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053『へっぽこ』



「このへっぽこ!」

「痛ったぁ!?」


 ガンッ! とピットに足を踏み入れた直後、硬い何かで右脚部を殴られる。

 しかも殴られたのは(すね)

 尋常じゃないほどに痛く、一瞬だけ視界に火花が散ったように光が走る錯覚を覚えた。


――だ、誰?


 防人はジンジンと痛む脚を押さえながらしゃがみこみ、その犯人の方に視線をやると小さな女の子が手に持っているスパナをカチカチと鳴らしながらこちらを睨んでいた。


――中学生……いや、小学生かな?


 壁に持たれかけて座っていたのは小さな女の子。

 髪は短めのポニーテールで着ている服は作業服らしきもの。

 歳は12か13だろうと防人は判断する。

 座っているので身長はよく分からないけれど、少なくとも蹴られたのではなく殴られたようだ 。


「お前! もうちっと上手く周りに気を配って操縦できねーのかよ! 壁に穴なんか開けやがって! あれを直すのだって大変だしタダじゃねぇんだからな!!」


 ムスッとした表情のまま手をブンブンと振って幼い甲高い声で彼女は体全部を使って叫ぶ。

 その姿は幼い子供そのもので微笑ましくもあるもののそれは端から見ればということであって殴られて、怒られているこの状況は防人にとって全くもって嬉しくはない。


「でも確かアリーナの壁は自己修復機能が備わってなかったっけ?」


 とはいえ彼女の言うことも至極その通りであり、何かしら言い返すような考えもなかった防人は反射的に思ったことを口に出す。


「アホか!」


 また殴られた。

 しかも彼女の持っていたあのスパナでだ。


 足の痛みでしゃがんでいた防人は咄嗟にその攻撃を防ごうとするものの鉄製のスパナなんかで殴られればいくら相手が女の子であったとしても当然痛い。


 しゃがんだ防人に対して立ち上がった女の子。

 構図としては少しだけ防人が彼女から見下ろされる形になる。


「すぐに直せるのは多少のヒビ割れ程度であってテメーのデカイ頭で開けた穴は無理なんだよ! お前は本物のバカか!?」


 アホとかバカとか……ある意味では子供らしい気もするが、こう何度も同じように怒鳴られれば、流石に苛立ちも沸々と湧き上がってくるものの小さな子供それも女の子に怒鳴るほどでもない。


「なんか、ごめんね」

「あぁ、悪いね! さっきの戦闘を見させてもらってたんだけどよ。ライフルの弾をわざわざ回転してシールドで防ぐこたなかったろ! 機体のセンサーカメラ使えよ。そうすりゃ視野は上下左右に360度だ。つぅか見なくても避けるぐらいのことしろよな!」

「それが出来れば苦労はないんだけど……」


 まぁ、まだまだ操作に慣れてないというのが結論だろう。

 視界に映る各アイコンに対して気を回すことは出来ている方だとは思う。

 ゲームでもしょっちゅう見るような配置をしているし……でも、それでも見落とすことがあるくらいには周囲に目を向けれていないというのが現状だ。

 後ろにも目をつけるんだ! それが出来たらどれだけ良いことか……。


 というか馬でも視野が350度。

 しかもそれは見えるだけで距離感までは分からないらしいので、視野が200度ぐらいしかない人間が360度の視野を持ったとしてもそうそう上手くいくものではないと思う。と言い訳したいくらいだけれど……その辺は慣れとかの問題なのだろう。

 見えるといっても車のバックモニターのようなカメラで切り取られた視界なのだから。


「んなこと言ってっから壁に頭突っ込むことになんだよ! 実戦じゃ壁にめり込んだお前を待ってはくれねーぞ! 首が刺さった瞬間その先には死しか待ってねーんだからな!!」


