201「水路での一幕」
「うぁぁぁ――わぷっ!!?」
斜面を滑り降りてたどり着いたそこは薄暗いコンクリートに覆われた通路。
全く状況が飲み込めていない防人は勢いそのまま通路の真ん中に延びている水路に落ち、ゴンッ! と鈍い音が防人の頭の中に響いた。
遅れてやって来た四人は静かに着地し、出口を封鎖される間に周辺を警戒する。
「へぇ~、ずいぶんと広いんだね……」
「この地下水路は国内全ての生活水を賄っているところですからね。これくらいの広さは当然ですよ……と、失礼します」
エムラスは内ポケットから取り出した端末をセティアに見せると何処かに繋ぎ始める。
「あれ……ケイは?」
「ケイ? さっきのガキのことかい? それならそこに流木みたく白目向いてドンブラコしてるよ」
キョロキョロと、先に来ているはずの防人が見当たらず探しているヴィヴィアン。
アグレスはグッと親指で浮いている彼を指差すとヴィヴィアンは慌てた様子で水路へ飛び込む。
「あぁ!? ケイ、しっかりして!」
「…………。」
「聞こえてる? 死んじゃダメだよ?」
水路の端へ手を伸ばすアグレスに協力してもらい、防人を引き上げると頭頂部に出来た大きなタンコブに気付き、取り出したハンカチを濡らして冷やす。
ヴィヴィアンは焦った様子で胸元に耳を寄せると問題なく心臓が動いている事を確かめる。
気を失っているだけ。ヴィヴィアンは安堵しつつ口元へ耳を持っていくと呼吸が見られなかった。
ヴィヴィアンは慌てて唇を重ねるとゆっくりと息を吹き込む。
「ゴホッゴホッ……ねぇ、さん?」
「え?」
数回の人工呼吸。大きく防人が咳き込むと薄っすらと彼は瞳を開けて呟いた。
か細く聞こえてきた彼の言葉にヴィヴィアンは驚いた様子で目を見開くも、意識が戻ったらしい事に安堵し微笑みを返した。
◇
──ア、レ?
ゆっくりと目を開ける。
視界がボヤけ、意識がハッキリと纏まらない。
鈍痛が響き、頭が割れてるんじゃないかと思うほどに苦しい。
──何が……起きた?
サキモリはボンヤリとする思考を必死に働かせ、記憶を呼び起こそうとする。
だが、やはり鈍痛が思考を邪魔する。
拘束され、視界が回ったかと思えば暗闇の中を滑り落ちる。とても怖かったし、背中は擦れて痛かった。
あぁ……それから……。
水辺に落ちて、それで頭を打って、溺れて……上がろうにも上がれなくて。
そう、そうだ。昔、同じようなことを経験した気がする。
あれは……そう、まだ小さい子供だった時。
風呂に浸かろうとしたところを頭から押さえつけられて、息ができなくて……死ぬかもと思った瞬間、力が抜けてなんとか逃げ出せたんだ。
あの後、母親は謝ってきたが、殺されかけたという恐怖を拭うことは出来ない。
それから怯えた俺の様子を見て父親は母親を叱りつけた。
でも、別にそれは俺を思ってのことじゃない。
適当な──パチンコで負けたとか、欲しかった銘柄が売り切れだったとか、そんな理由で奴は怒るのだ。
手を出す事はなかったと記憶しているが、物は良く壊れた。
扉とかコップとか……。
野球で好きなチームが負けたからとテレビを金属バットで叩き壊したこともあった。
壊れて、買い直す事になって、貯金が目減りしたらしくて父親は怒る。
なんとも酷い悪循環だ。
2人が言い争う中、小さい子供の俺がいるのは狭い押入れの中。服とかの引き出しの隙間に入り込むようにして必死に耳を塞いでいた。
そんな中、押入れの奥の方に1枚の写真を見つけた。
当時の自分よりかは何歳か歳上の女の子。
当たり前だけど一緒に写っている母親に似ていた……父親らしさは、よく分からない。
右側が大きく破けてしまっていて……父親と思われる人物が写っているところは足元を残して無くなっていた。
珍しい紙の写真。
それが一体いつ撮られたのか分からないけれど、そんなに古いものではないだろう。
親に訪ねたら、この写真がどうなるか……分かったものではない。なんなら捨てられてしまうんじゃないだろうか。
そう思うと聞き出すことは出来なかった。
女の子の写真。
けれど自分に姉や妹はいない。
当然ながら自分でもない。
「……ねぇ、さん?」
写真だ。そうあの写真の女の子だ。
ずいぶんと大きくなっているが、間違いない。
そうか……この人が……アレ?
