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001『真夜中のひととき』

【 12月 中旬 土曜日 】


「――っ!!」


 少年――防人(さきもり) (けい)は強い恐怖と悲しみの感情に目を大きく見開き、目を覚ます。


「ここ、は?」


 呼吸を荒くしたまま、まず、彼は視線のみをゆっくりと左右に動かして今現在の状況を確認する。

 部屋は夜灯で照らされたのみで薄暗く、よく見えないが、部屋に置かれた家具を見る限り、そこは自分の部屋で間違いないようだ。


――夢か。


 防人は自身の今の状況を把握し、安堵の息を吐きつつも青いパジャマの袖で顔に滲んだ汗と目から流れ出ている涙を拭う。


――久しぶりに見た気がするな……。


 中学になってから見るようになった夢。

 チクチクとした若草と甘い香りを漂わせる花畑の広がる草原の上で名前も知らない白い色の人影と何かしらを語らい、そして最後は地の底へと落ちていく。

 夢なんてもの自体この頃はまるで見なくなっていたというのに、なぜ今になってしかも以前から見ていたものを見ることになったのだろう?

 繰り返される夢は自分自身が自分自身に伝える何かしらの警告だというのをネットで見た記憶はあるが、もしあの夢が警告だというのならば一体どんな意味を持つのだろう?


「争いだらけの世界になったら……か」


 ヒントも答えもない疑問に未だぼんやりとする頭で思考しつつ防人は夢の中で言っていた白い人物の言葉を小さく呟く。

 その言葉に一体どのような意味が含まれているのかは分からないが、それは何か深い意味があるような気がしてならない。

 とはいえ既に曖昧になった夢の出来事。当然、結論も曖昧なものにしか至らず、それがそのままの意味なのかはたまた何かの比喩なのかは全くわからない。


――いや、答えの出ないことをこれ以上悩んでも意味がないか……。


 あれは夢。少し不思議で怖い夢。ただそれだけの事でそれ以上でもそれ以下でもないことなのだと防人は大きく息をつきながら結論付け、一蹴する。


「……ん?」


 乱れていた呼吸も、高鳴っていた動悸もようやく落ちついてきたことで防人の意識は自身以外の周囲の環境へと向ける余裕が生まれてくる。

 そんな感覚の内、彼は涙を拭った左腕とは逆の右手から何やら肌触りのいい生温かな感触をその手に感じているのを把握する。


「……え?」


 彼はその手元へ意識を向けると感じられるのは暖かい熱と手入れの行き届いている艶やかな髪の感触。

 気付かれないよう動かすとその指には程よく脂肪のついた柔らかな弾力が返ってくる。


――これは一体!?


 その感覚に彼は一瞬、驚いたもののハッキリとするようになった思考を巡らせ、すぐにその正体に見当を付ける。

 間違いはないはず、防人はその正体に確信を持ちつつもそれを確認するためにゆっくりと毛布を捲り上げてその中を覗き込んだ。

 最低限の明かりで照らされた薄暗い室内ではあるものの夜目の利く彼にはその僅かな明かりから、全貌の把握とまではいかなくともそこに何がいるのかぐらいならば判断することが可能である。


「……やっぱりおまえだったか。子猫ちゃん」


 正体に間違いが無かったことに防人はホッと胸を撫で下ろすと静かに微笑み、その小さな頭を起こさないように優しく撫でる。

 『子猫』というのは漫画やゲームといった題材に登場する所謂キザなキャラクターが女性に対して呼び掛ける比喩的な表現というわけでない。

 性別という点においては一致するもののそれは直接的な表現であり、普通の本物の猫に対しての呼び方。

 防人 慧が中学になって半年ほど経った頃からよく家に侵入してくるようになった銀色の毛並みをもったアメリカンショートヘア―である。

 名前はまだない。というではなく彼は名前を知らない。

 だが、少なくとも赤い首輪が巻き付けられていることを見るにどこかの飼い猫であるということがよくわかる。

 だからこそ防人は混乱してしまわないように、と子猫に対して名前を付けていない。


「あぁそういえば、あの夢を見るようになったのはお前が来るようになってからだったか? ……もしかして、夢での話し相手はお前だったりするのか?」


 防人は優しく子猫の頭を撫でながらそんな冗談を呟きながら艶やかな肌触りに頬を緩ませる。

 どうやら随分と深い眠りに落ちているようでいつもであれば撫でてやろうかと手を伸ばす間もなく起きてしまうのだが、今回は起きそうにない。


――これは、またと無いチャンスではないか?


