138閑話2『騒音──』
「モニターを繋げ。あの人が目覚めたぞ!!」
床に転がって防人たちが眠る頃。
そこは、たくさんのコンピューターが置かれた真っ白な部屋。
氷雨隊モニター室では彼らの隊長でもある『氷雨 霙』が目覚める準備の為、部下である少年少女たちが慌ただしく右往左往していた。
「ここがこいつらに使われるのは珍しいが、まあ、あいつの為ならな……」
そんな様子をATは小さく呟きながら少年たちの背後で椅子へと腰かけ眺めていた。
【 氷雨霙 】
ここにいる少年少女たち『氷雨隊』のリーダーを務める男。
彼はとある戦いにおける瀕死の重症によって長く眠っていた男であり、そしてようやくと治療が終わり、これから目覚める男である。
ATは氷雨隊には属していない。だが、昔彼らとともにあるミッションを遂行したことがある。
それはATにとってもここにいる彼らにとっても忘れられない任務であり、喜びと怒り、そして悲しみと恐怖。様々な感情が入り混じる結果となった出来事であった。
「マイク音声、確認。スピーカーも問題なし」
「あれ〜電波悪いのかなぁ、映らないよ?」
「了解、こっちで調整してみる」
「ここ、みんな入れるかなぁ、椅子足りる?」
(たった一人の男のために、皆がここまで動くとはなぁ)
ドタバタと慌ただしく駆け回り、言葉が飛び交う様子を静かに眺めながらATはそんな感慨にふける。
正直なところATは霙との面識はない。
彼は書類や写真、隊員からの話を聞いて一方的に知っているだけなのだ。そして彼は眠っている間に少しずつ睡眠学習で教えていたからこっちのことを知っているだけ。
あくまでも情報として、データ上のみで互いを知り合っている。
ただそれだけの二人。
「ATさーん。あの人って生きてたんですかー?」
扉が空き、聞こえてくる幼い声。そこには一人の小柄な少女が立っている。
【 絶華 】
彼女に名は無く、この名前ももちろん本名ではない。
ヒロが連れてきた幼き少女であり、その見た目もその声もまごうことなき幼女であるのにも関わらず、彼女は残虐非道で冷酷無残な殺人鬼である。
とはいえヒロを兄として慕っており、この学園内において騒ぎを起こさないと彼を通して釘を刺して置いてくれているので問題は──
「アハッ!」
彼女は笑みをこぼさぬまま、赤い薔薇の髪飾りから一本の蕀がまるで蛇のようにうねりながらATへと目掛けて放たれる。
「…………。」
バチンッと激しく火花が散り、そのイバラが動きを止める。
一歩も動くことなく、微動だにしなかったATの身体を貫かんが如く放たれたそれは光の障壁によって勢いを殺されたことでタラリ、と地面へと落ちる。
「さすがでーす、前のせんぱいよりもカチカチで私、ビリビリ来たですー」
力なく垂れ下がるイバラが巻き取られるかのようにして絶華の元へと戻っていき、そしてそれは薔薇の中へと完全に消える。
どうやらあの一撃で挨拶は終わったようで、ATも展開していた光粒子による障壁を消し去るとフン、と鼻を鳴らした。
「相変わらず躾がなっていないな」
「そんなことないですよー。お兄ちゃんがいる時はいっぱい調教してくれるですよー」
現在、絶華は立場上はATの後輩である。
だが、彼女はAT直属の部下というわけではない。
ATが主に命令を下し、実行する直属の部下は他におり、彼女は言わば仮契約のようなもの。ヒロが仕事でいない現状において書類上だけの上下関係である。
だからとて絶華は氷雨隊の正式な隊員だというわけでもない。
ヒロが仕事へと出掛た際に無断で仲間とし、他の様々な部隊でトラブルを起こしてATのところへたらい回しにされてきた少女。
つまりは厄介払いということだ。
AT自身も自由な振る舞いをするこの少女の扱いに大分手を焼き、こまねいていた。困り果てていた。
また、ATはそれほど他人から好かれるタイプではない。
しかし家族や友人を除けば大抵の奴等は利害の一致や一方的なものであり、あくまでもビジネスパートナーとしての関係を築いているだけなのだ。
だから、彼にとってそこはたいした問題はない。
自分のような人間のもとにこんな不発弾みたいなのを押し付けられたのか疑問ではあるが、問題では──
(いや、問題は十二分にあるか)
一時期、防人に押し付けたがヒロに付いて来ていつの間にか戻ってきていた。
その時の惨劇はATも結果のみとはいえよく知っている。
かつての友人を、防人慧を襲い、殺しかけたのだ。
まぁ、防人の肉体は特別製。
素早い自己修復能力と体内のナノマシンによってそう易々と命を落とすようなことはないのはATとしても、よく理解しているのだが、だからとて殺されかけたという事実はそうそう飲み込めるようなものではない。
