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182『氷雨霙の現状と少年の嘆き』




「ハックシュン! んん……」



 ATは鼻元にむず痒さを覚え、大きなくしゃみを1つ。もちろん口元は袖で押さえ、エチケットは万全である。

 その音に目を覚ましたかのように、胸元から声が聞こえたかと思うと。

 しばらくして、彼のポケットから顔を出すとフワフワと彼の周囲を飛び始める。



《まさに、パパは高嶺の花ってやつだね》

(ん? それは女性に言うことだろう?)


《アハ! パパってば情弱なんだぁ、ちゃぁんと男の子にも使う言葉なんだよ?》

(どうでもいい……というか何の話だ?)


《ん〜、パパの立ち位置の話ぃ》

(立ち位置、ね……)



 高嶺の花……そう言われれば、なんとも美しい存在のように聞こえなくはないが、要はこの場を切り盛りするために体良く使われている。ということだ。

 神輿という言い方も出来なくはないだろうが、それはどちらかと言えばこの国の責任者として書類上で名を使われている学園長たる『ゼロ』の方が適切だろう。

 面倒な事務仕事を押し付けて、自分たちは悠々自適。


 なんとも羨ましい話だが、悪い話ばかりでもない。

 こういった施設の建設はもちろん、決まり事などはコチラの匙加減で決められる。

 慧へ光牙を与えた事もこの立場があってこそだ。


 今回、光牙へはオリジナルの──プラネットシリーズである(ルナ)のコアを取り付けた。

 オペレーターに届いている機体の記録情報(ログ)から生命維持装置が機能したところまでは分かっている。

 あれは、少なくなくとも海底に沈もうと水圧に負ける事はない。周辺環境は光牙のシステムが認識し、少なくとも傷が言えたからとあの結晶の殻を解くことはないはずだ。


 動けない状況で、その後どう行動するのが不確定要素があるのは不安でしかないが……少なくとも搭乗者(パイロット)である慧を危険な目に合わせるということは無い。はずである。

 無事であると良いのだが。



《それにしても、あの黒いの何だったんだろーね》

(……さぁな)



 映像に映っていた、防人と氷雨との戦闘の記録。

 あれは全く持って意味が分からなかった。

 元々出力を高め、高速移動を行う電光石火(ライトニング)は光牙の戦闘用のプログラムとして組み込んではあったのだが、それ以外に何かしらを組み込んだ覚えはない。


 にも関わらず、真っ黒な光牙は氷雨の攻撃をものともせず、気付けば奴の背後に回っていた。

 コマ送りによる映像ですらそう映っており、もはやあれは高速移動ではなく瞬間移動と呼べるものであった。

 高濃度の粒子エナジーを全面に放出した直後、光牙へ槍が到達する瞬間に反応が一瞬、完全に消え失せ、気づけば氷雨の背後に回っている。


 高感度センサーによる感知でさえ、そう記録付けられており、その感知速度はカメラに映るそれよりも遅れていた。

 つまり、肉眼・カメラでは真後ろに居ると分かるのにセンサーではそこにはいない。

 となればやはり瞬間移動とも違うのだろうか?

 瞬間移動であるならば、反応と同時にカメラからも消えるはずだ。


 かといって周辺の光を屈折させ蜃気楼を作り出しているというわけでもない。

 実際に消えたわけでわないからセンサーから反応が完全に消えるなんてことはないはず……ん、光?

 まさか、いやだが……本当に光よりも速く動いているというのか?


 しかしそれならば目の前の現象に説明がつく。のか?

 光牙に光が当たり、反射し我々の目に届いている頃にはそこにはいない。

 光よりも速いから存在が目の前にいると認識する前に背後に回られる。


 ……まさかな、そんなハチャメチャなことが起こるわけがない。と思いたいが、コアに搭載したのがプラネットシリーズの1つである【(ルナ)】のものもなれば話も変わってくる。

 あれはまだまだ未知の部分が多い。

 【ブラックボックス】と言われている未解析のデータ領域の中にはどんなシステムが眠っているのかまるで分かっていない。

 それが今回の戦闘において何らかの原因がトリガーとなって発動した。のだろうが……一体何が……?



《パパ、パパ!》

(ん、どうした?)


