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030『影は人知れず裏でうごめく』

「クソッ! クソッ!」


 息を切らした男性が一人、人気の少ない裏路地を監視カメラに気を回しつつ全速力で走っていた。

 時折、後ろを気にしながら追っ手が来ていないかを確認する。

 先程襲ってきた敵の姿は見えないが、彼は何故か逃げ切った気がしなかった。


 作戦行動前に現れた謎の人物。

 奴が何者であるかは分からないが、襲ってきた以上、我々の敵に違いない。


 別の組織?

 別の部隊?


 思考するも男の中で確固たる確証を持てる答えは出ない。


――本来ならターゲットを捕らえ、仕事も終わっているはずなのに……。

 自分のチームは瞬く間にやられてしまった。

 辛うじて自分はその場から逃げることに成功したが、作戦は確実に失敗。


 敵が追ってきている様子は見られないが、今は誘導されているとすら思えてくる。


 もし、今見晴らしのよい、開けた所へと出た場合、一瞬にして自分の頭は地面に叩きつけたトマトのようにグチャグチャにされるだろう。


 死にたくはない。

 だがこのままでは体力を消耗するだけ。

 もしも敵と対峙した場合、体力をある程度は残さなくてはならない。


 男性は出来る限り遮蔽物(しゃへいぶつ)の多い、狭い通りを駆けながら近くの建設途中で作業が(とどこお)っているというビルへと逃げ込む。


 男は作戦が失敗した場合はここで仲間と合流することになっていた。

 散開した仲間達も無事だとは思うが、仮に敵が来た場合、相手は一人。

 仲間と共闘すればあるいは……。


「ハァ……ハァ……」


 男は息を整えつつ警戒心を緩めることなくジャケットの内側から拳銃を取り出すとゆっくりとビルの中へと侵入する。

 停められている一台の車。

 車種やナンバーからそれが、自分達のものであると判断する。


 現在、手に入る車は特殊車両を除いてほとんどが自動操縦によるものばかりだが、これは手動へと切り換えられるように改造が施されている。

 仮に敵がこちらの手に負えないほどの強敵であればすぐにでもこれで逃げ出すべきだろう。


「――っ!」


 ピチャリッと小さく聞こえる水の跳ねる音。

 男性はそれが何者かが水溜まりを踏んだ音であると即座に判断すると、男は警戒心を強め、身構える。

 水の音が消え、やがて足音だけではなく何やらズルズルと重いものを引きずる音が聞こえてくる。


「なっ!」


 真正面から堂々と現れた人影、彼は片手にナイフを握りしめ、もう一方には男と同じ格好をした男性を引きずって運んでいた。


「おや、まだいたんですね」


 若い男の声。

 目元はバイザーによって隠れているが、おそらくは二十代前半……いや、もしかしたら十代かもしれない。


「四人くらいは片付けたと思ったんだけど……」


 4人がやられてしまったということは、もうここに来る予定であった仲間たちは既にやられてしまったということ。


 念のため総隊長のいるもう1グループへの連絡は済ませてはあるが、間に合ってくれるだろうか?



「貴様……何者だ!」


 スーツ姿の男性は不安や焦り、そういった感情を見せないよう気をより強く張ると握り締めていた銃を現れた少年の方へ向けつつ、彼を睨み付ける。


「そんな怖い顔しないでください。大丈夫ですよ。皆さんには少し眠ってもらっているだけで死んだりはしてませんから。あーでも話してくれないと痛い目に会ってもらうことになりますけどね」


