186『ささやかな御礼』
――僕はどうしてここに来ることになったんだろう?
防人は日が傾き、暗くなっていく外の様子を眺めながらジッと考える。
どうしてこんなところにいるのか、なぜ海岸で倒れていたのか。
どうにも思い出そうとすると靄がかかったように思考が上手く働かない。
(……遭難、ぐらいしか思い付かない……それから海で遭難といえば船が難破したぐらいしか思い付かないが……海……船……それなら僕は一体……?
アデルが、僕が着ていたっていう服は海に潜ったりするのに使われていそうだけど……じゃあ僕はダイバー? 海に潜ったりした事は……あるような、無いような……う〜ん。分からないな)
ベッドに腰掛けながら考え事をしているとアデルの妹が俯いていた防人の顔を覗きこんだ。
「うわぁっ!」
「ひぃっ!」
目の前に急に現れた女の子の顔に驚き、少々上擦った声が漏れてしまう。
そしてその声に驚いた女の子は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「あーごめん……大丈夫?」
「…………。」
出来るだけ優しく声をかけるも女の子はウサギを抱き締めたまま、ぷるぷると震えている。
( 困ったな……こういうときに何かしら……こう、興味を引けるような……手品とか出来たりしたらいいんだけどな……)
防人が周囲を見渡し、まず目についたのは破れたマンガ雑誌。
……これでどうしろと?
次に自分の服……カーテンの向こうで早着替えって思ったがカーテン無いし、そもそもそんなこと出来ません。
「……ん?」
周囲を見渡して見つけたのは小さな机の上に置かれていた薄い箱に入った紙の束。
質はあまり良くなさそうで、大小様々な紙が入っており、クレヨンなども一緒に置かれているところからこの子がラクガキにでも使っているのだろう。
これを使って……気を引けたらいいんだけど。
(とにかく、一枚拝借させてもらいますね)
防人は椅子に腰かけると手にした一枚の紙を正方形になるように破り、十字に折り目を入れる。
「遊べるやつか……立体の奴にするか……」
防人は斜めにも折り目を付けるとその折り目と重なるように更に折っていく。
「何を……してるの?」
じっと作業をしている防人が気になったのか、女の子は目に涙を残したまま不思議そうな顔をしてこちらへと寄ってきていた。
「ん? まぁちょっとね……よしっ出来た」
防人は最後にペン立てのペンを使って目を書き入れて彼女の方を向き直ると立体に広げたそれを彼女に手渡す。
「それ、ウサギさん?」
「うん、そうだよ。あぁ後それから」
防人はもう片方の手に持っていた完成したウサギ折り紙の後ろを指で押して跳ねさせる。
「わっ跳んだ!」
「気に入ってくれて良かったよ」
「すごいねお兄さん。そう言うのいっぱい作れるの?」
「ん? 別にいっぱいってほどではないかな? でもまぁ色々と作れるよ」
「例えば? 例えばどんなのが作れるの??」
目をキラキラとさせて嬉しそうにしている。
……眩しい。
「ん~例えば鶴に犬猫……後は馬とかかな?」
「つる?」
「知らない? こういうの」
防人は折り鶴を作り、見せてあげる。
「つるって鳥?」
「そうだよ。だから」
手渡した折り鶴を返してもらい、手首を使ってその鶴を投げ飛ばす。
「すごーい。空飛んだ!」
宙を舞う折り鶴。
それは途中でカーブを描くとUターン、そのままフワリと地面へ落ちる。
「すごいね。さっき飛んだよ!」
「正直、そこまで気に入ってくれるとは……でも、良かった」
「ぁ、ねぇ。お兄ちゃん名前は何て言うの?」
「え、あぁ……防人だよ」
「じゃあ防お兄ちゃんだね」
「防お兄ちゃん……ね」
「うん! ふふっでもなんだか、お姉ちゃんみたい」
防……さき……。お兄ちゃん……。
何だろうこのモヤモヤした感じ。どこか惜しいというかなんというか。
「うわぁ!」
「え!? 何?」
扉の向こうから聞こえてくるアデルの叫び声。
防人は急いで立ち上がると扉のノブを下げて素早く押し開ける。
だが、開かない。
「なんだ!?」
「防お兄ちゃん、それ引っ張らないと開かないよ」
「……あぁそうなんだ。っとそれよりも」
扉を開けると廊下などはなく、先程よりは広い部屋が目の前に広がった。
リビングと一体型のキッチンではモクモクと白い煙が上がり、焦げ臭さが鼻をつく。
防人が心配そうに近づいていくとアデルはあたふたとフライパン片手に料理をしていた。
「どうした?」
「あ、ニーちゃん。何でもねぇよ」
「なんでもなくはないだろ? さっき悲鳴上げてたし。で、それ何?」
「いや、ほんと何でもないから、ほらもう少しで飯出来るからよ」
「良かったら手伝おうか?」
「いいよ悪いし、ほら、そこに座って待っててくれよ」
そう指差した机の上には手で千切っただけのような歪な形のレタスサラダが小皿に分けて並べられ、薄切りされた食パンが無地の袋に詰められて置かれている。
見たところ、バターとかジャムとかは塗られてはいない。サラダもゴマドレとかないようだ。
というかこれ、最早レタスがお皿に盛られてるだけだし……。
この辺ではこれが一般的なのか?
