232「王子へ伸びる魔の手」
(全く……セクハラしたり、私をリリスとかいう子と間違えたり、本当全くもう、一体あの男は何なの?)
先程の防人の言動に対し、ブレアの付き人としてやって来た少女、キスキル・リラは言葉にならないストレスを感じ、頬を膨らませていた。
安堵した彼の顔になんとも言えない安心感を覚えたのも、抱きついてきた事による恥ずかしさも本当のことで、色々と入り交ざってしまった複雑なこの気持ちをどのように言葉にしてよいのかリラには分からなかった。
「どうした? 怖い顔をしてるぞ?」
その様子を近くで眺めていたのは、国家ペンドラゴンの王子であり、リラの友人でもあるアーサー。
小さなテーブルを挟み、対面に腰掛けている王子は心配そうに顔を覗き込んでいた。
「あ、ううんなんでもない」
彼女は笑みを見せながら首を横に軽く振って、大丈夫であるということを示す。
しかし納得がいってないようで、アーサーが心配そうな表情を変えることはなかった。
「ただちょっと考え事をしてただけだから」
何か理由を。と思い、彼女はそう言う。
するとアーサーは少し安堵した顔を見せ、そしてすぐに何か思い付いたように明るい顔をすると素早く立ち上がり、自信ありげに胸を叩いた。
「もし悩み事なら、私が相談相手になるぞ? 私も色々とジィから教わっているから力になれるやもしれぬし、それに――」
「ありがとうアーサー。その気持ちだけ受け取るわ」
「そんな、遠慮をすることはない。私は君の友人――そう、友達なのだから何でも聞くぞ! だから何でも言ってくれ!」
「いえ、それは……」
「いけませんよアーサー様。それでは善意の押し付けになってしまいます」
二人の監視役として側に仕えていた一人の女性が、部屋の奥から現れるとアーサーを優しく咎める。
「しかし、ミレーユ――」
「もちろん友人や大切な方のため、力になりたいというお気持ちは分かります。ですが話したがらない相手に無理強いをすることは良いことではありませんよ?」
「むぅ…………」
ミレーユと呼ばれた女性は手にしたトレーからティーカップを手に取ると、二人の前へ静かに置きながらそう続ける。
「そうか……リラ、その……言いたくないものを無理矢理言わせようとしてしまい……すまな――いや……リラ、ごめんなさい」
「そんな、気にしないで。悪いのはアイツで、アーサー王子なんかじゃないんだから」
「アイツとは?」
頭を下げるアーサーに対してリラは少し慌ててフォローを言うと、その言葉を聞いたミレーユはピクリと小さく眉をひそめる。
「アイツということはその悩みに対して相手がいるということですか?」
「え? えぇ、その通りだけど」
「貴女はその方が嫌いなのですか? それとも好きなのですか?」
「え、えーと好き、嫌いというよりは許せないって感じ――」
「つまり嫌いということなのですか?」
「え、えーとそう……なるのかな?」
「お、おいミレーユ。無理に聞くのはマナー違反なのではなかったのか?」
「はっ! も、申し訳ありません。リラ様」
アーサーに指摘され、ミレーユは我に返ると一歩身を引くと金色の髪を揺らしながら頭を下げる。
「う、ううん気にしないでください。確かにさっきの剣幕にはびっくりしたけど」
「そうだな。いつものミレーユらしからぬ行動だった」
「大変失礼致しました」
「うむ、しかし何故そこまで突っ掛かったんだ?」
「それは……」
「無論、言いづらいのであれば無理にとは言わんが……」
「いえ、まぁ大したことではないのですが、私がエムラスさんと出会う前、私はとある傭兵部隊に捕虜として捕まり、いわゆる奴隷として扱われました」
「む? 奴隷か、嫌な言葉だな……」
「その傭兵隊は、主に人身売買を行うことで資金などを得ていたようで当然、捕まった私も商品の一人として檻の中へ閉じ込められました」
