191『夢想乙女の館』
【夢想乙女の館】
それは、ペンドラゴン第2都市【ゲールマン】に存在する大人のお店である。
広く、華やかに飾られながらも落ち着きのある雰囲気の店内はやってくる客を極限までリラックス出来るように作られており、甘い香りに包まれた鮮やかな女性達が接待する。
料金は強気な設定の高級店であるが、初めに入館料と言われるセット料金を支払う事で後はフリータイム。
特定女性を指名や高い銘柄の注文をするなど、別料金が発生することもあるもののそれにさえ気を付けていれば、華やかな女性に囲まれながらお酒を楽しむことが出来た。
「なぁ知ってるか? 人斬りジャックの噂」
店内のテーブル席の一つ。
円卓を囲み、酒に程よく酔った軍服の金髪男はニヤニヤと笑みを浮かべながら、唐突に話を切り出す。
「え〜なにそれ〜?」
接客業である彼女らはこの手の話は慣れっこである。
彼女らは『人斬りジャック』なるウワサについて既に耳にタコが出来るほどに聞いていたが、館のメンバーの中でも人気のある嬢の『マリア』はあたかも初めて聞いたことのように男の話に合わせていた。
接客業とはいかにお客様と上手く付き合うかがミソである。
例えばマリアは親しくなったお客様にマーニャと愛称で呼ぶことを許すなどして男性の心を揺さぶっている。
小さなことであれ、言葉を巧みに使い、優越感を与え、それを積み重ねることで相手に気持ち良くなって満足してもらわなければ次から彼女に会おうとはならないのである。
それ故に彼女達もやってくるお客様のクセや性格などを良く分析し、接する。
教えて、と甘い声を出す女性に鼻の下を伸ばした男は特別だぞ。と自慢げに言うとグラスを片手に語り始めた。
「1週間前くらいから現れた人斬りさ。何でも夜道を歩いてると暗がりの中からヴァッ! と飛び出してきて襲われるんだよ?」
「え〜こわーい」
マリアは甘えた声を出して男の方へ擦り寄る。その様子に全く怯えた様子はない。
しかし酔った男の目線からはそうは映らない。
男として、そのケモノの視線は衣装によって強調された谷間の方へ向かっていた。
彼女らにとってこれは日常で自然な動作。
明らかな強調ではなく、偶然。たまたま服が開けたりするように見せる方が、客受けは良かったことをマリアは良く分かっていた。
「大丈夫だよ。マーニャちゃんが怖がる必要はないよ」
「そうなの?」
「そうそう、何でも襲われてるのは……」
「おいおい、それって言って大丈夫な話だったか?」
顔を真赤にしながら御酌され、話そうとしている時に同じ席に座る軍人の青年が静止する。
「大丈夫さ、ちゃんは色んなところでペラペラ話す子じゃないから。ね?」
「うん、だから早く早く教えて」
「たくっ……ぁ、ありがとうございます」
密着されヘラヘラと嬉しそうにする金髪男の横で呆れた様子を青年は見せる。
空になったグラスにすかさず隣に腰掛けていた。
彼はお酒に強いようで既に空になった酒瓶が彼の前に3本置かれていた。
「しょうがないなぁ……実は襲われてるのは俺達みたいな軍服を着てる人ばっかりなんだ」
「じゃあ、ルドルフ君、危ないんじゃない? こんなに遅くまで居て大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。俺、鍛えてっから。そんなヤツ俺がこうガシッととっ捕まえてやるさ!」
「すごい、カッコいい!」
ルドルフと呼ばれた金髪男はグッ、とガッツポーズを見せて筋肉アピールを始める。
マリアはそれに嬉しそうに手を合わせると黄色い悲鳴を上げる。
美しい女性に褒められて上機嫌となる中で、別のところでも悲鳴が上がった。
「や、止めてって言ってんでしょ!」
「んだよ。いーじゃねぇか先っちょだけだからよ」
「そうそう、ちょっと摘むだけだって」
「良いわけないでしょ。それにあんた、酒に何を入れたんだい?」
「大丈夫だって」
「そうそう、ちょっと味変するだけだよ」
無精ひげを生やした男2人が店の嬢へ詰め寄っていく。