──まぁ、正論ですね。はい。


「あんな腕じゃあ即効で撃墜されてお陀仏だぞ! それが嫌ならもっと――むぐぐっ」

「こらこら、年上には敬語を使いなさい」


 後ろから現れたのは女の子と同じ作業服を着た男性。

 彼は優しく叱りつつ彼女を軽々と持ち上げている。


 彼の名前は『鬼海(きかい) 治直(なおすぐ)』。

 学園の機体系統全般を整備する『開発部(メカニッククラス)』の顧問であり、1年B組の担任も任されている。


 アリーナを借りて訓練をするようになってからよく出会うようになった人物であり、防人も光牙に関してかなりお世話になっている。

 年齢は30歳くらいなのだが、びっしりと生え揃ったふさふさっとした顎髭によってその見た目は実年齢よりも少し年期の入った大人のように見える。


 丁寧な指導から整備を専門とする生徒たちの支持はあつく、慕われている。

 皆からは『治直先生』や『ナオ先生』と呼ばれ、防人もそれに習ってそう呼んでいる。

 なんでも苗字呼びは『機械』に聞こえるのでロボットっぽくて嫌だからだとか。


「離してよ、パパ! 離せぇ~!」

「こ、こら! 大人しくしなさい!」


 パパ、ということはこの女の子はナオ先生の娘なのだろう。

 話には聞いていたけれど、なんというか随分とお転婆な子のようだ。


「すまないなぁ口が悪くて。(うち)の女房にしゃべり方が似たみたいでなぁ……」


 バタバタと暴れる彼女をどうにか掴みつつ、治直先生は機械を扱う人物らしいガッシリとした体格からイメージされるものとは異なる優しい口調で謝罪の言葉を述べる。


「まぁ、これでもこの子は君を心配して言ってるんだ。大目に見てやってくれないかな?」

「いえ、下手くそなのは本当の事ですから……ん? 心配?」

「あぁ、この前少しお前さんの事を話したことがあってな。それで――」

「ちょっ、パパ!!」


 焦ったように声をあげる先生の娘。

 明らかに言って欲しくないという態度は防人からも察せられたものの先生からは特に気にする様子は見られない。


一月(ひとつき)前と比べて上手くなっていくお前さんの様子を実はコッソリと褒めて」

「ワ~! ワ~! ワ~!」


「へぇ~……褒めて――」

「忘れろ!!」


 金切声をあげ、顔を真っ赤にしながらこちらへと投げてきたスパナ。


「ンガ!?」


 ちょっと仕返ししてやろうと芽生えたイタズラ心が運の尽き。

 彼女からのまさかの行動に判断の遅れた防人はそのスパナをモロに顔面に受けることとなる。


「お前はへっぽこパイロットだ! へっぽこパイロット。このへっぽこ、へっぽ――」

「こら! 何てことしてるんだ!」


 照れ隠しなのかどうなのかそれはよく分からなかったものの、彼女の行動は治直の剣幕によって静止する。


「パ、パパ……」

「星那! スパナを何で投げた! ……いいか? こいつはな緩んだネジ閉めたりするためのものであり、調子の悪くなった機械を治すためのものだ! 断じて人様を傷つけるようなことに使うようなものじゃない! 心配で感情的になってしまうのも分かる。だが、何度も教えたように、道具は愛情込めて大切に使わないとダメだ! それにだな…… 」


 先程の優しそうな顔はどこへやら。

 先生は文字通り鬼のような形相で娘を叱り始める。


「……すごいですね。あれが親の愛とかいうものなのでしょうか?」

「さ、さぁ、どうなんでしょう?」


 宏樹は二人を見てそう言うと彼はいつも身に付けているサングラスを取り出してかけ直す。


「ふむ、なんだかまだまだ続きそうですね。俺が指摘したかったところは彼女が言ってしまいましたし、どうします?」

「ん~……壊してしまったアリーナの報告と念のため光牙のメンテナンスをしておきたいので」


「分かりました。では、先に上がらせてもらっても宜しいですか?」

「あ、はい。お疲れ様です」

「えぇ、ではまた」


 ピットの出口へと向かう宏樹を見送ってから数十分後。

 先生の説教がようやく終わり、先程まで元気だった星那もすっかりと大人しくなる。


「家の娘が酷いことをしてしまった。本当にすまなかった。ほら、星那」

「ひぐ……さ、さっきはスパナを投げてしまって……ご、ごめんなさい」


 目を涙で腫らし、先程とは違う意味で顔を真っ赤にしている星那。

 彼女は父親に言われてしゃくりながらも防人へと謝罪する。

 頭を下げつつも目を合わせて言おうとしているその仕草は完全に上目遣いとなっていてそういった刺激に弱い防人にとってはそういったちょっとした仕草も心臓をドキリとさせる。


「えっと、うん。鼻血とかも出なかったし、大丈夫だから」


 しかし、その気恥ずかしいような感覚にも似た感情は表に出してはいけない。

 防人はそう自制しつつも、こういう時に言葉で言うだけではいけないのでは、と判断した防人は彼女の頭を優しく撫でる。


――いや、これは流石に子供扱いし過ぎかな?


「う、うん……」


 頭を撫でる直前、防人は少し危惧したものの彼女の反応に問題無さそうであると安堵する。


「いや、だがケガをさせかねない事をしてしまったのは事実だ。本当にすまなかった」


 二人の横で深々と頭を下げる先生。


「娘にはキツく言っておいたから……」


――えぇ、知ってます。

 実際、目の前で見てましたし、それに途中からは道具の扱い方とかその子の普段の行動とかについて叱っていたし。


「えぇ、まぁ……えっと、本当に大丈夫ですから」

「そ、そうかね?」

「そうですよ。あぁそれよりも機体のメンテをしたいんですけど、手伝ってもらえますか?」


 このままではいつまでも平行線。

 そう直感した防人は先生へ協力を仰ぐ。


「うむ……そうだな。ほら星那、準備しておいで」

「うん……」


 父親に促され、彼女は涙を拭いつつ一足先にピット奥にあるメンテナンスルームへと駆けていった。

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