203「追手が迫る」
「大丈夫かな? あの人……」
道を行くマルジンら一行。
しばらくして、セティアは後方を心配そうに声を漏らす。
「おや、珍しいこともあるもんだね。あんたが他人の事を心配するとはねぇ」
「非情な人みたいに言わないでよアグレス。私だって心配ぐらいするよ」
「なんだ、惚れたのか?」
「まぁ……そうね」
「え……本気?」
アグレスが驚いて尋ねるとセティアは頷き、身に付けた眼帯に優しく触れる。
その顔に偽りはなく、嘘ではないと理解したアグレスは驚きの顔を見せた。
「だってこんなスゴい眼帯を作れるなんて……あぁ本当に凄いわ」
「セティア、あんた、大丈夫かい?」
うっとりとした表情で頬を赤く染めるセティア。
アグレスは心配して聞くと彼女は眼帯に触れた指をゆっくりと鼻の方へとスライドする。
「あぁ……凄いわ、光増幅機能と赤外線感知機能をここまで遅延なく切り替えられるなんて。
しかも小型なうえに解像度も従来のものと、ううんむしろそれよりも良いくらいだわ。多分視界を補助する機能も備わってるわね。
しかも機能をオフにすれば、小型カメラからの拡張現実機能まで付いてるなんて……しかも彼は恐らくだけれど整っていない環境下でこれを作ったのよね?
だったら彼の技術は本当にスゴいの一言に尽きるわぁ……」
「あんたが心配してるのって、あいつの技術なんだねぇ……」
嬉しそうに少々早口で語るセティアにアグレスは呆れてため息をつく。
「当たり前よ。技術は整備士にとって大切な資産となるもの。
それに私は自分よりも技術がある人も、私の拙い技術で作ったものを使ってくれる人も大好きだよ。
だから私は私の作ってくれた片眼鏡をかけてくれるチャピーが女としても整備士としても大好きなの」
「ありがとうございますセティア嬢。……ところでヴィヴィアン嬢。彼は目を覚ましましたか?」
「ううん、薬が聞いてないのかな?」
「そうですか、仕方ありませんね。先を急ぎましょ――ぅ?」
空気の抜けたような声とともにマルジン・エムラスは体勢を崩し、その場に倒れる。
セティア、アグレスの2人は慌てて周囲を見渡しながら即座に腰の拳銃を引き抜き、眼帯から見える景色に意識を集中。
視界に人影を捉えるとセーフティーを下げて即座に引き金を引いた。
「今のうちにチャピーを!」
「えぇ!」
その間にマルジンを側面から突き出た近くにある柱にアグレスの手を借りて身を潜め、ヴィヴィアンはその隣に防人を横たわらせる。
「セティア、あたしと変わんな」
「任せるわ」
アグレスは眼帯を右から左へとつけ直すと柱に身を隠しつつ、近づいてくる敵へ向けて肩にかけていたアサルトライフルを構える。
暗闇からほとんど音もなく飛んでくる銃弾に身を屈め、警戒心を高めつつ反撃する。
「アグレス、横の小さいつまみを回してみて」
「こいつかい? ほぅ、望遠機能付きか、こいつぁいい」
眼帯の機能をスコープの代わりにしてアグレスが応戦する中で二人はエムラスの処置に当たる。
「うっ、油断しました」
手で押さえている腹部から広がる鮮血。
どうやら急所は外れているようだが、弾は貫通はしていないようだ。
ヴィヴィアンは着ているスーツのボタンを外し、傷口を確認する。
御年70を越える体とは思えないほどしっかりと筋肉の付いた体。その割れた腹筋の近くにはポッカリと小さな穴が空いており、その穴からはドクドクと血が溢れてきていた。
「何かガーゼとか包帯とか血を止めるもの持ってる?」
ヴィヴィアンは焦った様子でセティアに聞くが、彼女は首を振って否定する。
「ううん、本当なら地下水路は10分も走ったら抜けられる予定だったから念のための武器と日用品くらいしか……」
「あたしと同じか……アグレスは?」
「あいにくだけど、あたしも銃火器と身一つだけだよ」
「そう……困ったわ」
二人が焦った様子で困り果てているとエムラスが咳き込んでからゆっくりと口を開いた。
「確か……セティア嬢はタンポン派、ヴィヴィアン嬢はナプキン派でしたよね?」
