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079『防人へのおもい』

 空も暗く、日の落ちた頃。

 ようやくと気分の落ち着いた彼女『愛洲(あいす)めだか』は自室にて静かにシャワーを浴びていた。


 シャワーヘッドから溢れ出たお湯からは湯気が立ち上り、カーテンで区切られた狭いユニットバスの中をすぐさま暖める。

 頭からそれを浴びる彼女の髪を、肌を濡らし、体に残る嫌な汗を洗い流す。


 同時に彼女の四肢、特に制服から露出していた手足の皮膚からは温められたことで肌色の化粧が剥離(はくり)し、溶けて流れていく。

 そして彼女の腕や足、さらには胴体に付けられた無数の傷痕が露になる。


 これが戦争の中で戦闘によって負ったものであればむしろ誇らしくあれたかもしれなかったが、残念ながら彼女の傷はそうではない。


 それらは負の感情。

 幼き日、目の前で母がいたぶられ、罵られ、凌辱されたそんな記憶。

 忘れようにも鏡に写る自身の体に、それは毎日のように思い起こさせられる。

 それゆえに彼女は異性たる男に対し恐怖し、激怒する。


 それが間違っている。単なる八つ当たりでしかないことは彼女自身も分かっているものの感情は自身の意思に反して身の毛をよだたせる。


 つまるところそれは威嚇だ。

 男性が敵であると本能が察し、威圧して他者よりも優位であろうとする。

 助けられ、この場所にやって来た後でもその感覚に未だ変化はない。


 このままではいけないと何度も何度も克服を試みるもののそれらはいずれも失敗に終わる。

 そして今では異性を女装、女に見立てて接するという迷走状態に陥ってしまっている。

 まぁ多少の趣味が入り込んでいることは否定しきれないけれど……。


 彼女がそれほどまでに異性に対する改善を図ろうと焦るのは今の自分の立場にあることも大きいだろう。

 愛洲めだか はヘイムダル学園にてアイドルとしての立場にある。

 それは歌って踊れる文字通りのアイドル。

 だが、別に彼女がその立場にあることを望んだわけではない。


 発端は新聞部によって自身の歌を撮られたことにある。

 数年前、学園での仕事をこなしてようやくと手に入れた部品を使い、友人の協力のもと自らの機体を完成させた。


 達成感からくる喜びもあってかその日は放課後にこっそりと機体を動かしていたのは今でも記憶に新しい。

 上機嫌で鼻歌混じりに機体を動かしていた記憶は鮮明にある。


 嬉しい反面、今の立場におかれることとなった怒りも少なくはない。

 とはいえその時、学園の新聞に載った映像。

 両脚部の推進機と背の翼を利用しての空中制御。

 それらを歌いながらこなし、ヒラヒラと舞う姿は今の自分が見ても驚くほどで、同時にファンが寄ってくるのも頷けなくはない。


 そして気づけばアリーナを貸し切ってのライブが許されるほどにまでなっていた。

 それは別にいい。

 皆に注目されることに苦はないし、ライブを開けば席を確保しようとする皆によってチケットが飛ぶように売れてくれる。

 おかげで機体をつくるために切り詰めていた生活も潤い、多少の贅沢は許されるようになった。


 とはいえ、万が一のためにと用意していたはずの専用機はアイドルとしての道具と化し、衣装に縫い込まれた専用のチップによってアイドルとしての景観が損なわれることのないようにほどよくアレンジされるようになっている。

 今思えば防人 慧の機体がドレスのようになったのはそのシステムが介入したことによるものだろう。


「防ちゃん……大丈夫かしら?」


 防人慧……彼に触れたとき、何も感じなかった。

 恐怖も怒りも何も感じなかった。

 ただ触れた。触れられたということだけが目の前に起きた結果として返ってくる。


 たったそれだけのこと。しかし彼女にとってそれは大きな前進であった。

 彼女は溢れる喜びに少々過ぎたことをしてしまった。

 いや、それ以前に彼の制服を隠して無理やり女装させる時点で無礼極まりない。

 だが、それゆえに自身が助けられたことが未だ理解できなかった。



――どうして?



 今更ながら彼女は自問する。

 あの時、腰が抜けて動けなくなってしまった自分を抱え、運んでくれた。助けてくれた。

 

「……どうして私を助けてくれたの?」


 あえて声に出して鏡に写る自分に問いかけるも当然ながら、その答えが見つかることはない。

 あの時、防人はめだかの事を知っていると言っていた。赤の他人というわけではないと。


 ……わからない。

 それはつまり、昔にも会ったことがあるということなのだろうか?


 愛洲めだかは幼い日、暮らしていた森の村は敵に攻め込まれたことで燃えつき、彼女は父母を、家族を多くの友人を失った。

 だからもし、出会っているのであるとすればその後のはず。

 となれば独房から助け出され、療養していた白い個室での生活の時だろう。


――あの時の少年が防人慧だったのだろうか?


 意識が朦朧として、もはや精も根も尽き果てていた幼い私。絶望という感情すら抱けないほどに、もはや死んでいるとも言えるあの時。


 牢の扉が軋みながらもゆっくりと開き、やって来た少年は確かに幼かった。とおぼろ気ながらも記憶している。

 暗闇の淵で手を差し伸べてくれたあの手のなんと暖かかったことか。


 あの時はまるで彼の手から生気が流れ込んでくるようで、気付けば泣いていた。

 嬉し涙。

 そんな言葉すら知らなかった幼さの中で、久しぶりに感じた暖かみ。


 裸であることに一切の恥じらいもなく、ただただ泣き続けていた私を優しく抱き、撫でてくれたあの少年。

 もし、それが防人慧であるのなら、私が彼に触れられた事にも納得がいくのだけれど。


「……いや、でもそれを聞くのは流石に厳しいかな」


 彼が私の事を覚えてくれているのかも分からないような状況でそれを聞くのは勇気がいる。

 それに、今の私の立場上、そういった過去があるとバレるのはマズイ。


 私のお願いを聞いてくれた彼ならそういった事に偏見は持っていないだろう。

 だが、その条件が学園内の人物全てに当てはまるかと言われればそんなことはない。


 ウワサには尾びれが付き、誇張されるものだ。

 もし、私の過去が露呈したら……いや、想像もしたくない。

 

――いや、もう止そう。

 これ以上考えたところで何かが進展するというわけでもない。

 今わかることは彼が私を助けてくれたということ。

 たったそれだけだけど、それでいいじゃない。


「うん、それでいいのよ……」


 愛洲めだかは小さく頷き、自らで結論をつけると、シャワーを止める。

 そして彼女は体をある程度拭いてからバスタブの外に置かれている乾燥台の上に立つ。

 スイッチによって台が起動。上方、そして足元から吹く温風によって彼女の体を乾かしていく。


「……我ながらみすぼらしい姿ね」


 鏡に写るのは傷だらけの体。細身の体躯。

 筋肉の付き方がもう少し良ければ何かしら印象も違って見えてくるのだろうが、それはあくまでも予想であり、願望でしかない。


 とにもかくにも今、彼女が思うのは防人 慧のこと。

 忘れようにも忘れがたい彼は私が触れられることの出来た異性。

 男性に触れれば嫌悪感でどうにかなってしまいそうな自分が何故、彼に触れられたのか。


 そのためにも助けてくれたあの少年かどうか、知りたいとは思う。

 けれど彼に対し、過去について聞くこと多分無いだろう。

 自らの立場を危険にさらしたくないというのもあるが、変な詮索は彼へ迷惑をかけるだけ。





 それに、私は彼には嫌われたくないと思うから。


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