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192「ある女性の人生の断片」




「んーまぁ……大丈夫そうだね」



 白衣の少女『ミーティア』の一言にヴィヴィアンは安堵する。

 何かしらの漢方を煎じたお茶を飲ませ、現在ロキシィはベッドで寝息を立てていた。



「しかし、アルラウネの雫ねぇ……」



 ミーティアは椅子に腰掛けながら、残された酒瓶を眺め、小さく呟く。

 その名前は知っている。

 少なくともこういった商売で働く者たちには聞かされている名前の薬であった。

 それは、ある意味では素晴らしい薬であり、ある意味では恐ろしい薬。


 一言で言ってしまえば媚薬である。


 それはとてつもなく強力で、しかし依存性は低い。

 まさにその手の人達からすれば夢のような薬なのだが、その製法も製作者も不明。

 しかしそれは確かに存在していることだけは分かっており、被害に遭った者も出ている。



「それ、本物なの?」



 ヴィヴィアンが恐る恐る尋ねるとミーティアは頷く。

 憶測ではなく、確信を持って。

 彼女は師である者から希釈したものを垂らした円形の器(シャーレー)を嗅がせてもらったことがあった。


 カシスの香りをベースに様々な果実の甘さを煮込んだような甘ったるさが鼻を突き、これはマズイと慌ててシャーレーを返したのだが……。

 まさか再び本物を嗅ぐことになるとは思いにもよらなかった。



「確かにニセモノが多いけど……これは間違いないよ」

「そう……」



 ヴィヴィアンは震えていた手に気付き、それを隠すようにして後ろで押さえる。

 ロキシィがグラスで薄められた薬を浴びただけで立てなくなるほどになる薬。

 もし気付かずに飲んでしまったとしたら……どうなっていたことか。

 想像もつかない。

 しかし、起こり得た未来に彼女は恐怖した。

 


「貴女も、面倒そうなのに目を付けられたね……」

「えぇ……」



 弱々しくヴィヴィアンは頷く。

 帰りたい。と何度目かになるホームシックが湧き上がる。

 我ながら心が弱いと思う。

 しかしヴィヴィアンとて好きでこんなところにいるのではない。



(カイ……)



 ドレスの裏に隠すように下げていたペンダントをヴィヴィアンは握りしめる。

 涙を滲ませる目蓋の裏には、少し小生意気そうな、しかし元気そうな男の子の顔が浮かんできた。

 ヴィヴィアンの元の髪色と同じ(今は金髪に染め上げている)茶色い髪。

 紺色の瞳。遊び盛りで擦り傷の耐えない顔。


 喧嘩っ早くヤンチャな所が玉にキズだが、決して悪い子ではない。

 そんな男の子。

 大切な、そんな弟になるであろうと、どれだけ妄想したことか。


 10年? 20年? そのくらいだろうか?

 ある日……雨の強かった日の学校の帰り道。

 ヴィヴィアンはこの地へ、この国へやってきた。


 正確には連れてこられたというべきか。

 手足を手錠のようなもので拘束され、動けない中、周りにいるのは自分と同じくらいの子供たち。


 10代前後くらいの幼い少年少女。


 気づけば、薄暗い空間に雑魚寝するように横たわらせられていた。

 周りの人達も寝ているのか動いている様子はない。

 彼女自体も何故かすごく眠くてボンヤリと頭が上手く働かなかった。


 次に目が覚めたのは狭い部屋。

 

 クッション性ある壁に囲まれており、ドラマなんかで見たことがある精神病棟がこんな感じだった気がする。と思いながら起き上がる。

 服は、着ている。

 病院服のような服は、まるで飾り気なんて一切ないワンピースのようで肩から腰回りにかけての大きなボタンのみがやけに目立っていた。


 慌てて確認したら下着は自分のものであった。

 良かった何もされてない。

 そう安堵したのも束の間、結局どこかに連れてこられた事に変わりはなかった。


 …………静かだ。


 家なんてものは喧嘩っ早くて小うるさい両親の叫び声がどんなに耳を塞いでも聞こえてきて心休まることなんてなかったし、学校も授業中ですら騒ぐような人たちがいて……なんというかこれほどまでに静かなのは初めての経験だった。

 ワケ分からないままに連れてこられて不思議と慌てる事はなく、落ち着いていた。


 何処が明かりとなっているのか分からないけれど明るい部屋。

 まるで今までが嘘であったかのような感覚。

 もしかすると時分はもう死んでしまっていてここは天国的な場所なのかもしれない。

 長い静寂の中、そんな事を思う頃に壁の一部が扉のように開き、一人の男性が現れた。



「おはよう」

「え、あ、おはようございます」

「ん、元気そうだな」

「え? はい?」



 不思議な人だった。

 長い金髪をオールバックに、ポニーテールにしてしっかりと纏めており、スーツの上から白衣ずを羽織っていた。

 近付いてくる彼はとても大きい。


 2メートルはあるんじゃないかと思うくらいの高長身で威圧感があったが、座っているこちらと目線が合うようにしゃがむとニカッとした笑みを見せてきた。

 同じように左目につけていた眼帯の、猫のイラストが笑っていた。

 彼はどこか愛嬌があって親しみやすかった。

 


