066『欠落した記憶、サメのような男』
暗い影の中。
防人は一人、そこに立ち……ふと自らの手が血に濡れていることに気づく。
「ち、違う……僕は貴方にそんなことをするために教えたわけじゃ……」
目の前に倒れているのは一人の男。
それが誰なのか、首の無い状態では分からないが、防人の全身は徐々にドロドロした醜い感覚に包まれていく。
「ぼ、僕は……僕は……」
あの時の血生臭い鉄の臭い。
フラッシュバックする記憶。
けれどそれは曖昧で、歪で、霧がかったかのようにボヤけてしまっている。
分かっているのは目の前の人物に対する非道への強い罪悪感。
そして、その状況は自らが招いてしまった事であるという後悔。
「あ、あぁ……僕は一体?」
気に止む必要ない。
彼は敵なのだから。
関係ない。
自分は助けようとした。
無理だっただけ。
自分の頭に浮かぶ言葉はどれも防人にとってはどれも曖昧で言い訳めいていて、実感が沸いてこない。
だめだ、だめだと自らが自らを責める。
ドロドロとした感覚はまるで自らの意思で自らの衝動に駆られ動いているかのように細く伸びていき、そして防人の首を四肢を包み込むとジワジワと締め始める。
「違う……僕は……僕は……」
目の前に築き上げられる死屍累々。
返り血に染まる全身は熱く高揚し、飢えている。
まるで自らが欲しているかのように、赤く熱く唸っている。
『記憶隠蔽植付』
ほんのりと聞こえてきた声の後、黒い黒い世界を真っ白な光が照らす。
「あ……れ? ……何が?」
初めは小さな光。
しかしそれは一瞬にして防人の周囲を照らし、気付けば、薄暗い影も、防人にまとわりつくドロドロとしたものも、目の前の首無しも、先程まで渦巻いていたはずの感情を含めて何もかもが一瞬にして消え失せていた。
そして、防人はいつかの夢のように足元に開いた穴の中へと落ちていった。
「――っ!? ……ここは」
目を覚ました防人はゆっくりと周囲を見渡してそこが自分の部屋であることを確認する。
いつの間に帰ってきていたのか。よくは覚えていないが、制服のまま眠ってしまっていたということはよほど疲れてしまっていたということなのかもしれない。
疲れ果ててしまったのも当然のことだろう。
昨日の夜はあれだけのことがあったのだ。
……あの戦闘の後……あの人に……あの、人?
「あれ? ……んん??」
何だっけ? よく、思い出せない。
確かに戦闘の後、何かがあった気がするんだけど……それは夢の話だっただろうか?
……分からないけれど、思い出せないということはそれほど大事なことじゃなかった……のだろうか?
「……ん?」
突如、振動する生徒手帳。
最初は目覚まし機能かとも思ったものの今日は日曜日。
アラームは平日のみに設定してあるため、つまりこれは誰かからの着信ということになる。
防人は一瞬、無視しようとも思ったもののポケットから取り出すとまずは画面を確認する。
――竜華さんから? 何の用だろう?
1ヶ月前、防人が半ば強制的に入会することなった風紀委員会。
その委員長である彼女からの直接の連絡ということは仕事である可能性が高く、防人は慌てて表示された受話器マークに触れる。
「はい。もしもし?」
『あ、慧君? 今日は休みだったけど、今来れるかな?』
やはり仕事のようだ。切らなくて良かったと防人は胸中で安堵する。
「構いませんけれど……何かあったんですか?」
『ちょっとね……実は最近同好会から部に昇格したところがあってね。ここは愛好会の時からちょこっと問題があったところなんだけど……』
「何か問題が起こったんですか?」
『うん。そうなんだけど……それがその人の仕業ていう証拠が無くてね。
生徒会と風紀委員会でマークしているところだったんだけど、今さっき証人が委員会室に逃げ込んできたらしいから、委員会と協力して捕まえようってなったんだ。
だけど、逃げ足が速い上に隠れるのもなかなか上手くて思うように捕まらなくてね。
それで少しでも人手がほしいんだよ。来てもらっていいかな?』
「分かりました。すぐ向かいますので、少し待っててください」
『ありがとう。それじゃ40分くらいまでに風紀委員室に来てもらえるかな?』
「はい。分かりました」
断る理由もなく、防人はすぐに了承すると先程聞いていた話の内容からジャージの方が良いと判断。防人は引き出しから学園指定のものを準備する。
『ごめんね、せっかくの休みに』
「いえ、気にしないでください。やることなくて外でも走ろうかなって思ってましたから……なんていうかちょうど良いタイミングです」
やることがないというのはでまかせだが、思い切り走りたい気分なのは本当の気持ちなのは間違いない。
……でも、何でだろう?
