003『暗がりの少年と不穏な通信』
【 9時半頃 】
ここはとある場所。
薄い部屋の中は壁のモニターによってのみ照らされており、そこで白い髪の人物は静かにプログラムの最終確認と調整を行っていた。
「……こんなところか」
後ろ姿は一見すると女性のようだが、光に照らされているその顔つきは幼さが残るものの若い男性のようで、発っせられたその声は声変わりを終えた男性のものだ。
部屋には彼の呼吸以外には机上の電子キーボードを叩く音のみが静かに部屋の中に響いている。
「……ふぅ~」
ある程度の区切りのついた彼は集合力の抜けた息を大きくつくと、背もたれに体重を預ける。
「あれからもう4年……いやもう少しで5年になるか……色々あったが、長いようで、思い返せば短いものだな……」
ブルーライトカットの為に掛けていた眼鏡を外しつつ薄っすらと開けた瞳でモニターに表示されているカレンダーに視線を向けた彼は小さく呟く。
――少し、喉が渇いたな。
ふと思い、彼はゆっくりと立ち上がるとベッド横に置かれた棚の前で腰を落とすと扉の中に収納された小型冷蔵庫へ手を伸ばす。
――酒……は止めとくか。まだ仕事も残ってる。
彼は伸ばした手を思い直し、横へとずらすと並べ入れられている缶ジュースを手に取るとその中身を一気に飲み干す。
「……ん?」
空き缶をゴミ箱へ捨てる際、窓に映る自分自身の姿に視線が行く。
自室だということと暖房が利いているということもあり、着ているのは黒を基調とした薄手のシャツとズボン。
何年も切らずにほったらかしていた白い髪は思いのほか、きれいに整えられており、その髪は真っ直ぐと腰の辺りまで伸びている。
「……ふむ」
――思っていたよりもかなり伸びているな、通りで邪魔なはずだ。
彼は軽く前髪を引っ張りながらその長さを確認すると机の横にある引き出しを開ける。
その中には髪ブラシに髪ピン・髪ゴム・髪バンドなどの道具が一通りそろっていた。
「またあいつは勝手に……だが、まぁ輪ゴムだったら髪に引っかかるだろうし、よしとするか」
彼は引き出しからヘアゴムを一つ取り出すと髪を後ろに束ねて簡単に括ると同じようにいつの間にか部屋におかれた鏡の前に立ち、映る自分の姿が問題ないことを確認する。
――ひとまずはこれでいいだろう。
少しばかり顔を動かして前髪が邪魔をしないことを確認する。
――しかし、触って気付いたが、手入れがされているのか随分とサラサラしていたな。
それにしても、作業に集中していたとはいえ俺の髪をこうも完全に気付かずに整えていくとは、なかなかやるな……ま、どうでもいいことだが。
一息ついた彼は再びモニターへ向かおうとしたところで彼はベッドの上で金色に光る二つの小さな光に気が付く。
「ん? あぁ、帰ってきていたのか、スズ」
スズは彼の飼っている銀色の体毛を持ったアメリカンショートヘアー。
彼はスズを抱き上げ、椅子へ腰かけると小さな頭を撫でながら首輪の金具部分に納められた一枚のデータチップを取り出すとそれをコンピューター本体に挿入する。
読み込みが終わり、開かれたファイルには一枚の写真データと複数のプログラムデータ。
写真には防人 慧の姿が写し出されており、彼は複数のプログラムの内、いくつかを開くと彼はその内容を確認する。
「…………。」
表示されるプログラムコードに問題が無い事を確認していくと彼はプログラムファイルの一部を別のファイルへと移動、統合する。
プログラムにエラーが出ないことを確認し、彼はそのファイルを中枢コンピューター経由で転送を行った。
無事に転送が出来たことを示す項目がモニターに小さく表示され、彼はその文字の下にある『確認』にマウスカーソルを合わせるとクリックし、そのウィンドウを消去する。
彼はゆっくりと子猫の頭を撫でながら窓の外を静かに眺めるとそこから見えるのは高い場所からの広い景色。
