219『匂いのカクテル』
防人の脱走が露見する少し前。
マルティナらはギアに乗って彼女らの仲間からの通信によって指定されたポイントに到着。
ゆっくりと開いたハッチから地下へと降りていく。
そこは国から少し離れ小島の森の中。
隠れるようにして作られた地下の小さな建造物。
トラックが一台入るかどうかの広さのある空間で薄暗く明かりが灯り、リーダー的立場の女性──マルティナが柱にあるマイクに何やら話しかける。
ガコン! と地面が揺れたかと思えば、駆動音とともに防人達の乗ったエレベーターが地下格納庫へと下り始めた。
「おかえりなさい」
扉が開き、出迎えにきた女性がマルティの近くへやって来ると何やら話しを始める。
狭いながらそれなりの人数がいるようで他のところでは作業着の人々が忙しそうに働き、指示が飛び交っている。
女性たちの会話の内容は騒がしさもあってよくわからないが、話しかける方も女性、話しかけられる方も女性、と軽いハーレム状態になっているその場所はどうにも居心地が悪い。
香水なのか、妙にその空間の匂いも甘い気がした。
「で、君が連絡のあった防人君だね?」
「え? あぁ……はい。そうです」
指示された場所へWG『ガングラン』を停止させ、何となく息を潜ませて待っていると出迎えに来ていたうちの1人。お下げ髪の女性に突然話かけられ、防人は少々どぎまぎしながらゆっくりと頷く。
「ははは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。……さぁ、行こうか」
「えっと、行くってどこに?」
「ん、決まってるじゃん。君に会いたがっている人の所にだよ」
「……え?(会いたがってる人?)」
誰のことだろうか。
少なくともこの国に来て仲良くなった友人などはいないと思う、けれど。
とはいえここまで来て逃げ出すことはできない。防人は不審に思いつつも彼女の後をついて行く他ないと気持ちを整理しつつ後を追う。
量産型GW『ウィグリード』と思われる機体の装甲が外れ、マニピュレーター内部が剥き出しになっている様子をじっくり眺めたい。と少しだけ後ろ髪を引かれながら、彼女が自動扉のパネルに触れ、開けるのを待つ。
扉の先は長い廊下。
通路は両端に設置された照明によって明るく照らされており、淡い青色で塗られた通路の奥の方まで良く見えた。
「ここだよ。どうぞ」
「あ、はい」
しばらく進み、たどり着いた場所は広めの部屋。
10人ほどが集まって軽い運動くらいなら余裕でできそうなほどに広いその部屋は質素ながらも一通りの家具がちゃんと揃えられている。
そこには5人の女性と一人の老人が集まっていた。
「おかえりなさいませ。マルティナ様、ミシュア様、アイラ様。ご無事で何よりにございます」
まるて来るタイミングが分かっていたかのように、執事服を身につけた老人『マルジン・エムラス』が扉の側で丁寧に頭を下げる。
マルティナ達が彼の側に近づいていき、その他の女性達も会話に加わる。
どうやら無事任務を終えたこととエムラスらの作戦が失敗してしまったことに対して彼らは話しているようだ。
「さて、確かお名前は防人 慧様でしたね?」
「あぁ……はい、そうです」
一通り会話を終え、女性達の間を通り、目の前に立ったエムラスを防人は見上げながら肯定する。
長身の女性たちと比較しても大きい人だなぁ、と感じていたが、こうして眼の前に立たれるとなんとも威圧感が半端ない。
「そうですか。では、私から、お礼を言わせて頂きます。地下水路での際は助けていただいてまことにありがとうございました」
「いえ、そんな、僕は、その、ただ無我夢中だっただけで」
自分よりも身長も歳も大きく離れている人物に真剣な表情で頭を下げられ、防人は困惑する。
感謝されるようなことをしていたという感覚がまるでなかったうえ、圧倒的に年上の男性に頭を下げられたという強い衝撃があったところも大きいだろう。
