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187『国の裏側、その一欠片』

「――!?」

「ん? 誰か来たのか?」

「ニーちゃんダメ。出ないで!」



 玄関へと向かおうとした防人の進路をアデルは慌てて遮る。



「あ、あぁ……でも誰なんだ?」

「今はいいから……屋根裏に隠れて」

「あ、うん」



 防人は言われるままに寝室から屋根裏へと身を潜める。



「おい! いつまで待たせるつもりだ!? 早くしやがれ!!」

「すみません! 今開けます」



 扉の開く音が聞こえ、一人の男が入ってくるのが分かる。

 作業着のような、軍服のようなヨレヨレの服を着た中年の男。

 ボサボサの髪に無精ヒゲ。あまり素行が良いとはお世辞にも言えそうはなく、お酒で酔っ払っているのか、顔が真っ赤に染まっていた。



──おい、あれ。



 光の射す隙間を見つけ、防人はそこから下の様子を覗く。

 どうやらちょうど、リビングのようだ。



「おい、茶ぁぐらい出さねぇか!」



 男は土足のまま椅子に腰かけて机の上に足をのせる。



「すみませんただいま」

「おせーんだよ!」



 ガタンと蹴飛ばされ位置の大きくずれる机をみてアデルはビクンと身を震わせると深々と頭を下げる。



「すみません」

「ふんっ、こちとらこんな辺鄙なとこまで運ぶもん運んできてやってんだからそれなりの礼っもんがあんだろ?」


「はい、いつもいつもありがとうございます。これ、お茶です」

「おう……ん、いい匂いがしてんじゃねぇか、そいつも持ってこいよ」


「すみません。それはもう食べてしまって」

「あぁ!?」



 男は大声を張り上げ、さっきまで座っていた椅子を、机を蹴り倒す。

 ……なるほどあれのせいで部屋が傷だらけになってるのか。



「ふぇっうぁあっ……」



 マピュスはその音に怯え、泣き始める。

 口を押さえ、泣かないようにと必死に堪えているけれど、マピュスの口と手の隙間から声が漏れてしまう。



「……チッうっせぇぞガキ!」

「ぁっ!」



 防人の口から思わず声が漏れる。

 男は大声でマピュスに叫びながら、蹴りを入れた。

 小柄なマピュスは宙へ浮き、壁まで飛んでいき激突、その場に倒れて動かなくなってしまった。



「マピュス! てめっ」

「あぁ? 良いのか? 別に俺は構わねぇんだぜ。こんな辺鄙なとこの家が何軒燃えようがな……不審火ってのはいつ起きてもおかしくねぇんだ」


「くっ…………すみませんでした」

「そうだよなぁ!」

「グッ!」



 男は深々と頭を下げるアデルの顔面に蹴りをいれ、アデルはその場に倒れる。



「へっへへへ……」

「うっ……くっ」


「おら、いつものはどうしたよ!」

「うっぐっありがとう……ございます」



 無防備なアデルに何度も蹴りを入れて僕はもう限界だった。

 反射的に立ち上がろうとした防人は頭を天井に思いっきりぶつける。



「ん、なんだ? 今の音は二階に……いやここは一階建てのはずだよな?」

「ね、ネズミだと思います」

「んだとぉ?」



 男は再び力強く蹴りを入れる。

 男は暴力を振るえる理由さえあれば、それがこじつけであろうが何でも良かった。



「あ、安心してください絶対に降りてきませんから」



 絶対に……と強調するようにアデルは言う。

 頭を押さえてうずくまる防人は涙目で隙間を覗く。

 向こうからは見えてないはずだが、天井を見上げるアデルは「降りてくるな」という強い目でこちらを見ているようだった。



「次来るときゃあしっかりと駆除しとけや。俺ぁそろそろ行くからな!」

「は、はい。お仕事頑張って下さい。いつもいつもありがとうございます……」



 土下座をするアデルを当たり前のように、男はがに股で歩きで外へと出ていくと、玄関の扉を蹴り開けて出ていった。

 どうして、何もしないんだ?

 あ、いや……さっき言ってたな、家が焼けてもいいとかなんとか。つまりは脅されてるってことか……。



「……ん、マピュス? マピュス!?」

「――!?」



 アデルの叫び声を聞いて、防人は急いで屋根裏から這って出てくる。



「どうした?」



 天井から静かに着地をし、防人はアデルに声をかける。



「マピュスが動かないんだ」

「なんだって!?」

「マピュス! マピュス!!」



 アデルは涙を流しながら彼女を揺する。



「下手に動かすな。そうだ救急車を」

「そんなのいるわけないだろ!」


「それもそうか……ならちょっと見せてくれ」

「う、うん」



 傷はそれほど開いてはないけど出血が酷い。

 どうにかして止血しないと……あぁこの程度の傷は黒男(BJ)先生ならちょちょいのちょいなんだろうけど素人に出来るのは止血をしてやることくらいしか……。



《推奨:カード型Q.C.Cの利用》

(カード? コレのこと?)

