第89話 夜のドライブ(後編)
安全な速度で車を走らせる。同乗者とのお喋りを楽しみ、山を走り海を走り見える景色に心を癒す。冬は暖かい車内で好きな音楽に鼻歌を歌い、夏は窓を開けて爽やかな風を肺に満たす。
本来、運転ってそういうものだと思ってたんだけど。
「うわあぁん! 無理無理っ、無理ですよぉ! 運転代わってください如月さん!」
外の景色が物凄い勢いで後ろに流れていく。僅かに開いた窓の隙間から轟々と風が吹き抜けていく。心臓がバクバクと破裂しそうなほどに高鳴り、体中に汗が滲んで暑いのに、頭はどこか冷たく血の気が引いている。
泣き言を言いながらも私の足はアクセルを踏み付ける。アクセルから離せないのだ。離したら、速度を落としたら追手に捕まるし、そうでなくとも恐怖で足が固まっている。
約千キロもある鉄の塊がこんなにも高速で動いている。そしてそれを動かしているのが自分の足だという事実が恐ろしい。まるで弾丸に乗っているような気分だった。どこかに、誰かにぶつかりでもしたら、相手も私達も無事では済まない。
「運転なんてしたことない! 何も分かんない!」
「大丈夫、オートマだから!」
「何それ!? 私出来ないですって、運転なんて無理ですって、東雲さんやってくださいよ!」
「俺は免許持ってないから無理だな」
「私まだ十七歳!」
免許どころか誰かの運転する車に乗ったことも少ない。救いを求めてみたところでこの二人には意味がないのだろう。辛うじてアクセルやブレーキの位置が分かるというのが幸いだった。
ハンドルを動かすことさえ怖かった。目まぐるしく周囲に視線を送り、障害物や歩行者の存在を認知するので精一杯だ。時々他の車にぶつかりそうになっては、ビクッと手が反射的に動いてスレスレで避けるということを繰り返す。隣の如月さんは前も見ずパソコンを弄っているし、後ろから聞こえてくる銃撃音からするに東雲さんも手一杯だろう。うぅ、と涙を飲み込んで必死で頭と手を動かす。
「ネコ、その道を曲がって」
「え?」
「ほら右。早く!」
如月さんが突然顔を上げて右を指す。慌てて私はハンドルを切った。だがタイミングがおかしかったのか、危うく対向車にぶつかりそうになってしまい悲鳴を上げる。本当に危いところで大破を免れたらしく、後ろの方からガチャンと音がして一瞬車体が揺れる。飛んでいった破片が目の前の道路に落ち、タイヤが破片をバキリと踏んでいった。
落ち着く間もなく如月さんが今度は左だと指示を飛ばす。パニック状態のまま私はハンドルを回し、大きなカーブを描いていく。後ろから聞こえてくる銃声はまだ収まらない。
「次も左。二つ目の信号を真っ直ぐに」
「二つ目の信号……って! 赤になったばかりじゃないですか!」
指示通り左へ曲がった私は、如月さんの言う信号がちょうど目の前で赤になったのを見た。最悪なことに車通りの多い交差点だ。今にも青信号になろうとしている左右の車がじわりと動き出している。
思わずアクセルを緩めようとする私を如月さんが制止した。そのまま踏んで、という声に目を白黒させながらも、混乱していた私は素直に足を踏み続ける。如月さんが信号を見たままキーボードをいくつか押した。
パッと横の信号が青になった……かと思えば、またすぐに赤になる。走り出しかけていた車が思わずといった様子で急ブレーキをかける。縦横どの信号も赤信号になった交差点を、私達の車が走り抜ける。
「ネコは信号を気にしないで走ってくれればいい」
「え……い、今の如月さんが……?」
「問題なのは後ろだな……っと!」
後ろから激しい衝撃がぶつけられた。動転してバックミラーを見た私は、いつの間にか後ろにぴったりと車がくっ付いていることに気が付いた。そうするうちに、車の両隣にも速度を上げたバイクが二台姿を見せる。ヘルメットを被りライダースジャケットを着たその人達は、揃って銃を抜き容赦なく車を撃ってきた。
「ひゃっ!」
窓ガラスに何発もの弾丸が直撃する。ガラスは防弾仕様なのか、小さなヒビは入るものの割れることはない。けれどサイドミラーの根元に弾が当たったのか、固い音と共にミラーが吹っ飛んでしまった。
後ろからは車が何度もぶつかってくる。その度に車体は激しく揺れた。車体が擦れる嫌な音が耳に響き、振動がハンドル越しに伝わってくる。
「オオカミ、追っ払えないのか!?」
「ずっとやっている! 撃ってもキリがない!」
東雲さんがさっきから銃を連射しているものの、車は一台も追い払うことができないし、バイクも流石に運転が上手い人が乗っているらしく、巧みに銃口を避けて走っている。
「ネコ急げ、スピードを出せ!」
「もっとアクセルを踏んで!」
後ろから、横から、二人は私に大声を飛ばしてくる。カチカチと歯を鳴らしながらハンドルを掴む手に一層力を込める。
「待って、待って。急いでるから、踏んでるから、もうこれ以上できないから……」
運転したことなんて今日が初めてだ。アクセルを踏むこともハンドルを握ることも今まで未経験だったのに、一発目から上手い運転なんてできるわけがない。障害物を避けるので精一杯だ。それなのに二人して速くしろ速くしろと、口酸っぱく言ってくる。