2人共相当酔っ払っているようで、顔が真っ赤に染まっていた。
「アイツら! ヴィヴィアンちゃんを困らせやがって!」
「止めとけ、ルドルフ」
「止めんな、ライナー!」
「アイツら、ブルーノさんとこの部下だ」
「え……マジ?」
ブルーノ、それはこの国を警備する兵士達の将である。
現在、国王の居ない城を守るルーロイ大臣に仕えており、自分達に同意する仲間たちに国庫のお金を振る舞うなどして労っている。
逆に彼へ反抗の目を向ける者たちは彼の言によって軍を追われるものも居た。
軍を追われる。それはこの国の王への裏切り行為に他ならない。
ゆえに青年たちは迷惑客の彼らを止める事を躊躇う。
「だ、だがよぅ……」
「大丈夫だよ。ルドルフ君、心配しないで」
「でも、マーニャちゃん……」
心配そうにヴィヴィアンと呼ばれた女性を眺めるルドルフ。
そんな彼に優しそうに微笑み『大丈夫』と落ち着くように促しつつ、吹き抜けになった2階からまさに飛び降りようとしている黒服の女性を指差した。
「お客様……楽しみたいお気持ちは分かりますが、少々ハメを外しかと」
「あぁ?」
黒服のスーツ姿にサングラスの茶髪の女性がヴィヴィアンと男達の間に入るように立ち塞がる。
夢想乙女の館は女の園。
従業員として働いている者たちは全て女性で構成されている。
そんな女性達の中には当然彼女らを守る屈強な者もいる。
彼女らは『ガード』と呼ばれ、黒服を身に着け、盾を模したバッジを胸に付けておりこういった問題事や荒事、力仕事を主に請け負っていた。
因みに嬢として指名されることもあり、人気もそれなりである。
茶髪の彼女『アイラ』は鍛えられた肉体が服の上からでも分かり、大柄ゆえの威圧感があった。
普通の人であれば抵抗しようとも思わないだろうが、酔っ払っていた男達は自分の欲望を果たせない苛立ちを抑えることが出来なかった。
「んだよテメェ……フザケやがって」
「オニーサン、俺達別に変なことなんてしないよ。ヴィヴィアンちゃんとお酒を楽しみたいだけなの」
「…………そうですか」
黒服は部屋の一角に設けられているカウンター席に立つ女性へ合図する。
コクリ、とバーテンダーの女性は空のグラスを手に取り、投げると黒服はそれを器用にキャッチする。
そして酒瓶。
テーブルに置かれた、大量の氷の中で冷やされているそれを手に取ると、軽くかき回すように動かしてからトプトプッと空のグラスに慣れた手付きで注いでいく。
「では、お二人でこちらをお楽しみ下さい」
「そ、それは……」
たじろいで、一歩下がる男。
その目線は酒の注がれたグラスに向けられており、明らかな忌避が見て取れた。
「お、俺達少し飲み過ぎたかもしれないです」
「そ、そうだね。ちょっと夜風に当たってくるよ」
「そうですか……では、御退館はあちらからどうぞ」
黒服はそう言うとグラスをテーブルに置こうとする。
その隙を男達は狙う。
「クソが!」
腐っても軍人。
腰の拳銃を素早く引き抜き、驚くような速さで黒服へ狙いを付ける。
だが、黒服 達の動きはそれよりも早かった。
「どうかなさいましたか?」
「ヒッ?」
グッと男達の背に押し付けられる硬いモノ。
拳銃を握っていた男の身体は硬直し、もう一人の男は突然姿を現した彼女に驚いて動きを止める。
アイラと比べると細く、小柄であるが、異様な威圧感がある女性であった。
「あの、その……お勘定を」
「あら、大丈夫ですわ。貴方方が注文したのは飲み放題の酒だけですもの」
「あの……じゃあ俺達、その……帰ります」
「そうですか……そちらの方は?」
「あ、はい。帰ります……」
「ふふ、じゃあご案内致しますわ」
硬いモノ──ボールペンを彼女は男達に気付かれないように懐へしまうと彼らを先導して店の出口まで見送った。
「またの来館お待ちしておりますね……全く困った人達ですね」
逃げるように去っていく男達へ手を振りながらその背中が人混みで見えなくなるのを待ってから小さくため息をついて、店の中へと戻った。
「災難でしたわね。ヴィヴィちゃん」
