029『兄と妹 二人の朝』
12月 中旬 月曜日
「うぅ~……」
明かりが消えてからほんの数分後、人一人の重さに耐えきれなくなった天井のフックが外れ、防人は重力に引かれて後頭部を床にぶつける。
「~~っ!!」
――頭が、頭がぁー!
声にならない苦痛の叫びを上げてしばらくジタバタと転がりながら疼痛の箇所である頭部を押さえようと彼は毛布の中で悪戦苦闘しながらゴロゴロと机の周りを2、3回ほど転がる。
そしてその後、芋虫のように身体をくねらせてこの無駄にしっかりとした頑丈な拘束から自力で抜け出す。
「や、やっと出られた」
防人はフラフラと立ち上がって壁時計に表示された時間を確認する。
「4時35分か……ふぁあ~寒いな」
とりあえず、ここがリビングであるということは死んでないってことだ。
はぁ~それにしてもまさかパジャマ姿で拘束されるとは思わなかったなぁ……。
しかしまぁ……
こうやってロープに切れ目を入れてあったり、後でわざわざ毛布を用意したり、エアコンは付けたままだったり、本当、冷たいんだか優しいんだか……。
まぁだったらそもそもするなって話だけど。
「ふぁぁ~~」
防人は手に取ったロープを括り、まとめながら大きなあくび1つ。
彼はロープとともに金属のフックを踏んでしまわないように机の上に置く。
「はぁー寝たと思うんだけどなぁ……全然疲れがとれてないなぁ」
――まぁ、あれを寝たとは当然言えないけど、二度寝は出来そうには無い。とりあえずは一旦、自分の部屋に戻ろう。
防人はジャケットのように毛布を羽織ると冬場の極寒の廊下を抜けて自分の部屋に戻る。
「う~寒々」
防人は手探りで部屋の明かりをつけ、身体を震わせながら急いでヒーターの電源を入れる。
ベッドの上に下から持ってきたらしい毛布を元の位置である防人のベッドの上へと戻すと着替えと明日の荷物をカバンの中へ用意する。
「さてと……」
明日――というか今日は平日。
朝食を作るために防人は再びキッチンへと足を運んだ。
◇
6時30分
「うぅ……ん」
鳴り響くスマートフォンの目覚まし音楽に湊はゆっくりと瞳を開ける。
「もう朝……」
――全く、せっかくの兄様とのラブラブデートだったのに……まぁ夢だけれど。
「……ん?」
そとから聞こえてくるバイクの音。
それに反応するようにして湊は窓から静かに外へ視線を移す。
――あら、あれは智得ね。……あぁ、そういえば昨日こっち来ていたんだっけ?
「こんな朝早くから本当にお疲れ様ね」
湊に気づいたらしい智得は窓の方へと手を振ってくる。
それに返すようにして湊も小さく手を振ると彼女はヘルメットの中にお団子のようにまるめた髪をスッポリとおさめるとバイクにまたがって素早くペダルを下げ、加速。
まだほんの少しばかり日の出には早い時間の中、湊はテールランプを目で追うようにして静かに彼女を見送った。
「……うるさい」
再び部屋にスマホから音楽が鳴り響き、彼女はそれを即座に消すとゆっくりと立ち上がる。
さっき止めたと思っていたけれど、間違えてスヌーズの方を選んでいたのかしら?
疑問混じりにふと、スマホに表示された時間を確認する。
今の時間と学校へのバスの時間から考えてまだ慌てるような時間ではどころかまだまだ余裕はある方だけれど、そろそろ準備しないといけない時間なのは確か。
それならまずは着替えないと。
「……あぁ、そういえば」
パジャマを脱いでハンガーにかけられた中学校の制服を手にとりながら湊はふと思い出したかのように声を漏らす。
――姉さんが起きているということは多分、縄は解かれているとは思うけれど、あれでいて姉さんは抜けてるところがあるし、念のために持っていった方が良いよね?
