188『赤く、狂い、裂く』
(恥ずかしかったとはいえ、言い過ぎちゃったかなぁ?)
アデルは浴室でシャワーを頭から浴びながら目の前に映る自分自身と目を合わせる。
ニーちゃんはどうして一緒に入ろうなんて言ったんだろう?
背中を流す……。
よく分かんないけどニーちゃんは裸を見られて恥ずかしくは無いんだろうか?
いや、そもそも一緒に入るってのがよく分かんないな。
本当の……お兄ちゃんだってそんな事したことないのに……。
こんな狭い場所にどうやったら二人も入れるんだ?
……もしかしてニーちゃんの知ってる風呂ってのはもっと広いところなのかな?
だとしたら見てみたいな。
あぁそうだ。聞いてみよう。
お風呂とか料理とか……あの白いのの他にももっといっぱい美味しい料理があるんだろうなぁ……。
そうだ! ニーちゃんの事も、ちょっと詳しく話そう。うん、そうしよう。
まずはちゃんとした顔で……。
小さな、割れた鏡に映る自分の笑顔。
それを見て少し戸惑いつつもアデルはさっきの事も謝らなければならないと内心で何度も頷き、シャワーの蛇口を捻って再び鏡の自分を見つめ直す。
「んー……にー……むー……」
頬をつねったり、押さえたり、笑顔を作って見るが、なにかが違う。
確かに笑ってはいるが、どこか無理してるようにも見える。
こんな顔じゃあまた、心配されてしまう。
「さっきはこう……」
「……ス。マピュス!!」
「――!?」
そう思い、頑張って笑おうと頬を引っ張ったところで聞こえてくる叫び声。
アデルはその声に驚きつつも急いでハンドタオルを腰に巻きながらリビングの方へ向かった。
「ニーちゃん! どうしたんだ?!」
「マピュスが」
「――!?」
隣の部屋に明かりが点いていることに気づき、アデルは長いタオルを腰巻きのように巻いてマピュスの元へ駆け寄る。
「マピュス……?」
「オニー……ちゃん?」
横になっている彼女は彼女を見守る二人の方へゆっくりと手を伸ばす。
しかしその手は全くの明後日の方向へと伸びており、大きく震えていた。
「マピュス……こっちだよ」
耐えかねたアデルは腕を出して彼女の手を力強く掴む。
「あ、ごめんなさい。目を開けてるはずなんだけど……閉じちゃっているの? 良くわかんない……真っ暗で何も見えないの」
まさか……頭部の衝撃のせいで。
防人は喉元から出かけていた言葉を呑み込んで二人の様子を静かに眺める。
「きっと疲れてるんだよ。よく寝て明日、目を覚ませばきっと見えてるよ」
「そう、なの? じゃあ足が動かないのもそのせいなの?」
「うん、きっとそうだよ。ほら、マピュスお前の大好きなティーだ」
「ありがとう」
そういってアデルは彼女に『ティー』という名のウサギのぬいぐるみを手渡す。
「あっ」
しかし、彼女はそのぬいぐるみを掴めずに地面へと落としてしまう。
どうやら手にもまともに力が入らないようだ。
「お兄ちゃん。ごめん」
「……いいんだよ」
アデルは頬笑みかけながらぬいぐるみをマピュスの胸の上に置いてから再び両手で彼女の手を強く握る。
「お兄ちゃん痛い……」
「あぁ、ごめん……」
「……? お兄ちゃん? 何? 何か言ったの? 声が小さくて聞こえないよ」
その言葉に揺らぐ瞳、目には涙が溜まり、小さくしゃくり声が漏れ始める。
「ごめん。ごめんよ……」
「お兄ちゃん? 泣いてるの?」
「いや、っなんでもっないよ。……さぁ、マピュス。もう、遅いからティーと一緒に早く寝ような!」
「うん、分かった。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
リビングに戻り、アデル達は椅子に向かい合って座る。
「ねぇ、マピュスが目が見えないのって」
「うん、多分だけどあの男に蹴られた影響……なんだろうね」
「やっぱり……いや、それでマピュスの具合は治るのか?」
「それは……」
防人は口を開き、口ごもる。
こんな時になんて言えばいいのだろう?
あたりまえ? 治るに決まってる? それを言えるだけの根拠はどこにある?