 起きないということはモフモフとした柔らかな感触も艶やかな毛並みも楽しみ放題ということ。

 つまり、最高ということだ。

 いつもいつも抜け毛の処理で苦労させられてきた以上、今日こそは対価を払ってもらわなければ割りに合わない。


――よ~し、覚悟しろよ?


 防人は優しい手つきで指を走らせるとフヨフヨ、モフモフとした独特の感触を堪能し始める。


――寒っ!?


 と、思ったのだが、毛布から露出した顔を突き刺すような冷たく乾いた風が室内に吹き込み彼は身を震わせる。


「……なんで?」


 ここは室内であるはずだと言うのに。

 防人は視線をエアコンの方へと向けるが、しっかりと電源ランプは緑色に点灯しており、運転中であることが確認できる。

 これでは風邪を引くどころか凍え死んでしまう。

 防人は設定を冷房にでもしてしまったのかと思考するが、再びの風に彼はその身を強ばらせる。

 とはいえおかげでカーテンが大きく揺らぎ、極寒の土地と化した室内の原因を発見した彼は覚悟を決め、起き上がると側にあるカーテンを少し、引き開ける。


「まだ、暗いな……」


 窓ガラスの向こうに見えるのは同じような建物が建て並ぶ住宅街の大道路。

 視界に映る家々は玄関部分を照らす薄明かりのみが点灯しており、今の時間が夜遅いのだというのが確認できる。

 また、一定の感覚を開けて立て並ぶ電柱には一つ一つ、監視カメラが設置されており、怪しく光る赤いランプはまるで瞳のよう。

 それはいつ見ても防人の恐怖心を強く沸き立たせる。


「うぅ……通りでエアコンが効いて無いと思った」


 とはいえ今は目の前の問題が最優先。

 防人は愚痴をこぼしながらもすきま風の抜けている窓を静かに閉めるとオートロックにより鍵がしっかりと掛かったことを彼は確認する。

 その後、ベッド上のリモコンを用いて室内の照明の強さを調整すると猫を起こさないよう静かにベットから脱出し、彼は凍える体に鞭打ちつつもゆっくりと忍び足で移動すると部屋に置かれたファンヒーターの前に腰を落としつつ素早く電源を入れた。


「ふぅ~、あったかぃ……」


 ボタンが反応の音を鳴らすのを確認すると彼は両手を風の出元に向けてすぐに暖を取り、その暖かな恩恵に感謝する。

 部屋が冷え切ってしまっている時には壁のエアコンよりも床に置かれたヒーターの方がありがたいものだ。

 確かにエアコンは部屋全体を暖めるものとして十分に活躍をしてくれるが、その部屋を暖めるまでにはそこそこの時間を必要とする上、震える我々があびることのできる暖かい風は設置された場所にもよるが手を天井に伸ばしたその手や腕などに限られてしまう。

 もちろん風向を設定することで体にも暖かい風を当てることはできるかもしれないが、それは冷え切った空気によって冷やされた生ぬるい微妙な風のみである。

 対してヒーターであれば熱いといえるほどの風を座ったまま全身に直に浴びることができる。

 もちろん起動までの数秒は凍えて過ごすことにはなるが、ひとたび風を起こし始めれば体の震えはピタリと止めることができる。

 これは最高ではないだろうか?

 まぁ、火事の危険性があるから夜などに電源を入れたまま寝るわけにはいかないが、その時の部屋は十分に快適であるため必要はない。

 仕事をするのは僅か数十分と短い時間ではあるもののやはりヒーターは冬には欠かせない最高の存在である。


「……そろそろいいか」


 防人は部屋が暖まるのをしばらく待ち、室温が程よく安定してきたことを確認すると、現在の時間を確認するために壁に掛けてある時計に視線を移す。


「あぁ……忘れてた」


 防人は時計の現状を見て小さく呟くと、くせっ毛も相まって寝癖の酷く付いた頭を掻く。

 昨日の夜、電池の交換をすっかりと忘れていたその時計は現在は完全に停止しており、ピクリとも動く様子はない。

 当然、日付や時間をわかりやすく表示するモニターには何も映し出されてなかった。


「はぁ~仕方ない」


 防人はヒーターを停止させ、立ち上がると机の方へ移動すると机の上に設置されたミニブロックで作られた小さな棚に視線を移す。

 自由研究にて自作したカラフルな小棚の最上段には1つ、小さなケースが置かれており、その中には腕時計がしまわれている。



「……あれ?」

 