「そんなツラい事があったんだね……」
「当時幼かった私は抵抗することも叶わず、また僅かな証明でのみ照らされたその場所は横になって眠る程度しかない上に話す相手のいない個室でした。
様々なものから完全に隔離されたその場所で、私は恐怖よりも強い孤独を感じ、運ばれてくる僅かな食事だけが心の支えとなりました」
ミレーユは当時の出来事がまるで目の前で見ているかのような気がするほどに鮮明な記憶を呼び起こし、二人へ説明を続ける。
彼女の表情は熱を帯び、どこか幸せそうであった。
「そして日に日に増していく孤独感に限界が訪れた頃、私達を運ぶ船はとある国へと到着しました。
久しぶりの外の景色に喜びを感じるとともに忘れかけていた恐怖心が甦りました。
『これからどんな恐ろしい目に逢うのだろうか?』
『なぜ、私がこんな目に逢わなければならないのか』
そんな事を思っていたまさにその時、エムラスさんと出会いました」
「え?」
「このタイミングでか?」
「はい、当時、エムラスさんらは労働力を購入すると見せかけ、その傭兵部隊を殲滅する計画を立てていたのです。
その際、私達に『もう、大丈夫ですよ』と彼は優しい言葉をかけてくれました。
その時の彼の優しい低いトーンでの言葉は今でもこの脳裏に焼き付いて……瞳を閉じればあの頃のダンディーなエムラス君が……」
「ん、あれ? なんかおかしくない?」
語る言葉に力がこもっていく。
頬を赤らめるミレーユを見て、リラは先程の話を思い出しながら眉をひそめ、首を傾げる。
そんな彼女の横でアーサーは若干呆れた様子で彼女を見ると大きくため息をついた。
「おい、ミレーユ。ミレーユ!」
「あ、はい。なんですか?」
「過去の話に花を咲かせるのは大変結構ではあるが、今の自分の仕事を忘れないで欲しいのだが?」
アーサーにそう言われ、ミレーユは二人のティーカップの中身が空になっていることに気が付く。
「も、申し訳ありません。ただいまおかわりをお持ちしますね」
ミレーユは空のティーカップをトレーに乗せ、部屋の奥へと向かうとしばらくして暖かい紅茶のおかわりを持って戻ってくる。
「本当に申し訳ありません」
「いや、ミレーユは教育係であって召し使いではなかったからな。仕方の無いことだ……ん、だがやはり紅茶の味は悪くないな。練習したのか?」
「いえ、インスタントです」
「ほう……ジィはこういったものは嫌っていたが、すぐさま用意が出来てこの味ならば別に構わない気がするがな」
「しかし、それではエムラスく――さんの苦労が……あの方はいつも最高の茶葉を仕入れていますから。温度管理もキチンとなさって、熱すぎず温すぎない良い塩梅のものを」
「それくらいは分かっている。ジィの用意するものに比べれば確かに味は劣る」
「それなら……良かったです」
二人の話を聞きながら、タイミングを計ったリラは、少し冷めた紅茶を飲み干すとゆっくり口を開ける。
「あの、さっきのミレーユさんの話からどうして私の事に食いついたのですか? イマイチ理解できないのですが」
「ん、それは確かにその通りだな。ミレーユ、説明出来るか?」
「つまりですね、先ほども申しましたが、私は昔、捕虜として無理矢理に閉じ込められたので、嫌な事をするということに過剰反応してしまうというわけです」
「うーん、わかったような、わからないような、わかったような……」
「惚気話が印象を弱めたな……」
「そんな、惚気だなんて……そんな言葉を一体どこで覚えたんですか?」
「ふむ、確か半年ほど前に呼んだ本に書いてあったな。確か執事と召使いの話だったか?」
「ちょっと待って下さい。それは――」
ミレーユはその言葉に驚きと焦りの混ざった表情をするとアーサーはふと思い出しておぉ、と声を漏らす。
「そうだ。確かミレーユ。お前の持っていた本だったな。