 淡々と話す少年に男は銃口を向け、眉の間にシワを寄せて形相を更に強くする。

 しかし少年は平然とした態度で男の方を見ながらゆっくりと口を開く。


「さて、話してもらえませんか? 貴方は何者ですか? 何のために『彼』を狙うのですか?」

「彼? 誰の事だ」


 疑問を含んだ答え。それを聞いて少年は納得したように軽く手を打つ。


「あぁ……そうでしたね。では質問を変えますね。貴方の雇い主は誰ですか?」

「……答えると思うか?」

「まぁそうですよね。残念です」


 そう彼は言うと手にしていたナイフをしっかりと握り締め、構えると明らかな殺気を男の方へと向ける。


「それじゃあ少しだけ痛い目にあってもらいましょうか!」


 ダンッと力強く地面を蹴ると少年は男の方へと接近する。


「――っ!?」


 即座に危険を、殺気を察知した男は素早く拳銃を構え直すとその引き金を引く。

 火薬の炸裂音とともに放たれた弾丸が数発、彼の胴体へと直撃する。

 しかし彼は動きを止めることなく、男の方へと更に接近すると手にしたナイフを素早く振るった。


「クッ!」

「まずは脚」


 サクリッと肉が引き裂かれ、紺のズボンが溢れ出る血液を吸ってさらに暗い色に染まっていく。

 抵抗しようと拳銃を撃つも、アッサリと回避されてしまう。

 手にしていた拳銃は蹴り飛ばされ、男の眼前にナイフの切先が突き立てられる。


「さて、もう一度問いますよ? 貴方の雇い主は誰ですか?」

「……言わないと言ったら?」


 男は額に汗を滲ませながらも形相を変えることなく、少年を睨み付けて言う。


「そうですね。貴方の10本の指。その関節ごとに順に切り落としていく。というのはどうです?」

「ずいぶんと乱暴な奴だ」

「そうですか? 昔の拷問だと指をハンマーで叩き潰すなんていうのもあったそうですから別におかしくはないでしょう」

「ふっ……今時痛覚による拷問など、古典的だな」

「まぁ昔の話ですからね。……それで? 答える気にはなりましたか?」

「……いや、悪いが答える気はない」

「そうですか。ではまずはその指を――っ!?」


 突如血を吹き、倒れる男性。

 少年は泡を吹いた目の前の光景に驚くも、すぐに呆れた表情へと変わる。


「まさか毒袋とは……なんて古典的な……」


 少年は手にしていたナイフの血を拭うとベルトの内側に隠れるようにつけられた鞘にしまう。

 そして後方で倒れている男。先程少年が引きずって運んでいた男の姿を見ると仰向けであったはずの彼の体勢が歪なうつ伏せに変わっていた。

 それを見て少年は不意に嫌な予感が頭を(よぎ)る。


「まさか……」


 先程の男と同じ毒物による死亡。

 考えられることだったのに、油断していた。睡眠薬を注射したばかりだからあと一時間は眠っているはずだと思っていたが、まさかこうも早く目を覚ますとは……。

 彼らがこの状況では他の者もすでに逃げてしまっているか、仲間に回収されてしまっているだろう。


『首尾はどうだ? アウル』

「トキ隊長、申し訳ありません」

「……失敗か」

「はい、2名は捕らえたのですが、いずれも毒で自決しま――」


 突如、巨大な音を立てて車が爆発する。


『どうした!?』

「いえ、大したことはありません。敵の車が爆破されました。証拠の隠滅のためかは分かりませんが……」

『了解した。アウル、お前は急いでその場を離れろ! 警察が飛んでくるぞ!』

「しかし、敵の回収は」

『口惜しいが、今我々が国家機関に捕らわれるわけにはいかないだろう?』

「……了解。では自分は合流ポイントへ向かいます」





 少年がその場を去った頃。

 一人の男性が現れる倒れている男の首筋へピストルタイプの注射器を押し当てるとトリガーを引く。


「全く……仮死薬の使用は最終手段と言ったはずなのだがな」


 プシュッという空気の抜けるような音とともにシリンダー内の薬液が注入され、二人はビクリと身体を震わせてすぐに目を覚ます。


 不足した酸素を取り込もうと彼らは大きく呼吸をしながらゆっくりと立ち上がるとその場に現れた男性は二人へ小さな呼吸器を手渡す。


 酸素を効率よく取り込めた事で二人のぼんやりとしていた意識は徐々に覚醒していき、目の前に立つ自分達を助けてくれた二人と同じスーツ姿の男性へ礼と謝罪をする。


「すみません。方帖(ほうじょう)さん」

「気にするな。今回は信号が届いてからすぐに駆け付けられたからよかっただけだからな。まぁとにかく今はこの場を離れる。詳しい報告はその後だ」

「「了解」」


 誰もいなくなってから数分後、警察が到着するも車が燃えている以外は目新しいものは見つけられなかった。







「そうか、了解した。連絡ご苦労だったな」


 後日、薄暗い部屋の中。ブルーライトを遮断するメガネをかけてA.T.は送られてきた書類データの内容を確認し、返答をしていた。


『いえ、申し訳ありません。作戦を失敗してしまって』

「問題ない。ターゲットは一人として捕らえられてはいないからな」


 ターゲットというのはその名の通り、ある組織が狙う特定の人物のこと。

 年の終わりが近づく12月に毎年執り行われており、彼らは人々を事故に見せかけて拐い、連れていった施設などで労働を強いる。


「それに今回は車を爆破させるまでしたんだ。しばらくは向こうも様子見だろう。だが警戒は怠るな」

『了解』


 誰がどのように選別しているのかは分からないが、分かっているのは万年働かず、また働く気配の無い無職(ニート)や働いていてもまるでやる気を見せず、失敗ばかりをする体たらくな労働者などの所謂(いわゆる)社会不適合者たちを優先して狙っているように思える。


 だからこそ分からない。なぜ防人(さきもり) (けい)が今回のターゲットに含まれている?

