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229「無謀/一閃/油断」



 森の南東地点から少し離れた敵軍の前線指揮所。

 

 簡易的に張られた天幕の下、粗雑に置かれた机の上に作戦のための地図が雑に広げられている。

 天幕内は、ランタンの明かりが輝いており、運び込まれた大型のバッテリーと空調機によって快適な空間が確保され、その中にいる高位の兵士たちは、呑気にアイスを頬張っていた。



「報告します!」



 駆け込んできた伝令役の若い兵士が敬礼し、声を張り上げた。



「待て」

「はっ、何か?」


「何、ではない。開けたら閉めろ。常識だろう?」

「はっ、し、失礼しました!」


「……で、王子が見つかったのか」

「いえ、森の北側にて、敵勢力の機影を確認されました。ですが軍用機体ではなく、工業用のワーカーギアであるとのこと」

「む……ワーカーギアだと?」



 机に片肘をついていた中年の男が、顔を上げる。

 彼の名はライオネル。敵軍の軍隊長であり、己の昇進にしか興味のない男である。

 でっぷりと肥えた頬を揺らしながら、ふっと鼻で笑う。



「なんだ、それは。まさか民間用の重機を戦場に持ち出したというのか?」

「はっ。おそらく兵力不足からの苦肉の策かと」

「フンッ、ますます話にならんな」



 ライオネルはアイスのスプーンを咥えたまま、胸の勲章を誇らしげに撫でる。

 分厚い腹を揺らしながら机の前を歩き、指先で地図の上を叩いた。



「奴らが頼るのがそんな鉄くず程度なら、残りの戦力も推して知るべし。我が軍が力を集中させれば、一気に片が付くだろう。間違いない」



 自信満々の口調だったが、その目には焦りの色も隠れていた。

 森の中に仕掛けられた罠が思いのほか手強く、進軍は何度も止められているのだ。

 戦果を急ぎたい彼にとって、それは面子を潰す厄介な障害だった。



「……だが、気に入らんな。わざわざそのような真似をして、時間を稼いでいるのかもしれん」

「と、言いますと?」



 ライオネルは顎を撫で、ふてぶてしい笑みを浮かべた。



「よし、決めた。あの小娘は殺すな」

「はっ?」


「生きたまま捕らえろ。王子のいるという奴らの拠点を、きっちり吐かせてやる。……そして罠を仕掛けた連中を根こそぎ引きずり出してやるのだ」

「りょ、了解!」



 報告に来た兵士は敬礼し、慌ただしく出て行く。

 残されたライオネルは、ワインのグラスを掴んで口に含み、満足げに喉を鳴らした。



「ククッ……これで功績は我が手に。次の階級はもう約束されたも同然だな」



 アーサー王子を連れ帰った時のことを考えながら、ライオネルはほくそ笑む。

 これで、ブルーノの奴なんぞよりも高位の立場に立てるはずだ。

 そうすれば、このような蒸し暑い場所になど、わざわざ来ることなく、命令一つで軍の采配が出来るはずだ。



「ククク……」



 天幕の外では、銃声と爆音が森を震わせている。

 その音すら、今の彼にとってはただの酒の肴でしかなかった。




◆◆◆




 巨大な鉄塊は森の地面を抉り、轟音を響かせながら突進した。

 木々を薙ぎ倒しながら現れた最初の一撃で、前線の敵兵たちは不意を突かれ、潰されたような呻きをあげながら、盛大に吹き飛ぶ。

 銃声が一瞬だけ途切れ、怒号と悲鳴が森に、木霊する。



「はぁっ……! はぁっ……!」



 一瞬の油断も許されない緊張感にリラの心臓は胸を突き破りそうなほどに激しく跳ねる。

 だが、操縦桿を握る手は緩めない。


 踏み込むたび、エンジンが唸り声を上げ、木々もろともに全てを薙ぎ倒していく。

 直撃すれば大怪我ではすまない怪力を見せ、腕部に装着されているチェンソーは轟音を響かせている。



「囲め! 囲め!」

「撃てぇっ!」



 しかし、敵も訓練を受けたプロ。

 すぐに態勢を立て直すと目標との距離を保ちつつライフルを構えた。