 はずなのだが、そこにあるはずの時計が入っていなかった。

 防人は慌てて腰を落とすと床に手を付き、視線をベッドや机横の引き出しの下へと向ける。

 入っていたはずのそれは銀色の光沢が美しいお洒落でかっこいい腕時計。

 今では珍しい針で時間を刻む腕時計。

 それは小学生の時に誰からかに貰ったはずのもの。

 誰からもらったのか、それは小学生くらいの記憶が抜けてしまっている今、わからない。

 けれどそれは大切なもの。そうとだけ認識している。


「――あっ」


 しばらくして下の隙間に手を伸ばそうと袖を捲った際に自分の左手首に巻きつかれている事に気が付く。


――また寝るときに外すのを忘れてたのか。


 防人は内心で呟きながら腕時計で現在の時間を確認する。


「4時半くらいか……通りでまだ外が暗いと思った」


 防人はゆっくりと立ち上がりグッと両手を上にあげて伸びをする。

 すっかりと目が冴えてしまった防人は静かに椅子に腰かけ、クルリと机の方を向くと壁のモニターの電源を入れる。

 モニター下から操作用のマウスパネルが付いた電子キーボードを引き出し、側面のスイッチをオンに入れ、小棚に置かれたワイヤレスのイヤホンを取り出すと自分の片耳に取り付けた。

 モニターの起動とともに二つの機器がワイヤレス接続させたことを確認すると早速パネルでカーソルを動かして防人は今日のニュースの確認を始めた。


――えっと今日のニュースは……また交通事故が起きたのか……。


 防人は内心で書かれていることを読み上げながらカーソルを操作して書かれた文章をスライドさせていく。


『またも起きた交通事故。原因はまたしてもシステム不具合か!?』


 でかでかと書かれた見出し文字に深々と頭を下げる自動車会社の職員達。


『原因の発見に対して現在全力で検討しているところであります』


 そしていつもと変わらない台詞。

 それは事故の起きた現場や被害を受けた人物などに違いはあるものの記事の内容に大して変化は無く、それは読み飛ばしながら見ているとまるで同じ記事を読んでいるような錯覚を覚えるほど。

 御愁傷様。

 そう思いはするものの既に見慣れてしまい、これといった感情は芽生えない。

 強いて挙げるとするならこういったニュースを見る度に全自動の車には極力乗りたくは無いと思う。

 とはいえ、今ではバスや電車といった交通機関のほとんどは無人のものへと変化しており、道路には全自動用車専用の道すら用意されているほどに整備されている。

 そのため現在、中学生である防人はそういった乗り物からは避けられないものではあるものの警察や救急などといった緊急車両は人の手によって動くものであるし、一般に使用出来る車の全てが全自動に置き換わったわけではない。だから彼は将来、運転免許を取ったら手動で運転のできる車が欲しいと願っている。


