185『寒村の一軒家にて』
「うっ……ん?」
それから、しばらくして運ばれた少年──防人慧は目を覚ます。
薄っすらと開けた目でゆっくりと見渡す。
「ぃった……」
ここはどこであるのか、それを確かめようと起き上がると全身が軋み声を上げる。
まるで重度の筋肉痛に陥ったかのような激痛に苛まれ、防人の口からは自然と呻か声が漏れるも、どうにかこうにか壁を背に起き上がる。
一息つき、悲鳴をあげる身体を落ち着かせつつも、まずは着ているシャツの袖から見えていたキラリと光る手枷に目が行き、静かに眺める。
(手錠……これは、壊れてる、のかな?)
端から見たら何の変哲もないただの手枷。
言うほど邪魔にはならないし、手首との間に隙間は存在しているので蒸れたりする心配もないが、外すことは何故か出来ない。
鍵穴らしいものも見つからない。
(ここは……?)
次に周囲を見渡す。
部屋の広さは六畳程で今いるのはその部屋の一角に置かれたベッドの上。
おかげでわざわざぐるりと見る必要はなく、首を動かすだけで部屋全体を見渡せる。
壁は暗い色をした木製で、床も同じく木製だが、壁のところどころにトタン屋根のような板が貼り付けられたりしており、なんというか手作り感が強い。
家の一室というよりは小屋のような場所で、部屋に置かれているクローゼットなどもだいぶ色褪せており、ベッド横に置かれた木製のカラーボックス(多分)にはマンガらしき雑誌などが並べられてはいるが、番号はバラバラで何冊か抜け落ちている。
それにかなり読み込まれているのかずいぶんとボロボロだ。
床に敷かれたマットにはキリンやゾウなど動物園風なプリントがされているが、その中央辺りにはコーヒーでも溢したのか黒くシミがついてしまい、ライオンやトラなど肉食獣ゾーンが真っ黒に染まっている。
と、全体的に薄汚れ、古めかしい内装は、どことなく核戦争後を舞台とした世界で作ることの出来る家を連想させた。
防人はこういった建物は秘密基地のような雰囲気があって嫌いではなかった。
「あ……」
「ん?」
部屋にあるドアがキィッ、と軋んだ音を立てて開く。
音に反応し、顔を向けると丸い兎のぬいぐるみを片手に、茶色の髪を肩ほどまで伸ばした小さな女の子が部屋の中へと入ろうとしていた。
彼女と目が合い、短い沈黙の後、はっとした防人が片手を上げる。
「えっと……こんにち――」
「あの人が目を覚ましたぁ!」
そう叫ぶと彼女はドアを開けたまま部屋を出ていき、大きな声で叫びながら出て行ってしまった。
防人は軽く挙げた手の手首を下に曲げてから行き場の無くなったこの手をどうしようかと悩んでいると今度は男の子が部屋に入ってくる。
見た目からして小学生ぐらいだろうか?
「お、目ぇ覚ましたんだ。気分はどうだ?」
「身体中がジンジンと痛むけど、大したことはないよ」
「そうか、そりゃ良かった……ところで何で手をあげてんの?」
「え、あぁこれは……何でもないよ」
「そっか、それにしても驚いたぜ。変な恰好して海でぶっ倒れたんだからよ」
「変な恰好?」
「あぁそこの棚の上に置いてあるやつなんだけどよ」
彼の指差すカラーボックスの上に歪に畳まれたピッチリとした素材のインナースーツ。
防人はそれの上に置かれていた黒いカードに気づき、それを手に取った。
固いゴムのような材質でできた妙な装飾が彫られたカード。
(これは……一体?)
「あぁそれな、ズボンの内側のポケットに入ってたやつだよ」
「ズボンに……?」
防人がカードをボックスの上に置いてズボンを手にすると確かに内太股辺りにポケットが存在していた。
また反対側にはポケットは存在しないが、外からでは分からないように同じような固さで作られている。
「何でかは分かんないんだけどさ、畳む時に落ちてきたから……」
「…………そう」
ズボンの内側のタグにペンで書かれた『防人』と言う文字を静かに眺める。
防人は表と裏を見てそれを元の場所に戻す。
「えっと……何か不味かった?」
「あぁううん。大丈夫――」
防人は広げたズボンを手早く畳み、ボックスの上に置いてカードも元通りに戻すと彼の方へと向き直る。
「えっと……なんか色々としてもらったみたいで、ありがとう」
「んな気にすんなってそんな大したことはしてねぇしよ」
(けど、嬉しそうなのが顔に出てバレバレだな。……変な心配をさせてしまったようだし、ここはもう少しだけ褒めておこうかな?)
防人は少しばかりのイタズラ心を芽生えさせ、とことん褒めちぎってやろうと画策する。
「ほら、この服とか腕の包帯とかさ……わざわざ怪我の治療までしてくれたんでしょ?
