050『味噌汁浴』
「ふぅ~……」
初めての風紀の活動を無事に終えた防人は疲れを落とすために頭からシャワーを浴び、そして静かに今日を振り返っていた。
風紀委員会――その主な活動としては問題行動を起こした生徒たちを矯正することとその後処理。
生徒たちの悩みを聞いてカウンセリングなど等を行うこと。
放課後の学園内や各部活の見回り。
そして学園での予算的なものをまとめたりすること。
基本的にはこれくらい。
結局、今日は見ていることしか出来なかったし、今後活動がある日はちゃんとやっていかないといけないだろう。
しっかりやらないとどうなってしまうのかも分からないし……とはいっても少なくともあそこにいた人達は悪い人達じゃないだろうからこの心配は取り越し苦労かもしれないが、だからといって気を抜いていいことにはならないだろう。
あんな風にいきなり彼――白石が殴られたのにはビックリしたし、それが許されてた点に関しても色々と普通の学校とは違うところがあることは分かっている。
まぁあれに関しては白石が迂闊な発言をしたことも問題ではあるけれど……。
少なくともこうしてギアを渡され、そしてそれを学園内において使用できる風紀委員という立場は特別なもののようだし、今後そういう相手に対して使う必要が出てくるのであれば光牙を自分の思い通りに使えるようにならないといけないだろう。
それに……今もなんとなく実感が沸いてこないけれど、ここが戦争のための施設だというのならやはりいつかは戦うような事は起こるだろうし、その点に関しても備えをすべきなのは間違いない。
戦闘技術に関してはどうにか竜華さんたちから学べないか姉さんに取り次いで――
「……姉さん、か」
結局この前も聞けなかったけれど、姉さんはここが軍事学校ってことを知ってて黙っていたのだろうか。
自分は知っていたというのに教えてくれなかったということなのだろうか。
いや、でもこの学校にくることを決めた時には何度か本当に行くのかどうか確認をされたはずだし、心配はされていたということなのだろうか。
それに、もしその時に本当のことを言われてたとしても完全に信じることはなかっただろうし、もしかしたらあえて言わなかった。
言えなかったということなのかな。
「……分からない。分からないけど、少なくとも姉さんは大丈夫なはず。そう思うことにしよう。うん」
体が少し温まって来たことを確かめつつ防人は用意していたボトルへと手を伸ばし頭から順に体を洗っていく。
そして浴槽に――
「――あっ」
どうやら栓を閉めることを忘れて湯船への給湯を行ってしまったようで風呂にお湯が溜まっていなかった。
「はぁ~……お風呂でのんびりとしたかったけど仕方ない、か」
防人は少し肩を落としつつパジャマへと着替えるとベッドへと横になる。
忘れないうちにベッドの台へ置かれている生徒手帳と電子教科書を充電台へと立て掛け、そして手枷の形となっているギアを自身の両腕へと嵌める。
ズッシリと来る鉄の重さ。
それが先日の学園長とのやり取りが夢ではないということを思い出させる。
けれど、そんなに考えすぎたところで何かしらの改善があるわけではない。
明日も学校がある。だから早く寝ないといけない。
「そういえば……」
そう思いつつベッド台に置かれている生徒手帳を手に取るとカレンダーを起動する。
明日は金曜日。週末ということもあって新入生歓迎会が予定されている。
そのため午後からの授業は無い。
「今は……22時か、あのアプリのイベントっていつだっけ?」
だからなのか防人の気は無意識的に緩み、気づけば夜中の3時をまわってしまっていた。
次の日
「ふぁ~~……眠い」
うっすらとクマのできた目を擦りながら防人は食堂で朝食を済ませると追加で注文したコーヒーを口に含む。
「大丈夫? すごく眠そうだけど」
「あ、竜華さん。いえ、大丈夫です。ちょっと寝不足なだけで……それよりもわざわざ無理言って早めに開けてもらっちゃって、すいません」
「いーよいーよこのくらい。どうせもう開ける予定だったし、今日は人手も足りていた方だから、準備ももう済ませてあるしね」