 弾丸が四方から降り注ぎ、鉄の外殻を激しく叩く。分厚い装甲が火花を散らし、衝撃が座席に響き渡る。



「う……くっ!」



 必死にレバーを切るが、工業用重機であるワーカーギアは軍用兵器のように俊敏ではない。

 旋回は遅く、加速も鈍い。

 最初の突撃で得た優位は、もう消え失せていた。



「行けるぞ! 集中砲火!」

「足だ! 機動力を奪ってやれ!」



 敵兵が左右からじわりと迫る。

 足回りに集中して撃ち込まれ、装甲の継ぎ目が火花を散らす。

 関節が悲鳴のように軋み声をあげ、動きが鈍くなっていく。



「だめ、止まらないで……っ!」



 操縦桿を必死に押し込み、ペダルを踏み込む。

 だが、応えるようにエンジンが唸るだけで、前へ出る力は先ほどと比べて弱々しい。



「──っ!?」



 やがて、重機の前方に新たな人影が現れる。

 敵兵の一人が、バズーカを肩に担いでいた。

 閃光が走り、火を噴くとともに鈍重な砲弾が飛来する。



「──グッ!」



 アームによる防御態勢を取るも、直撃による衝撃と爆発は耐えきれるものではない。

 ワーカーギアは大きく体勢を崩し、横倒。鉄板を軋ませながら地面を抉る。

 煙が視界を覆い、呼吸が詰まる。



「まだ、だ……」



 頭を打ったリラは呻きながらも、姿勢制御・固定用の脚を伸ばして身体を起こした。

 だが、敵はすでに周囲を取り囲んでいる。

 銃口が、一斉に彼女へと向けられる。



「まだ、終わってない……っ!」



 歯を食いしばり、操縦桿を握りしめる。

 備え付けられているモニターには、いくつものエラーが表示されているが、完全に機能が停止したわけではない。


 まだ、立てる。

 まだ、右腕が動く。

 その瞳の奥には、幼馴染を守るというただ一つの想いだけが燃えていた。



◆◆◆



 傭兵部隊『ヨルムンガンド』の本拠地にて。

 戦闘の火蓋が切られた直後のこと。


 ぶ厚い鉄骨とコンクリートで覆われた地下格納庫では、部隊責任者である(かなめ)の所持している通信機に、雑音混じりの焦り声が響いた。



「こちら、観測班(アーチャー)! 第七分屯地より独断でワーカーギアが出撃。搭乗者は先ほど会議にあった少女と思われます。彼女は、敵に包囲されつつあります! どうぞ」

「そうか……引き続き監視と報告を頼む。通信、終わる」



 慌ただしく兵士たちが準備に走り回る最中、通信を切った部隊の責任者である(かなめ)が眉をひそめた。



「あの子供が……馬鹿者め……」

「隊長? どうかしましたか?」



 頭を悩ませている要の様子が気になったリュシアンが尋ねると彼は通信にあった内容を簡潔に述べる。



「なっ!」

 


 話の途中、防人は居ても立っても居られず、フラッグを身に着けたまま駆け出そうとする。



「待て」

「グッ?!」



 だが、端末の操作によって動作に制限が掛かり、その動きはピタリと止まった。



「どこへ行くつもりだ。作戦には従うように。約束だったろう?」

「それは……」



 責任者としての厳しい態度を見せる要。

 防人は今すぐにでも向かいたいと、浮き足立っているが、そんな焦りの中で適当な言葉なんて思いつくわけもない。



「……あの娘、キスキル・リラ。だったか、何か関係が?」

「えっと……」


「行かせてあげて下さい」

「リュシアン……お前まで何を言って──あぁそうか、そういう事か」



 リュシアンによる助け舟が出たことで、要はどこか納得したように端末から目を離すと、防人の方へと視線を向ける。



「ケイ、これだけは答えろ。あの娘はお前にとって大切な者なのだな?」

「……はい」


「そうか、分かった。……出撃を許可する」

「要さん、ありがとうございます」



「礼は良い、そこの武器コンテナを開ける。適当なものを持っていけ。それから出撃にはそっちの緊急用ハッチから昇降機へ乗り込め。足元のボタンを踏み込めば、一瞬で外まで撃ち出してくれるはずだ」