……おかしい。
こんな事を僕は経験した覚えはない。
僕じゃなければ……俺?
俺の……姉さん?
なんだ、どうしてこんな事……おかしい。
だってカイトは僕の友達で、でも殺されてしまって……聞こえてくる声だって僕の妄想みたいなもので……。
俺が、思い出せるわけがない。
だって本当の俺はあの時、撃たれて。
死んでしまっているんだ。
あぁ……ぁぁぁ?!
分からない、分からない……なん、なんだ?
あぁ頭が……意識が……。
◇
「ケイ? ケイ!?」
目を開いた。と思ったけれど、彼はすぐにグッタリと伸ばそうとしていた腕が力なく垂れ下がる。
「落ち着きなよ。単に気絶してるだけだ」
「ありがとう」
「礼はいいから風邪引く前にこいつを着させてやんな」
「えぇ……」
アグレスは着ているジャケットをヴィヴィアンへ手渡し、それを防人へ羽織らせる。
「たく、あんたも物好きだね。そんな得体も知れないガキを助けるなんてさ」
「言うねぇアグレス? なら服なんて貸さなくても良かったんじゃないの? それパピーが買ってくれた服でしょ?」
ゴスロリ風の衣装の汚れを叩きながら、セティアが言う。
「あたしは助けられるものを見捨てるのは寝覚めが悪いだけさね。それにね、物好きと言やぁあんたもだよセティア。なんで追い返さなかったんだい?」
「あれ、アグレスにあの子のこと話してたっけ?」
「ダーリンから連絡で聞いてただけだけどね。ヴィアンの恩人のガキがいるって。でもあの手錠を見てみなよ完全にコブ付きじゃないのさ」
「確かにコブは頭に出来てるね」
わざとらしくボケるセティア。
アグレスは少し呆れた様子でため息をつく。
「そういうことじゃないよ。よく厄介者を入れる気になったと言ってるのさ」
「別に私も子供に興味なんか無いよ。あの手錠には興味あるけどね」
「あんなもんがかい?」
「見た目だけを見れば、なんでもないただの手錠だけどね。せめて外してあげようって彼が寝てる間に色々試したんだけど、壊せなかったよ」
「へぇ、解体屋のあんたでも壊せないものがあったのかい?」
「整備士だよ! ま、とにかく壊そうとして傷ひとつ付かないあの金属にはすごく興味があるね。メカニックとしてね」
「二回も言うんじゃないよ。そんなに欲しいんだったら手首から落としちまえばよかったじゃないか」
「うわっ恐ろしいことを。私はそんな猟奇的な事に興味は無いんだけど……」
「方法の1つとして提案を言っただけだよ」
「んー彼を傷付けるのは駄目ってヴィアに怒られたし、ダメだと思うよ。というかいくらなんでも手を切り落とそうって人間としてダメだと思うし」
「だったら手首の間接外して――」
「いや別に知恵の輪とかをやってんじゃないんだし、なんで頑なに手錠を外そうって考えるのよ。私は別に外れなくても調べられさえすればそれで満足なんだけど」
「いやでも嵩張るし」
「嵩張るって旅行に持ってくティッシュの箱とかじゃないんだから……」
「……ダメ、起きそうにない」
「それならば担いで行くしかありませんね」
どうにか起こそうとしていたが、目が覚めそうにない防人へヴィヴィアンは途方に暮れていると連絡を終えたエムラスは横たわる防人を抱き起こす。
「ふむ……」
「チャピー、どうしたの?」
「この方がサキモリ ケイ君ですか?」
「えぇそうだけど、それがどうかしたの?」
「いえ、男性の方と伺っておりましたが、こうして見るとずいぶんと可愛らしいお顔をされているのですね」
「チャピィー、こんなとこで発情しないでよ。しかも男になんて……」
分かりやすく引き気味の表情でセティアは言うが、エムラスは目尻にシワを寄せて笑う。
「ほっほっほ、確かに私は如何なる物でも愛しますがそれは女性に限った話です。男性には友人でもない限りは敬意などは……」
「なら抱き抱えるのを止めなさいよ!」
「いえ、この方はヴィヴィアン嬢を暴漢から救ってくれた恩人です。ならばそれ相応の対応をしませんと」
「……お姫様抱っこをしてあげるのが対応なの?」
「はっ――いつの間に!?」
「えっ無意識なの!!?」
