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009『試験準備と訪れる問題』

「――ぶっ」


 突入時、妙な体勢で入ってしまったせいなのか光を抜け、バランスを失った防人が試験会場内で最初行った行動は床にヘッドバットすることだった。


「痛つつ……ここは?」


 赤くなった鼻っ柱を撫でながら防人はゆっくり周囲を見回す。

 自分の知る教室と比べ明らかに狭い室内。

 近未来チックな壁の装飾などを見るに教室であるかどうかも怪しいその部屋は照明によって明るく照らされているのみでここに入ってきたエメラルドグリーンの光を発する装置以外には何も置かれてはいない。

 人もいなければ机もない。

 あえてあると言うのならば、教室には必ずと言っていいほどの存在である黒板くらい。

 とはいえ、今ではそう呼ばれているだけで実際はタッチパネル機能の付いた巨大なモニターであり、それはこの学園も例外ではないようだ。

 黒板モニターには『試験会場へようこそ』という大きな文字とここからどうすればいいのかということが書かれている。

 文字の傍に添付されている画像は一覧表となっており、そこには受験番号とどの教室が試験場所であるかなどが書かれている。

 一つの教室に約100人ほどで全10教室。つまりは約千人もの生徒がこの二次試験に挑んでいることになるのが書かれていることからわかる。

 第一試験に一体何人の人がここを受けようとしたのかはわからないが、とんでもない数であったということも想像に難くなく、防人は緊張感を新たに長財布から一枚の受検カードを取り出した。


「えぇっと……」


 自分の顔写真が貼られている白い受験カード。

 そこに書かれている受験番号と教室のモニターに表示されている番号を往復して試験を受ける教室を確認する。


「……あれ?」


 試験を行う教室がどこなのかがわかったちょうどその時、植崎も無事到着している事に気が付くが様子がおかしい。

 顔を下に向け、しゃがみこんでいる。

 確かに先程の感覚はフワフワとして妙なものではあったが、感覚的にはそんなには長く無かったし、そこまで酔いが続くものなのだろうか?

 防人は心配して顔を覗き込むと彼の顔が真っ青だった。


「おい、大丈夫か?」

「うっぷっ……おぇぇ……」


 両手で口を押さえ、今すぐにでも戻してしまいそうなほどに気持ち悪そうにしている。

 確か修学旅行で船に乗った時、はしゃいでいたから乗り物に酔いやすいような方ではなかったはずだけど……。

 防人は植崎の状態に疑問を持ちつつも少しでも落ち着けば、と背中を優しくなでながら声をかけ続ける。


「ほんと大丈夫か? お前、こういうの普段は全然平気だろ? どうした?」


 普段通りに見えていたが、自分でも言っていたようにやはり緊張しているということなのだろうか?


「いや、うっ……ここに、来る前にな、腹が減ってたから……よ。ラーメン屋で早食いしてきたんだ……」

「あ~なるほどね」


――前言撤回。やっぱりこいつは平常運転のようだ。


 それにしてもこんな朝早くからラーメン屋がやっていることも驚きだが、早食いって失敗したら何千円とするよなぁ。

 まぁ、昨日の今日でお金が手に入っているとは思わないから成功したんだろうけど、ああいうのって確実に制限時間に対して明らかに失敗させるつもりのサイズで出てくる。ってのはテレビでよく知ってる。


――本当、バカじゃないの?


 こんな試験会場の入り方は想定外にしてもこれから試験を受けるってのに、んな腹一杯になるようなものを食べてくるとかコイツは一体、何を考えているんだろう?


「おい、すぐそばにトイレがあったぞ。一人で行けそうか?」


 防人は呆れながらも廊下に出ると左右を確認し、近くにトイレマークが表示されているのを発見、それを植崎へと報告する。


「おう、大丈夫だ。うっぷ……」

「お、おいやめろよ? まだ吐くなよ? 出てすぐ左だから焦らずに行けよ?」

「お、おう……うぅっ」

「お、おいっ吐くなよ、絶対吐くなよ。言っとくが、ふりじゃないからな!!」


 背を擦りながら防人はトイレまで案内すると彼が無事個室へと入って行くことを見届け、防人はひとまず安心する。


「オェッ……オロロロロロ~~」

「ハハ……本当一体どれだけの量があの腹に入ってたんだ?」


 扉越しに漏れ聞こえる酷い嗚咽に防人は苦笑する。


――全く、本当に緊張感の欠片もない奴だなぁ~。けど、おかげでこっちも試験って感じがしなくて、緊張感を忘れられるってのは良いことなのかな?

 しっかし、試験日にまさかこんなことをするはめになるなんてなぁ。

 ちょっとした怪我とかなら湊相手にしょっちゅうだったから対応できるけど、コレは完全に予想外だ。

 ……ん~今度からエチケット袋とかも持つことにしようかなぁ?