本来であれば、今すぐにでも何らかの罰を与えようとするのだが、現在のATがそれを行っていないのは防人が襲われたのには彼自身も少なからず関係があるからである。
(どうせ慧と会うなら、と送らなければな……)
防人慧と絶華がであるきっかけを作ったのはヒロから届いた荷物を防人の元へと送った他ならぬATなのである。
突然届いたワケのわからない巨大な荷物。
その中身がこんな危ない存在だと知っていたら速攻で牢獄にでも閉じ込めているところだっただろうに。
少しばかりイタズラをしてやろうと魔が差したばかりにあんなことになってしまった。
「で、どうなんです。あの人は生きてるですか?」
ぴょんぴょん、とこうして近付いてくるその姿だけを見ればなんてことはない幼い女の子でしかないのだが、絶華のその本質は恐ろしいものである。
人を殺すことに躊躇いはなく、むしろ喜んでそれを実行に移す存在。
ある施設にて産み出された存在であり、リミッターが外れた規格外の力と1つネジが抜けたような思考を持つ怪人。
彼女が元いた部隊の『お仲間』たちが命を落とした時でも泣くことはなく、かといって怒りもせず、ただただ笑っていた。
死んだ敵を弱いと笑い、死んだ味方を弱いと笑った。
その純粋なまでもの冷徹で冷淡で冷酷で残酷な存在。
人殺しで人でなし。
それらはあくまでもヒロから届いた書類にて記されていた内容でしかないが、彼女と出会って間もないATもその内容には頷ける箇所はあった。
そういった生き方、ある種の快楽思考は羨ましくもあり、今後起こり得るであろうことを模索する中で持っておきたい考え方ではある。
顔を知っていて、声を知っていて、楽しく話したことがあって、それがどれだけ親しい者であろうとも、そう思う事が出来る。あっさりと見限り、切り捨てられるというのは考え方としては持っておきたいもの。
だからそういった点から言えば彼女という存在はある意味貴重ではあるのだ。
まぁそれと防人慧を殺しかけたことはどうあっても割り切れはしないだろうが……。
防人慧──彼という存在は今後の計画に必要な要素であり、光牙に搭載されているコアを唯一動かすことのできる存在である。
なぜ動かせるのか、どうやればオリジナルのコアに存在するデータを閲覧することができるのか。
それさえ解明できれば、この世界を飛び回り彼女の作ったというプラネットシリーズを奪い合うというふざけた争いにわざわざ参加する必要が無くなるはずなのだ。
(だからこそ私は……慧を……)
「ねぇ、聞いてるですか? あの人は生きてるですか?」
「……あぁ、生きてたさ。全身を結晶化してな」
【 結晶化現象 】
プレソーラー結晶炉と呼ばれる動力炉。
『オリジナル』と呼ばれるコアに搭載されているとされる特殊な機構であり、未確認電子情報領域内部にあるとされているものの一つ。
それは最大防御力を誇る生命維持機能。
残存粒子エネルギー、機体の装甲、その全てを分厚い光の壁へと変えて瀕死の同乗者を包み込むことにより搭乗者の延命を行うシステム。
包み込まれた者は仮死状態となり傷が癒えるまで眠り続け、その間、外部からの干渉をほとんど受けない。
それが、氷雨霙が眠りにつくことで得られた情報である。
(これがどこまで正しくてどこまでが間違っているのか……)
というのもこれらの情報はオリジナルのコアではなく当時、研究者である『ゼロ』が作ったというオリジナルのコピー品から得たものなのである。
そしてそれは残念ながら、劣化コピーとも言うべきものであり、今もこうして生命反応をモニタリングしている氷雨霙が本当に目覚めるのか、それすらも怪しいのである。
「ええぃ! 鬱陶しい。まとわりつくな!」
椅子にのしかかるようにしながらATの肩を掴みながらブラブラと揺れ始めた絶華を心底鬱陶しそうに払い除けつつ肩に伸びている手を剥がす。
「むぅ……つれないですー。もっとぶら下がらせてくださ〜い」
ぷくぷくと頬を膨らましながら絶華は残念そうに唇を尖らせる。
「知るか私は遊具ではない」
「じゃあ、ジャングルジムにするですー」
「誰が登らせるか」
「じゃあ、はん登棒にするです」
「登るという点においては同じだろうが!」
「むぅ……じゃああのいっぱいのモニターで的当てするです!」
絶華はそう叫ぶと着ている拘束衣の内から取り出したナイフを即座に投擲する。
空を切り、跳ぶナイフ。
しかしそれはモニターには当たることはなく、ATが自らを守った時と同じ光の障壁によって弾き落とされる。
「あー! なんてことするですかー」
せっかく的あてを楽しもうとしてるのに。
と、遊びを邪魔された絶華は不服そうにATの方を振り返るが、彼が椅子に腰掛けたまま何もしようとしないのを見てつまらなさそうに地面を蹴った。
「もーいいです。大人しくするですよ」
頭から伸びるイバラによって地面に落ちたナイフが回収される。