「ありがとうございます」


「礼は良いと言った。早くしろ。……リュシアン、言った手前、お前にも働いてもらうぞ」

「はっ、了解」



 防人はコンテナから近接用の武装をコネクタに接続。牽制用のサブマシンガンを手に取る。

 機体との簡易的な連携を済ませると、急ぎ緊急用のエレベーターへと乗り込んだ。



「行ってきます」

「あぁ、無茶はするな」

「頑張れよ!」



 警告音とともにエレベーターが起動。

 電磁力による急加速によってエレベーターは火花を散らしながら地上へと上がる。

 開いていた天井から、防人はそのまま上空へと撃ち出された。


「さて、それじゃあまずは会議室へ行くぞ」

「どうするんですか?」


「どうもこうも……作戦開始を早めるしかあるまい」

「なっ! 隊長、それでは準備が──!」


「何を驚く、いつも言っているはずだ。作戦時間はあくまでも予定でしかない。早まることを想定して会議後、10分以内には終わらせるようにと、な」

「それは──」


「言い訳は無用。5分以内に終わらせろ」

「は、はっ!」



 要は、自身の呟きに難色を示した兵の一人を一蹴し、リュシアンとともに会議室へと駆け出した。






「どこだ? どこにいる?」



 弾丸のような素早さで地上へと上がった防人。

 彼は勢いを利用して空高く舞い上がると感知センサーをフル活用し、反応を探し出す。

 だが、分散している敵の反応は多く、その中からリラのいるであろう場所を探すのは時間を要した。



『聞こえるか?』

「リュシアンさん?」


『あぁ、いいか? 今からアーチャー隊から転送された座標データを送信する。そこに君の妹がいるはずだ』

「感謝します!」



 視界に浮かび上がる森の地図と目標地点を示すマーカー。

 防人は即座にその位置を把握すると、一気に急降下、カメラによって彼女の姿を見つけ出した。



「間に合え……っ!」



 防人は歯を食いしばる。

 視界の先、敵兵に銃を突き付けられ、引きずり出されようとしているリラの姿。

 大切な妹を守れず、何のために、ここまで来たのか。

 その問いが胸を締め付ける。


 銃は使えそうにない。

 彼は腰の剣を抜き去り、そして僅かながらの躊躇いを見せる。


 このまま剣を振り下ろせば、殺すことになる。

 相手は敵兵だと分かっていても、その一線を越えることに変わりはない。


 それは……越えてはならない。

 見えない壁を叩き壊さんとするその行為は、防人の歩みを妨害する。



──変わろうか?


「いや、いい! ……っ、()が……僕が守らなきゃ……!」



 サキモリの提案を払いのけ、防人は剣を握り直すと、背の飛翔翼(フロート)を畳み、更にスラスターによる加速を入れて急降下する。

 そして──姿勢制御システムによる補助を借りながら、上空十数メートルの位置でグルリと回転。

 スーパーヒーロー張りの着地とともに出力を高めていた“対GW用近接剣”の最高の切れ味を持って敵を切り払った。



「──ぷっ……はぁ〜、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」



 火花が散り、金属が軋む音が空気を裂く。

 言葉はなく、敵兵は身に着けている兵装ごと、その身体が斬り伏せられた。


 ガシャンと音を立てながら、その場で倒れる敵兵士。

 防人は荒く乱れようとする呼吸を無理矢理に整えながら、一歩一歩とリラの方へと歩き出した。



「リ……リスっ……!」



 殺したことへの嫌悪感はあれど、目の前の妹を助けられたことの喜びが圧倒的に勝る。

 嬉しくて嬉しくて……喉が焼けるように熱くなる。



「あ、あんた……誰なの!」



 目の前にいるのは怯えきった妹。

 防人は安心させようと、気持ちを込める。剣を仕舞い、身を屈め、ゆっくりとその手を伸ばす。



「大丈夫……僕は味方だ」

「み、かた?」



 彼女の瞳が確かに少年を捉えていた。

 だが、そこにあるのは困惑と恐怖といったマイナスなもの。



「大丈夫だ……! もう離さない!」

「えっ!? 何? なに!?」



 本当なら、もっと安心感を与えられるような言葉をかければ良かったかもしれない。

 だが、もう一人の妹──ノアを失い、目の前で幼い女の子が亡くなって、知らない姉が現れて……ワケも分からないまま、こうなってしまっている現状に、高校生である防人慧の許容量は既に限界を超えていた。