よく分からないけれど、なんだかモヤモヤとした気持ちがあるから……だろうか?
『フフッ、そっか。それじゃ、また後で』
「はい、それじゃまた……」
防人は通話を終え、手帳をベッドに軽く放りつつも脱いだ制服をハンガーにかける。
シワの寄ったそれを見、せめて上着だけでも脱いでおけばよかったと思いながらも防人は用意したジャージへと着替え始めた。
「……大丈夫かな?」
ある程度の用意を終え、防人は最後に洗面所で跳ねている髪を整髪スプレーで軽く整えてから部屋を出た。
「――ん?」
玄関を抜けてすぐに感じたのは誰かの視線。
ゾクリッと感じたそれに反応するようにして振り返るとそこに立っていたの一人の男。
鮫の歯のようなギザギザとした模様がプリントされたベレー帽を被り、左右の腕や脚にはバンダナが巻かれ、口元も同様のバンダナで覆っている。
上は何故かセーラー服で――いや、この場合は水兵服と言う方が正しいだろう。白い色に青のラインが入ったその上からは胸に青い龍が刺繍されたコートを羽織っており、下は七分丈の白と青のズボン。
そしてガッチリとした動きやすそうなブーツを履いていた。
そんな特徴的な彼はギロリとした鋭い目付きで防人を睨んでいる。
「えっと…………」
見るからに怪しい人物。
もし目の前に現れれば、誰であれ警戒するであろう見た目をした彼は非常階段へと続く鉄の扉の前で立ち止まり、動く気配はない。
一応、この場所は設置されている監視カメラから丸見えなので、いきなり何かしてくる可能性は低いとは思うけれど、絶対に危害を加えてこないという保証はない。
念の為、防人は自室の扉がしっかりと閉まっていることを遠目で確認しつつもゆっくりと後ずさる。
この場は見なかったことにしてさっさと立ち去ってしまうのが良かったのかもしれないが、彼に背を向けてしまっても大丈夫なのか、ここからどう動くことが最適なのか、防人は判断に迷ってしまう。
「…………。」
「……あれ?」
ジッと視線を向けていたものの瞬きをする一瞬のうちにそこにいたはずの人物が消える。
まるではじめからそこにはいなかったかのように忽然と消え、彼を見つけようとその場所を注視するもそれらしき痕跡も見当たらない。
「……どこに?」
非常階段の向こう側に行くにしても音もなく、扉を開ける気配すら見せずというのは流石に早業過ぎる気もするが……そういう技術を持った人物だったということだろうか?
あの扉の向こうを覗いてみたい気もするが、流石にそれはやぶ蛇だろう。
それに約束の時間も迫っている。
「気のせいだったのかな?」
防人は少しわざとらしく呟き、見なかったことにすると一応の警戒はしつつ風紀委員会室へと急いだ。
「あれが……サキモリ………平和そうな面だ……気に入らない。気に入らない。………あんな奴に…昔、あいつの隊長は負けたのか?」
しばらくしてシンとした場所に低い低い男の声が僅かに響く。
鉄製の扉を背に立っている彼は組んでいた腕をゆっくりと解くと目の前の非常階段を下っていった。