空は天高く昇っている太陽によって明るく照らされており、窓から下の方に見えるのは丁寧に整備されて植え並べられた木々と外灯、石畳の広い通路。
それに続く巨大な建物。
――ここもしばらくすれば賑やかになるのだろうな。
もう少しで昼になるというのにその場所は人気が無く、閉め切られた窓の奥では灯りが1つも点っていない。
そしてその建物の更に向こう側。遠く離れた地平線の向こうには空高く伸びる一本の柱は輪郭がボヤけるほどに遥か遠く、しかしそれでも強い存在感を持ってそこにそびえ立っている。
それは幾重もの見えない障壁によって守られた鋼鉄の柱。禍々しさと神々しさを併せ持つ何かしらの機械装置。
それがなんなのかは詳しいことは分からないが、それは大陸の真ん中で天を貫かんが如くそびえている事を彼は知っている。
それは人類がこの地へとやって来たその時、扉としての役割を果たし、しかしそれ以前からも存在し続けていることを知っている。
知識としてのみではあるが、それを彼は知っている。
そしてその柱はここに、この世界に住む人々にとって大切なものを運んでくる。
それは食糧であったり、鉄などの資源であったり、時折人間もそれによって運ばれてやってくる。
とはいえ技術の進んだ今、その柱を利用するものはほとんどいないらしいが……。
「――っ! ――ギリリッ」
彼は嫌な思い出をかみ砕かんが如く、その柱を鋭く睨み付けて強く歯ぎしりを行う。
――あの時は最悪だった。
と彼は強く思考、循環する。
まだ子供であったあの時の自分が感じた痛み・恐怖・哀しみ、そして怒りは今でも忘れることはない。
今に至るまでに色々な人々を巻き込んでしまった。そしてこれからも巻き込んでいく。
自分もここの全てを知っているわけではない。
だが、今はここにいる。
もはや後戻りは出来はしない。いずれ全てを知り尽くしてこの場、いやこの世界を作ったものに……いつか。
「――ん?」
感情が溢れ、彼は猫を撫でるのとは反対の手に拳を強く握り締めた時、携帯の着信音が鳴り響く。
彼はポケットから黒い色をした携帯端末を取り出すとそこに表示された名前を確認する。
「湊か……」
彼は猫の頭からゆっくりと手を離し、モニターの受話器マークに触れると『許可』の方へスライドする。
『あ、もしもし?』
「……何のようだ?」
『冷たいなぁ~せっかく新妻が電話をしてるってのにぃ~』
分かりやすく甘えた声を出す湊に彼は口角を緩ませつつもため息をつく。
「誰が新妻だ。俺とお前は結婚しちゃいないだろうが」
『え~~』
「で? 一体何の用だ。つまらん用事なら切るぞ」
『あぁっ待って待って切らないで今から言うからぁ!』
湊は一呼吸置き、大きく息をはくとはっきりとした声で言う。
『会えないかな?』
――プツン。
彼は表情を変える事無く反射的にもとれる素早さでスマホの受話器を下ろす。
通話画面が待受画面に切り替わり、またすぐに通話画面へと切り替わる。
彼は少し呆れたように大きくため息をつくと画面に触れ、再び端末を耳に当てる。
『もう、なんで切っちゃうのよぉ~!』
「はぁ~、本当に分からないのか?」
『ん? どうして??』
「…………。」
気の抜けた反応。
素で忘れているのか何かしらのボケをかましているのかは彼には判断出来なかったが、それに対して悩むよりも前に目の前に置かれたパソコンが着信の音を流し始めた。
「悪い、ちょっと待っててくれ」
パソコンから来る連絡は決まって仕事に関すること。そうわかっているものの徹夜続きの疲れた今では嫌気が差す。
だが、だからといって受け取らないというわけにもいかない。
『え、なんで――』
「仕事の電話だ」
仕事、そのことを言われて湊は仕方がなさそうに、少々不満そうに『わかった』と返事をすると彼は静かに手にしたスマートフォンを机上に置く。
