128『金星』
『そうだな。今はそう名乗ろう。我が名はアフロディーテ。神に等しい存在だ』
頭に響く若い男の声。
今、なんといった? 神様だって?
『そう。いや……正確には違うというべきか?」
どういうことだろう。
自らを神と名乗っておきながら即座に否定するというのは、いい間違え? にしては流石に仰々し過ぎるというものだろう。
何せ神様なのだから。
神話なんかでは世界を作ることもあれば、逆に滅ぼすこともある存在だ。
「確かに私は世界を作った経験はあるが、少なくともここではないな……」
なんとまぁそれはそれは凄い事ですね。
世界を作った事があるなんて……壮大すぎてまるで実感が湧いてこない。
それに、その言葉が本当であるならここは何てマトリックスな世界だろうか。
「別に私は人を閉じ込めた事はない。むしろ仲間を招き、ワイワイと楽しんだものだ……」
へえ、それは良かったですね。
でもこっちはそれで死にかけてるんですが……。
「それは……すまないことをした。なにせこっちは目覚めたばかりで正直なところ戸惑っているのだ」
それとこっちが殺されかけた事に一体どんな繋がりが?
というか、僕は今、どうなってんの?
なんというかこう、ホワホワしてるっていうか……。
『あぁ……すまない。伝えるのを忘れていた。目を開けてみてくれ』
は、目を? 一体、何を言っている?
『いいから……』
納得はいかない。
だが、奴に促され、防人は渋々と瞳を開ける。
「――? ……ここは? 僕の部屋?」
目が覚めて起き上がったその場所は学園へと引っ越す前の自分の部屋だ。
『いや、正確には君の心象風景とでもいうべきかな?』
「――!? アフロディーテ……さん?」
防人がベッドから身を起こすと傍に立っていた男に話しかける。
白い短髪に黒のロングコート、そして両腕の黒鉄の籠手。
その姿はまるでファンタジー世界に出てくる剣士のような姿をしていた。
いや、あの背中の折り畳まれた片翼の黒い翼を見るに正確には天使と言うべきなのだろうか?
「もっと言えば堕天使だな。少なくともこの姿はそういうコンセプトだ」
やはり、考えを読まれているらしい。
なら余計な事は考えないほうが良いだろうな。
まぁ、そんな器用なこと出来る自信ないけど。
「えっと……アフロディーテさんで合ってますか?」
「あぁ……私を別にそう呼ぶのは構わない。だが、せめて呼び捨てにしてくれ。どうも変な感じだ」
「じゃあ、アフロディーテ……えっと…まずは座ってください」
「あぁ、そうさせてもらおう」
彼は背の剣を机に立て掛け、椅子に腰かける。
長身の男性がこうして自分の部屋で勉強椅子に座っているのはなんというか……違和感が凄いなぁ。
顔つきも整ってるし、着ている服もなんか特殊な形状をしてて近未来感あって……凄い似合ってる。
でも、逆にそれがコスプレしてるって感じがなくて……異世界の住人が目の前にいるような……もっと現実的に言うと有名アーティストさんの試着in実家みたいな?
「ふふっ、存外リラックスしているようでなによりだ」
「あ、すみません」
「いや、いい。こちらとしてもそういった面持ちでいてくれた方がありがたい。この部屋も落ち着いてもらおうと再現したものだしな」
「そうなんですか?」
「あぁ、私としては万が一抵抗された時の事も考慮していたが……いや、今でもそうか」
「……ん? 自分は貴方に敵うなんてもう思ってませんよ?」
あんなにズタボロにされたんだ。
そんな気なんて湧くほうがおかしい。
「いや、そうではないのだが……まぁいいさ。さて、何から話そうか」
顎に手を当て、考えるアフロディーテ。
それもまぁなんと様になることか。
キラキラとしてて、こういうのを神々しいとでもいうのかな……まぁ、確かに神様を名乗るのも頷ける。
「神々しい雰囲気を出したかったからな」
「へ? あぁ……えっと、つまり演出ということですか?」
綺麗に光沢のある翼もまるで本物のように見えるのに作り物なのか?