《肯定、使用には……》



 不意に聞こえてきた声。

 気にはなるが、今はそれどころではない。

 早くこの子を助けなくては!



「ねぇ、分かるの?」

「正直自信はない……でも、やるしかないよ。アデル、出来るだけ綺麗なハンカチを湿らせて持ってきて?」

「う、うん、わかった!」



 アデルが隣の部屋へ駆け出して行く音を聞きつつ、防人はポケットから1枚のカード型デバイスを取り出す。

 聞こえてくる指示に従ってカードに掘られている装飾の一部をスライドさせると、パズルのように動き、小さなボタンが突出してくる。

 そしてそのボタンを押しつつ、ゆっくりと装飾の溝に沿うようにカードの下の方へと動かすと少し離れたところへそれを放り投げた。


 カードが駆動、光の粒子が隙間から抜けるようにして光を放ち始める。

 そして、現れたのはメディカルボックスが一つ。

 真っ白な鉄箱に赤の十字架が描かれた一見、何処にでもある普通の救急箱である。

 ただ違うのは先程の取り出し方からもわかるようにびっくり収納術があること。


 Q.C.C:量子変換式小型保管庫クアンタムコンバージョンカプセル

 それがこの機能の名前である。

 なんでこんなものを持っているのかまでは思い出せないけど、とにかく有難い。


 防人はパチンと金具固定の簡易なロックを外し、その中に入っている止血剤入りの注射器を取り出すと先に小袋から出したアルコール綿で消毒。

 訓練通り、マピュスの二の腕に垂直に立てて大きくて赤いボタンを押す。


 プシューッと。

 空気の抜けるような音ともにピストン内の薬剤がしっかりと注入されていく事を確認、残った薬液が滲んでいる箇所に小さな絆創膏を貼る。

 あくまでも応急処置であり上手くいく保証はないが……他に出来ることは無い。



「持ってきたよ」



 処置が終わるころにアデルが奥の部屋から帰ってくる。



「ありがとう。あ、悪いけど湿らせて来てもらえるかな」

「あ、ごめん今濡らしてくる――はい」

「ありがとう」



 湿らせたハンカチ。

 早速それで傷口に触れないよう気を付けながら少し乾いてきている流れ出た血液を拭き取り始める。



「……どうやら血は止まってるみたいだね。それに思ったより傷も浅いようで良かった」



 後ろで立ってこちらを見つめているアデルの心配そうな表情に気づいた防人はわかりやすく聞こえるようにそんなことを言った。

 そう、良かった。とアデルはそれを聞いてとても安心した表情に変わる。



「……これでよし、息もちゃんとしてるみたいだしベッドに寝かしてあげようか?」

「うん、ありがとうニーちゃん」

「気にするな。こっちだって看病してもらったんだこのくらいどうってことはないよ」



 防人はマピュスをゆっくりと抱き上げて隣の部屋に運び、ベッドへ寝かしてやると静かに毛布をかける。



「さて、これでひとまずは様子見だな」

「これで、大丈夫なんだよね?」



 弱々しい声に若干の上目使いで防人を見つめるアデルの目尻には涙が貯まって揺らいでいる。

 頬に付いている涙の跡や赤くなっている目。

 よほど心配していたのだろうということが見てとれる。



「うん、大丈夫だよ。怪我の処置はちゃんとしたから後は無事に目を覚ましてくれるのを待つだけだ」

「そう、良かった……」



 防人が優しく頭を撫でてやりながらそう言うとアデルは安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。

 心の底から安心したような顔を見て防人も笑みを浮かべる。



「それじゃあ、俺、風呂でも――」

「何言ってるんだ? 次はアデルの番だよ」


「え?」

「ほら、ボーッとしてないで、早く服を脱いで」


「へ? いや、なんで?」

「だってお前も充分と暴力を振るわれただろ? 念のために診ておかないと」

「いや、いいよいいよ。もう全然痛くないし」



 アデルは後ずさり、両手を振って首も振る。

 さっきより顔が赤いのは気のせいか?



「まぁ確かに出会ったばかりの奴に何て言うかあわれ――いやあられ……お菓子?」

「ニーちゃん?」


「と、とにかくだ。裸を見せるのが恥ずかしいのは分かる。……けど別に下着まで脱いで素っ裸になれって言ってるわけではないんだし、それに骨とか折れてたりしてたらマズイからさ」