「えっと……僕の教室って何番だったっけ?」


 想定外のドタバタで忘れてしまった防人は再び財布の中から一次試験の合格通知に同封されていた『第二試験 受検カード』と書かれた一枚のプラスチックカードを引き抜いてクルリと表を向ける。

 カードには『受験番号 00617』と大きく書かれており、防人はそれと黒板モニターの表を確認すると自分に割り振られた教室へと入っていく。

 そこは先ほどよりも倍以上に大きな教室。

 机は綺麗に並べられ、黒板の液晶にはこの教室の座席と受験番号が表示されており、防人は決められた席へと腰かけるとカバンを静かに机の傍へと置いた。

 地面に固定されたタイプの変わった机。

 実際に座ると意外と大きなその机は一部が防傷フィルムによって守られたモニターになっていた。


『引き出しからヘッドセットを取り出し、電源を入れて待っていて下さい』

「えっと……これかな?」


 防人はモニターに表示されたその文字に従って机の引き出しから少々高そうなヘッドセットを取り出すと彼は机を取り囲むように少々出っ張っている箇所。

 その角に存在する接続端子へと繋がれたヘッドセットのコードを絡まらせたり、引っかけたりしないよう気を付けながらヘッドセットを頭に着けると右側にあるボタンを押し、電源をONにする。

 起動後、モニターの画面が切り替わると同時にスピーカーからは機械音声が流れ始める。


『画面中央の手の影に右手を合わせてください』


 指示通りに防人はモニターへと手を触れると一次試験の際に登録した指紋と照らし合わされ、認証は無事終了する。


『確認完了しました。それでは、試験開始までしばらくお待ちください』


 無事、認証を終えた防人はモニターに表示されている『OK』に触れると画面が消え、耳元からは何やらゆったりとした音楽が流れ始めた。


「――ふぁっ」


 喫茶店などで流れていそうなのどかな音楽に眠気を誘われ、防人は大きな欠伸がでてしまい、少し声が漏れる。


「……全く、なんで試験日にこんなにまで疲れることが起こるのかなぁ~」



 防人は小さく愚痴をこぼすと朝からあった出来事(ドタバタ)を思い出しながら欠伸で滲んだ涙をふき取ると前に倒れ、机へともたれかかると待つように言われた通りしばらく休むことにした。


――それにしてもヘッドセットを使うってことは試験はリスニングとか話を聞いたり、こっちから話したりするのかなぁ?


「おーす」


 ボンヤリとした思考の中、今回のテストの内容に関して考えていると聞こえてきた低い声に沈みかけていた防人の意識が引き戻される。

 チラリと腕の隙間から声の聞こえた方へ視線を向けるとそこにはスッキリとした顔つきになった植崎が立っていた。

 ……本当、こういう切り替え? みたいな事に関しては相変わらず早いな。


「ん? なんだ、寝てるのか?」


 起きろと背を叩かれることを危惧し、防人は顔を上げると少々気だるそうに答える。


「んにゃ、起きているけど……何の用だよ?」

「あ~いや、別に用ってほどのことではねぇんだけどよ」

「そう、なら僕は少し寝させてもらう」

「あぁ、ちょっと待ってくれよ!!」

「ぅるっさいなぁ~周りに迷惑だからもっと静かに話せ。あぁ後それから少しダルいから言うなら早くしてちょうだい」

「あーえっとだな…………あー…………」

「タイムオーバー……おやすみ」

「あーわかったよ。話すから寝ないでくれ!!」


 静かに話せと言ったのに、一切ボリュームを落とすことなく植崎は叫ぶ。

 周りからの視線が集まるのは勘弁してほしい。


「わかった。聞くからせめて普通のボリュームで話してくれ」


 防人は静かにするよう言いながら倒した体を再び上げる。


「お、おう。えっとだな、あれ、なんてったけか。アレだアレ、えーーーと、アレだ」

「あれって言われてもなぁ。もう少し具体的に話してくれないと答えようが無いんだが」

「んーとだな、そのアレを忘れちまったんだよ」


 あれあれ、と言い続ける植崎に防人は休ませておきたい頭を働かせる。

 植崎の言うアレとは恐らく今日忘れて困るもののはず。


「それってさ、受験に必要なやつ?」

「おぉそうだぜ。そいつを――あぁそうカードだカード。そいつを忘れてきちまったんだよ」

「あぁ、なるほど……」


 要は受験カードを忘れてしまったってことか。

 確か、二次試験に関する説明には『試験会場への入場は厳しく取り扱っており、カードを用いて入場の可否を判断しているため必ず持参するようにしてください』って書いてあった気がするけど……可否の判断ってのはあの光のゲートが行っているって事なのかな?

 実際はどうか分かんないけど、でももしそうなら持ってるって事なんじゃないのかな?


「植崎、カバンの中とかちゃんと探したのか?」

「おう、ひっくり返るくらいしっかりと探しんだがな見当たらねんだよ」

「そっか。じゃポケットとかは?」

「この通りだ」


 防人が聞くと植崎はズボンのポケットをひっくり返して中身が空であることを知らせる。


「確かに無いみたいだな」


 無いのにここにいる。ってことはやっぱりさっきの考え方自体が間違いなのかな?