いや、でもここがVR空間的なものだとするとテクスチャにリアリティーがあると言うべきなのだろうか?
まぁどのみち偽物だと言われてしまうとなんともガッカリな感じだ。
「ふっすまない」
「あぁ、いえこちらこそすみません。それで、ええっと貴方がこうして現れてる? のはどういうことなんでしょうか?」
「ふむ、まぁこうして顔を見ておきたかったというのはあるのかな?」
「いえ、僕に聞かれても……あぁ、あの……その……」
「あぁ、安心したまえ、君の妹は無事に君に返すとしよう。ついでによく分からないシステムもな」
「え? あぁそう、なんですか?」
こちらの思考を読んだらしくアッサリと了承してくれるアフロディーテ。
一応は返してくれないというのも危惧していたのでハッキリと言ってくれるのは有り難いが、どこか拍子抜けなところもある。
「別に私に人質を取る趣味はない。ただこうして君という存在と出会えたのは行幸と言える」
「それは……どういう……」
「別に危害を加えるわけではない。むしろそのような真似は私が許さん」
「え? えっと、はぁ……そうですか?」
えっとつまり、どういうことだ?
なんかよくわかんないけど好感度高めな感じなのはなんとなく分かる。でもなんで?
初対面どころか殺しかけられた相手にそういう感情を向けられるのは正直コワイんだけど。
「あぁ、すまない。困惑させてしまったようだ。まぁ……なんだ、手短に言うとだなお前という存在を気に入ったということだ」
「えぇ……???」
えっとつまり、本当にどういうこと??
いきなり気に入られても困るんだけど?
これってつまり……いや流石にそれは恋愛脳過ぎる。というか、この人は男? だし。
というか気に入られるような事なんかしたっけ?
「あ〜つまりだな。あれだけの性能差がありながら大切な者を守らんと傷付きながらも食らいついてきたのは私的にとても嬉しい。ということだ」
「えっと……その原因の1つが貴方にあるのに?」
「あれは頼ま……いや、メインシステムにハッキングを受けてしまっていたからだよ」
「暴走的な感じだったと?」
「まぁ、そんなところだな」
「そう、ですか……」
「……ん? さて、私はそろそろ行くとするよ」
「え?」
立ち上がり、唐突にそう告げるアフロディーテ。
「君には見えないだろうが、周囲に人が集まっている。ここでまた捕まるのも癪なのでな。私はここで失礼させてもらうとするよ」
「え?? ちょっと?」
「あぁ、もちろん君の妹はちゃんと君の元へ返そう。なので今は……眠るといい」
防人の眼前に添えられた彼の手のひらが淡く光り、防人の意識はガックリと暗く沈んでいった。
『さて……』
アフロディーテは防人から手を離し、自らの体内から取り出したリリスを抱え、丁寧に防人の傍へと寝かせるとゆっくりと立ち上がる。
「あれぇどこいくの? 君にはこのままATの元へ行ってもらう予定なんだけど?」
『ユウ……私は確かにお前にはこうして起こしてもらったことには感謝しているし、お前の頼みであるからこうしてこの男と戦うことにも、この女の子を身の内に閉じ込めることにも承諾した。だが、それはあくまでも一つだけだ』
向けられる銃口に対し、ゆっくりと引き抜かれる大太刀。
互いに走る緊張。
『悪いが、全てのものが言いなりになると思うな。ましてやお前の――いや、あいつの命令に従っているだけのお前の言うことなど……』
「そりゃぁ……まぁ、そうだねぇ」
『……だがまぁ、改めて礼は言っておく。面白い男に会えたからな。さらば……いや、じゃあな』
「――っ!?」
アフロディーテは刀を構え、身構えるヒロの横をすり抜けつつ何処かへと飛び立っていった。
