094『主人の帰宅』
「あぁ……早くシャワーを浴びて眠りたい……」
一週間にわたる死闘。
来る日も来る日も続けさせられた強制的な戦闘訓練は当然、防人の心を疲労困憊へと陥れており、今に倒れてもおかしくない状況だ。
防人はグチグチと文句を垂れ流しながら、歩くのも億劫になりながらも重い重い歩みを進めてていき、通路の一番奥に存在する自室へとたどり着く。
「ただい――」
「――あっ!」
ドアを開け、ようやくと足を踏み入れた瞬間――シュッ、という空を切る音が鳴ったかと思えば、ギロリと光るものが眼前を掠めて通過する。
「――!?」
刹那――タンッと心地よくもある音が鳴こえ、恐る恐るそちらへと振り返るとそこには1本のサバイバルナイフが壁に突き刺さっていた。
肝を冷やしつつも次は刃物が飛んできた方へ視線を移すと防人のTシャツを着た若草色の髪をした幼女が奥の方でこちらを向いて立っていた。
「あはは……ATせんぱい。お久しぶりですー」
――違うってのに……全く……。
「絶華……お前、何やってるんだ?」
てっきり彼女の『兄』が来て一緒に帰っているものと思っていたが、ここにいるということはその人は来なかったということなのだろうか?
連絡がいってなかったからここには来てない?
……いや、自分をあのアークへと連れて行く際、絶対誰かが気づくはずだし、あの箱を持ってきたのはATの関係者であることは確実だろう。
となるとやはり彼女の言う兄はまだ来ていないということなのだろうか?
「なにって投げナイフの練習ですよー。遠くから狙った獲物を仕留める訓練ですー」
「いや、そういうことじゃなくて……なんでナイフなんか投げてるんだよ」
恐らく何度も何度もここに向かって投げたのであろう。ナイフによって傷つけられ、穴が開いて壁はボロボロになってしまっていた。
防人は壁の修理まで頼まなくてはならないことに頭を悩ませつつも壁のナイフを抜き取り、リビングへと入っていく。
もしかすると彼女の兄が待っているのではないかと淡い期待を寄せるものの、リビングにそれらしい人影はない。少し、残念だ。
「……でも練習しないと腕がナマッちゃうですよ?」
「それはそうかもしれないけど……練習なら外でやってくれない?」
「うにゅ? でもわたし、おにーちゃんが帰ってくるまで部屋を出ちゃだめって言われてるですよ?」
「え? そうなの?」
「はいです」
「ん〜、じゃあせめて壁があんなふうにならないような道具を使ってくれないか?」
「そんなの持ってないですよ〜?」
「あ〜じゃあ……ちょっと待ってて」
防人は眠い瞼を持ち上げながら寝室へと足を運ぶ。
彼は今すぐベッドに飛び込んでしまいたい誘惑に耐えつつもクローゼットを開けると、ここに来てからまだ一度も開けることがなかったキャリーバックの1つを取り出す。
カギを外しその中身を確認するとそこに収められていたのは趣味で購入した小物類。
「えっと……あぁ、あったあった」
フィギュアやゲームの特典グッズなど、持ってきたはいいものの良いしまう場所が決まらず結局放置気味になっていたそれらから防人はあるものを手に取るとバックをしまい、リビングへと戻ってくる。
「ん? ――おぉ!? これわたし知ってるですよ。ニンジャの武器です!」
「クナイな。まぁ修学旅行に行ったときに買ったやつだけど……重さは本物に近いらしいからとりあえずこれで頼む」
「おぉ、分かったです」
防人から絶華へと手渡されたのは黒いクナイと手裏剣。
硬いラバー製で出来ているそれらには当然刃はついておらず、これなら壁が傷だらけにされる心配もないだろう。
「それじゃ、僕はお風呂入ってくるから……あ、でもその前にご飯作った方が良いか?」
「ご飯? わたしもう食べちゃったですよ?」
「ん、そうなのか? 分かった。じゃお風呂行ってくる」
「いってらっしゃいでーす」
元気よく手を振る絶華に防人は軽く手を振り返し、返事をすると足元に散乱するゴミに気をつけつつ浴室へと向かう。
「ATせんぱいお帰りです。サッパリしたですか?」
「あぁ……うん」
「それはよかったです」
「……?」
――なんか大人しいな……。まぁ、殺されかけるよりかは充分マシだけど。
「……なぁ」
練習は終わったのか、棒アイスを片手にリビングのソファーにちょこんと腰掛けくつろいでいる絶華。
「何です?」
「いや……なんというか部屋の掃除とか出来ないの?」
初対面の時と比べ、だいぶ大人しめであることに防人は少し違和感を覚えつつも彼は現在のリビングの惨状について苦言を呈す。
防人がいない間、勝手に着たのであろう彼の服や食べたのであろうお菓子の袋、レトルト食品の空箱などが床に散乱しており、まるで泥棒が入ったのではないのかと思うほどに散らかってしまっている。
「うにゅ? きれいじゃないです?」
「君の周りだけならね。全く、『ゴミはゴミ箱へ』それぐらいは常識なんだからやってくれないかな」
「でもゴミ箱はもういっぱいで入りきらないですよー?」
「えぇ? ……たくっ、どんだけゴミ出してるんだよ」
防人はガサガサと台所の引き出しからごみ袋を取り出して絶華に手渡す。
「頼むから明日までに片付けといてよ。僕、もう寝るから……」
「えぇ? 手伝ってくれないですか?」
「無茶言わないでくれ。1週間ずっと戦いっぱなしで疲れてるんだよ」
「眠らずにです?」
「あぁ、そうだよ」
「じゃあ、分からなくもないです。ATせんぱい、おやすみなさいです」
「あ、あぁ……おやすみ」
――やっぱり大人しいな。大人し過ぎるほどに……何かあったのかな?
