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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

レイニーレイニー・ラブホテル・ラブラブラブ

作者: 寂しい里


 ホテルから出たところを見られたとき、自分のことを棚に上げて『なんでコイツがこんなところにいるんだよ』って思った。

 そのホテルはこの街の特に風紀が悪い雑居ビル群の端っこのほうにあって、けばけばしく装飾された看板を一目見ればどんなお馬鹿ちゃんでも『そういう』ホテルなのだとわかる。

 そんなホテルの階段を駆け下りて入り口から飛び出したら、制服姿の彼女が驚いたようにこちらを見ていた。校則を守ってぴっちりと着こなしているその制服姿が、こういう場所なのでむしろ背徳的に艶やかに見えた。

「なにやってんの」

 急がなければいけないのだけれど、思わず彼女の前で足を止めてしまう。天気予報に従順な彼女のビニール傘が、慌てたようにコツコツと地面を鳴らした。

「えっと……だ、ダメなんだよ。高校生がこんなところに来たら」

 質問に答えずに、彼女はわかりきったことを口から吐き出した。でも、彼女の口は正しいことを言っているはずなのに、怯えたように震えている。肩のあたりまで伸ばした黒髪が所在なげに揺れた。

「そういうのはえぬじーだから」

「あ、待ってよ」

 同級生に説教垂れられても得はないので、私は彼女に背を向け走り出す。登校のときよりも重くなった通学バッグが、私の足を急がせる。

 雑居ビルの間を抜け、ところどころに吐き出されたもんじゃ焼きを避けながら、私は人通りの多い駅方面へと向かった。後ろから「わわっ」とか「おえぇ」とか「まってよぉ」とかいう騒がしい声が聞こえてきたけど、一切気にせずに。

 駅ビルに入った途端に、殺す勢いで冷気が私の身体を冷やし、そこでようやく私は息を整えた。悪臭を放つ化粧品コーナーを通って、あまり利用されない地下一階の女子トイレへと歩みを進める。

「愛ちゃん……。なんで逃げるの?」

 振り返ると、息をゼェゼェやっている彼女がふくれっ面でこちらを見ていた。

「別に逃げていたわけじゃない」

 私はバッグから重みの『原因』を取り出す。革特有のにおいが私の鼻孔を掠め、私はその重みに自分の頬がにやけるのを感じた。

「そ、それ……」

 彼女の戸惑いを黙殺し、男からパクってきたそれ――革財布を開く。私に渡すはずだった五万に加えて、十人ほど諭吉さんが鎮座しておられた。

 いつもの通り監視カメラがついていないのを確認して、金の抜いた財布をトイレの用具入れに投げ込む。トイレから出ると、彼女は俯いて立っていた。

「愛ちゃん……それ、犯罪だよ……」

「知ってるけど?」

「…………」

 彼女の手からビニール傘が離れ、音を立てて床に転がった。彼女は両手で顔を覆い、必死に声を押し殺している。

 彼女の鼻水を啜る音と共に、雨が降り始めたのだろうか、湿っぽいにおいが上階から流れ込んでくるのがわかった。今日の天気予報は、当たったらしい。

「なんであんた、さっきあんなとこにいたわけ?」

 立ち去る前に、やっぱり気になるので訊いてみる。学校一の真面目ちゃんがあんな汚いところに、自分から望んで来るわけがない。

「…………愛ちゃんが、わたしと一緒に警察行ってくれるなら教えてあげる」

 ぽつりぽつりと雨を降らすみたいに彼女は言葉を紡いだ。

「なんで警察?」と私が訊く。「……財布盗んだから……一緒に、自首しよう?」

 そう言って上げた彼女の顔は、直視出来ないほどにぐちゃぐちゃになっていた。目元を真っ赤に腫らし、睫毛を涙で濡らし、唇は鼻水なのか涎なのか、とにかくぐちゃぐちゃだった。

「ん……じゃあいいや。また明日ガッコでね」

 コイツの真面目ちゃんごっこに付き合ってられないし、私は彼女の横を抜け、化粧品コーナーに向かう。背中で彼女の嗚咽を聞いたけど、別に関係ない。

 アイツが勝手に、流した涙だ。




 次の日、昼休みの終わりに顔を出すと、なんだかクラスが騒がしかった。

 真面目ちゃんばっかりの進学校だからこの位の時間には一堂席について、次の授業の予習をしているのが常だ。でも今日は、まだ立ち歩いて四方でグループごとに丸くなって話をしている。