絶華の手元に戻ってきたそれは、よく見てみるとナイフではなくクナイのような形をしていた。
それに金属ではなくラバー──ゴムのようなものからできているようだ。
なぜ、彼女がそんなものを持っているのかは知らないし、仮にこれであったとしてもモニターが割れかねないのでどのみちではあるが。
どうして彼女がわざわざ非殺傷の武器を持っているのかATには疑問であった。
あの一瞬の笑顔に込められた、殺そうとする感情向けられ走った緊張感。
一瞬にして身の毛がよだち、眠気が吹き飛ぶ。引きこもっていたら絶対に味わえない死の恐怖。
あれだけのことがあの幼さで出来ながら、わざわざ非殺傷という選択を持っていることが信じられなかった。
驚き、悩むAT。
結論を言ってしまえば防人から渡された玩具のクナイを返すことなく絶華がそのまま持っていっただけなのだが……それを知らぬ彼がそのような結論に至ることはない。
「おにーちゃんが言ってたあの人はまだ起きないですか〜?」
「あ、あぁ……先程から信号は送ってるのだが……」
「あー死ねばいいのにー。あたしが殺すのにー」
「え? ちょっと!? 苦しっ」
我儘で奔放な絶華。
彼女はATの側で作業をしていた少年へ近づいたかと思えば、少年が着ているパーカーを掴むようにして椅子へと足をかける。
そして再びブンブンと体を揺らし始めた。
「うぅっ…………」
端末から完全に手離し、両手で首元を広げようとする少年。
彼は困ったような顔で後方で腰掛けているATに助けを求めた視線を送るが、知ったことではない。
ATは彼を無視して話を続ける。絶華たちを分かりやすく視線を逸らしながら。
「止めておけ、奴を傷つけでもしてみろ。ここにいる連中全員を敵に回すぞ?」
「あべっ!?」
「にゅ? あの人ってそんなに凄いんですかぁ?」
ググッと体を倒し、首を大きく反らすようにしてATへと顔を向ける絶華。
同士にパーカー少年の首へかかる負担が増加。さらには重心が後方に傾き、危うく椅子ごと倒れかけた。
「ハァ、ハァ……」
なんとか立て直し、先程からの首絞めと焦りから呼吸を荒くするパーカー少年。
しかし、そんな彼を気にせず二人は続ける。
「そりゃそうだろ。一応、隊長だからな」
「それはおにーちゃんも言ってたですよ。でも、もう何年も幽霊ですよー、あの人は幽霊隊長ですー」
「幽霊部員見たいに言うな……まあ、なんでゼロもあいつを隊長なんかに、とヒロも嘆いていたきもするが……」
「おにーちゃんが?」
絶華は不思議そうに、舌足らずの子供らしい口調で言う。
可愛らしいと思う者は一定数いるであろう言葉遣いではあるが、体を大きく反らした状態で首まで傾げている今の様子はなんとも珍妙であると言わざるを得ない。
「彼は冷気だから下げて当然だ。と、わけがわからないことも言っていたな。まぁ、ヒロの奴は急用で来られないらしいが……」
「へぇ〜、おにーちゃんはここに来たかったですかねぇ」
「さぁな。まぁ残念がっていた気はするがな」
そう言いながら絶華の方へと視線を向ける。
彼女は取り出したコンバットナイフをパーカーの少年の首元に切れない程度に押し付けていた。
少年はフルフルと震えている。
涙目になりながら、両手を上げて降参のポーズをとっていた。
あのままもし後ろに倒れでもしたら、とんでもないことになるだろう。
倒れるな。という彼女からの無言の脅迫といったところだろうか。
全く……暇なのは分からないでもないが、もう少しぐらい年相応の行動をしても良いのではないだろうか?
今の彼女の行動はそれからは明らかに逸脱している。
「むぅ、やっぱり氷雨霙嫌いですー。あの顔を見るたび八つ裂きにしてやりたくなりますー。リアルブラックジャックにしてやりてーですぅー」
「お前がやって来た時期からして確実に顔を見ていないはずなんだがな」
「写真は見たですよー」
「ヒッ――」
彼女は笑い、腕を振り上げる。
その際、男の頬をナイフの先端が掠め、頬から血が滲み出る。
「おい。言っておくが殺すなよ」
「分かってますよー。フフッ……こいつ顔、面白いなぁ。パシリにしたいなぁー」
そんなことを言いながら絶華はグッとパーカーの少年の方にもたれ掛かった。
その手にはしっかりナイフを持ったまま、嬉しそうに頬に滲んだその血を舐めとる。
その手の紳士からすれば『おいそこ代われ』的なシチュエーションかもしれないが、少年は次に何をされるのか、と酷く怯えていた。
(全く、本当に殺すんじゃないぞ)
ATがそう思った直後、モニターに映像が映し出される。
「おぉ!!」
「映ったぞ!」
氷雨隊の皆が感嘆の声を上げ、ATもそれにつられる形でモニターへと視線を移す。
「な、んだ……これは!?」
映像を見た瞬間、ATの表情は凍りついた。