これで設定した音楽が相手に流れてこちらの声は聞こえなくなった。
『はいはぁい~! やっと繋がりましたね~遅いですよぉ?』
マウスに触れ、通信を繋げると同時に耳に届く声。
先程の湊よりも更に気楽で陽気そうな少年の声に彼はクラリと軽い頭痛を覚える。
「何のようだ? ヒロ」
『声が聞きたかっ――』
「あ゛?」
『――ていうのはジョーダンで……まずはこれを』
ヒロと呼ばれた少年が送ってきたのは一つのファイル。彼はその暗号化されたデータの解読処置を行い、中を閲覧するとそこには数多の顔写真とその詳細が欄列されていた。
「……これは?」
『ほら、あれだよ。アレ』
「あれ?」
『そうそう、ほらなんだったっけ? 事故に見せかけて拐うっていうやつ』
「あぁ条約の……」
彼が呟くとそれだ、とヒロが強く反応する。
「ふむ、なるほど。つまりこれはそのリストというわけか……」
『そそ、んでちょこぉっと気になったもんだから送らせてもらったってぇわけ』
《世界平等平和条約》と呼ばれるそれは殺人や窃盗といった犯罪行為を行えば問答無用で終身刑とされてしまう。なんとも極論のような条約ではあるがそれはいわゆる隠れ蓑。
もしあの世界で捕まったが最後、彼らは漏れなく地獄と呼べる表せられるその世界へと連れてこられることとなる。
「ふむ……」
マウスを動かし、切り替えていった写真。同時に表示される詳細には前科持ちの連中や定職に就いていない無職の人物達の事細かな説明が記載されている。
「――っ!」
そんなものへ特に感心を持つことなく彼は写真を眺めていくと数十枚目に切り替わった写真に目を疑い、その手をピタリと止める。
「これは……」
彼は目を見開き、小さく呟く。その声はわずかながらの変化ではあるものの彼が戸惑っているのだということがはっきりと読み取れる。
『あ、やっぱり間違いじゃなかったんだねぇ~』
幼い少年のような無邪気さのある声に彼は返答をしない。
彼の見ているモニターに映し出されているのは防人 慧の写真。中学の学ランを身に付けた防人は見切れた複数のピースの奥でつまらなそうな、悲しそうな顔をしている。
「どういう……事だ?」
『んん?』
「どういう事なのかを聞いている」
『……さぁ? 俺は気になったから連絡をさせてもらっただけですしねぇ』
「知らないのか?」
『えぇ。まぁできる限りは調べて見るけど……そんなに彼が大切?』
「それは……まぁ、そうだな。アレを動かせるのは今のところ奴一人だけだ。全容が分からない今、計画に組み込んでおくことは重要に決まっている」
『計画、ケイカクねぇ~』
「……何が言いたい?」
『いやぁ~別に~。ただ貴方は彼の事が好きなのかと思いましたけどねぇ~』
「ふん、馬鹿なことを言うな。ケイは俺にとって計画に含まれる一個人でしかない」
『おーおー、おアツイねぇ~』
明らかに煽っている声色で言ってくるヒロに彼はピクリと頬をひきつらせる。
「……あまりふざけてるとその目、潰すぞ」
『あぁそれはカンベンですよぉ。自分は仕事柄、目が命なんですからぁ』
一切怯えた様子のないわざとらしい返事に彼は怒る気も失せて呆れ果てる。
「なら軽率な事は言わぬ事だ」
『はぁい。ではでは、次からは細っ心の注意を払わせて頂きますねぇ~……また連絡をさせて貰います。A.T.』
通信が切れ、終話音が数回鳴り、モニターからは『Sound Only』と書かれた小さなウィンドウが静かに消える。
「あ、おい! ……全く」
言うだけ言ってあっさりと連絡を終えたヒロにA.T.と呼ばれた白い髪の少年は大きくため息をつき、猫の頭から手を離すと机上の携帯を手に取り、通話を湊へと繋げると。
「湊、用意をして行く。後で集合場所をメールで教えてくれ」
要件だけを伝えると彼は久しぶりのシャワーへと足を運んだ。