「いえ、貴方があの時あの男を足止めしてくれなければワタクシは捕まり、彼女達は殺されていたかもしれません。改めてお礼を」
「いえ、その……どう、致しまして」
防人慧は遅ればせながら、エムラスに差し出された握手に答える。
女性達はそれを笑みを浮かべながら眺め、新しい仲間を歓迎する様子を見せる。
女性だらけの環境に防人は緊張しっぱなしであったが、少なくとも彼女達から爪弾きにされることはなさそうだと安堵する。
エムラスらの側にある椅子に腰かけていたゴスロリ姿の女性『セティア』が一番始めに防人の前に立つと防人へ笑みを見せる。
「よく来たね」
「あ、はい、えっと……ここに、なんと言うか……つれてきてくれてありがとうございました」
既にマルティナ達にはお礼の言葉を伝えてあり、通信機越しにも言ってはあるが、防人は皆に聞こえるように改めてお礼を言う。
「ふふっお礼を言うのはこっちだよ」
防人より頭一つぶんほど背の低いセティアはそう言って微笑むと防人へ更に近づいていき、
「あの時はありがとうね」
チュッ、と背伸びをし防人を引き寄せると彼の頬にキスをした。
「な!? なななな……」
周りの女性達は見慣れているといった様子で眺めていたが、防人の方は異性からの突然の行為にドキリと心臓を跳ねさせる。
いきなり何をしてくれているんだ、と。
キスをされるような経験などこれまでの人生で良くてゲーム上でのこと。
イベントシーンが始まれば起こりそうだな。と展開が予想が出来るので、なんとなく身構えるというか、心構えられるものだ。
まぁ、身も蓋もないことを言ってしまえばゲームだからなのだが。
現実で、しかもこんなに人目のつくところで、心の準備もなくキスをされたのは初めてのこと。
別に嫌と言うわけではない、むしろ喜ぶべきだ。
キレイな女性にキスをされたわけだし。
けど、キスをされるのは……恥ずかしい。
喜びとか驚きとかよりも恥ずかしい気持ちが強い。
「あぁ、抜け駆けした。ずる〜い」
「おっ、赤くなった」
「うふふ、ウブなんだぁ」
流石は大人のお姉さんと言ったところなのか。
そんな様子を見ていた他の女性たちは防人の反応に、どこか嬉しそうな表情で、ゆっくりと近づいてくる。
……うん、完全にイタズラしてやろうって雰囲気ですね。
ニタニタって擬音がピッタリの彼女からは近づいてくるにつれて甘い香りが鼻腔を突く。
「あの、ちょっと……」
香水なのか、女性特有のものなのか。
それは防人には分からないけれど、香りの混合物でむせ返りそうになってしまいます。
本当に、甘ったるくて酔ってしまいそうです。
防人よりも身長の高い女性が多く、彼女達はスタイル抜群といった曲線美の持ち主ばかり。
加えて彼女達の来ている服が私服なのだろうか?
露出度はそこそこに、しかしなんとも色っぽい雰囲気をまとわせており、防人は目のやり場に困ってしまう。
「あのぅ、皆さんちょっと?」
「ふふっ」
「かわい~」
Sっ気タップリのお姉様方の中には腕を前に寄せてわざわざ胸元を強調して見せている方や、タプタプッと明らかにわざと揺らしている方もいて、満麺の笑みでこちらの反応を楽しんでいるご様子。
目線合わせるために少々前かがみになったと見せかけて更に胸元を強調させ、近づいてくる彼女達に気づけば完全に取り囲まれてしまっていた。
「うぅ………」
眼前で揺れる谷間。それがもう本当に凄い。何食べたらそんなに育つんですか?
いやもう完全に見せに来てるのは分かってる。
植崎みたく女の子にちょっと褒められたらすぐさまデレデレになって鼻の下を伸ばせられれば良いんだけど。
いやまぁ……あいつがそんな事になってる現場なんて見たことないので完全に妄想だけど。
とにかく、異性の身体をマジマジと見るなんてことプライドが許さないのだ。
うん、分かってる。それが男としてのちっぽけな見栄っぱりだってことくらい。
あっまた揺れ──いやいやだからダメだってば!