見知らぬ人なかなかそこまで出来ないと思うよ」
「あぁ、それは……俺が運んでるときに付けちまった怪我……なん、だけど」
「へ?」
「いや、だって仕方ねぇじゃん。ニーちゃんの来てた服、海でベッタベタだったし、ピチピチでツルツルで上手く掴めねぇんだからよ!」
「いや、別に怒ったりとかはしてないから」
「え、あぁごめん」
「いやいや、謝るのはこっちだよ。なんだか色々迷惑をかけちゃったみたいだし」
「いや、さっきも言ったけど大した事はしてねぇから、薬とか全然足りなかったし、腫れててひでぇ所しか治せてねぇ……しよ」
怪我をさせてしまった事からなのか言い訳をしようとしてしまった罪悪感からなのかそれは分からないが、彼は下を向いてその発する声は段々と小さくなっていく。
そんな様子を見て防人はベッドから出ると床を軋ませながら、ゆっくりと彼の方へと近づいていくと痛みを顔には決して出さないよう一呼吸置き、彼の頭を撫でてやる。
防人にはそれくらいしか思いつかなかった。
「ほら、ね。こうやって立てるし、君が助けてくれなかったらまだ痛くて歩けなかったかもしれない。最悪死んじゃったかも知れないんだからさ、こんな怪我ぐらい気にしないで」
「ニーちゃん……」
「…………!?」
急に倒れ込まれ、防人は辛うじて一歩下がり、受け止める。
(痛ってぇ〜〜〜!!)
ズキンと響く体。
しかし防人は奥歯を噛み込み、叫び声を上げることをグッと堪える。
少年は目に涙を浮かべ、わずかながらしゃくりあげる。
この子がなぜ泣いているのかは分からない。分からないが……何か、辛いことを思い出してしまったのかもしれない。と防人は直感する。
少なくともまともな暮らしはしていないであろうことは内装からも連想することができるし、傷だらけの部屋に置かれている家具等はずいぶんと使い古されている……というよりは捨てられていたものを持ってきたように思われる。
小さい時に秘密基地とか作るならこういう感じなのかな。と思ってしまうほど素朴……悪く言えば見窄らしい。
だが、ここは恐らくニ人が暮らしている家なのだろう。
そして、さっきの女の子が呼びに言ってこの子が来たということは、ここには両親と呼べる者がいない、もしくは殆ど家に帰っていないと考えられる。
防人個人としては前者の可能性が高いと見ているが……。
「……ありがとう」
どうしたものかと頭を悩ませ、取り敢えず頭を撫でてみる。
拒絶はされず、特に問題はなさそうで……防人は、少年が落ち着くまで静かに待ち……その間、自然とニ人の体へ視線が行く。
細く、痩せぎすな身体。
食事は、採れていないことはないのだろうが……それでもこの年の子供にしては細すぎるだろう。と思う。
服もずいぶんと着古されているようで、今防人が着させてもらっているシャツも肌触りは悪くないが、だいぶ褪せており、ヨレている。
それに対して防人が何かかける言葉は見つからない。
おかしなことを言って余計に泣かせても、逆に怒らせてしまっても面倒なことになるのは想像がつく。
ならば、沈黙。それが正しい答えだろう。
防人は少年が落ち着くのを待ってから改めて防人はこの場所について確認を取ろうと……暫くの間、このまま待つことにする。
「あのさ、ニーちゃん」
「……ん? 何?」
「い、いや大したことじゃないんだけどさ、これからもニーちゃんって呼んで大丈夫かな?」
「ん? うん、それくらい別に良いよ」
わざわざ断る必要なんかない。
こっちが自分の事を呼んでると分かるなら別に別称でも愛称でも好きに呼んでくれれば問題はない。バカとか、悪口っぽいのは流石に嫌だが。
「そっかそりゃあ良かったぜ」
「……へ?」
「え、ちょっ……」
先程までの涙と震えは何処へやら。
急に落ち着いた様子の男の子はニッと、少し歯抜けの笑顔を向ける。
「いやぁ本当にコウカテキメンってやつだな」
「ん?」
意味を分かっていっているのか怪しい発音で彼は両手を頭に回しながら笑顔を見せて続ける。少し引き攣っているようで無理しているような気がしないでもない。
無理をしている感は感じ取れるが……それが急に泣いてしまったことに対する照れ隠しであることは防人は気付いていない。
「いやぁ昔カーチャンが子供と女は涙を見せりゃ相手は敗けを認めるって行ってたがマジだったんだな」
それが本当ならなんということを子供に教えてるのか。
いや、そんなことはどっちでもいいが……そんなに優しいものなのか。
酷い人ならぶん殴ってくるレベルでは?