確かベッドの上で熱く語り合っていたシーンで取り上げられてしまったのだったな。あのセリフ回しはどうにも遠回しで難解だったが読み応えがあった。ミレーユ、また今度借りても良いか?」
「いえ、その……それはまた今度でお願いしたく思うのですが……」
笑みを見せて約束をしようとするアーサーに対し、ミレーユは焦りを見せた様子で申し訳なさそうに言う。
「ん、それはどのくらいだ?」
「いや、その……出来れば後、10年ほど待ってからにして欲しいのですが……続きは、まだ早いといいますか……まだ、知識不足といいますか……」
「む、それほどに難解な話なのか?」
「そ、そうですね。物語の一番の盛り上がりが、一番難しいところですので、その……いずれ、お勉強をなさってからということで」
「そうか、それならば仕方ないな」
ミレーユはなんとかやり過ごせたことに安堵し、胸を撫で下ろすとリラのティーカップの中身が空になっていることに気が付き質問。
紅茶を淹れる為に彼女のカップを手に取ると部屋の奥へ少し逃げるように引っ込んだ。
(……しかし、アーサー様のお勉強の前に読もうと適当に持ってきたのはあの時の最大の失敗でした。
いえ、それほど過激な表現ではないのですが……流石にまだ早いでしょう。
いっそのこと、このまま忘れて頂けると一番なのですが、もしもの時のためにも何か似たような話を今度買っておかなくてはいけませんね)
ミレーユは、スプーンで紅茶の粉末をカップへと入れながらそう考えているとガタン、と椅子の倒れる大きな音が聞こえてくる。
彼女は急いて二人のいる部屋へと戻るとそこには見知らぬ青年が立っていた。
「チッ、まだいたの――かっ!!」
その男は、目元を大きなバイザーで隠しており、何者であるのかの判断は出来なかったが、二人が倒れているのを見るや否や敵であると直感。
ミレーユは素早く彼へと接近すると攻撃へと転ずる。
「この――ぐっ!」
ミレーユは男へ向けて、椅子を蹴り飛ばすとその隙に気絶している二人を回収。男へ注意しつつ二人を安全な位置へと動かす。
「さて、あなたが何者であるかは知ったことではありませんが、このお二方に危害を加えるのでしたら容赦は致しません」
「出会っていきなりこんなご挨拶とは、礼儀がなっちゃいないな」
「不審者に礼儀を問われる筋合いはありません!」
ミレーユは強い口調でそう言いつつ身構え、目の前の敵に対して警戒する。
「おっと、悪いがお前さんと戦う気はねぇよ。俺はそこの王子を頂ければすぐに帰るつもりだからよ」
「素直に渡すとでも?」
「思わねぇよ。でもなぁ今は時間も惜しいんだよ」
男は素早くミレーユへ接近すると彼女へ拳を入れる。
「くぅっ?!」
男の攻撃を防ぐもののその硬い拳はミレーユの両腕を軋ませ、彼女は苦痛に声を漏らす。
痛みによる隙に男は彼女を足払いで転ばせるとそのまま脚を掴み、握り締める。
「ああっ!」
小さなモーター音の後、悲鳴とともに彼女の骨が折れたということを知らせる鈍い音が小さく響く。
「悪いな、女を傷つける趣味はないが、これも仕事なんだ」
「ぐっ! この!」
苦痛に歪み、脂汗を流す彼女は男を睨み付け、服の内側から素早く拳銃を取り出し、構えるが押さえ付けられてしまう。
「危ないなぁ……跳弾した弾が王子様に当たったら責任取れねぇよ?」
男は彼女の腕を掴み、彼女から拳銃を奪い取るとマガジンを抜き、銃を握り砕いた。
「っ! その力は」
「驚いたかい? まぁ検討はついてるだろうが、俺の腕は義手なのさ。しかも、リミッターが外してあるからその強化プラスチックぐらいなら軽くってな……そんじゃ王子様は貰ってくぜ」
「ま、待ちなさい!」
男は笑みを浮かべながら気絶した二人を抱えると彼は廊下へと去っていった。
薄れる意識の中で、ミレーユはポケットから小さな機械を取り出すと、そこについているボタンを押した。