《行き過ぎちゃってるよ?》

(ん、あぁ……そうか)



 ヴァルに言われ、踵を返して訪れた部屋。

 そこには、かつて防人が浮かび、眠っていた治療用の試験管が存在しており、その中には現在、氷雨霙が入っていた。

 氷雨霙──彼の捕縛は、防人慧との戦闘によってエナジーを盛大に消耗してくれていたこともあって、ヴァルの操るフェザービットによる波状攻撃によってどうにか捉えることに成功した。

 が、その被害は決して小さいものではない。


 仲間が、多くの子供たちが亡くなったのだ。

 彼らの中には恋人がいた。兄弟がいた。仲間がいた。

 それを、アッサリと奪い去った氷雨霙へ向かう怒り・憎悪は必ず産まれることとなるだろう。


 氷雨霙、そして彼を慕う部下たちとここにいる者達の間で亀裂が走り、いざこざが起こってしまっては元も子もない。

 実際、防人慧も行方知れず。

 リリスを失った事によるせいか事情を知った矢神も意気消沈といった様子で任せている仕事にも身が入らない様子であった。


 大損害であり、大失態。

 少なくとも今後予測される面倒事が起こる前に氷雨霙がおかしくなってしまった原因の1つでも掴めなければ、AT個人としても怒りが収まるものではなかった。

 戦闘中、少しばかりやりすぎてしまったのも致し方なしというものである。



「何か分かったことはあるか?」



 光線によって付いた銃傷は既に治療により塞がれており、海底施設からの映像で見たとおりの真っ白な肌を持つ、幼い姿をした男が様々な測定機を貼り付けられた状態で薬液の中に浮かんでいた。

 因みに雹牙もこちらで預かり、コアを抜き去った状態で修理を行っている。



「これはこれは隊長殿。お疲れ様です」


「うむ、で何かしら進展はあったか?」



 痩せぎすな体格に似合わない大きな丸メガネを掛けている青年『ヤガラ・ハヤタケ』は記録していたデータが表示された端末を手渡しながら説明する。



「このバイタルチェックの数値からしてやはり……」



 簡潔に言えば、彼の脳細胞の一部が傷ついてしまっているようで、その影響が性格や行動などに出てしまっている可能性が高いとのことであった。

 彼の支離滅裂な、会話が成り立っているようで成り立っていない、あの態度に説明は付いたのだが……そうすると今度はその原因に問題が出てしまうことになる。

 氷雨霙の結晶化現象は不完全であったということである。


 およそ6年前、致命傷を負った氷雨霙の一命を取り留めることとなったシステム。

 それはオリジナルから解析し、子供たちの事を想ってゼロの模造品であるコアに再現し、組み込まれたシステム。

 それによって現在の氷雨霙はおかしくなってしまっている。


 もちろん我々の方もそういったトラブルが起こらないよう安全のためにも海底に創り出した施設にて常にバイタルチェックを行って管理していたのだが……。

 これも解析が不十分なシステムを利用した弊害と言えるだろう。


 しかし、それはそれ。

 既に起きてしまった事にいちいち目くじらを立てている暇など無いのである。

 すべきはこの後どのように彼の部下である氷雨隊のメンバー達に現状を伝えるかである。


 正直に話してしまえば……ゼロがショックを受けることは確実であり、仕事に支障を来たす恐れがある。

 加えて隊員たちが……まぁ恐らくゼロを慕っている旧メンバーの者達はゼロを責めるような真似はしないし許さないだろう。

 となればその矛先は致命傷を与えた相手……防人慧ないしは矢神達へ向かうのは明白であり、おかしな軋轢を生み出さないようにするには……隠すしかないだろう。



「いいか、しばらくは奴は寝かせ続けておけ。また暴れられでもしたら敵わんからな」

「リョーカイ」



 とりあえず引き伸ばすしかあるまい。

 しかし、こうして思えば防人がこの場所を離れることとなったのはある意味では幸運と言えるのかもしれない。

 なぜなら防人は氷雨隊の隊員たちに少なからず恨まれているからだ。


 隊長にである氷雨霙に加えて複数名の隊長たちも斬り殺してしまっている。

 操られ、無理矢理に従わされていたらしいとはいえ実行した彼に対するヘイトというのはそう簡単に拭えるものではない。

 しかも優しかったらしい彼がおかしくなってしまった原因に加担しているとなれば、排除しようとする輩が出てきてもおかしくはないだろう。


 本来であれば皆んなに黙っているべき……なのだろうが、流石にゼロには真実を伝える必要があるだろう。

 彼からの言葉であれば多少理不尽であれど、眠っている氷雨霙へ無理にでも近付こうとする者は……少なくとも1人、いや2人いるか?