 喜びに溺れ、一種の独占欲にも似た庇護欲が溢れ出す。

 良かった。と無意識に繰り返しているノドは酷く震え、涙腺は崩壊して止まらない。

 気付けば彼女を抱き上げて、優しく抱きしめていた。




◆◆◆



「どういうことだ! 我々は敵を追い詰めていたのではなかったのか!!」



 敵軍の前線指揮所にて。

 軍隊長であるライオネルは部下からの報告に怒りを露わにし、力強くテーブルを殴りつけた。

 樹脂製の折りたたみのテーブルはその威力に負け、真ん中から真っ二つに割れるとテーブルの上に敷かれていた地図や配置を把握するための駒など、細々としたものが地面へと散乱する。


 突如現れた敵の増援。

 それに対して森に放った分隊は狙撃やトラップによって各個撃破されており、このままでは全滅となるのも時間の問題であった。



「隊長、ご指示を!」

「クッ!」



 ただでさえ少なくなっている手駒をこれ以上減らすほうが愚策でしかない。

 部下たちに褒賞金を支払わなくて済むことは助かるが……どのみち損害のほうが大き過ぎた。

 ギリギリと奥歯を噛み締め、屈辱に歪んた顔でライオネルは撤退を命令した。



◆◆◆



「下がっていてくれ」



 それは、確かな決意だった。

 防人は「人を殺す」という覚悟を背負った。

 その重さを、妹を守るという一点で引き受けながら。


「撃てぇ!」



 ライフルによって放たれる弾丸の雨。

 防人はそれを掻い潜りながら、一瞬にして敵との距離を詰めていく。



「──あっ……!」



 視界を裂いた閃光。

 目の前にあった銃口は、鉄剣の刃によって一瞬で薙ぎ払われた。

 血と火花が散り、倒れ込む兵の向こうに立っていたのは──次の敵だ。



「来い!」

「や、やめ……っ!」



 戦意が削がれ、ライフルを下げていた敵を防人は薙ぎ払う。



「う、撃て撃て撃てぇ!」



 再び銃火が森に降り注いだ。

 敵は半ば本能的に抵抗していた。

 このままでは殺される。我らの敵は、容赦なく我らの身体を引き裂くだろう。


 若者達──敵兵の中にはこれが初めての実戦である者も少なくはない。

 防人にそれを見分ける技量はなく、故に手を抜くなんてことは出来なかった。



「う、うわぁぁ!!」



 破片が飛び散り、火薬の匂いが肺を焼く。

 敵兵はまだ残っている。

 今ここで立ち止まれば、本当に終わりだ。



「……ッ!」



 そんな決意が防人の足を前に進ませる。

 その直後、空に光が弾けた。



「撤退信号だ!」

「全隊! 退け! 退けぇ!」



 防人の眼前にありながら、背を見せる敵兵達。

 彼らは逃げ出すことが許された。と脱兎のごとく駆けていった。



「クソッ! コイツでも喰らえっ!」

「──っ! リリス!」



 投げ込まれた手榴弾の束。

 防人は素早く反応し、急ぎリリス──リラの元へと向かう。



「な、何を! てかどこ触って!」

「ここから離れるから!」



 彼女を強く抱き締めたまま、防人は自分自身と、倒れているワーカーギアを盾にすべく、機体の陰へと隠れながらも木々の隙間を抜けていく。

 出来るだけ早く、しかし安全に距離を取らなければならない。



(一体……急に、なんなの?)



 少女の鼓動が、早鐘を打っている。

 それは恐怖から来るものか、それとも……彼女には分からない。

 ただ一つ分かったのは、この兵士が自分を見捨てず、命を懸けて引き離そうとしているということ。



「……だれ……なの……?」



 震える声は、爆発による轟音にかき消された。

 彼女を抱えた兵士は、一言も答えず、ただひたすらに走り続けていた。



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