 居づらいが、せっかく来たので授業を受けておきたい。エアーポケットみたいになっている自席に座り、何も入っていないバッグを机の脇に掛けた。

 授業のチャイムが鳴ってもクラスの様子は変わらず、むしろ一段と雑談の声は増してきた。寝た振りをしていると、逆に会話の内容が頭に入ってきて、それによるとどうやら次の時間は自習らしい。

 じゃあ帰ろうかと思うが、来たのにまた出るのはなんとなく……恥ずかしい。それに目立つ。一時間寝ているだけでいいというなら……まあこのまま適当にこなそう。

「なんでも、財布を……」

「エンだけじゃないの?」

「でも警察に自首……」

「え、なんで? わけわからん」

「やっぱアイツちょっとおかしいと思ってたんだよおれー」

 聞きたくない会話をどんどん耳が拾い、脳は勝手にそれらの情報を統合していく。目を伏せた真っ暗な世界の中で、一つの結論が出されようとしている。

 顔を上げて、斜め前の席を見た。

 空席。

 いつもならそこには彼女がいて、正しい姿勢で板書を書き写しているはずなのに。

「…………まさか」

 私は立ち上がり、通学バッグをひっつかんだ。




「なにやってんの、あんた……」

「えへへ、自宅謹慎」

 えへへ、じゃないよ。

 彼女と昔作った秘密の道を、また使う日が来るとは思わなかった。庭の植木をくぐり抜け、壁からせり出した何かのパイプを足場に、二階の彼女の部屋のベランダまで上った。そして窓をノックすると、来るとわかっていたかのように、すぐに彼女は窓を開けてくれた。

 中に入ると、懐かしい匂いが私を迎えいれてくれる。所々机の上の小物などは変わってはいるが、家具の配置などは昔のままだった。

「……自分が何したかわかってんの」

 座布団を出してきて、それにほんわかと座っている彼女に、私は詰め寄った。

「援交……盗難……あんた、退学になるよ」

「うん、お母さんもお父さんもそう言ってた」

 ニコニコ笑いながら、彼女は言う。

 それが作り笑いではなく、本当の笑顔なんだって幼なじみの私にはわかった。

「じゃあなんでこんなバカなことしたの? 私の代わりに財布持って自首するなんて……何がしたいの?」

「うーん……何がしたいんだろう……」

 はてな、といった風に彼女は首を傾げる。その抜けた仕草に、私は呆れてしまう。

「でもやっぱり、悪いことは悪いことだから、誰かが償わなくちゃいけないんだと思うよ」

「……やったのは私なんだから、あんたが償う必要なんてないじゃない」

「でも愛ちゃん、絶対警察行かないよ?」

「…………」

 やっぱりコイツは馬鹿だ。黙ってれば何でもないことを、わざわざチクって、しかも私を庇ったりして。本当に、何がしたいんだろうか。

「だけど、うれしかったな」

「……え?」

 彼女は私と目を合わせて、満面の笑みを浮かべた。

「ちっちゃい頃みたいにベランダから入ってきてくれて」

「…………いや、今授業中だし玄関から入るのはまずいかと思って……」

「うん、実はお父さんもお母さんもいないから大丈夫なんだけどね」

「……あれ、あんたの家って共働きだったっけ?」

 不審に思って訊くと、彼女は笑って首を振った。

 今のは、作り笑いだ。

「なんか昨日の夜にね、喧嘩して二人共出て行っちゃったの」

「え?」

「あはは」

 あはは、じゃないよ。

 もしかしなくても、彼女がこんな事件を起こしてしまったからだ。いや、事件を起こしたのは私なんだけど、彼女が当事者になってしまったから……だから、彼女の両親は。

「でもね、いつかこうなるってわかってたんだ、わたし」彼女はまた作り笑いをする。「これはね、きっかけに過ぎなかったんだよ」

 彼女は哀しげに笑って、窓の外を見る。今にも降り出しそうな曇り空は昨日よりもいくらか淀んで見え、それを見る彼女の横顔は、涙をこぼしてはいないのに昨日より遙かに泣いているように見えた。

「春が来たら梅雨が来るように、ぜんぶ、ぜんぶ、移り変わっていっちゃうんだよ」

 彼女は私を見る。

「愛ちゃんのお父さんが借金しちゃって、隣から遠くの団地に引っ越しちゃったとき、私はそのことを知ったんだよ」

「…………」

 同じ町ではあったけど、学区が隣に移ることになって中学校も転校しなくちゃいけなくて、だけど彼女はそんなに残念がっていなかったからそういうもんなのかな、って思ってた。別に会えない距離じゃないし、寂しがるのも変か、って納得してた。