まぁ、心優しき自分は子供を殴るなんてそんなヒドイ真似はしないが……罰は与えさせてもらおうか。
「こいつめぇ! よくも騙したな!」
「へあっ、ちょっ、何?」
こういう相手に対する術というものは少なからず知っている。
少なくとも過去の経験が……そう、昔の出来事の中に似たようなことがあったはず。
フッフッフッと、少しわざとらしく笑い声を漏らし、防人はガッシリと両手で脇腹をホールド。ニヤリッ、と悪そうな笑みを浮かべると両手の指をバラバラに、しかし繊細に動かし始めた。
「ほ〜れ! コチョコチョコチョコチョォー!!」
「ははっ……ちょっ、くすぐったいってアハハハハッ!」
(ふっふっふっ早くも墜ちたか)
乱暴に動かしているように見えて的確に相手の弱いところを撫でていく。
この指先での強すぎず、弱すぎないこの絶妙な擦られ感覚に笑わぬ者はいないのだ。
「マ、マジでマジで降参。降参だってば」
「いやぁ本当に効果覿面ってやつだなぁ~。クックックッ」
防人はわざとらしく言葉を返し、笑い、動かす指の動きを速めていく。
「わ、悪かったよニーちゃん。謝る。謝るから」
「ん~? なぁにをっかなぁ~?」
「嘘をっ、ククっ……嘘ついてごめんなさい! 嘘泣きしてごめんなさい」
「……はい、よろしい」
パッと両手を放して彼を解放する。
本当なら泣いたことを聞けたら、とも思ったが……流石にそれを聞くのはまだ早いというか、憚られた。
手を離され、支えの無くなった少年は力無く膝をつくと肩で息をする。
「ハァハァ……ハァ……な、なんてニーちゃんだ」
「ん~どうでもいいけど僕のことは本当に兄ちゃんで固定なのか?」
「いや、だって俺ニーちゃんの名前知らないし……」
「あぁそういえば名乗ってなかったっけ。僕は……」
防人は答えようとするも、少し口ごもり、無意識に視線を天井の方へと向ける。
アレ? 僕の名前って……。
まるで頭の中にモヤがかかったように、答えが出てこない。
自分の名前なんて忘れようがないはずなのに……。
「ん? どうした?」
「いや、僕は防人だ。よろしく」
防人は先程見たズボンのタグに書かれた名前を思い出し、答える。
「サキモリ? 変な名前だな」
「なっ、確かに原作じゃ死なないくせにゲームじゃ何回も殺されるような不遇な名前だけどもこれでも僕の名前なんだからね」
「ゲーム? どういうこと?」
「あーいいよ気にしなくても……んで? そういう君は何て言う名前なんだ?」
「俺はアデルだ。アデル・トーマ」
「アデル? 変わった名前だな」
「そんなことないだろ?」
「じゃあ女の子みたいな名前って言おうか?」
勇者みたいと言いかけて、それは『アベル』だったなぁと思い返しつつちょっとイタズラっぽい笑みを見せる。
別に女の子っぽいとかそういうのは思ってなかったが、確か女性名だった気がしたので突っ込んでみる。
こういうのは言ったもん勝ちというやつであり、こういった子に対するコミュニケーションというのは黙っているのではなく、こちらからもガツガツといかないといけないと思っている。
目上の相手ではない事もあって防人としても気後れすることなく接することが出来るというのもあるが。
「ぐっ確かに俺の女友達にも同じ名前のやついたけどさ!」
「ふふん、さっき僕の名前を変って言ったお返しだよ」
へッと防人はアデルを見下ろして鼻で笑う。
分かりやすくおちょくったような、小馬鹿にした表情を見せる。
「くそー覚えてろー」
「忘れる」
「んなっ!」
「ははは! うっ……」
沸き上がる笑いに従ったとたんに腹部に走る激痛。
防人は不意に来たその痛みにお腹を押さえて踞る。
「ニーちゃん! 大丈夫か?」
「あ、あぁ……一応聞きたいんだけど、このお腹の包帯の下さ、パックリ開いてるなんてことはない?」
「あぁでかいアザ? にはなってたけどよ別に怪我とかはなかったと思うけど」
「そう……」
「んなにひでぇのか?」
「……ううん。別に対した事はないよ。ただ急に痛んでびっくりしただけだから」
「そうなのか?」
「うん。対した事はないから……心配させちゃったね」
「別にいいってそれよりベッドで休んでなよ」
「……ごめん。ありがとう」
アデルに肩を借りて防人はベッドに腰かける。
「お兄ちゃん、ご飯まだ?」
扉の向こうから顔だけを覗かせてこちらを見つめてくる女の子。
今も手にウサギを持っているのか黄色い耳が見えている。
「あぁごめんごめん、今行くから。あぁニーちゃん、もう少しでご飯出来んだけど持ってこようか?」
「え、いいよわざわざそんなことしなくたって……」
「でも歩けねぇだろ?」
「大丈夫だよ。もうけっこう痛み引いたし、ちょっと休んだらすぐに良くなるよ」
「そうなのか? んじゃ俺は飯作りに行くよ。もし痛かったら言ってくれよ?」
「ん、分かったよ。行ってらっしゃい」
バタンッと扉が閉まり、防人は振っていた手を下ろして天井を見上げる。
――僕はどうしてここに来ることになったんだろう?