「ふわぁ……あぁ〜ダメだ。眠い……」
絶華の妙な大人しさに若干の気味悪さを覚えるもののシャワーで温まった防人の眠気は最高潮に達しており、もはや限界を迎えていた。
ゆえに頭を乾かすことなく、ベッドに倒れ込むようにして彼は床についた。
「……ZZZ」
明かりの消えた薄暗い部屋。
エアコンもつけず、静かな室内には防人の寝息だけが静かに響いている。
時計の長針が頂点をこえた頃、リビングから絶華が顔を覗かせる。
「寝た……ですか?」
抜き足差し足、と音を立てないように静かにベットへと近づく絶華は眠っている防人の顔を覗きこみ、ニコリと微笑むと本当に寝ているのかを確かめようとシュルシュルと棘を伸ばし、その先で頬を突いたり、鼻を塞いだりして確かめる。
「ううん……ZZZ」
「寝てるですね。ふふふ、これでついにおにーちゃんに会えるです。でも、そのためにまずは……」
彼女はニコニコとした笑みを浮かべながら棘を防人の枕元へと伸ばしていき、コッソリと生徒手帳を拾い上げるとそのまま部屋を去っていく。
⬜⬜⬜
本部での仕事終えたブレアは既に自分の研究所へと帰って来ていた。
「来たな……」
自室として使っている一室で待っていたブレアはおもむろに懐からメスを取り出すと後ろ上へと向けて投げる。
「ヒェー!」
わざとらしく悲鳴をあげるとともに器用にメスを咥えた傭兵『真栄喜游』は天井から降りてスタッと綺麗な着地をしてみせる。
「あっぶないなぁブレアさん。俺が怪我したらどうするんですか?」
「知るか……さっさと話せ」
「あれ? なんか怒ってます?」
「いいからさっさと報告しろ!」
「あーはいはい。わかりましたよ。全くそんなピリピリしてたらまぁた小ジワが増えちゃいま――」
「あ゛ぁん?」
「あ、はい。すみません! 話しまッス!!」
游は向けられた眼光に対し、ビシシッと力強く敬礼するとブレアに任されていたリラを始めとしたクレイマー・シュタインの子どもたちに関する報告を開始する。
「そうか……やっぱり、あの小娘たちは全員自ら戦うことを望んだか……」
「うんうん。ほとんどの子供たちが即答してさ……いやぁ~満場一致っていうの? こういうの自分が出した意見とか案とかで起こったら爽快だなぁっと僕ぁ思いましたよ」
「お前の私的意見とか聞いてねぇよ」
「えぇ~冷たいなぁブレアさん。もっとその包容力ありそうな豊満な胸で俺を包み込んでくださいよ~」
「あ゛ぁん?」
相変わらずの陽気な態度にカチンッと来たブレアはサッと取り出したメスを構え、游の伸ばした手が軌道上に来るように素早く振り上げる。
「おわぁ!」
彼女が投げるよりも早く游は反応し、わざとらしく声を上げつつも彼はサッと手を引き戻して難を逃れる。
「チィッ!」
「あっぶな、あっぶなぁ! もう、怪我したらどうするんですか?」
「嫌なら今後私へのセクハラ発言と行動は控えることだな」
「はぁい。りょーかいしました……そんなおっかないから小ジワが増えるんだよ」
「何だと!?」
「いえ、何でもありません」
「フンッ……で? 事前に連絡しておいた例の件はどうなった?」
「輸送の話ですか?」
「あぁ……」
「あれについては……まぁ、一応子供たち皆に話はしておきましたがね。さすがに人体実験されかねないと分かっているところに行きたがる奴はいませんよ」
「そうか、まぁそうだな」
「それよりも俺は……」
シャキンとメスが光る。
「ほぁぃ! ちょちょまだ何にも言ってませんよ?」
「不穏な空気を感じた」
「えぇ?? そうですかぁ? 殺気とか出してたかなぁ?」
「私を殺す気なのかどうなのかお前の考えが何だろうとどうでもいいが、こっちは契約して金を払っているんだ。仕事はしっかりとこなしてもらうぞ?」
「りょーかい。ンじゃ雇われ兵に過ぎない俺はこれより命じられたガキどものお守りをしてきま〜す」
シュタッと彼は冗談半分に敬礼をして部屋を出ていく。
「……たまには化粧でも使ってみるかな」
しばらくして游に言われた顔のシワを気にするブレアなのであった。