 けど、もしあの光の中で受験カードを待っているかいないかを判断している上で持ってきていなくてもこれる可能性があるとしたら……手を繋ぐかな?

 手を繋――思い出すと何であんなことしたのか恥ずかしくてワケわかんないけど、確かにあの扉は本当にワケわかんないくらい凄く恐いって感じだったからなぁ……いや、そんなことはどうでもいい。というか考えるな!

 とはいえ、このまま受験が始まって受けられないってなったら困るだろうし、放っては置けないな。

 それに、このまま自分だけが合格したとしてもここで何もしなかったら今後会うたびに罪悪感を感じて生きることになるかもしれないし。

 まぁコイツのおかげで助かった事もあるからこういう時くらいに返していかないとな。

 恥ずかしいし、そんな気持ちを微塵も見せる気はないけど……。


「……ちょっと待ってて」


 忘れ物というものは人間だれしも一度はあるものだし、特に大事なものに限って忘れてしまうなんてことも多い。

 だから自分だって受験カードに関しては封筒が届いたその日に持ち歩く財布に入れるようにして絶対に忘れることないようにしたし……。

 でも、それでも忘れることは無いってこともない。

 いまここに先生みたいな人はいないし、当然先生たちのいる職員室の場所もわからない。

 けど、これだけしっかりしているんだ。もしもの為に多分用意してあるはず。


「えっと……」


 防人は机周辺の操作ボタンに触れ、モニターを点け、携帯と同じように画面ロックを外すと待ち受け画面には刀剣と虹、そして翼をモチーフとした学園の校章(シンボルマーク)が中央に表示される。


「これ、かな?」


 彼はトップ画面の角にある『メニュー』と書かれた歯車アイコンに触れ、表示された一覧にある『ヘルプ』を選択(タップ)し、ヘルプ内の『連絡』という表示に指で触れる。


『それでは係りの者へ繋ぎます。よろしいですか?』


 モニターに表示された文字を見て防人は席を植崎へと譲るために立ち上がる。


「……なぁ、言うのもやってくんねぇかな?」

「嫌だよ。自分の事は自分で聞いてくれ」


 もしかしたら『どうぞ、お帰りはあちらです』の一言で済ませられかねないこともないが、まぁ伝えないよりは伝えた方が断然良い。

 『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』というやつだ。


「そんなこと言わねぇでよぉ」

「いや、そもそも他人の事を言うのは良くないだろうし、自分で言った方が良いって」

「後生だからよぉ~」


 珍しく弱気な植崎に防人は少しだけ驚きはするものの時間が残り少ないので彼は無言で『OK』に触れて先へと進める。


「――あ、おい!」


 植崎は焦りの声を上げるもすぐに繋がった連絡に対応せざるを得なくなった為、ヘッドセットを耳に当てながら話し始めた。


「はい……名前は植崎 祐悟っす。……カードを忘れて……すんません。はい、はい……わかりました」


 ぎこちない様子ながらも出来る限りの丁寧な連絡をとろうとしている植崎の後ろで防人は友人のどことなくうれしそうな表情に首を傾げる。

 何を言われているかはこちらには聞こえてこないので詳しい状況は分からないが、少なくとも怒られているのか、呆れられているのかのどちらかだとは思う。

 とはいえ罵倒されて喜ぶ趣味は無かったはずなので喜んでいるはずはない、と防人はあれはあいつなりの悲しそうな表情なのだと解釈する。


「ふぅ~」


 どうやら話は終わったようだ。

 防人は植崎から席を返してもらい腰かけると彼の方を向いて質問をする。


「それで、結局なんだったって?」

「あぁ、ちゃんと席の場所も教えてもらったしな、座ったら指紋認証で何とかしてくれるってよ」


 親指を立てて向けてくる植崎に防人は良かったね、と笑みを返す。


「んじゃ、俺様もう行くぜ。登録しねぇといかねぇしな」

「だね。んじゃあまた後で」

「おう!」


 あ、あいつ同じ教室なのか。

 防人は植崎の様子を目で追い、前の方の席に座ったことを確認する。

 そのことに少々驚きつつも大きくあくびをすると彼は休むか、と小さく呟いて再び机にもたれかかる。


――問題無さそうでほんとよかった。


 防人は頭を伏せたまま静かに微笑む。

 連絡することで少なくともこういった想定外の物事に対処できるほどの対応力がこの学校にもあるということも分かり、少し安心する。

 忘れ物1つで生徒を見限ってしまうような冷たい学校ではないということ、ちゃんと対応してくれる大人が一人はいるのだとに安堵する。

 考えすぎかもしれないけど、それでも大人としての義務を放任するような奴よりは断然マシだ。

 言葉の暴力で傷ついた心の傷を一切見ることなく、外見の傷すら目をそらすような奴よりはマシだ。

 その点を考えると中学の頃は本当に酷かった。


「まぁ、今さらどうでもいいけど……」


 防人は静かに瞳を閉じると試験開始の時間を待った。

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