セティアたちの会話を聞いてヴィヴィアンは困った表情で笑い、人さし指で頬を掻く。
「これが王様の側近……」
「あたしの聞いた話じゃ昔は冷静沈着、いつでも済ました顔をしてとてもクールだったってことだけどね」
「確かに作戦会議や作戦行動の時は凛としていましたけど……」
「今じゃ見る影もないね」
「ただの女好きなおじいちゃんだよね〜」
「っといけませんね。このような所でいらぬ話をしている場合ではありません。あの場に我々がいないことが知られればここにも追っ手が来てしまいます」
「じゃあ私がこの子を」
「そうですね。では、お頼みしますね」
ヴィヴィアンはエムラスに手伝って貰いながら防人を背負うと移動を開始。
薄暗い水路の脇を設置されている僅かながらの明かりを頼りに進んでいく。
「チャピー、そういえばさっきの連絡はなんだったの?」
「例の方の捜索をお願いした方々、及び他のお嬢様方に暗号文で連絡をさせていただきました。もちろん貴女方の持つ端末にも念のために送らせて頂きましたので、内容は後ほど確認してください」
「はい」
「了解しました」
「分かったよ」
「――ッ!!?」
コンクリートを叩く音。
ガンッと足音とは異なる甲高い音が響き、エムラスは速度を落としつつ手を開いて皆を制止させる。
「どうしたの?」
「誰かいます」
皆が進む先に見えるのは丸くなった、大きな影。
「まさか……もう追手が?」
「いえ、違いますね。彼は……」
小さくうごめくその影は泥や砂で薄汚れた服を着て、大きな荷袋を背負って酒瓶を手に。
そして猫の顔の描かれた眼帯を付けて座っていた。
「チャピー、あれって」
「えぇ、しかしこれは予想外でしたね。まさか彼の方からやってくるとは……」
伸びっぱなしの長い白髭をヘアゴムで縛っている男。
歳は年配。頬は赤く火照っており、酔っ払っているようで、酒瓶をひっくり返してその中身を飲み干そうとしていた。
「ぷはぁ~~――あ? なんだ見せ物じゃねぇぞ‼」
酒瓶の中身を豪快に飲み、大きく息をつく。
彼はエムラス達に気付いた様子で、口元から漏れ出た水分を袖で拭い、甲高い声で叫んだ。
「うるさい」
「うぅ、反響して凄く頭に響く……」
「あれが、ダーリンの探してた男なのかい?」
通路に鳴り響いて反響する声。
女性たちは顔をしかめて耳を塞ぐ。
天井のライトによって照らされ、大きめの眼帯に描かれた猫の目が反射してキラリと光る。
もう一方の目は、ギロリと細く吊り上げながら目の前に立つ女性たちの方を睨み付ける。
エムラスの顔を見た男性はその顔を驚きの表情へと変化させると強い口調で問いかけた。
「あん? なんでオメェがここにいるんだよ。ジン」
眼帯の男は眉毛を上げ、酒瓶を手にしたまま腰を上げると間違いがないかを確かめるべく空いた手を腰のホルスターに当てゆっくりとエムラスの方へと近づいていく。
が、すぐに本人であると分かったのか、それとも単純に飲みたかっただけなのか、眼帯男は顔を少し緩めると便酒の残りに口をつける。
「ゲップ!」
「うっ……」
「臭~い」
一切の遠慮のなくゲップをする男。
近づくと共に強くなっていく濃い酒の臭いにセティアは我慢ならないと顔を顰め、素早く距離を取り、ヴィヴィアンも眉をしかめると足を止める。
その中でエムラスは顔色を変えずに近付いていく。
対して眼帯男の方もゆったりとした足取りで近付く。
エムラスと比べると頭1つほど低い男性。
眼帯の男性も決して低くはないのだが、190を越えるエムラスと比べると少し低い。
加えて男の方は猫背であるため更に低く見えてしまっている。
顔つきはエムラスと瓜二つであり、赤く染まった顔や眼帯、白髭などがなければ恐らく見分けが付きにくいだろう。
「お久しぶりにございます。ヘンリー兄さん。もうどのくらいぶりですか?」
エムラスは落ち着いた口調で、慣れた様子で軽く頭を下げ、眼帯の男『ヘンリー・エムラス』はその頭を追うように視線を動かす。
その表情はどこか不機嫌そうであるが、男からすればそれも無理からぬ話である。