「しっかし、何でここまで事故が起きてるっていうのに廃止まではいかないにしろ一旦中止にす?とかすりゃあいぃのに……」


 そう、思っても国が禁止するように言わないということは何かしらの考えはあるのだろう。

 よくは分からないが、既に全自動の車というものが世間に根付いてしまっていることも事実だ。

 とはいえ、こういった自動車の事故が多く発生しているのが真冬の時期で、また定職に就いていない人物が多いというのには何かしらの思惑があるかのよう。

 と、いうものがネットではよく話題にされているが、あくまでも憶測であり、本当の事が分かる人は誰もいない。


「ふむ、後は……特に気になるのは無いかな?」


 自動車事故の記事の他に載せられているものはスポーツや有名人なんかの特集ぐらいで一覧に表示されているものの中には特に真新しいニュースは見当たらない。

 野球やサッカー、芸能関係に特にこれといった興味の無い防人は検索をかけて一覧に表示されているものを絞り込んでみる。

 検索をしたのはいわゆる不幸なニュース。

 しかし、一覧に表示されているものの中に『事故』はあっても『事件』は存在していなかった。


「やっぱり、今日も無いか……」


 事件とは殺人や強盗といった人が理解した上で他者を傷つけるような出来事。

 それらは無数に設置された監視カメラと衛星からの追跡もあってここ数年では一切ニュースとして報道されることは無くなっている。

 とはいえ、動画配信者などの行き過ぎた行動すらも報道されることが無くなったのは『条約』の下、国が揉み消しているのでは無いかとも噂されているが……。



《世界平等平和条約》


 半世紀ほど前に起きた世界大戦後、これを世界中の国々が結んだ事によって世界から銃火器は消え、文字通り争いは無くなった。

 近年では選挙によって決められたという十数名の『大統領』改め『統領陣』が世界を治めていると言われている。

 がしかし、その人たちが一体どんな人たちなのかは一般の人たちにはわからない。

 なぜならその人たちは今までで一度もその顔をメディアに晒していないからだ。

 それ故にネットの中などのウワサはたくさん存在する。その人たちは脳みそだけなのだとか、人ではなくて宇宙に打ち上げられた複数の超高性能のコンピューターであるとか言われている。

 とはいえ、実際に犯罪が減っていることは事実であり、この法律で特出すべきものは


『殺人、暴力、窃盗などの平和を脅かす行為を行ってはならない』

『世の中をまだよく知らぬものは更正させよ』

『国民は学問を全うし、社会に貢献せよ』


の3つ。

 そしてこの法律の多くの決まり事がここに集約されている。

 つまり成人を越えた人が『罪』を犯した場合、『平和』を脅かすものとしてその罪の大小にかかわらず終身刑が言い渡されることになっている。

 当然、横暴だという意見も少なくは無いが、実際に悪意のある罪は完全に消えているというのだから大々的に非を言うものはいない。

 しかしその法律によって世界中のいたるところに監視カメラが設置されており、世界中が巨大な監視施設(パノプティコン)となっているのも事実ではある。

 自分の家から一度外へと出た瞬間、複数の機械の目に見張られ続け、肩身の狭い思いをしなければならないのが今の世の中である。


「ニャア~~」


 どうやら彼女が起きたようだ。

 防人はパネルから手を話し、後方を確認すると子猫は毛布から這い出ており、グッと伸びのポーズを取っている。

 そしてしばらくもしない内に子猫は素早く窓ガラスに近づいていくと、カーテンの中に隠れてしまう。


「はいはい、ちょっと待っててよ~」


 コツコツと足で叩く音が聞こえ、防人は立ち上がるとベッドに乗り、手早く窓のロックを外してやる。


――フレームに傷でも付いたら後々うるさいからな。


 防人は家族から叱られないよう素早く窓を少し開けてやると、冷たく乾いた風が顔を突き抜ける。


「にゃぁぅん」


 ありがとうと言っているのだろうか。

 吹いた風で目が乾き、瞬きをした瞬間に子猫は窓の縁から外へと飛び出すと、少しばかり下にある玄関の雨避けに飛び出している小さな屋根を歩いていく。


「どういたしまして」


 少し遅れて言った防人の言葉に猫はチラリとこちらを振り向く素振りを見せた後、屋根から一階のシャッター収納部分である窓上の出っ張りへと飛び移ると更に室外機へ飛び、そして綺麗に地面に着地する。

 再び小さく鳴いた子猫はそのまま走って暗がりへ姿を消してしまった。


「行った、かな?」


 子猫を見送った防人は大きくあくびをしながら窓をしっかりと閉めるとカーテンを元に戻す。

 一つ、大きなあくびをし、目尻に溢れた涙を拭うと再び座るために椅子に手を伸ばそうとした際にモニターに表示されている日付を見てふと思い出す。


――5時過ぎか……今日は16……あぁそういえば高校の二次試験は明日だったっけ?


 すっかりと暖まった室内で防人は強い眠気に誘われながらも引き出し上の小さな箱から『入試の心得』と書かれた白い封筒を1つ取り出す。

 椅子の背もたれから手を放し、ベッドに倒れるように横になると彼は封筒に入った一枚の紙を取り出し、折りたたまれたそれに書かれたことを重い瞼を持ち上げ、うっすらと開けた目で確認を始める。


「えっと日付は明日。……時間は、裏か? えっと6時か……ふぁぁっ…………眠」


 防人は再び人一倍の大きなあくびをすると寝ぼけ眼のまま紙を封筒に戻して封筒を箱の中に手を伸ばして投げ入れる。


「しっかし、今時珍しいよなぁ~紙で情報が送られてくるなんて……今じゃほとんど……メー…ルとかなのに…………ZZZ」


 小さく、ブツブツと呟きながらゆっくりと瞳を閉ざすと防人の意識は遠くなっていった。

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