされ四散してしまっていた。
ズブシューーーゥゥゥ
棺桶から圧縮されたガスのようなものが一気に四方に吹き出した。
直方体の一面が扉のように開き男が飛び出てきた
「熱っつ!!!熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!」
焼け焦げた衣服で、そこら中を走り転げ回る。
「あっちぃ…何が世界最高峰の技術だよ!全然熱を遮断できねえじゃねえか!!はぁ はぁ」
一瞬の静寂の後、降ってきた男であるカイトは異様な状況に気づいた。
2名の赤黒くて巨躯の騎士と黒い二角馬、地面に座り込むような形で居る灰色髪の美しい女性。
「あれ?えーと お取り込み中でしたかね?えへへへ」
カイトが愛想笑いを騎士らに向けた瞬間
1番に動いたのはグレイニンフの女だった。
先ほどの恐怖心は何故か消えていたようで、太ももに巻いていたナイフホルダーから小刀を引き抜く。
立ち上がり目の前の騎士に肉薄する動作を淀みなく一瞬で行った。
動きに気づいた大剣の騎士は、振りかぶっていた剣を振り下ろそうしたが、女の動きは予想以上に速かった。
女の小刀は騎士の仮面の隙間に差し込まれ内部に深々と刺さった。
女はすぐに小刀を刺したまま90度ほど回転させた
グジュともブシュとも聞こえる音がして仮面に空いているいくつかの穴から赤黒い液体が吹き出す。
もう1名の黒の騎士がボウガンを構えようとしたとき馬が跳ね上がった。
女が投げ放ったもう一つの小刀が馬の眉間に突き刺さったのだ。
体勢をくずし騎士は落馬した。
騎士はすぐに立ち上がろうとしたが、やはり女の方が速かった。
先ほど仕留められた騎士の大剣を両手で掴み腰だめに構えて全速力で突進してきた。
いかに頑強を誇るブラッディナイトの分厚い魔法の鎧でも、魔法の大剣の切れ味と女とはいえ全体重を乗せた一撃には耐えられなかった。
胸板を貫き背中から剣の長さの半分ほどが突き出た。
勢いあまって女は騎士を飛び越え縦に半回転して着地した。
半ば落ちたと言った方がいいかもしれない。
この間、時間にして7秒ほど
あっという間の出来事にカイトは呆然とその場に立ち尽くしていた。
何が何だかわからない と思っているのが彼の顔からありありと読み取れた。
少なくとも目の前に息を荒らして立っている美しい女が 屈強な騎士を2人殺したということは理解できた。
とにかくその場をカイトは離れようとした。
「う~んと…はい、じゃあ 僕はこの辺で失礼しまぁ〜す」
極力明るくにこやかに歩きだす。
「待て!」
「やっぱりね そうきますよね」
「わかってるなら言え 貴様何者だ」
「人間です」
「見ればわかる 素性を言え!」
「名前はカイト=ブルーマ 居酒屋でバイトしてますけど、たまに動画上げてるんで、マイチューバーとも言えるでしょうか」
「何故ここにいる。あの箱はなんだ?」
「いや それは ちょっと…」
「殺すぞ」
「う…魔界追放」
「なに!?」
「勇者侮辱罪で魔界追放になったんです」
「なんだソレ!?」
「ぼ 僕だってわけわかりませんよ。家にいたらいきなり勇者を侮辱した動画をアップしたって言われて、捕まったと思ったらすぐに裁判が始まってあっという間に有罪になって、その箱に入れられて転移装置で飛ばされたんです。気づいたらココに。」
カイトは喋り続ける。
「そりゃ確かに、動画は作りましたよ。勇者のコスプレしてレイヤーの集いに行った時の実況動画を。まあそんなに目立ってなかったし、まだチャンネルの登録者数も少ないからそんなに跳ねなかったけど、でも内容はほぼ健全なものなんです。ホントに!…ちょっとだけお色気レイヤーさんに登場してもらったりもしたけど、ほんの数秒だし、それから一応勇者が誘惑されてるみたいな設定でお色気レイヤーさんとミニコントみたいなこともしたけどさぁ そんなのみんなやってんじゃん!なんで俺だけ有罪なんだよ!汚えよ!これが現代のシビリアンコントロールってやつなのかよ!だいたい…」
「黙れ!」
女が裏拳でカイトを打った。
グレイニンフの女は警戒をわずかに解き言った。
「どうやら 敵ではないようだな。実際そなたには助けられた その箱で1人処理してくれたからな」
「え?あ そうですか ど どうも」
「私はシャクナール。グランオーブの者だ」
「??」
「グランオーブを知らんところをみると、やはり外界の者なんだろうな」
「ああ はい、すいません」
何故かカイトが謝ったところに、遠くから声が聞こえる。
男が数人こちらに駆けてくる。
かなり必死な様子にカイトは怯えて身をこわばらせた。
「おーーい 姫さまー」
カイトが驚く
「え!?姫さま?」
少し笑ってシャクナールが答える
「ふふ まあそういうことだ。案ずるな仲間だ。ついてこい!」
男たちは近づいてくる。遠目にはわからなかったが全員武装し、その顔は人間とは程遠いオークやゴブリンのそれだった。
カイトは泣きそうになりながら
「案ずるなって…無理だよぉ」
小声で反論したが、もちろん先を行くシャクナールの耳には届かなかった。
グレイニンフはエルフの亜種とも、精霊と人間の間の存在とも言われる種族。
長命で精霊魔法の使い手。動きも人間よりはるかに素早い。