205『水路での戦い』
「ダメェぇぇぇぇぇーーー!!!!!!」
ヴィヴィアンの叫び声が地下水路中に響く。
頭に響く声に引き寄せられるようにサキモリの意識は覚醒する。
見開いた視界に映るのはコンクリートの天井とナイフを手にした人の顔。
その顔は笑っていた。
ヘラヘラと嘲笑うかのような表情を見せているが、その目は笑っているようには見えなかった。
その目は敵対……いや違う。なんだ?
「おいおい、なんで避ける? ボウズ」
「そりゃあ目が覚めて急にこんなことされたら誰だって避けるでしょ?」
目線から頭を狙っているのは分かる。
分かるが……その目に宿る表情には違和感でしか無い。
目は口ほどに物を言う。と言葉にもあるように人の目線というのはあらゆる情報を有している。
「そうかい……」
どこを見て、何を狙うか。
防人/サキモリの嗜むフルダイブ式VRゲームにおいてそれは、向かい合う敵が攻撃をどう加えるかという思考予測を立てるための情報となる。
特に不意打ちにおける防人の反応はそれなりに早い方である。
「普通は寝覚めでこんなことされたら避けらんねぇと思うがな」
「まぁ、鍛えられてるからな」
ヤバい。と直感したサキモリへ投げ下ろされるナイフが頭部を狙っていると即座に判断できたのは妹である(今も一応そう思っている)湊のおかげであると言えるだろう。
適当な理由をつけては襲ってくる湊の攻撃には明らかな殺意が乗っかっており、朝が弱い防人にとって特に頻度が多かった寝覚めの時間は理由付けにもピッタリであり、不意打ちにおける危険回避能力は鍛えられ、高まっている。
おかしな話だが……これくらい躱すのは、どうってことはない。
もちろん学園のシミュレーションルームで色々な状況想定における仮想訓練で遊んで──もとい訓練をしてきたこともプラスになっているだろう。
それでも機嫌が悪かった時の抜き打ちで迫る湊の殺気には劣るだろうが。
「ふっ、そりゃあご立派だ」
男はニッと若々しく笑う。
余裕そうな笑みであり、見る人が見れば優しさを感じられそうな穏やさがある。
しかし、その目には決して逃さないと狙いを定めた鋭さがあった。
全く身構えていない時の湊もヤバかったが、この人もかなりヤバそうである。
そもそも比べるのがおかしいんだけど……。
こっちが平然を装っている事なんてとっくにお見通しだろう。
うん。マズイな……この人。多分かなり強い。
格ゲーの世界で強敵と対峙している時のあの隙の無さがこの人からも感じられる。
下手に動いたら確殺コンボ待ったなしだ。
加えて今は相手にマウントを取られている。
横のナイフを使って──いや、ダメだ。多分ナイフに触れるよりも早く次の攻撃が来る。
次も避けられる自信は、ない。
ううむ、抜け出そうにも隙が全く無さそうだ。
「ほぅ、この状況でお前が勝てるつもりなのか?」
「死にたくないんで」
うん。多分、目線も読まれてるなコレ。
ゲームならタイムアップが来る前に多少のダメージ覚悟で動いてどうにかやり返してやろうと動くものだけど、ここでそれをやるのは流石に怖い。
手足を刺されるだけでも痛いだろうし、毒とか塗られてたらなおヤバい。
そうでなくても心臓とか頭とか狙われたらレトロゲーよろしく一撃でゲームオーバーだ。
どうにかして相手の想定外な行動パターンで不意を突かなければ……でも、どうやって?
「どうした? 来ないのか?」
こちらが迂闊に動けないことを分かっているクセに、男は確かめるように聞いてくる。
その言葉に残された時間が少ないことをサキモリは悟るも、この状況で妙案など浮かぶはずもない。
せめて誰かが少しでも気を引いてくれたら良かったんだが……どうやらこの男の眼中には無いようだ。
《────推奨》
(えっ?)
ドクンッ!
と、腕の枷が跳ねたような感覚。
薄っすらと聞こえてきた抑揚のない平坦な声に、サキモリが反応を示すと再び応えるように、鼓動が伝わってくる。
《使用を推奨……》
(使うって……)
再び、腕部の鼓動。
光牙が使えるのであれば今すぐにでも使ってこの場から逃げ出しているところだが……残念ながら違うようだ。
まさかとは思うが……手枷そのものを使えと?
《肯定:敵の攻撃を防ぎ、弾くことは最も虚を突くことが可能であると推察します》
(……マジで言ってる?)
聞こえてくる気がする声に反応を示すサキモリ。
直後、男の手にしたナイフが照明を反射させ、怪しく光った。
「クッ……」
やるしかない!