そうだ。壁を見よう。壁を見れば目線からは胸が消え──
「っ!!?」
落ち着いて目を開けたその先にあるのは1枚のポスター。
長年貼られていたと思われるそれは、少々年季が入り汚れてはいたものの美しい女性が写っていた。
もちろんそれだけなら良かったのだけれど……なんでこれもまたセクシー系なんですか。
しかもそれがよりにもよって懐かしの水玉コラとは。
これが上手いこと隠れてるから裸に見えるアレってだけなのは重々承知。
……なんだけど、悲しきかなオトコの性よ。
裸だと認識してしまえば、そう見えてしまい、そう思ってしまう。妄想の権化よ。
あぁどうしたら……。
「ほらほら皆様、お客人を困らせたら行けませんよ」
にっちもさっちもいかず、どうすればよいか心底悩んでいるとエムラスがエスカレートしていく女性達の行動を制止させる。
渡りに船とはこの事を言うのだろう。
本当に、危なかった。
後少し遅れていたら取り返しのつかないモノが──もとい取り返しのつかない事になるところだった。
「はははゴメーン」
「反応が面白かったからついねぇ」
と、防人に寄っていた女性達はエムラスの方を向き直り、口元に手を添えながら、舌を出しながら、と各々の反応をして彼に笑みを浮かべながら、しかしあまり悪びれた様子はなさそうに言う。
「キミも、ごめんね」
「あ、はい。その、あの、お気になさらず」
気持ちを落ち着かせつつ、女性達が離れていくのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「防人様、失礼致しました」
「いえ、そんな……えっとその、大丈夫ですから」
「そういって頂けると幸いです」
「あぁ! やっぱりここにいた!」
微笑むエムラスに防人もまた笑みを返すと聞こえてくる大きな声。
何事かと防人は声の主の方へ向けると白衣を身に付けた女性が御立腹の様子で近付いてきます。
「もう、お腹の傷が塞がるまでは病室で安静にするように言ったはずですよ!」
白衣の女性『ミーティア』はエムラスの方へと近づいていき、彼の腕へ自身の腕を絡ませると防人の方へと顔を向ける。
他の女性たちとは違い、スッとミントのような、薬品のような香りが鼻を抜けた。
「あら? あなたは始めて見る方ですね」
「はい、えっと……先ほどここへ連れてきていただきました。防人 慧と言います。よろしく、お願いします」
「丁寧な挨拶をありがとうね。私はミーティア。エムラス君と彼女達の友人で医者をやらせてもらっているの。よろしくねケイ君」
「はい。よろしくです」
短い挨拶を交わし、ミーティアがエムラスの方へと向き直ると彼は既に彼女の拘束をすり抜け、部屋に設置されている簡易キッチンにて口の細いポットを蓋を開けたまま火にかけていた。
「もう、エムラス君!」
「はい、もう少しお待ちを。すぐにコーヒーを淹れますので」
エムラスは隣の小棚からコーヒーカップとマグカップを取り出すと各カップに半分ほどポットのお湯を注ぐ。
「いいですから、それはビアンカさんに任せて休んでください!」
「いえ、すぐに出来ますので」
エムラスは慣れた手つきでお湯につけた布地の水分を清潔そうなタオルで拭き取りつつ、沸騰していたポットの火を止める。
続けてフィルターを取り出したコーヒーサーバーの上に取り付けると砕いた珈琲豆をやさしく入れて、ゆっくりとお湯を注ぎ始めた。
「さて、防人様。コーヒーが入りました。一杯どうですか?」
サーバーにコーヒーが溜まったのを確認後、温めておいたカップにコーヒーを注ぎ、防人の方へと向き直り彼は言う。
「あ、はい。それじゃあ、頂きます」
「ミルクと砂糖、どちらがよろしいですか?」
「じゃあ砂糖を、お願いします」
「分かりました。数はお好みでお飲みくださいませ」
防人はコーヒーカップと角砂糖の入ったボトルを受け取ると、エムラスに奥の部屋へ案内される。
先程と比べると狭く、小ぢんまりとした部屋ながら清潔感のある部屋。
そこには小さな机が並べられ、ヴィヴィアンがティーカップを手に座っていた。
「それではごゆっくり」
エムラスは扉を閉め、キッチンの上のマグカップにミルクを注ぎ、かき混ぜるとミーティアの方へと向き直る。
「いつもお仕事をありがとうございます。ミーティア様はミルクでよろしかったですよね?」
「……えぇ」
「それでは病室へ戻りましょうか」
「全く……困った人ですね」
ムスッとした様子のミーティアは、少し呆れたようにため息をつくと、エムラスとともにゆっくりと病室へと向かった。
そんな様子を女性達は羨ましそうに眺めていた。