仮にそうだとして……外は暗かったし、多分夜だよね?
夜に食パンってのは、なんか違和感があるなぁ。
「ねぇねぇ防お兄ちゃん。さっきの続き、なんか折ってよ」
「え? あぁうん……」
取りあえず、無理に手伝うのは良くないとは思うけど……大丈夫かな?
防人は手を動かしながらも心配そうにキッチンのアデルの様子を眺めていた。
「うわ!」
早速フライパンに引火し、それに驚いたアデルは手を離して床にフライパンをひっくり返してしまう。
「ちょっとごめんよ」
見てられなくなった防人がキッチンへ近づくとそこは酷い状態だった。
シンクの中には食器が散乱し、隠れるように置かれている袋の中身は割れた皿と焦げた何かの残飯でいっぱいになっている。
なんなら並べられてる皿もどこか欠けており、あまり綺麗とは言えなかった。
「アチチ……」
手に取った魚は焦げがこびりついており、丸々一匹乗せられたそれはウロコなども綺麗に剥がされていない。
恐らく料理に関しての知識が全く無いのだろう。
見ていられなくなった防人は急いでフライパンの火を消し、今は珍しいコンロの火を止めるとシンクの側に立つまな板を洗剤をつけたスポンジで洗い始める。
「何を?」
「いいからちょっと任せなよ」
まな板を洗い終え、包丁を受けとるとフライパンから生焼けの魚を取り出して峰で擦って焦げと共にウロコを剥がし落とし、首を付け根から切り落とす。
「すげぇ……」
腹と背を中骨に合わせて中央まで深く切り開く、尾から頭の方へ一気に包丁を入れて二枚に切り分ける。
「うん、捌くのは初めてだったけど、思ったよりはうまくできたな」
「すげぇ。ニーちゃん料理できんだ」
「ニーちゃん?」
「あ、ごめん」
「いや、構わないよ。さて、こっからこの魚を焼いていきたいところだけど……フライパンも焦げが酷いな」
「ごめん。俺、料理下手で……」
「誰だって初めは下手で当たり前だよ。僕だって簡単なものしか作れないし」
「そっか……なぁ、ニーちゃん。料理を教えてくれないか?」
「ふ、別にいいけど呼び方はニーちゃんで固定なのか?」
「あ、えっと……ごめんなさい」
「あーいやいや、別にどう呼んでもらっても構わないよ」
「じゃあニーちゃんって呼んでいいか?」
防人は頬笑み、ん。と頷くとアベルは嬉しそうな顔で彼に近づく。
「じゃあニーちゃん。料理を教えて下さい」
「はい。と言いたいところなんだけどフライパンとかの状態が酷くて炒め物は出来なさそうなんだよな~」
防人はしゃがんでシルク下の扉を開ける。
使えそうなものといったら引き出しの鍋ぐらい。
後はどれも似たり寄ったりで、そもそも調理器具自体、殆どなかった。
「んー……ねぇ、冷蔵庫見ていいかな?」
「うん、いいよ」
「ありがとう。ん、野菜はまぁまぁあるね……」
「引き出しとかも見るよ」
「うんいいよ」
防人はありがとう。と引き出しを開けて小麦粉やオリーブオイルなどを、シンク横の小棚から塩コショウなど香辛料を見つける。
どれもあまり量はない。
「んーフライパンは使えないから……鍋料理? でも野菜もたくさんあるわけではないからな……」
防人はブツブツと言いながら炊飯器のふたを開ける。
「ご飯は……? 炊飯器はどこに?」
「……炊飯器?」
あぁもしかして、この辺は、米は食べない感じなのか?
「じゃあパンは?」
「それならこれがあるよ」
そういって取り出したのは食パンらしきものが入った無地の袋。
薄切り6枚タイプ……にしても薄過ぎやしないか?