 とにかくそれだけの人数にまで減らせるのだ。とりあえずその2人には適当に……ヒロの仕事でも手伝わせておくとしよう。



「それで、隊長殿はこれからどうするおつもりで?」

「ん、そうだな……」



 まずは、そうだな。ゼロへ報告すべきだろう。

 ある意味ではゼロの失態であり、大人としてその当たりは受け入れておいて欲しいところであるが……どうなるか。

 少しばかり不安であるが、彼には動いてもらわなくてはならないだろうな。

 面倒なことこの上ないが。



「私は私の仕事を片付けるとしよう。ヤガラ、念の為言っておくが、この部屋に関係者以外の立ち入りは厳禁だ。もちろん氷雨隊の連中にもだ。細かい内容は伏せ、万が一聞かれても戦闘による負傷等の治療中である。とだけ伝えるように」



 脳細胞の再生治療が行えるのであれば、まだ良かったのだが……残念ながら今の発展した技術を持ってしてもまだまだ脳の治療には程遠い。



「おや、分かりました。ではそのよーに。あぁそうそう海底から回収した彼女(・・)はどうなさいますぅ?」



 彼女とは、矢神の娘──リリスのことである。

 実際はノアと呼ばれる少女であり、矢神の友人であるクレイマーシュタインの娘であるのだが、悪辣であったジークムントを騙すため、娘たちを入れ替えた上で記録を抹消していた。

 そのため、矢神当人を除けば、他にそれを知るものは直接告白を受けた防人くらいのものであった。

 故にATは実際のリリスがキスキル・リラとして現在、ペンドラゴンと呼ばれる国にいることを知らないわけなのだが、だからこそ彼は切ることの出来るカードが無くなった事に焦りを感じていた。



「そう、だな……」



 少女ノアは眠っている。

 義体による処置が施され、頑丈に作られていた肉体であったからか水圧に潰されることなく引き上げることが出来たのである。

 しかし、氷雨霙による攻撃によってその身体の下半分は既に失われており、生命を維持するための機械装置の類は既に完全に停止していた。

 顔が無事であったのは不幸中の幸いと思うべきなのか……なんとも判断に困るところではあるが、少なくともATにそれをどうこう言う資格もない。


 今、すべきはゼロに報告すること。

 加えて矢神にも報告することが出来たということである。

 しかし、問題はどう報告するべきであるのか。

 矢神とは、リリスの安全を保証する代わりに研究を手伝ってもらう約束となっていた。


 そして……リリスは既に亡くなってしまっている。

 もちろん無理矢理に働かせることもできるのだろう。聞かぬなら、首に爆弾のついたチョーカーでもつけて大人しく従うよう言えば、大抵は従順に働くはずである。

 しかし……それでは、自分たちが受けてきた苦痛を与える大人達と同じであり、それを実行することはATとしては憚られた。


 加えて言えば、この場所にいる我々にとって重要な案件であるプレソーラー結晶(P.S.C)の研究を任せるにあたり、出来る限り不安要素を足したくないというのもある。

 う〜む、参った。


 八方塞がりとはまさにこの事なのかもしれない。

 せっかく仕事を任せられる人材が増えて、少しは楽ができると思っていたのだが……致し方ない。世の中そう甘くはないということだろう。


 と、割り切れたのならどれだけ楽なものなのか……今回の損害における埋め立て費用はいかほどか……これも、考えるだけで頭が痛くなる。

 金、金、金……と言いたくはないが……それでも必要になってくるものである以上は仕方がないというもの……戦闘によって得られたスクラップのリサイクルや農作施設を利用した自給自足ではやはり限界があるのだ。


 人員が足りなければ、補充が必要であり、ただでさえ少ない人材を割くにはそれを納得させるだけの報酬が必要となる。

 もちろんやる気を持って仕事に付いてくれている者たちも少なくはないが、そういう者たちにこそ報酬は支払わなくてはなならない。

 それだけの人々の金回りを管理するとなるとやはり確認作業は必要なわけで……。

 あぁ……また眠れない日々が続くのか……。



《パパ……》

(なんだ?)


《ドンマイ!》

(うるさい!)


 ただただATはウンザリとするばかりであった。

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