「なっ!」
「き、急に何を言い出すのよ! 今はそんな冗談を言ってる場合じゃ――」
「いえ、冗談ではありません。生理用品というのはデリケートな部分へ使用するものですから、清潔に包装されています。それらはこういった緊急時にガーゼのように使えるはずです。さ、お早く」
二人は赤面し、驚きの声を上げるもエムラスは汗の滲んだ真剣な表情で言う。
「え、えぇ」
「分かったわチャピー」
2人は戸惑いながらも言われた通り、カバンに入ったポーチから指示されたものを用意する。
「ではまずはセティア様から。傷口へタンポンを押し込んで下さい」
「え? でも……」
「大丈夫です。後でミーティア様にちゃんと取って頂きますから」
「わ、分かった」
セティアはペットボトルの水で傷口を軽く洗い流し、見やすくなった傷口へ手にしたものを静かに当てる。
「うぐっ!」
「チャピー!」
「大丈夫です。さぁお早く」
「う、うん」
セティアは挿入器の持ち手をつまみ、慎重に後ろから押し出した。
傷口へ異物を押し込まれる苦痛の声を漏らしつつも先程よりかは幾分、出血が収まったことに安堵した様子でマルジンは笑みを見せる。
「んぐ、ありがとうございます。次はそれを……」
「うん」
ヴィヴィアンは折り畳まれたナプキンの包みを開け、マルジンはそれを受け取ると傷口を強く抑えながら、ガーゼのように貼り付け、ゆっくりと壁を使って起き上がる。
「エムラスさん?」
「お二方、後は大丈夫です。それよりも後方に警戒を、足音が聞こえました」
二人は通路後方を確認して眼帯から敵の様子を確認。
「見えた、数は6人……ん? 3人離れていくわ」
機械の操作に慣れたセティアが答えると傷口に合うようにシャツの内側に、開いたシャツの穴を塞ぐように合成繊維を張り付けながらエムラスが答える。
「恐らく先程のT字路で二手に分かれたのでしょう」
「でも、どうして……敵にはこっちの銃声が聞こえてるはずでしょ?」
「定かではありませんが、兄さんのいる方からも銃声が聞こえたからではないかと……」
シャツのボタンを止め、エムラスは傷口を上から押さえながら立つと手に持った二人の荷物を彼女らに手渡す。
「なるほど……」
「しかし、敵がどれ程の戦力をここに投入するかは未知数です。急がねばなりませんね……アグレスそちらの方はどうなっていますか?」
「もう少し――ん、後1人」
「ではそちらから突破しましょう」
エムラスの言葉に女性たちは同意する。
ヴィヴィアンはセティアの手を借りて未だに眠っている防人を背負い、その間に敵兵を倒したアグレスが合図をするのを見てエムラス達は倒れる兵士達の先へと進んだ。
「ハァハァハァ……」
薄暗く代わり映えしないコンクリートの洞窟。
長い一本道を駆け抜ける間に新たな追手が後ろから迫っているのが聞こえ、女性たちは警戒しつつも足取りを早めるもマルジンの足取りが重い。
呼吸も荒く、油汗も酷い。
その原因が傷のせいであることは明白だが、今はこれ以上どうすることも出来ない。
「チャピー頑張って」
「私ももう歳ですね。このような傷で音をあげるとは……もうダメかも知れません……足が鉛のようです」
「何を言ってるの! もう少しなんだから頑張ってよ」
セティアはせめて、とカバンから取り出したハンカチで汗を拭きながら激励する。
「そうですね。すみません弱音などを言っている場合ではありませんね」
「うん、そうだよ。だからほら走って!」
「次を右──」
「キャアァ!」
アグレスの指示で皆が先の十字路で右折した直後、勢い良く飛んでくるスローイングナイフ。
鋭い切先は最後尾にいたヴィヴィアンの肩に刺さり、その痛みからバランスを崩した彼女は防人を落としてしまう。
「あぁ、ケイくん!」
「ダメ!!」
彼を助けようと後退を始めたヴィヴィアンの服をセティアが力強く引っ張る。
その瞬間、彼女の顔のあった所にナイフが落ち、先端がコンクリートの地面に突き刺さった。
「今のを、よく避けたな」
陽気そうな声を上げ、近づいてくる人影。
