140『林海学校、移動前の戯れ』
週末――夏休み初日。
朝早く、防人たちは転移装置を利用してかつて入学試験を行ったドームの入り口に到着する。
「うぅ~着いた……っすねぇ~」
「うっ、やっぱりこれには慣れない」
ほんの数秒とはいえあのグルグルとした空中を浮かび回っているような、上下の感覚が分からなくなるような妙な感覚。
そんな感覚に慣れない二人。本間白石と千夏千冬は始まってもいないのに足元をふらつかせて、今にもダウンしてしまいそうだった。
「確かにね。でもジェットコースターみたいだと思ったら案外平気だよ?」
竜華は手にしていた荷物を地面に置きながら二人の方にそう言った。
「始まってすぐに下り始める絶叫マシン」
「始まってすぐにスピンを始める絶叫マシン……」
対して気分の優れない白石と千冬は少しだけ想像する。
絶叫マシンに例えるのならどんな感じてあるのかを妄想する。
「ないっす」
「ない」
同時に否定された竜華は頬を人差し指で掻く。
あっさりと否定された事に苦笑いを浮かべながらゆっくり口を開く。
「そ、そう? まぁ、しばらくしてたら落ち着くと思うからそれまではガマンしてね、二人とも」
「はいっす」
「はい」
「深呼吸をしたら少しは落ち着くかもしれませんよ」
彩芽が助言し、二人は言われたままに深呼吸を行っている。
そんな様子を眺めながら、防人は何も言うことなく、ボーっとしていると竜華は彼の方へと向くと少し心配そうに声をかける。
「もしかして慧くんも気分が悪くなった?」
「え、あぁいえ……なんといいますか皆の私服姿って新鮮だなーっと思いまして」
ヘイムダル学園では生徒たちは授業を受ける上で制服を着なければならないという校則はない。
しかし、服装を選ぶのには時間がかかるもの。
毎日の服選びが面倒で、また日々の洗濯物が増えてしまうという面倒臭さから結局は制服を着てくるという人や学校なのだからやっぱり制服を着るべきという自分のなかでのルールを持つ人がおり、生徒たちの着ているものは学園の制服や体育用のジャージが多く、割合的に私服を着ているものは少なくなっていた。
ちなみに風紀委員では白石や千冬が前者。
竜華や彩芽、防人が後者にあたる。
そのため、防人にとって風紀委員の人達の私服というものは珍しい。
「確かにそうかもね」
白い無地のTシャツに赤いジャケット。紺のジーンズに赤いスニーカー。と全体的に赤を基調とした竜華。
黒いチュニックにデニムのショートパンツ。黒のニーハイソックス、そしてヒール。と全体的に黒を基調とした服装の紅葉。
白いトップスと薄緑色のワンピースに黒のレギンスと抹茶色のサンダル。と全体的に緑色を基調とした服装の千冬。
最後に紺のTシャツと薄茶の短パン、サンダルのラフな格好をしている白石。
防人は彼女らの着ているものを順に眺める。
ちなみに防人は制服であり、何とも場違い感が凄く強い。
こんなことなら私服、来てこりゃ良かった……! と後悔してももう遅い。
「……これ、この前買ってきたやつなんだけどどうかな?」
「似合っていると思いますよ」
正直なところ防人にはファッションというものがよくわからない。
テレビなどでも時折ファッションコーディネート対決みたいなものが番組としてやっていたりするが、それを見たところで防人には服の組み合わせというものが結局よく分からなかった。
分かるのは来ている服が似合っているか、似合っていないかくらいのものである。
観察眼とでもいうのか、そういった点においては愛洲めだかのファッションショーによってなんとなく鍛えられていた。
「というか完全に皆さん遊び気分じゃないですか?」
「せっかくだしね」
「たまには悪くないかと」
「少しだけ……」
女性達が気恥ずかしそうに答えるものの先日の買い物もそうであったが、明らかに楽しんでいるのは目に見えている。
竜華に至ってはサングラスをかけており、ジャケットをラフに羽織り着こなしているのがまるで雑誌に写るモデルのようであった。
当然、数日間は向こうで暮らすことになるため、着替えや水着といった荷物からキャリーバッグを用意する必要があるのだが、見事なスタイルと着こなしから感じられる雰囲気は高嶺の花であり、少しだけ近寄りがたいものがある。
要するにみんな、すんごい気合い入っていた。
「あぁ、何で僕だけ制服なんだろう……」
一応、学校行事なのだから、これは風紀委員としての仕事なのだから、少なくとも渡された資料にはそう書かれていたのだから……なんて思っていたせいで馬鹿正直に制服を着て来てしまった。