「いちいち覚えちゃねぇよ……少なくとも10年以上は前だった気がするが……」
否定しつつも答えてくれる。
弟である『マルジン・エムラス』は相変わらずの兄を見て少しばかり安堵した様子で表情を崩す。
「もうそんなになりますか。早いものですねぇ」
「ふん、俺にゃあクソ長く感じたが……しかしま、お前も随分と出世したもんだ。一兵士からアーサーの側近、そんで今は咎人と来たもんだ」
マルジン・エムラス。
彼はアーサー王子を誘拐し、監禁し、国家反逆を企てているという容疑がかけられており、ペンドラゴン国内において指名手配されている。
もちろんそれは国を乗っ取ろうと企てていた『ルーロイ大臣』によるでっち上げであるが、それを知らない国民の多くは涙ぐみながら怒りを露わにした大臣の国内放送を信じるほかはない。
もちろん彼を知る者の中にはこの報道を否定する者いるが、彼の知人の多くが年配であり、既に現役を引退している。
国が追っているとなれば、立場を盾に匿うというわけにもいかず、押し黙る他ない。
それでも助け舟がなかったわけではなく、彼は知人が経営していた店の地下で暮らすこととなった。
「おや、そういうなら兄さんも出世されたのでは? 宮廷専属医師を解雇されてからボッタクリのヤブ医者として名を馳せたらしいですが」
「チッ……なんだ、知ってやがったのか」
ヘンリー・エムラス。
マルジンの兄である彼は腕の立つ医師として王であった。母に似たリンゴ頬や少しばかり強い口調もあってか、常に酔っぱらっていると陰口を叩く者もいたが、少なくとも侍医として選ばれた医師としての腕は他に類を見ぬほどである。
しかし、それほどの実力者であっても人間である以上失敗は付きものである。
忙しい王とともに居られぬ夜。
そんな中で酒好きのヘンリーは当時の若き王妃に誘われて彼女の部屋へ。
そして酒蔵を漁っては酒と肴を愉しんでいた。
何日目か、ヘンリーが部屋に入っていくのを見かけたという男の言葉によって屈曲されられた良くないウワサは彼の侍医という立場を危ういものとし、城へ入ることは許されなくなってしまった。
そんな彼も第2都市『ゲールマン』の一軒家を改築し、やってくる患者に対して薬の提供や医療を行っていた。
だが……大臣のせいもあって治安はかなり悪化していた。
「勿論です。情報収集は大切なことですから。ですが、いくら途方に暮れるとしてもこのような所でしなくても良いのでは?」
「あぁん!? テメェのせいだよ。俺がこんな所に来るハメになったのは、えぇ!?」
現在、国内は不景気に見舞われている。
故に指名手配された賞金を目当てにヘンリーはマルジン・エムラスとして追われることとなってしまったのであった。
あの出来た弟がこんなことになっている。
兄として、色々とストレスを感じるのも無理からぬ話である。
「たくよぉ……国家的犯罪者、マルジン・エムラスさんよぉ!!」
「それは誤解です。私は犯罪者などではありませんよ?」
「は、どうだかな!」
感情的な兄と冷静沈着な弟。
二人の容姿は酷似しているが、性格は対照的な印象。
向かい合って取っ組み合いになるのではないかと2人の様子をハラハラと女性たちは見守っている。
「アーサー王に毒を盛り、弱らせた上で息子を使って全権を握ろうとしたってな。んでその計画がバレたから息子を誘拐して行方を眩ませた……もう町中の噂になってんだぞ?」
「そのような事実はありえませんよ。私は女性を悲しませることは決して致しませんので」
「ケッ、よく言う……んで、ウソかホントかはともかくだ。王さんのガキはどうしたんだよ?」
「あの方には安全な場所で休んで頂いていますよ。今は時間的にも、まだ眠っていらっしゃると思います」
「成る程……てこたぁ、お前は一番守るべきもんから離れてるってことだな?」
「問題はありませんよ。信頼の置ける方が側に付いておりますので」
「そうかい。安心したぜ」
ヘンリーは目付きを変え、ニッと不敵な笑みをこぼし、腰のホルスターから銀色に輝くリボルバーを素早く取り出すと即座にその引き金を引いた。