いけない、早く何か言わないと何か何か……クソッ! 思い付かない。
「……わからない」
正直に言うことしか出来なかった。
分かるわけがない。医者じゃないんだから。
そりゃネットが発達した現代なら症状を調べることが出来るから……でもそれが本当に正しいことなのかは分からない。
まぁ携帯がないんじゃネットも何もないが。
何も出来ないってのは悔しいな。
「そうなんだ。やっぱり」
その答えは分かり切っていたかのようにアデルは拳を固く結びながら頷いた。
「で、でもまだわからないよ。傷は言うほど深くなかったし。だからしばらくすればきっといや、絶対に治るよ。治るに決まってるよ。あんなにまだ小さいんだ。これからまだまだやりたいことだってたくさんあるはずだよ。だからえっと……」
「ありがとう……会ったばかりなのに優しくしてくれて本当にありがとうね。俺はマピュスが心配だからしばらく一緒にいるよ」
「そう、分かった。もしも何かあったらすぐに呼んでね」
「分かった」
◇
「…………。」
アデルは寝室へと向かい扉の引き出しを開けると奥の隠し扉を外す。
すると傷がつかないようにスポンジで固定された1丁の回転式拳銃が現れる。
黒いリボルバー、シングル・アクション・アーミー。
アデルの父と兄が国に呼ばれた時に残していったもの。
大切な……形見。
「お兄ちゃん……パパ……」
母親は既に亡くなっている。
父親も戦闘中に仲間を逃がそうとして死んでしまったという。
兄も話は聞かないけれど、絶対に帰ってこない。それは分かっている。
私にはもう妹しかいない。
でもニーちゃんのあの顔……多分マピュスはかなり酷いんだろうな。
「どうせ助からないなら……いっそのこと二人で……」
恐怖に震える手。
目に浮かぶ涙に歪む視界。
アデルはそう呟いて拳銃を手に取ると一緒に入れてあった箱に入っている銃の弾を弾倉に込めていく。
使い方は兄から聞いたことがあるのでよく分かっている。
どうすればこれが使えるのか、これを使ったら、人に当てたりしたらどうなってしまうのかそれもよく聞かされている。
マピュスへそれを向けると引き金に指をかける。
「――!?」
「バカな真似は止めろ!」
後ろから伸びてきた手がリボルバーのマガジンを力強く掴み、アデルはそれが防人の手であることを確認する。
「アデル、何をしてるんだ!」
「や、離して」
防人は二人の間に回り込みながら銃を上へと持ち上げて彼女の手から取り上げる。
「SAA、何でこんなものが――いや、それよりアデル。お前は今、何をしようとしてるのか分かっているのか?」
「…………。」
強い口調の防人に下を向き、俯くアデル。
何をしようとしていたのかは分かっている。
だが、なぜこんなことをしようとしたのかが、防人には理解できなかった。
「……とにかくマピュスを起こしたらいけないから隣の部屋に行こうか」
「……うん」
長い沈黙。重い空気。
しかし聞かなくてはならない。
防人は覚悟を決め、その重い口を開いた。
「どうして、あんなことをしようと思った? これはどこから持ってきたんだ?」
これまでにいくらかの質問を投げ掛けるも答えてくれはしない。
「なぁ頼むよ。僕はお前達を心配して――」
「心配?」
質問の末、唯一の反応。
ここはしっかりとこちらの思っていることを伝えなくては。
「そうだよ。確かに短い付き合いとはいえ少しは言葉を交わしたし、ご飯だって作って食べた。僕らはもう何にも知らない赤の他人って訳じゃないんだ。心配ぐらいするさ」
「ニーちゃん……」
「ん?」
「ニーちゃんには、……ニーちゃんには分かんないよ! 私たちがどれだけ苦労してたなんて!」
「ア、アデル?」
アデルは突然力強く机を叩くと椅子を倒しながら立ち上がり、身を乗り出す。
「絶対に! 絶対に分かんないよ! 私が、私たちが一体どれだけ苦労してたなんてさ! 会ったばかりのニーちゃんには分かんないよ!!
殴られても蹴られても踏まれても痛いのに悲しいのに泣いたら蹴られるから泣くわけにはいかなくて怒られないように笑うしかなくて、全然そんな事ないのに本当は嫌で嫌で仕方ないのに蹴られることに殴られることに『ありがとうございます』って言わなきゃいけなくてご飯も少ししか配ってくれないのに軍人の人が来てたべられちゃうからご飯を森とか海とかから木の実とか魚とかを集めないとダメだし仮にいっぱい集めてもそれを軍人の人は食べていくし、ねぇどうしてなの?
ママも私たちが小さいときに死んじゃった。
パパもお兄ちゃんも軍人の人が来て連れていっちゃった。戦争で死んじゃった。
ねぇどうして? どうしてなの??
どうして私たちは生きてるの?
どうして私たちはこんなに苦しいの?
どうしてみんなは私を置いていくの?