他の人達との違いを少しだけ自分がバカらしく思えてきた。
同時に着替えとして私服を予備も含めて少し多めに持ってきておいて正解だったと安堵する。
「だから言ったでしょ。私の用意した服を着ていきなさいって」
「いや、めだかさんあの、確かに私服を着てきておけば、とは思いましたけど流石にお揃いの服を着るとまでは思ってませんよ」
7時に学生寮のロビーに集合だというのに目覚まし時計が鳴らなかったせいもあって目覚めたのは6時半過ぎ、サングラスと若草色のシャツ、丈の短い水色ブラウス、真っ白なロングスカート、そしてヒールサンダル。
めだかの着ているそれと色は違えども全く同じような服とパット入りのブラジャーまで着させられそうになったのを防人は思い出す。
「残念だわ。せっかく用意してきてありますのに……」
「いや、わざわざ用意しなくても……あの、いちいち出さないでください。それにどこで着替えさせるつもりですか?」
「車で」
「あーそれは皆がいるので無理ですね」
「つまり、一人だったら着替えてくれる可能性が――」
「少なくともこの下見でその可能性はないですね」
「ショボーン……ですわ」
「え~!」
「わざわざ口に出さなくても……ってあれ? リリスなんでいるの?」
「可愛いでしょ?」
大きな麦わら帽子に胸の辺りに真っ赤なリボンのついた白いワンピース。
防人はそれを見て確かに可愛いと思ったけれど、今日は矢神の所で父親の所で留守番をするように言っておいたはず。
それに関してはしっかりと記憶しているので間違いはない。
「うん、確かに可愛いけどさ、なんでいるの?」
「お兄ちゃんと一緒に海にいきたい!!」
「いや、でもあの後、外出の許可は取れなかったし――」
「だってせっかく水着も買ったんだもん! 留守番なんて嫌!」
本来であれば、連れて行く予定であったし防人としても連れていきたかった。
だが、元々リリスは敵側の人間。
たとえそれが防人にとっては大切な妹であっても学園の人達がそれを許容するかは別の話であり、そもそも防人とこうして共にいられるだけでもかなりの特例なのである。
どれだけ説得してもやはり外出の許可は下りなかったはずなのに。
「それは、今度学校のプールで遊ぼうって前にも──」
「嫌! ひとりでつまんないんだもん。パパはずっとお仕事で遊んでくれないし……」
「そうかもしれないけど、流石に勝手な事は──」
「ちゃんとパパに電話したから」
「へ? え、どうやって電話を?」
「めだかお姉ちゃんが電話してくれたよ」
「えっと……めだかさんあなた一体どこで矢神さんの電話番号を?」
「それはもちろん防ちゃんのに決まってますわ」
「え? 暗証番号は? 指紋認証は?」
「暗証番号は前に見たのを覚えていましたし、後は防ちゃんが寝てる間にあなたの指をお借りするだけですわ」
「えぇ……犯罪ですよ。それ」
「ほーほっほっほっ――済んでしまえばこっちのものですわ!」
「いや、アウトです。というか矢神さんの許可貰えたとしても意味ないですよね。学園から許可を貰わないと──」
「あぁその事なんだけどね。あの後、先生に確認したら許可が取れたんだ」
「へ? 竜華さん、それ初耳なんですけど?」
「そう? おかしいな。ちゃんとめだかちゃんに連絡したけどなぁ」
「……めぇだぁかぁさ〜ん?」
「ち、ちがいますわよ。別に伝え忘れてたとかじゃなくて、その……そう! サプライズですのよ!」
「明らかに今思いついてますよね!? 後、そう言えば何でも許されるわけじゃないですからね? というかなんで竜華さんは直接、僕に伝えてくれなかったんですか!?」
「え、あぁ……いや一緒にいるから伝わるかなって」
「えぇっ!? いやいやいやいや、おかしいでしょソレ!」
「あ、ぅん〜まぁその……ごめんね」
と、竜華は手を合わせて謝罪する。
「あ、いえまぁ……一応は伝えたんですから、それはまぁ……その、いいんですけど……あの、問題ないのでしたら大丈夫なんで顔を上げてください」
こうして謝られてしまうとなんとなく罪悪感を覚えてしまう。
(こういう事が起きちゃうのは僕の部屋がなんかバーに改装されちゃった事が発端なわけだし……まぁそもそもな話。本当、なんでこの人たち許容してるんだろう? というのはある。
本当、おかしいよね? 男女がさ、同じ屋根というか室内で同居してるんだよ? なんでこの人たち普通に受け入れてるんだろ?