 でもあんたは、あのヘラヘラした笑いの裏で、そんなことを考えていたんだね。

「高校で再会したのに、全然話さないし、やっぱり愛ちゃんとはこれっきりなのかな、って思った。それに二年生に上がってからいきなり金髪にしてるし」

「いやまあ……色々あったんだよ」

「うん、知ってる」

 彼女はニッコリと笑った。本当に、知っているんだろう。私の父親が再就職先の会社で首になったこと、そしていつも家にいるようになったこと。

「その頃からだよね、愛ちゃんが『お仕事』するようになったの」

「なに、あんた私のストーカーなの?」

「うん」

「うんって……」

 えへへ、と笑う彼女の目が哀しげに潤んでいるのを、私は見逃しはしない。

「ずっと見てたんだ。でもなんでかわかんないんだけど、昨日……このままじゃダメなんだ、って思った」

「……意味わかんないよ、あんた」

「あのね、昨日ニュースでね、『今年の梅雨は過去最長』って特集してたの……今年はね、梅雨が長いんだよ、梅雨が終われば夏なのにね。夏が、来ないの……」

「それと私に何の関係があるわけ?」

「うーん、上手く言えないんだけど……何かしなくちゃ、移り変わっていかないのかな、って思った」

「なにそれ」

「変だよね、あはは……」

 彼女の苦笑が終わると、静寂が部屋を支配した。お互いにもう言うことはなく、言わなければならないこともなかった。梅雨特有の湿っぽく重い空気がのしかかり、私はただ彼女の目を見ることしかできなかった。

 沈黙を破ったのは、ぽちゃん、という水音だった。

 それの一滴を皮切りに、バケツをひっくり返したような雨音が窓の外から聞こえてくる。「降ってきたね」と彼女が言い、「うん」と私が答えた。

 私は立ち上がって、

「じゃあ、そろそろ行こっかな」

「え、雨降ってるよ?」

「うん」

 驚く彼女に笑いかけ、私は窓を開け、置いてある靴を取る。それから、バッグを取って玄関まで下りていく。

 彼女はそれに無言でついてきて、傘立てから昨日持っていたビニール傘を取って、渡そうとした。

「いや、大丈夫」

「でも、濡れちゃうよ?」

「ううん、いいんだよ。梅雨が明けたら、しばらく雨に当たれなくなるからね」

 私がそう言うと、彼女はハッと驚いたあと。

 今までで一番の笑顔を見せてくれた。


 私は彼女の家を出て、真っ直ぐ駅前の交番を目指す。



     ○



「すっかり夏だねぇ」

「お客様? ご注文せずにテーブルを占領されますと他のお客様のご迷惑となりますので……」

「じゃあ愛ちゃんの奢りでアイスコーヒー!」

「いやだ」

 最近、私のバイト先のバーガーショップに彼女が溜まるようになった。それも、授業をサボって、だ。

 今までずっと真面目ちゃんだったのにどうしてしまったのだろうか。

 そのことについて訊くといつも、

『何事も移り変わっていっちゃうんだよ』

 とニコニコしながら言う。

 結局私はあのまま警察に行き、見事退学となった。もちろん彼女は無罪放免で普通の高校生活を送っている。

 これでよかったんだ、と思う。学校がないのでバイトも一日中入れられるし、そのおかげで何とか我が家の家計も回っていっている。

 彼女によると、高校はまた入り直すことができるらしく、ちゃんとに卒業すれば大学受験もできるらしい。だから、もう少し落ち着いたら、また一からスタートしようと思っている。

「ああ、愛ちゃんのお店涼しいねぇ……」

「涼みに来たなら帰ってね」

 彼女の両親も結局そのまま別居状態になり、今彼女は母親の借りたアパートに住んでいるらしい。まあこれももう少し落ち着いたら解決に向かっていくと思う。

 色々なことが移り変わって、季節は回っていく。 

 だけど、春が来れば梅雨が来るように、梅雨が明ければ夏が来る。

「それにしても、すっかり夏だね」

「愛ちゃん、それさっきわたしが言ったよ」

 耳を澄ませば蝉たちのやかましい声が聞こえ、店の窓から見えるアスファルトには陽炎が浮かんでいる。

「でもそうだね……」

 彼女は私の手を握り、窓の外に目を移す。


 「――すっかり、夏だ」

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