もう私に残っているのは妹だけなのパパもママもお兄ちゃんも隣の優しかったおばさんもみんなみんないなくなっちゃったの二人だけになっちゃったの。
だから私にはもう妹だけマピュスだけが大事なんだよ。
別に家は燃えたって構わない。
でも家が燃えたらマピュスは、私たちは生きていけない。
マピュスだけが私のに残ってる大事なものなのだから我慢できたのどんなに殴られても蹴られても踏まれても痛いのは苦しいのは我慢できたの。
ねぇ一人にしないでよマピュス……」
大粒の涙を流しながらその場に座りをこんで顔を押さえて泣いていた。叫んでいた。
そこには爆発した感情をぶちまけたアデルの姿があった。
涙を流しながら「行かないで、一人にしないで」と何度も何度も呟いていた。
「……うっぐあぁ……」
「――!?」
せめて頭を撫でてあげようと防人はアデルの方へと近づき、てを伸ばしたところで隣の部屋から呻き声が聞こえてくる。
「マピュス?」
その声からとても苦しそうな様子が伝わってくる。
防人は撫でようとした手を反射的にピタリと止め、立ち上がると机の上のメディカルセットを引ったくるように掴みながら隣の部屋に走っていた
「あぁ……クソッ!」
最悪だ。最悪の事態だ。
防人は部屋の明かりを灯しながら、マピュスの方へと視線を向ける。
「あぁっぐっあぁっ!」
さっきよりもハッキリと聞こえてくる苦しそうな声。
マピュスは痙攣を起こし、呻き、口から泡を吹いていた。
「マピュス?」
「入るな!」
「ニーちゃん? マピュスは? マピュスはどうしてるの?」
「大丈夫だ大丈夫だから……今は今だけは隣の部屋で待っていてくれ。後で呼ぶから」
「……うん。分かったよ」
どうすればいい?
こんなときはどうすればいい?
泡……つまりは息をしてるってことなのか?
溜まった唾が泡になっている……のかな?
なら詰まらないように横にして……次は次はなんだ?
こんな、こんなにも痙攣して頭を打ったら――あぁそうだ。
頭だ。頭を打たないように守って……。
「マピュス? マピュス聞こえるか? 僕だ防人だよ? ねぇ聞こえてる? 聞こえてたら手をつかんで欲しい」
そう防人はマピュスの耳元で言いながら彼女の手の上に自分の手を添える。
先程、聞こえてきた声に縋りたくとも、その方法がわからない。
まるで無駄だと言わんばかりにあんなにもハッキリと聞こえていたはずの声がピッタリと止んでしまっていた。
「マピュス? 答えてくれ手をつかんで……さぁ……軽くでもいいから」
「うぐっあぁっうぅ……」
……駄目か。
とにかく様子を見るしかない。
峠さえ越えられれば後は良くなるはずだ。
絶対に絶対に良くなるはずだ。絶対に――
――ズダァン!!
と、鳴り響く銃声とともに眼の前で上がる血飛沫。
「…………は?」
最初、防人には何が起きたのか分からなかった。
急に目の前の彼女が、マピュスの眠るベッドが赤く染まっていき、彼女の手足の痙攣が止むのを大きく見開いた両目で確認する。
そして防人はゆっくりと音の方へ顔を向ける。
「あ、でる…………」
案の定そこには両手で銃を構えるアデルの姿があった。
両の目から大量の涙を流しながらしゃくりあげながら、クシャクシャになりながらアデルはそこに立っていた。
「おま、お前……マピュスを撃ったのか?」
「そうだよ。だってあんなに苦しそうにしてならいっそのこと死んだ方が」
「バカ野郎! まだどうなるか分かんないだろうが! もしかしたら助かったかもしれねぇのに」
「もしかしたら? じゃあ助からない方が大きいんだね」
「そんなことあるもんか落ち着いてから医者に見せれば」
「医者なんかこんなところにいない!」
「なら呼べば――」
「呼んだって来るもんか!」
「アデル?」
「ごめん。ニーちゃん」
「何を謝って――」
「マピュス安心しな。すぐにネーちゃんが会いに行くからな」
「あ! 待て!! 止め──」
――ズダァン!!
そう言ってアデルは自分の頭に銃口を当てて引き金を引いた。
間に合わなかった。
そう思うと同時に全身を襲う絶望感。
防人は音を立てながら倒れたアデルの元へとゆっくりと近づいていく。
アデルの頭から、マピュスの胸から溢れ、滴る血がカーペットに付いていたシミを大きく広げていった。
「なんで? どうして?……こんな、こんな早まった真似をしたんだ!! バカ、バカ野郎!! バカ野郎!!」
アデルに絶対に聞こえるほどの大声をどんなに叫ぼうと彼……いや、彼女は答えてはくれなかった。
「女の子ならなんで言わなかったんだよ。全く……バカ野郎が!」
防人はアデルが倒れる際に開けたタオルを彼女に被せてやりながら涙を流す。
「ご飯をもっと作ってやるって魚をいっぱい取ってくるって言っていたじゃないかよ……バカ……本当にバカ…………ごめん……ごめんよぉ……」
防人はアデルを抱き上げて何度も何度も二人に謝り続けた。