いやまぁリリスがいるし、間違いは起こらないのは理解してるんだろうけど……あぁ後、なんでか智得先生が許可したってのもあるのか。
いや、それでもやっぱりおかしいと思うんだけどなぁ……)
「そうですわ。私はちゃんと聞いていたのですし問題は無いんですわよ」
「めだかさんは少し申し訳なく思ってください」
「えぇ〜……でも嬉しいでしょう?」
「それは……まぁ、はい」
嬉しいか、嬉しくないか、その二択であれば嬉しいに決まっている。
せっかく海とか行けるのにリリスを留守番させてしまうなんて申し訳ないどころではなかったのだから。
プールに行こうか、と説得したもののあの時の落ち込んだ顔を見てしまった時、本当に悲しませてしまったんだって胸が締め付けられる思いだったというのに。
いやだからこそこうして一緒に行けるってのが嬉しいわけなのだが。
「なら、いいですわよね?」
(まぁ、確かに別にいいけど……なぁんか足らないんだよなぁ)
「そうですね。でもめだかさんには罰として向こうに着いたら生徒会の人達がいると思うんでその人たちと行動をお願いしますね」
「そんにゃあ~~嫌ですわ。防ちゃんと行動できないにしても生徒会とだけは嫌ですわ!」
生徒会としては様々な問題を起こす事で有名な愛洲めだか。
現在、雑用係として風紀委員のメンバーとなっているのも彼女への罰というのが少なくとも書類上での取り決めである。
ゆえに散々煮え湯を飲まされてきたであろう彼らはめだかにとっても苦手とする相手であり、会わないに越したことはない相手なのだが……主に自業自得なので申し訳なく思うけれど同時に仕方ないとも思う。
とはいえリリスのことを黙っていた事への怒りと悲しみは等に過ぎ去っているので別に許してしまうことはできるのだけれど……。
「それじゃあ、向こうでは一人で仕事をお願いしますね」
ここで意見を変えてしまえば、つけ上がらせてしまうだけなのは重々承知しているので心苦しいが、もう少しくらいは冷たく接するべきだろう。
「そんな、ひどい……。私、孤独死してしまいます。ヨヨヨ……」
とはいえ、この程度ではへこたれないのが愛洲めだかである。
彼女はわざとらしく大げさに地面に座り込むと、ポツリッポツリッと涙を落とし始める。
それは本当に分かりやすく芝居がかっていた。
「まあまあ……めだかちゃんだって慧くんの為にと思ってのことなんだし……」
ポタポタと垂れ落ちる涙目を目の当たりにして竜華は仲裁しようと言葉をかけるが、あの涙は十中八九目薬だと分かっている防人にとってそれは妙に笑いを誘われる状況であった。
だって目の位置と涙の落ちる位置が明らかにズレてしまっているのだから。
「……だそうですよ。良かったですね。めだかさん」
とはいえこのままでは話が進まない。
遅れればそれだけ向こうでの時間が削られてしまうし、何よりさっさと終わらせて遊びたい。
「……いいの? 私を許してくれるの? ……グスッ」
「はい、別に怒ってませんから」
防人はめだかを起こすために手を伸ばす。
「大丈夫ですよ」
「ふふふっ……ありがとう防ちゃん」
嬉しそうに笑みを見せためだかは防人の手を掴むと引っ張った。
「え?」
立つためではなく、手を引くために引っ張った。引っ張られた。
想定していたよりも強い力によって手を引かれた防人は踏ん張ろうとするものの間に合わず、めだかの上に倒れ込む。
めだかも分かってやっているので頭をぶつけてしまうといった事故を未然に避けるようにして後ろへと倒れていく。
地面に寝そべるようになった男女。
防人は間一髪のところで空いている片手を地面につき、めだかの上にのし掛かってしまうという事態をどうにか回避する。
がしかし……もう一方の手、めだかに引かれた方の手はめだかの胸部に触れていた。
見事に鷲掴んでいた。
「キャー防チャンガ、私ヲ襲オウトシテキマシタワー!」
「ちょっちょっと!?」
ここからみんなのいる側から防人の手を握るめだかの手は角度的にちょうど体に隠れて見えていない。
とはいえバランスを崩して倒れたであろうことは想像に難くないので温かい目で二人の様子を見ていた。
「キャー駄目デスワ、私ノ、私ノ胸ヲ揉ムナンテェ!!」
分かりやすい棒読み言葉。
リリスですら二人の状況がわざと行われているのだと気付いており、その様子を眺めている。
それは防人にも感じ取れているし問題はない。
だがそれはあくまでも身内であり、こちら側の事情をある程度知っているものであるから分かることであり、道行く一般人からの感想は見たままのものでしかない。
まだ早朝ということもあって歩行者の数は少ないものの全くいないというわけではないため、防人は起き上がろうとするも想像以上の力で腕を握られてしまい抜け出そうにも抜け出せない。
このまま振り解こうと手を動かせば本当に彼女の言う通り胸を揉む形になってしまうだろう。
とはいえ明らかに盛り上げられた偽乳なので揉んだところで彼の手に返ってくる弾力はシリコンによるものでしかないが……。
「ちょっと、めだかさん? 離してくださいよ」
二人の事が目に入っているのかいないのか歩行者が一人、目の前を通り過ぎる。
焦りを感じ、防人は少しわざとらしく大きな声で抵抗しているというアピールを見せる。
このままだと本当に勘違いをされる。もし、撮られてネットに挙げられでもしたら……。
あぁどうすればいいのだろう?
「キャー」
「わっ!?」
更に手を引くようにして防人の顔を間近へと近づけるめだか。
「防ちゃん……リリスちゃんの事なんだけどね」
「……はい?」
耳元で囁く彼女の声は真面目なもので、防人も落ち着いて彼女へと耳を傾ける。
「あの子、何か隠してるわよ?」