「ん……うん、わかったよ。ニーちゃんに従うよ」



 アデルは着ている服を脱ぎ、防人の目の前に立つ。

 わかった。と言ったが、やっぱり恥ずかしいのか顔を赤らめている。

 シャツを脱いで大きめのブリーフ一枚。

 胸元を片手で隠してなぜだか内股…………男の子なんだからもうちょい堂々としてほしい……なんかこっちも恥ずかしくなってくる。



「ニーちゃん?」

「あ? あぁ……えぇーっと、じゃあ触るぞ?」

「う、うん……」



 あぁ何これ急に恥ずかしい。

 というか気まずいというかあぁ何て言うんだこれ、なんだこの空気。

 すんごいなんかこそばゆい。



「ひゃっ!」

「おぉっ! ごめん、痛かったか?」


「ううん大丈夫……ちょっと手が冷たくてびっくりしただけだから」

「そうかそれは悪かった」



 防人は少しでも手が温かくなるように軽く擦ってから再び手を伸ばす。



「どうだ?」

「ん、大丈夫……」

「そっかじゃあ痛かったら言ってくれよ」



 えぇっとまずは……体の状態を見るべきだよな?

 青タンになってるくらいにひどく腫れてるのは背中と腕辺り。

 治りかけているのもあるし、こういう目に普段から遭っているってことなんだよな。



「次は腕を動かすぞ?」

「うん」



 防人はアデルの腕を掴み、ゆっくりと動かす。



「……なぁ、聞いていい? なんで、あんなに好き放題させてるんだ? お前の妹があんなになるまでもさ……」

「えっと……」

「あぁ、言いたくないようなことは分かってるでも出来るなら話してくれないか?」


「少し前まではこんなことはなかったんだ。でも国の偉い人が変わってからはここら辺の大人の人たちを連れていって働かしてる」

「…………」


「少し前に父さんや母さんたちに会いたいって言う子がいたんだけど国に逆らうなって殴られたんだ。

 それに怒ったまわりのニーちゃんネーちゃんたちが木の棒とかのこぎりとかを持って父さんたちを返せって言うために行ったんだけど……みんな殺されちゃったって。

 それから……かな?

 さっきみたいに怖い人たちがたまに来るようになったんだ」

「そうなんだ。そんなことが……」



 次にアデルを椅子に座らせ、脚に触れるとゆっくりと動かし始める。

 


「ここにいる人たちの生活は大変なんだ。だから問題は起こさないで……もし、些細なことでもそんなことをしたら誰だろうと投獄されて働かされるか家が燃えるから」

「そんなことまであったのか?」


「燃やすのは分からないけど……隣の村の人はそう言ってた」

「…………そっか」


「だから……わたしはニーちゃんにはそうなって欲しくない」

「あぁ……わかった。肝に命じておくよ」



 力による圧政ってやつか……ゾッとしないな。



「よし、骨は問題なさそうだな。それじゃあ薬を塗るから待っててくれ」

「うん、あ、でもその薬の箱はどうしたの?」

「え? ……あぁ、えぇっとなんて言ったらいいのかな? …………まぁ見せた方が早いかな」



 防人は救急箱の蓋を閉じて金具で開かないように固定する。

 それから持ち手のボタンを押しながら、スライド。


 カチッと。

 スイッチの入ったような小さな音が鳴ったのをしっかりと聞いてボタンから指を離してもう一度元の位置にボタンを戻す。

 その瞬間にメディカルセットが光を放ち、細かな光粒子に拡散。

 手元に残った米粒ほどのボタンを指で摘まむと拡散した光が長方形型に集まり、元のカードの形に戻る。



「とまあこんな感じで……ん、どうした?」



 カードを手にアデルの方へと向き直るとアデルは動揺の表情を見せていた。

 目を見開き、口元や手が小刻みに震えている。

 明らかに様子が変だ。

 一体なんだっていうんだ?



「ニーちゃんそれ、光の力……だよな?」

「ん、光の力? 」

「そうだよ。さっきみたいに光の粉にして消したり出したりする力だよ」


「これが? そんなにすごいことなのか?」

「わたしも聞いた話だからよくは分からないけど、けっこー前にその力を使う白い……ロボットが国をいっぱい焼いたらしいんだ。その力はすんごく強くて何にも出来なかったらしいよ」


「成る程ね。それは恐い話だ……えっと、一応勘違いされると困るから言っておくけど、僕はそんなやつは知らないし、僕自身というわけでもないからね?」

「うん、それは分かってるよ。ニーちゃんは優しいもん」


「ありがとう。さて、骨とかは大丈夫みたいだし、まずはお風呂入ろっか」

「えっ薬とか塗らねーのか?」


「いや、だって薬塗った跡にシャワーとか浴びたら流れちゃって意味ないって思ったからさ」

「そっか……じゃあ俺、風呂入るから」


「よし、んじゃ入るか」

「えぇ!?」


「……え?」

「えぇっと……ニーちゃんも入るのか?」


「ん、ダメか? 出来れば背中流したりとかしてみたかったんだが」

「別にダメじゃ――いやいや、ダメだダメだ。やっぱダメ、いや本当にダメ。ダメったらダメ!!」


「そ、そんな強く否定しなくても……まぁダメならその……行ってらっしゃい」

「うん……ごめん」


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