「そっか……じゃあカレーのルーとかってあるかな?」
「んーなかったと思う」
「そっか……カレーはルー無しでは作ったこと無いからな……シチューなら……あぁそうするか」
防人は冷蔵庫を開けて、いくつかの野菜を取り出す。
「おっととそう言えば手伝ってくれるんだったっけ」
「うん、何すればいい?」
「じゃあまずはこの野菜の皮を剥いてくれないか?」
「皮を?」
「あぁ、引き出しの……これで皮を剥いていってくれ」
「うん」
防人は今のうちに水洗いで血を洗い落とした魚から骨を剥がして一口サイズに切り分ける。
アデルも不器用ながらピラーを使ってなんとか手伝ってくれている。
皮も、後で使えそうなものは取っておこう。
「剥けたよ」
「ん、じゃあ皮を剥いた人参を角切り、あぁ食べやすい大きさに切り分けてくれ」
「うんわかった」
鍋に油を引き、生焼けの魚とともにいびつに切られた人参、じゃがいも、玉ねぎを順番に入れていく。
「それじゃあこれを玉ねぎが透明になるまで炒めてくれるか?」
「うん」
飴色になるまで炒めたら火を止めた後、アデルの後ろから鍋に小麦粉を振り入れる。
「かき混ぜてくれ」
「うん」
野菜と混ぜ合わせ、全体に小麦粉をなじんだら、牛乳と水を入れて再び軽くかきまぜさせ、火にかける。
「うぁ、なんかどろどろしてきた」
「もう少しかき混ぜて」
「う、うん」
弱火にしてしばらく煮込んだら、塩・こしょうで味を整えてからおたまを受取り、シチューを小皿に入れて味見をする。
「んーやっぱりコンソメとかが無かったから味が薄いな、かといってこれ以上塩を加えても駄目そう……アデルはどう?」
防人は小皿に少しシチューを足してアデルへ手渡そうと手を伸ばす。
「……え? 」
「ん、どうした? あぁ、もしかして味見とかしたこと無いとか?」
「うん。したことないけど……そうじゃなくて……」
ん? 何だろう。なんと言うか歯切れが悪いな。
「まぁ、味見っていうのはご飯が美味しくできてるか確かめるためにするんだよ……まぁほら、飲んでみて」
「……うん」
アデルは顔を赤らめながらグッと全部飲み干し、ニコリ頬笑む。
「おいしい……」
「ふ、そりゃ良かった。それじゃあご飯にしようか」
「うん!」
防人は火を止め、丸い木板の鍋敷きを敷いて鍋をリビングのテーブルの中央へ置く。
「うぁあ美味しそう」
どうやら気に入ってくれたようだ。
マピュスは身を乗り出して鍋の中身を覗いている。
作った甲斐があったというものだ。
「これを……」
アデルから受け取った食パンの袋を席の方へと運んでいく。
一切れをマピュスは受取り、礼を言う。
シチューを盛りつけてそれぞれの前に並べた。
「それじゃあ早速、食べようか」
「うん!」
「いただきます!」
早速スプーンですくったシチューをマピュスは口に運び、嬉しそうに頬笑む。
「おいしい」
「それは良かった。このシチューはアデルも一緒に作ったんだよ」
「ほんと!? すごいすごいお店の人みたい」
「ま、まぁな大したことはねぇよ」
「ふふ……」
照れるアデルを見て防人も同じく頬笑む。
個人的には薄味だが、2人が喜んでいるのなら、なによりだ。
「うん……」
パンも……固い。古いのか、質が悪いのか。
かなり薄いクセして口の中の水分を持っていかれる。
シチューにしてよかったと常々思った。
「「ごちそうさま」でした」
「ごちそうさま」
防人は席を立つと鍋をもってキッチンに向かう。
「アデル。茶碗、取ってくれる?」
「うん。はい」
「ありがとう」
茶碗を受取り、先程の石鹸を使い回してスポンジで、シンク内の茶碗を洗い始める。
「あ、洗うなんていいのに……」
「いいよ。助けてくれたお礼だからね」
「じゃあ……」
「いいよ。マピュスはぬいぐるみで遊んでるから」
「でもちゃんと綺麗にしておかないと君たちのお父さんとお母さんも仕事とかで疲れて帰ってくるだろうしせめてもの礼をとして……」
「母さんは妹を産んだ時に死んじゃったし、父さんも、少し前に国に連れてかれてからずっと帰ってこないんだ」
「あ、えっと……そう、なんだ。ごめん」
「ううん、気にしないで、もう1年前のことだから……」
「そう……なんだ」
「うん……」
いけない。空気を悪くしてしまった。
だけど、気の聞いたことなんてなんといったらよいものか分からないな。
共通の話題とかそういうものもないだろう。
「えっと、シチューはどうだった?」
今はこれくらいしか思い浮かばない。
「うん、美味しかったよ。ありがとう」
「そうか……今度はちゃんとした焼き魚も作ってやるからな」
「ほんと!? じゃあいっぱい釣ってこないと」
「いっぱいはだめだな。食べきれる分だけじゃないと悪くなっちゃうからな」
「はーい」
少しは良くなっただろうか?
「おーい! 開けやがれ!!」
そう思った時、玄関を力強く叩く音が聞こえてきた。