「あ、そうなんですか?」
「うん、そうだよ。でさ何で目の下にクマが出来ちゃうほど夜遅くまで起きていたのかな?」
「えっとそれは……まぁ少し遊んでまして」
「なるほど。それで、夜遅くまで起きていたと」
「ええ、まぁそうですね」
「ん~遊びたくなるのは分かるけれど、夜更かしは良くないね。しかもこうやって早朝から起きてるってのもね」
「そう、ですね。今後気を付けます」
「よろしい。……と、どうやら誰か来たみたいだね。ちょっと行ってくるよ」
「はい。いってらっしゃい」
防人は竜華の動作を真似するように短く手を振り返して、ちびちびとやっていたコーヒーを一気に飲み干して窓の方を向いて机にもたれかかる。
「あ~……カフェイン摂取したのにまだ眠いなぁ、まぁそれで目がシャッキっとするとは思ってなかったんだけど……少し歩こうかなぁ」
そう思い、防人がもたれ掛かっていた机から頭を上げようとしたところで「あっ!」という男の声の後、頭に熱湯が降り注ぐ。
「熱っつぁ!!」
不意に襲ってきたそれに、対して防人は反射的に前のめりの形、机へと顔面をぶつける形に体を屈折させる。
額を机にぶつけた痛みが遅れてじわりと襲ってきたものの今はそれどころではない。
「わ、悪りぃ」
「悪いじゃないよ。というかそんなこといってる暇があったら何か拭くものを早く持ってきてくれ」
幸か不幸か、机に伏していた為に制服全体にそれが掛かることはなかったものの動くに動けない状況で防人はじっとその場に止まりつつ後方に立つ犯人の男に少し強めの口調で要求する。
「でもお前が動いた方が早く――」
「今、動いたら頭に乗った具材や頭に残った液体が飛び散って床やら制服に二次被害が起こるだろ?」
分かれよ。と思いつつも防人は相変わらずの友人である植崎 祐悟に説明するように言う。
「だけどよ」
「いいからさっさと拭くもの持って来てよ!」
一体、何を渋っているのか。
防人は早くして欲しいという気持ちから再び要求するものの彼はそこから動こうとしない。
「その声、植崎であってるよね?」
「おう、俺様だぜ」
「じゃあ早く持ってきてくれないかな? この状況わりとキツいんだからさ」
鼻をつく味噌汁の良い香りも朝食として頂くのであればうれしいものではあるけれど、この状況では不快な気持ちの方が強い。
「ん、植崎? どした?」
「いや、そのだな。俺様ティッシュとか持ってねぇんだけど……」
なるほど。
やりたくても出来なかったってことらしい。
「だったらカウンターのとこにある給水機のとこにテーブル拭くやつあるからそれを持ってきてよ」
「お、おう。分かったぜ!」
――あっ、あいつトレーをこの机に置いたな。
大丈夫だよね? ちゃんと味噌汁の無いところに置いてるのかな?
そんなことしたら二度手間になっちゃうから止めて欲しいんだけど……あぁ~でもどのみち床も拭かないといけなくはなったっぽいなぁ。
カチャンと強く机に置かれた振動によって机の縁の段差によってギリギリ耐えきれていた味噌汁溜まりが決壊し、ポタポタとした音を立てて床へと滴を垂らしていく。
防人はその音を聞きながら待っていると後方から再び植崎の声が聞こえてくる。
「ケー、どこに置いてあんだ?」
「だからカウンターのとこだって、箸とかソースの瓶とか置いてあるところ」
「いや、見てみたんだが……やっぱ見つかんなくてな」
「そうなのか? んじゃぁ竜華さんにカウンターから声かけて布巾をもらってきてよ」
「おう! 分かったぜ」
ドタドタとした足音を立てながら駆け出していくのを聞きながらしばらく待つ。
次はさほど待つことなくまずはティッシュによって頭に被せられている味噌汁の具材が取り除かれていく。
「大丈夫?」
耳に届く女性の心配そうな声。
状況を聞いた竜華が来てくれたようで頭部周囲の味噌汁溜まり布巾によって拭われていき、タオルが汚れてしまった頭を綺麗にしていく。
「竜華さんわざわざすみません」
「ううん気にしないで、それよりも火傷してない? もししてるなら薬とか」
「いえ、大丈夫です。言うほど熱くはなかったですし、すぐに冷めましたから」