「いえ……アイラさんが助けてくれたから」
「お騒がせしました。僭越ながら、皆様にあちらのマスター『ジェシカ』から、オススメのカクテルを一杯、皆様のテーブルへお運び致します。もし、よろしければカウンター席にて素晴らしいシェイカーパフォーマンスをお楽しみ下さいませ!」
一息ついて落ち着いた様子のヴィヴィアン。
手を振りながら入口から近付いて戻って来た団子頭の『ロキシィ』から慰めの貰い、ホッと息をつく。
そんなやり取りの横で通路に出たアイラは大きな声で、大きな動作で、手を胸元に回しながらお客さん達へサービスの提供を説明する。
手を振るい、向けられたカウンター席が淡くライトアップされ、ペコリとお辞儀をするとカウンター下からドンッと大量の氷が詰まったボウルと酒瓶を手に取る。
そして並べられたシェイカーを手に取るとまるでサーカスのジャグリングのようにそれらは宙に舞い始めた。
「おぉ……!」
カウンターに寄った客である男達から歓声が上がる。
しかしその目線は大きく上下する胸元に注がれていた。
「なんとも無いか?」
「えぇ、アイラさん。助かりました」
こちらへの注目がなくなったらしいことを知り、アイラは大丈夫そうだと視線を離すと、残っている酒やら摘みやらをテーブル下に隠されているように置かれたトレーを引き出し、手際よく乗せていく。
そして男達が注文した酒瓶は先程注いだ2杯分以外は波々と残っていることに大きくため息を付いた。
「勿体無い……」
ここは夢想乙女の館。いわゆる高級店である。
となればこうして振る舞っているお酒もそれなりの値段がするものばかりである。
そして提供するお酒は基本的に未開封の新品。だからこうして残ったものは後で持ち帰っても問題ないのだが……良くわからない物が入ったお酒など飲もうとも思わない。
当然破棄することになる。
「ところでこれ、何を入れられたんだ?」
アイラはヴィヴィアンに尋ねる。
だが、彼女も突然入れだした事に驚いたせいで良く覚えていないようであった。
細長い、注射器のようなものを使っていたらしいのだが……。
「睡眠薬?」
と、疑問を口にするとロキシィは否定する。
「だってアレから丸見えだもの」
と、天井を指差す。
そう。借りに睡眠薬であったとして、眠ってしまった嬢にイタズラなど許されない。
各テーブル席は天井にある隠しカメラによって監視されているため、もし異変などがあればすぐに『ガード』であるアイラ達に連絡が入るようになっている。
その時間は、迅速を心掛けている。
「皆さん! 避けて!」
突然、カウンターから叫び声が上がる。
ガシャッン!
と、直後にアイラが手にしていたトレーが、飛んできていた何かによってひっくり返ってしまう。
見れば、お客様の一人がボトルを片手にジェシカからお叱りを受けていた。
恐らく酒に酔った勢いでシェイカーパフォーマンスをやってみたくなったのだろう。
結果は見事な暴投であったが……何も割れなかったのがせめてもの救いか。
グラスを拾いながらフロアの掃除も考えていると、ふとジッと立ちっぱなしのロキシィに違和感を覚えた。
「ん? どうした?」
「あ……いや……」
どうやらロキシィはお酒を浴びてしまったらしい。
といっても殆どは床に落ちて、それほど濡れてはいないのだが……顔面に浴びてしまっているようであった。
彼女はトロンと目を潤わせ、ポゥッと頰を上気させていた。
呼吸が荒く乱れ、そして崩れるように座り込んだ。
「ロキシィさん!?」
ヴィヴィアンは慌てて彼女へ駆け寄り、酷く滲んだ汗を拭おうとハンカチで頰へ触れた瞬間、艶っぽい声を出して彼女はそれを跳ね除けるようにして後ろへ倒れた。
慌てるヴィヴィアン。
アイラもその様子を不審に思い、グラスに少し残っていたお酒を仰ぐようにして嗅ぐとその独特な甘い香りに眉間へシワを寄せた。
「アルラウネの雫か……」
「──え!?」
その名前に、ヴィヴィアンも驚きの声を漏らす。
それは、この国では一般的に使用が禁止されている薬の名前であった。