「私はヘンリーという。医者だ……なぁに別に変なことしようってんじゃない。嬢ちゃん達の定期的な検査を任されていてな。恥ずかしいかもだが、我慢してくれ」



 ヘンリーは検査と言い、聴診器を当てたり簡単な機械で体の様子を確かめる。

 お酒に酔っているみたいに、ほっぺがリンゴのように真っ赤であったが、酒浸りの父親が吐いていたような酒臭さは一切なく、その顔は真剣そのものであった。

 検査を受けながら、質問をすると彼は色々と答えてくれた。

 もちろん初めから教えてくれるほど優しくはなかったけれど、数日もすればポツポツと教えてくれるようになっていた。


 曰く、私は売られたらしい。




 かつて、世界大戦があった。

 理由は足りなくなった物資を得ようとしたところから始まり、パワードスーツが導入され激化。

 泥沼化した長い長い戦争は唐突に、隕石の落下。というマンガのような結末を迎える。

 そして、各国は戦争継続能力を失ったことで終戦となった。


 生き残った者たちは手を取り合い、統一化された国は各場所を地区として定めつつ管理していくこととなる。

 まず一番の問題は破壊された街の修繕。

 そして食糧問題である。


 いざこざがありながらも軍の人達による配膳という形に落ち着いた。

 そして国は、パワードスーツの活躍によって瞬く間に元の形を取り戻すことになった。

 パワードスーツ……WEAPONs・GEARによって他にも様々な問題の力となり、活躍していくこととなった。


 それは学校の社会科で学んでいた事だ。

 しかし逆を言えば、それを学べるだけの環境にいる事は裕福であるということになる。

 家がある生活。

 遊べる環境と食事を楽しめる時間がある。


 だが、それを維持するのは容易くはない。

 道を少し外れれば、狭い通路には家のない者たちで溢れている。

 それを見て、ああはなりたくない。と幼いながらに思いながらも、生きてきたが……。

 まさか売られるとは……流石に驚きを隠せなかった。


 いやまぁ、今思えば兆候はあったのだ。

 酒にギャンブル。薬は流石に手を出していないと思いたいが……いつも父親がプカプカやってた壺のタバコみたいなやつが何であるのか分からない以上は可能性がないとも言えないだろう。


 兎にも角にもお金が欲しくて、一人娘を売ったということらしい。

 売ったと聞くとなんとも悲惨な未来しか想像できなかったが……意外とそうでもなかった。



「さぁ! 後3週です!」



 総司令官を名乗るヘンリーと似た顔の男性の元、まずは基本的な体力づくりとして走らされた。

 もちろん大変だったし、キツかったが……学校の柔道クラブの走り込みのようなものであり、耐えられないほどではなかった。


 それになにより朝・昼・晩と食事が摂れることの素晴らしさと言ったらない。

 おかわりは許されなかったし、量は多いとは思わなかったが、学校の給食というものはこういうものなのかと思ったら楽しかった。

 それに味の濃い、バランスの取れた食事というものは十分に満足いくものであった。


 備え付けられたタブレットは持ち運びは出来ないものの沢山の漫画や動画などが見ることが出来る。

 夕食事後にある検査の時間での会話は楽しめた。


 まるで今までの実生活のほうがウソであったのように楽しい時間だった。

 だが、やはり我々は売られたのである。

 それは戦争の道具としてであった。


 銃の整備。分解・組立。

 射撃訓練に戦闘訓練。

 徐々に本格的なっていった訓練は耐えられない程ではなかったが、やはり恐怖が強くなっていく。


 戦争という映像で見たものが今目の前で起ころうとしている。

 かつて起きていた世界大戦が、30年くらい前に終わっていたと思われていたソレが、再び起きてしまっている。

 彼らは戦争孤児や兵士達を集め、比較的小規模な戦争の続きをしているとのこと。



 だから、私もソレに参加することとなる。



 訓練過程は瞬く間に過ぎていく。

 知人ができたり、楽しく遊んだりすることもあったけれど……それはそれ。

 身長が伸びて、訓練のメニュー量が増えていくなかで自分の成長は感じられたが、やはり恐怖だけは次第に積み上げられていった。



──今でも鮮明に覚えている。



 あの日、仲間が死んでいった時のことを。

 そう、死んだのだ。

 身体からペイント弾ではなく血を流しながら仲間であるもの達は死んだのだ。


 その日は、他の国との共同訓練と聞いていた。

 使用される弾はペイント弾であり、万が一当たれば死ぬほど臭いインクを頭に被ることになると半分笑い話のように総司令官であるマルジンは語っていた。

 だが、実際は死人が出た。


 敵は実弾を使ってきたのだ。

 聞き慣れた轟音が炸裂の光が自分へ目掛けて迫ってくる。

 頬を掠め、熱い血を滴らせる。

 それは恐怖を駆り立てられるのに十分過ぎた。



 戦線は瓦解する。

 予め立てていた作戦なんて意味はなく、みんな死にたくなくて怯えてしまった。

 当然、試合の中止が言い渡される事になるものの……敵側の彼らが攻撃を止めるまでに13名の命が消えてしまった。



 その後、このペンドラゴンという国がどのような対策を取ったのかは分からない。

 でも、生き残った私達はこうしてこの国で生きている。

 訓練はなくなり、生きていくことを許され、どんな形であれ、今も生きている。




「ヴィヴィアン。そこのゴミ出しておいてもらってもいい? アイラは今、手が離せなくて」

「分かりました」



 決して楽な道のりではない。

 もはやこちらでの生活のほうが長くなってしまったけれど、この国で暮らす人達だって優しい人達ばかりというわけではない。

 今回の事も含めて、良からぬ事を企む者たちというのはいるものなのだ。

 だから、夜は危険であり、出歩かないと決めていたのに。



「お、ヴィヴィアンちゃんさっきぶり〜」



 どうして、少し裏手のゴミ箱へゴミを出すだけの短い時間にこんな目に遭わなかればならないのか。


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