 偶然?

 いや、そんなはずはない。

 今回のリストに並んでいるのは無職の人間やパワハラやら暴行などで問題のある大人連中がほとんど。


 若い人達、学生であったとしても髪を妙な色に染めたり、耳やら鼻やらにピアスをしているような見るからに不良そうな奴等ばかりだ。


 他に当てはまるとすれば、社会を変えたいと本気で思っている政治家や自殺願望者などだが、慧がこういう連中に当てはまりはしないだろう。


――……いや、もしかして……だが、仮にそうであるとしたら、今更どうして?



『あの、A.T.?』

「ん、あぁすまない。……それで、報告は以上か?」

『はい――あ、一つ良いですか?』


 ふと、思い出したように通信先の男はA.T.に許可を求める。


「ん? どうした?」

『彼に対する貴方の行いに不満を持つものも現れているようです。少々ですが』


 男性は最後に付け足すように言う。


「不満?」

『はい、まぁあくまでも聞いた話ですが、彼――防人 慧に対して、優遇と言いますか良くしすぎだと思われてるようですよ?』


 優遇?

 良くしすぎ?

 妙な話だ。私は奴等がしたい事を、得意な事を聞いて、させて、それに見合うだけの報酬は与えているはずなのだがな。


「それは優遇というよりは優先というべきだな。……だが、奴を優先している理由はお前たちには話したはずだろう?」

『えぇ、今後の作戦で彼が必要になる可能性があるから。でしたよね?』

「そうだ。まだ不確定な要素は多いが、奴が今後必要になる可能性は高い。だから奴を失うわけにはいかない」

『えぇ、分かっていますよ。でもそのことを知っているのは貴方の直属である我々だけです。他の者は知りません』

「……ん? いや、そんなはずはないだろう? 作戦に必要な人材であることは伝えてあるはずだ」

『ですが、詳しくは知りません』


 知らないから激昂する。

 知らないから嫉妬する。

 おかしな話だ。その者が何の努力もなしに、何も持たずにその位置に立っている人間など一人としているはずはないのに。


 慧に限らず同じようにあちらで暮らす我々の仲間は少なくは無い。違うとすれば監視を付けているか否かという違い。それだけだ。

 だが、優遇されているなどという噂が流れている以上は何かしら、嫌がらせのようなことをするかもしれない。


「ふむ、なるほどな……」


 全く、無知は罪というがこれは無知だから、何も知らないから罪を犯してしまうという意味なのだろうか?

 ソクラテスに関して詳しくは知らないから何とも言えないが、まずはそういった事をしないようにさせねばならないか。

 

「その噂に関してはこちらも確認をしてみるが、もし流している奴が分かったら私に伝えてくれ」

『了解しました!』


 全く、今は慧を狙う敵の部隊を警戒せねばならないというのに味方側にも気を配らなくてはならないとは。

 そもそもここで行う俺の計画は簡易なものとはいえ、話したはずだ。

 話して、そして同意するかどうかを考えるために慧と同じくあちらでしっかりと考える機会は与えてやった。

 やったというのに……。


 いや、考える期間を与え、遅れて同意した者たちは私の建てた学園の入試を受け、合格者として帰って来たものたち。

 となるとこちらの行動について知っている者は以前から残っている者ということになる。


 しかし確実に、とは言い難いか。

 実力試しか何なのかは分からないが、残った者の中にも試験を受けた者は数名とはいえいたから情報を得ている可能性がゼロというわけにはいかない。


 がしかしここはやはり、早期発見の為にも視野を狭め――とはいえそれでもかなりの人数がいるが、あちらで暮らしていた人は一旦は視野から外すべきだろう。


「では、後はこちらがやっておく、お前たちはくれぐれも警戒を怠らないよう注意してくれ」

『了解しました。ではまた何かありましたら報告します』


 ハッキリとした覇気のある声にA.T.はよろしく頼むと返答し、通信を切る。

 Sound Onlyと表示された四角い枠がパソコンのモニターから消えるのを確認したA.T.は腰かけた椅子の背もたれに体重を預け、大きくため息を吐き出しながらかけていたメガネを投げ捨てるように机の上に置く。


「はぁ~疲れる……」


 敵にも味方にも注意を向けつつ、今後何が起こりうるかを模索、加えて計画のための資金・資財集め……体がいくつあっても足らない気がしてくる。

 だが、私に残された期間は短い。

 まだ後何年かはあるだろうが、それでも早く準備だけは済ませてしまわねばならないな。

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