「まったく……神に等しい存在とは、なんともおこがましいというか、傲慢な発言だねぇ」
ヒロは余裕そうに笑い、 武器をホルスターへと納めると静かにもう彼の姿が見えなくなった空を見上げた。
「ユウ、か……」
遅れて集まってきた兵士達の足音。
彼らに見つかる前に、とヒロは身につけている機体をカード状へと戻し、通信機越しに防人らを運ぶよう指示を出しつつも彼はゆっくりとした足取りで施設へと戻っていった。
「ぅっ! ――っ!? ……ここは」
「あら、目が覚めた?」
「えっと……貴女は? というかここは?」
カーテンを開けて一人の眼鏡をかけた女性が入ってくる。
防人はベッドで横になったまま顔だけを動かして声の主の方へ向き、聞く。
「私はラツィオーネ。ヘイムダル学園の保険のせんせぇよ。会うのは初めてだったかしら?」
「あ、はい。そうですね」
白衣は着ているけどスカートは短いし、服が胸に押されてはち切れんばかり……というか胸元が完全に開いているから乳房が服で固定されているというべきだろうか。
服装のせいもあるけれど、見るからに怪しくて妖しいお水系のお姉さんって感じの印象を受けるんだけど……これで先生なのか。
それならまだ綾香さんの方が……いや、どっちもどっちかな?
あっちはチンマリしてて飴とか噛み砕くし。
というか……うん、その印象が強すぎてそれくらいしか思いつかないな。
「どこを見てるのぉ?」
「へ? あぁ……」
別にジッと眺めていたつもりはない。
けれどこっちはベッドに横になっているのもあって下から彼女の大きな胸元を見ている感じとなっている。
しかし、その着方はむしろ見せつけているのではないだろうか?
「貴方は胸派なのかしら?」
「あぁいえ、そういうつもりは……」
言われてハッと我に返った防人は急いで視線を反らす。
「あら、じゃあお尻派なのかしら?」
何でもないと言ってるのに……そんなことを言われたらむしろ意識してしまうではないか。
……というかこの人、動きがわざとらしいというか、やっぱり見せるようにしているようにか見えないんだけど。
「いえ、ほんとになんでもありませんから」
「あらあら、ウブなのね」
「…………。」
確かに女性のそういうところを見慣れているなんてことはないが……こういうグイグイくるタイプの人には何かしらの反応をするよりは黙るのが一番だと思う。
めだかさんがそうだし、多分合ってるはず。
「あらあら? ごめんなさい。怒らせちゃったかしら……でも彼女を見たら機嫌をなおしてくれるかしらね」
そう言って笑顔を向けてくるラツィオーネはカーテンをカーテンを完全に開け、防人は彼女の隣に立つ青い髪の少女に視線を移す。
「リ、リリス……なのか?」
「うん、そうだよ。お兄ちゃん」
あの後、本当にアフロディーテが返してくれたらしい。
半信半疑だったが、こうして本人が目の前にいるのだから彼女は本物なのだろう。
「リ、リリス……」
防人はベッドから降り、リリスの方へと近づこうと立ちあがるも足に力が入らず、バランスを崩す。
「あぁ、だめよ? 急に立っちゃ。貴方、結構出血酷かったんだから」
リリスに支えられながらも触れられたという事実は目の前にいる彼女が幻想ではないという証明でもあり、感極まった防人は両手をひろげ彼女を強く抱き締める。
「良かった。本当に、良かった」
傷口がズキズキと痛むが……そんなこと、知ったことか。
今は……今はこの喜びを噛み締めたい。
「うん。助けに来てくれてありがとうお兄ちゃん」
防人に抱きしめられ、満更でもない表情でリリスは防人を抱きしめ返す。
その温もりがまた嬉しくて、良かった、良かった、と防人は涙を流した。