「そう? でも念のために冷やさないとダメだよ? ほら」
竜華の差し出してきた氷水の入った袋をくるんだ濡れタオル。
防人はそれを受け取ると、味噌汁が直撃した自分の頬に当てる。
「ありがとうございます」
「うん!」
お礼を言われ、竜華はニコリとした笑みを見せる。
その明るく微笑む顔に少し照れてしまった。
「ん~……本当に大丈夫?」
「え?」
「ほら結構赤くなっちゃってるし、やっぱり軟膏とか持ってきた方がいいんじゃないかな?」
心配といった様子で顔の方へと伸びてくる手。
窓際ということもあって日光によって照らされたその白い肌は本当に綺麗で、こちらの火傷を診ようとしているために顔も近く、その強い刺激に防人の中で気恥ずかしさがよりいっそう強まっていく。
「いえ、本当に、大丈夫ですから」
「でも……」
「ほら、こうやって冷やせば大丈夫ですから。それに薬は後々痛かったら自分で塗りますから大丈夫です!」
照れ照れ、アセアセ。
防人は大丈夫、という言葉を強め言いつつ彼女から少し距離を取る。
「でも――」
「本当に大丈夫ですから。それにほらこの頭じゃ学校に行けないですから一旦風呂に入らないといけませんし、薬はその後じゃないと流れちゃいますから」
女性に自分の顔を触れられた。
それは看病をしようとしてくれた優しさなのは理解しているもののその照れくささを防人は堪えきれず、その感情を誤魔化すかのように早口で理屈を述べる。
「そ、そう? なら、いいんだけど……」
「い、いえ……そのっ、ありがとうございます」
「うん……どういたしまして。じゃあ、私はそろそろ仕事に戻るよ」
「あ、はい……」
「それじゃあ、またね」
「はい、また……」
そう言って彼女は手を振り、カウンターの奥へと消えていく。
それと同時に芽生えてくる罪悪感。
「はぁ~……」
いくら恥ずかしかったとはいえ流石にあれじゃあ否定してるというか拒絶しているみたいにとられかねなかったかもしれない。
後でまたお礼と……それから謝らないと。
「おっと」
カラカラと音を立てながら転がってくる一本の箸。
その方向へと視線を向けると定食らしい品揃えの朝食を食べていた。
「で、お前は何事もなかったかのようにな~に飯を食ってんだよ。植崎」
「ん? 和風定食だけど?」
「それくらい見りゃ分かるわ! 僕が言いたいのは何で定食の味噌汁を僕にぶちまけておいて平然と白米を口に運べるのかを聞いているのだけど?」
まさかの不意打ちのおかげさまで目は覚めたもののこんなものを要求した覚えは無い。
「ほう、なふほろほういふほほか」
「口の中のもんを飲み込んでからしゃべれよ。何を言っているのかわからん」
「ん、なるほどそういうことか」
「ふぅん。そ」
「反応薄っ!」
「いや、正直なところ僕はその続きを聞きたいんだが……」
「あ~……なんだっけか」
「はぁー……もういいよ」
「そうか」
植崎は短く答え、箸を動かし始める。
「…………。」
――イラリッ……
「ん、どした?」
「いや、そういやまだお前に貸した30740円返してもらってなかったなぁって思ってさ」
沸々とした感情が一瞬だけ芽生え、仕返しというわけではないもののせめてもの反撃のつもりで防人はわざとらしく言ってみる。
「あーそういやあったな」
「まぁ今思い出したのは何かあると思うんだよ。だから返してもらえる?」
「あー今は金がねーんだ」
即答だった。
「何で? 前に言ってた小遣いってここで貰えるお金のことじゃなかったの?」
「そう、なんだけどよ。わかんねーんだよ。この学校でもらったケータイん中の金をお前にどうやって渡せばいーんだ?」
「あぁ……」
──確かにそうだ。電子マネーを使うことはできるけどこれを換金する方法は分かんなかったからな……今度誰かに聞いてみるかな。
「そうか。それじゃあ……また今度ちゃんと返してくれよ」
「おう、わかってんぜ! ってどこ行くんだ?」
「一旦部屋に戻るんだよ。お前のせいで髪の毛がベタベタだし、洗わないと」
「そうか、んじゃまた後でな!」
「うん。また後で」
朝の一人賑やかな時間はこんな調子で過ぎていった。




