第8話 兄
意味のわからない現象を受け止めてみて、緑華は今一番何が不安かというと自分のことより元の世界にいるであろう二歳下の妹、晶嘉のことだった。
容姿端麗、頭脳明晰といった言葉のとても似合うハイスペックな妹は、こと兄である緑華と彼の作った料理に関しては尋常でないと言わざるを得ない。何が尋常でないかというと、その執着が、である。
昔から親が放任主義…もとい若干の育児放棄気味であった為、小学校低学年の内はご飯は基本的に出来合いの惣菜を買って食べ、緑華が包丁をしっかりと使えるようになって以降は食事の用意は彼の担当と言っても過言ではなかった。
さらに言うなら緑華が中学二年の時の冬には両親が仕事の都合で海外赴任してしまい、一年に一回帰って来ればマシな方だ。まあ、これについては今は関係ないが。
実際のところ晶嘉自身に聞いたことはないが、緑華は幼い頃からの『人の手料理』への憧れから強い執着を持ったのだと思っている。
それの反動かインスタントラーメンや冷凍食品と言ったものを極端に嫌っている晶嘉は、果たして緑華のいない状態で生きていけるのか?
答えは否。食べるのは好きだが作るのは出来ない彼女が、インスタント物を食べるぐらいなら飢えを耐え忍ぶと言い出しそうなことは容易く想像できてしまった。
(そうなる前に絶対に帰らなくてはいけない。)
緑華はそう、心に固く誓った。
ならばやる事はどうやって帰るのか、その方法を知るというこの一点のみである。
「あの、エメラドさん…」
「はい、なぁに?」
「俺、早く帰らなくちゃいけないんです。妹が元の世界にいるんで、絶対帰らなくちゃいけないんです…」
「あぁ、わかってるわ。だからそんな不安そうな顔しないで!そうね、私が知ってることは先代から聞いたことだけだけど、順番に教えてあげるわね…」
ちょいちょい周りの妖精がちゃちゃを入れて話が脱線したりしたが、エメラドが言うことから分かったことは、大まかに三つあった。
一つ目は、こちらの時間の流れと向こうの時間の流れは大幅に違うということ。
人間の感覚で言うところのこちらの一月、三十日は向こうでのおおよそ一時間だそうだ。つまりこちらの二年が向こうでの一日に相当するということだ。
二つ目は、異世界から来た人間を元の世界に帰す方法は魔王に伝えられていると言われていること。
これについては確証は無いらしく、本当かどうかは怪しいそうだ。
三つ目は、緑華を呼んだ術者を殺して、召喚術の効果を無くすという外方があること。
「術者を…殺す…?」
「正確には、『三つの月が一つに重なった晩に百人の血を吸ったコウケンで息の根を止める』だけどね。まあ、この方法は不可能に等しいわ。だいたい私だって未だに月が一つに重なったとこを見たことないもの」
ということは緑華に残された道はその魔王とやらに会って頼むしかないということだ。
エメラドの言うことを鵜呑みにすれば、最悪二年かかっても向こうでは丸一日行方不明だった程度ですむ。
となれば猶予は二年から三年程度。
思った以上に猶予があって、緑華は少しだけ安心した。
ぐうぅぅぅ
「え、何?今の音」
『りょっかのおなかのおと?』
『りょっかおなかすいた?』
「……ああ、まあ…」
安心したせいか、お腹がすごく減った緑華であった。