追手である傭兵たちの先頭に立つ彼は攻撃を躱されたことを感心しながら新たなナイフをまるで手品のように取り出すと後方の部下へそこで留まるように指示し、更に近づいていく。
アグレス達は負傷しているマルジンを柱の影へ隠すために後退。防人との距離が離れることにヴィヴィアンは悔しそうに眉根を寄せるも命あってのものとセティアとともに後ずさる。
「ん~おじさん的には今の良い感じの放物線が描けたって思ってたのに……ガッカリだなぁ」
「あんた……」
通路の奥から姿を現したのは以前、アーサー王子たちを襲撃した男であった。
他の傭兵たちと同じく暗色の衣装を身に纏った男は目開きの覆面を外す。あえて正体を明かすかのように。
手足巻かれた帯鞘には無数のナイフが納められていた。
薄暗い闇の中で男は笑う。
「よう、久し振りというべきかな? アグレス、会いたかったぜ」
「私は願い下げだね。このまま帰ってもらえないかい?」
「そういうわけにはいかない。前にも言ったかもしれないが、仕事なんでな。死んでもらおう」
「させる──」「遅い!」
アグレスが柱の陰に身を潜め、素早くライフルを構えるも素早く投げられたナイフによって出ていた肩を貫かれ、手にしていたライフルは地面へ落ちる。
慌てて拾いに行こうとするも遅れて飛んできたもう一本のナイフがアグレスの行く手を遮るように地面へ刺さる。
「おいおい、そんなでっかくてゴツいのこんな狭いところで撃ってみろ。おじさんの鼓膜が逝っちまうだろ?」
自らを『おじさん』と言う男はゆっくりと足を進め、防人の側にまで近づいていき、足元の彼を見下ろすと『ほぅ』と、口角を歪めた。
「このボウズは……ハハッおいおい、なんて恰好だ。お前ら鬼畜かよ?」
上に羽織っていたジャケットの下はパンツ1枚の下着姿。
10代と若く、先程転がり落ちたためか多少の擦り傷は見られるが肌も白くムダ毛の少ないその体はまるで乙女の柔肌のように美しい。
多少は鍛えているのか筋肉があるにはあるが、こうして眠っている彼は、とても戦闘が出来るようには見えない。
そんな彼を何故事前に逃がしておくなどしておかなかったのか理解出来なかったが、まぁ足手まといが多いのは彼にとっては都合が良い。
「それは、まぁ否定できないかなぁ……」
「セティア」
「だって……ねぇ」
彼に助けられた。と、部屋に匿うようにして看病していたヴィヴィアンを除き、あの館にいた女性たちの多くが防人の事を知らない。
衰弱し弱っていたことは彼女から聞いていた者もいたが、見ず知らずの子供をわざわざ積極的に助けるほど世間というものは甘くはない。
ましてや少年の人相がこの辺では見たことが無いともなれば、なおさらである。
ヴィヴィアンの恩人であると彼女自身が言うからこそ手助けはするが、残念ながらそれだけである。
ヴィヴィアンの側にいるセティアにとって優先すべきなのは自分の命。そして好意を寄せているマルジン・エムラスや仲間達の方であり、少年に対する優先度は低い。
むしろ、一度助けられたぐらいでこれだけの執着を見せているヴィヴィアンの態度の方が信じられなかった。
「しかも、なんて格好だよ。これじゃ風邪を引いてしまうじゃないか……可哀想に」
わざとらしく男は言う。
セティアは拳銃を構えるが、発砲するよりも早く跳んでくる傭兵達のレーザーサイトの光に怯み、彼女は慌てて身を隠し眼帯を外すとチカチカとする目が無事であるかを確かめる。
「やめて……」
ヴィヴィアンは血の流れる右腕を押さえながら懇願の声を漏らす。
だが、男にはまるで聞こえていないのか、まるで彼女達からの攻撃は来ないことを分かり切っているかのように男はそれを見越した様子で大きく腕を振り上げた。
「風邪を引いてしまうと大変だからね。ちゃぁんと寝かせて上げようか」
男はまたしてもわざとらしく聞かせるように言い、握りしめた一本のナイフをは勢い良く振り下ろした。
「ダメェぇぇぇぇぇーーー!!!!!!」
164、165話の傭兵の男。再登場です。