……いや、でも私が起きてるかもしれない兄さんのロープを切ったらそれこそ助けたと思われるんじゃ。……だってあの人、本当にお人好しというか……。
あれだけのことをやられておいて笑顔を見せてこっちに接してくるのだから。
もっとこう罵詈雑言とか暴力とか振るってくれれば私も割り切れるというか、正当防衛としてもっと過激にしてやれるのに。
それに、そういうことをするって分かれば兄様だって幻滅して……いえ、もしそうなったら切り捨てられるのはきっと私の方。
だって兄さん、兄様にあれほどまでに愛されているんだもん。
まぁそれを兄様に言ったところでこの前の時ように『計画として必要』とか言ってはぐらかすのでしょうけれど。
かといって一応はそれも事実だから否定できないのが、すごいもどかしいったらありゃしない。
「あぁもう……」
それが、私の自分勝手な嫉妬心なのはもちろんわかってる。けれど、律することは出来ない。
「本当、嫌になる!」
「湊? どうした? 大丈夫か?」
「――っ! 兄さん?」
しまった。
つい声に出して叫んでしまった。
まさか、扉の前にいるなんて。
……でも、まぁとりあえずは私がハサミを使う必要は無くなったわね。
「あぁ、それでその……大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。ちょっと夢で、びっくりしただけだから」
でも、幸いこっちには入ってきてない。
とりあえず適当にあしらうのが今は最善と考えるべきでしょうね。
……ま、もし入ってきたら入ってきた乙女の下着を見た体裁は加えさせてもらうけれど。
「そうか……」
扉越しでも分かる嬉しそうな、安心したような声。……本当に癪に来る。
「というか何で、出てるの? というか何で起きてるの?」
いつもならもう少しくらいは寝てるくせに……。
「何と言うか……うーん、なんだろうな強いて言うなら自然現象にたたき起こされたんだよ」
「はぁ? 何言ってんの兄さん頭どうかしちゃったの? あ、間違えたおかしいのが悪化しちゃったの?」
私の口はペラペラと兄さんの悪口を語る。
我ながら酷いことを言っていると自分で自分に引くけれど……自然現象がどうのとか、ワケわかんないのは事実だし、喋ってることに関しては全部が全部私の本当の言葉。
「ひっどい言い方」
「でも事実でしょ」
だから訂正なんてことはしない。
「うーんどうだろう? ……まぁそんなことは置いといてさ」
――はぁ!? 置いとくって何よ!
「早く下来て朝ごはんを冷めないうちに食べよう。冷めたら不味くなっちゃうからさ」
何でこいつは本当、ヘラヘラとしてられるの?
本当に、ワケわかんない。
……本当、こんな反応されたら何で兄さんを嫌ってるのか、分かんなくなっちゃう。
「兄さんどうしたの? いつも顔酷いけど今日は特に酷いわねぇ」
兄さん……か。
初めは兄様に言われて、頼られて嬉しくて、私は嫌だったけれど、兄さんの妹として過ごすことになった。
だから分かる。
「いや~単に寝不足でフラフラするけど、まぁ大丈夫だよ」
そうよね。
心の中ではどう思ってるか分からないけれど、ここで『お前のせいだ』とか一切表に出さないのが兄さんよね。
……はぁ、何でコイツはこうなのかしら?
「……あれ? というか今こっち見えてない」
「――っ!」
「え、あれ? もしかして心配でもしてくれてるの?」
「そんなわけないでしょ!」
コイツは私から兄様を奪ったのよ。
学校で虐められて、塞ぎこんでいた兄様の笑顔を取り戻すのは私の役目だったのに……。
ぽっと出のコイツがアッサリと……納得できないし許せるわけがない!
「あはは……そっかぁ……ぁぁ、じゃあ早く食べよっか、下で待ってるからね」
「……分かった」
……あぁなんで今更ながらこんなことを考えてしまったの?
分かってる。防人慧が兄さんとして私の生活に入ってる原因は少なくとも私のせいでもある。
だって兄さんを私達の家に連れてきたのは私なのだから。
「はぁ~~とりあえず、今は朝ごはん食べないとね」
キュルル鳴った腹の虫に湊は大きくため息をつく。
――とりあえず、深く考えたって今更どうにもならない以上、私は私の役割を果たすだけ。
それしか無いのだから。
湊、は足元の学校用のカバンを手にリビングへと向かった。
今日は卒業式。
明日からは冬休みの始まりである。




