第9話 妹
食事の間を出ておよそ十五分、未だ晶嘉は壮大な造りの建物から出ていなかった。
恐らくの原因は、騎士の言っていたルートの途中にあった秘密の階段の様なものに心惹かれたからだろう。
今の晶嘉の状態を簡潔に言えば…
「なんということだ…出口が迷子だ!!」
迷子である。
何となく触った壁に仕掛けがあったらしく、燻んだ木で出来た登り階段が出てきたため登り、幾つか角を曲がったところで出てきた、冷気を感じる部屋を開けてみると其処には今度は降り階段があった。
白を基調とした建物に場違いな黒い石造りの階段があったならこれは降りてみるしかないだろう、と言うのが晶嘉の言い分だ。
出入り口を探すのは既に二の次、そのうち見つかるだろうという考えになっている。
先ほど登ったよりもかなり長いこの階段は地下にでも続いているのだろう。階段を下に降りるに連れて異様なまでに気温が下がっているように感じられた。一定距離毎にある壁掛け灯籠の火だけがぼんやりと光っている。
階段が終わり、その先に見えたのは幾つもの空の牢獄だった。錠前は壊れ、鉄格子は赤錆に塗れておりお世辞にも綺麗とは言い難い。
特に興味の引くものもないし戻るか、と晶嘉が踵を返したときだった。
「ねえ、そこの貴女…少しだけ私の話し相手になってくれない?」
一番奥の牢から声がした。おまけに青白い手がこちらに手招きしている。
普通の人であったならここで絶叫を上げながら元来た道を猛ダッシュで戻るところなのだがそこは晶嘉、「なんかいた!」と思っただけで近づいていった。
「へえ…貴女、この世界の人間じゃないんだ」
牢の中にいたのは沢山の本に囲まれた、晶嘉と同じぐらいの年齢の銀髪の少女だった。
「この世界の人じゃないなら、やっぱり勇者?でももしそうならあの王が万が一にでもここに来るようなことはさせないはず…なら貴女、もしかして巻き込まれたの?」
「まあ巻き込まれたといえばそうだが…説明が面倒くさいな。簡単に言えば私が勇者ではなかったというだけだ。それに私はさっさと元の世界に帰りたいからな、話すならさっさと話してくれ」
「面倒くさいって…まあいいわ。何か大切な人でも向こうにいるの?だったら残念ね、この世界と向こうの世界だと相当時間の流れが違うみたいよ。だからさっさとこの世界で生きる覚悟をしないと後がキツイんじゃない?」
「それでも、私は帰らなくてはいけない。兄ちゃんと、兄ちゃんの作った料理が私を待っているんだ!」
「そう……ん?料理?」
晶嘉の至極真剣そうな顔に対して、少女は思わずポカンとなった。
「料理」まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったからだ。
料理、りょうり…と反復した少女は、プルプルと肩を震えさせ、遂に耐えきれなくなったのか笑い出した。
「あッはははははは!まさか帰りたい理由がそんな物だとは思わなかったわ!」
「何が可笑しい…ここの料理は不味かったし何より兄ちゃんの料理が食べられないというのは私にとっては死活問題なんだぞ!」
「ぶふっ、…ここの料理人って事は王宮料理人とほぼ同等の腕を持つ料理人よね…それを捕まえておいて不味いとは…あなた、プッ…相当なグルメなのね」
失礼なほどに笑い続ける少女が言うと、晶嘉の頭の中に機械的な声が響いた。
『称号《グルメ(自称)》を獲得しました』
「ん?」
「…?どうかしたの?」
「いや、なんかお前が私のことをグルメだとか言ったからか称号に『グルメ(自称)』とやらが追加されたらしい」
「へぇ…そんな簡単に称号がつくなんて珍しいわね。あぁ、異界から来たからそこら辺も違うのかしら?」
そこまで言うと少女は苦しそうに咳き込んだ。
晶嘉は人を盛大に笑ったりするから咳き込むんだ…と思ったが、どうにも様子がおかしい。
何かを吐き出そうとする様な咳のせいか、途中途中にヒューヒューという呼吸音がしている。
「お、おい、大丈夫か…っ!?」
流石に心配になって少女の牢に近付き、その格子に触れた時だ。
召喚された部屋を出る時同様、視界に映るもの全ての白黒が反転した。
今度は二秒ほどの時間だった。
その白反転した中では赤錆びた格子にはどろどろと滴り落ちる白いヘドロのような物が付いていて思わず手を離す。
肥大した白いヘドロの隙間から見えたのは、先程まで話していた少女と、その少女の背中にへばり付く大きな蚤の様な生き物だった。