サキモリは男が腕を振り上げるよりも早く反応。
即座にナイフの落とされる場所を考察し、手首に付けられた枷で殴り飛ばすようにしてナイフを弾く。
同時に頭の横に刺さっているナイフを抜き取り、起き上がるとともに攻撃を加える。
「ほぅ……」
男はサキモリの攻撃を難なく回避。
追撃のためナイフを構えるが、投擲を防がれると判断したのか構えを直して更に一歩大きく後退。
空いている左手をバネに跳ね起きるとサキモリは起き上がる際、コッソリと手にした細長い得物を投擲する。
「むぅ?」
ナイフとは違う何かが飛んで来ている事に僅かに反応が遅れた男は頭に装着している暗視ゴーグルを犠牲にどうにか逃れる。
ゴーグルに突き刺さったのは細長い金属製のハサミであり、それはヴィヴィアンの落としたカバンからこぼれ落ちた化粧用品のようである。
「大将! ――グッ!」
暗闇の中、視界の悪さも相まって、隊長である男がやられたように見え、傭兵の1人が慌てた様子で声を荒げる。
それが気が逸れた瞬間であると、判断。
待機していたエムラスは合図を送り、セティアとアグレスの2人は短くアイコンタクト。
眼帯による補助機能を活用しつつ素早く狙いを定ると、手にした拳銃で兵の頭を撃ち抜いた。
「お前ら──っ!?」
「どぉっせいや!」
ほんの僅か。
サキモリは男の意識が仲間の方へ向いた事を察知。跳ねるように地を蹴り、着地と同時に肘を引き腰をひねる。
そして、そのまま男の脇腹に蹴りを入れつつ胸ぐらを掴み、投げのモーションへ移るとそのまま水路の方へと突き落とした。
「ケイくん……目が覚めたんだね?」
「はぃ――っ!! ここどこなんだ? すごく酷い臭いがするんだけど」
「え? そんなに酷くは――あ……瓶が」
ヴィヴィアンは通路に散乱したカバンの中身から例の薬の小瓶が蓋の外れ、ほとんど空っぽの状態で転がっていることに気がつく。
「うぇぇ……原因はこれか?」
サキモリは今にも吐き出しそうな酷い表情で小瓶の中身であろう液体が顔についていることに気付き、さっさと拭おうと着ているジャケットの袖を近づける。
「あっちょっと、それ私んだよ!」
「ぇ? ぁ、すみません」
「ちょっとぉ、酷いんじゃない?」
セティアは拳銃が落ちないよう銃鞘のボタンを付けながらアグレスの方へ向く。
「気付け薬ってアンモニアの臭いなんだよ? それを顔に付けたまま拭くなってどんな拷問なのよ」
「でも、それは私んだよ。袖で拭かれたりなんかしたら袖からそのアンモニア臭ってのが取れなくなるじゃないか」
「あら、お似合いじゃない? ハエなんかをオプションで付けたらぴったりね」
「ほ、ほぅ……だったらあんたのそのふりっふりのゴスロリ衣装で拭かせてやんなよ。あんたのキャラ作りにアンモニア臭ってぴったりの項目が追加されるじゃないか」
「はぁ? 嫌に決まってるでしょ。これ、作るの大変だったんだから! あなたのを使わせてやりなさいよ。それにキャラ作りって何!」
「あたしのだって結構な値段したブランド物ってやつだよ? それから、キャラ作りはキャラ作りさ。タッパ無い、胸でかい、ゴスロリ、女整備士……十分過ぎるほどじゃぁないか。そこにひとつくらい増えたって構わないだろ?」
「大アリに決まってるでしょ!」
二人の口喧嘩をヴィヴィアンが困ったように見ているとエムラスが二人の間になるように立つ。
「喧嘩は止めなさい。そのような時間はありませんよ?」
「っ、そうだった早くしないと」
「ごめん。ダーリン」
「えぇ、まずは傷の手当てを致しましょう」
「「はい……」」
「……何、あのコント」
足元に落ちている小物を拾い、落ちていた肩ひもの切れた黒い小さなカバンの中へ慣れた手付きで入れながらやり取りを見ていたサキモリは小さく、少し呆れた様子で呟いた。
「ははは……ぁ、ケイくん。君のカバンの中に花柄のハンカチが入ってるから使って」
「ありがとうございます」
カバンの中に入っているハンカチを取り出すと間違いがないかヴィヴィアンへ確認。顔に付着した気付け薬を拭き取り始める。
洗剤の匂いなのか、女性特有の香水の香りなのか、詳しいことは分からないが、ほんのりとした甘い花の香りが気付け薬の酷い臭いを打ち消すように鼻を突き心を落ち着かせた。
「アグレス、ヴィヴィアン、これを使いなさい」
「ありがとうダーリン」
エムラスはお腹を押さえたまま、ポケットに入っている大きなハンカチを手渡すとナイフで傷ついた腕へ使うよう言う。
白いハンカチを受取りながら二人が礼を言うとエムラスは腹部の傷からか少し苦しそうに汗を滲ませながらも穏やかな笑みを見せる。
「もちろんですとも。紳士たるもの、困っている方には手を差し伸べなければなりませんからね」
「ダーリン……」
「チャピー……」
エムラスを見つめ、頬を染める二人。
現状の良く分からないサキモリは特に介する事なく何度か顔を拭いきながら、臭いが染みて涙の滲んでいた視界と吐き気の催す感覚がずいぶんとマシになったのを実感する。
深呼吸などはまだ止めておいた方が良いだろう。
「――っ!!」
皆の傷の簡単な処置を行っているとサキモリが手にしたカバンをヴィヴィアンに渡そうと近付いた瞬間──ザパァァン! と大きな水音を立てながら先程蹴落とした男が水路から飛び出して来た。