とうとうボロボロと目から涙が零れる。頭の中はパニックを通り越してもはや真っ白だった。ただただハンドルを握り真っ直ぐに進む。涙なんて流したら視界がぼやけて更に状況が悪化するだけなのに、涙を止めることができない。
東雲さんが銃を撃つ音が聞こえる。如月さんがキーボードの上で激しく指を叩く音が聞こえる。二人の間で交わされる大声。外から聞こえるクラクションと空を切る走行音、車の突進される音。
「ま、待ってよぉ……無理だって、そんな、無理…………」
声を上げて泣く私に。必死でハンドルを握る私に。如月さんと東雲さんは、ほぼ同時に叫んだ。
「急げネコ!」
「速く!」
二人の声が同時に私を叩く。
その瞬間、ギリギリだった神経がプツンと千切れる音がした。
「――――うるさい!」
拳でハンドルを殴り付けた。思いのほかその音は強烈に車内に響き、如月さんと東雲さんがピタリと口を噤む気配が伝わってきた。
「さっきからうるさいな! 初めての運転だって言ってるでしょ!?」
私はハンドルを軽く右へ回した。車体が右へ傾き、当然のごとく、右側すれすれにくっ付いていたバイクに当たる。軽い衝突といえど双方のスピードは速く、こちらは車だ。バランスを崩してよろめいたバイクが後ろに下がったのを見て、私はブレーキを踏みながら限界までハンドルを回す。
強烈な摩擦音と焦げ臭い臭いを残し、車は右の通りへと曲がった。咄嗟の右折に付いてこれなかった車二台が慌てて進路を変更しているのがバックミラー越しに見える。私はまたすぐにアクセルを踏み、苛立ちを押さえきれぬ声で二人を怒鳴りつけた。
「ぎゃんぎゃん喚かれても困るだけなの! 運転に集中させたいなら黙っててください! 分かった!?」
もう一度ハンドルを殴って舌打ちをする。振り向く余裕はないから二人の顔は見れない。ただ無言の返事を聞きながら、私は静かに息を吸って、荒れる気持ちを落ち着かせた。
感情に任せた行動だったが、今の運転で大体の車体感覚を掴むことができた。どこまで寄せればこの車を擦らないか、逆にどこまで寄せればぶつかるのか、見当が付く。これならいける、と私は自分の意思でアクセルをぐっと踏み込んだ。同時にハンドルをじわりと左に回し、車体を徐々に道路の左側に寄せていく。当然そんなことをすれば、左側をくっ付いていたバイクとの距離が縮まっていく。
「お、おい……ぶつかるぞ……!」
東雲さんが引き攣った声で忠告をする。バイクから警告か威嚇か、数発の銃が撃たれた。助手席の窓に弾丸が当たり、如月さんがうひぃと情けない声を上げた。
けれど私は限界ギリギリまで車をバイクに幅寄せした。とうとう恐怖に耐え切れなかったらしいバイクが、じわりと左に離れていく。それを追うように、更に私は車を左に寄せた。最終的に車はほぼ道路の左端に寄り、辛うじて残ったスペースにバイクが収まっているという状況になる。それでもバイクはスピードを落として後ろに逃げることもなく、車と並走している。
「大した度胸ですね。まだついてくるなんて」
思わず笑い声を上げた。もしバイクに乗っているのが私だったら、猛スピードの車に幅寄せされる恐怖なんて耐えられない。恐怖を上回るほど、この本に執着しているのだろう。だったらその執着から解放してあげよう。
一本道の道路の先、信号が黄色に変わる。ずっと前を走っていた乗用車が速度を落とし始めていたが、一切速度を緩めないこちらの車はぐんぐんとその間隔を縮めていく。信号を青にしようとでもしたのか、如月さんがキーボードに指を置く。
「赤のままにしてください」
「え? だ、だけどこのままじゃぶつか……」
「大丈夫ですから」
どういうことなんだ、と東雲さんが困惑した声を上げる。どんどんと近づく前の乗用車との距離に、如月さんと東雲さんがぐっと息を呑む気配がした。私は無言でハンドルを握りしめた。
私の目に、前の乗用車に乗った男性と女性が恐怖と驚きに満ちた顔で振り返っているのが見えたとき、ぐるりと手を動かし車を大きく右へと傾けた。紙一重で乗用車を避けた車は、その右側にあった隙間を通って赤信号を突き抜ける。
しかし道路の左ギリギリまで寄っていたバイクは上手く抜けることができなかった。凄まじいブレーキ音を上げてガクンと速度を落としたバイクが、バランスを崩して横転する。車道へとバイクが転がっていき、運転手が乗用車の後部へと激しく体を叩き付けていたのが通り抜ける際、横目に見えた。
「よしっ!」
残りは二台の車と一台のバイク。バックミラーに映る追手との距離が少し離れた隙に、私は如月さんに訊ねる。
「如月さん。次はどの道へ進めば?」
「あ、えっと。この先を真っ直ぐ行った所にある、中古車販売店に行きたいん、です、けど…………」
「中古車販売店? よく分かりませんけど、近道にできそうな道路はありますか」
道路を真っ直ぐと言っても、今進む道路は一般車が何台も走っており危険だ。休日ということもあって外出する人々が多いのだろう。
如月さんがちょっと躊躇ったように咳き込み、そこを曲がれば自動車道がある、と私の問いに答えた。自動車道。横断歩道や歩行者がいない分、この道より大分走りやすいだろう。
私は二人の反応を待たずにハンドルを切ってその道へと進む。左右を森に挟まれた自動車道は、きっと秋だったら紅葉が美しく映える素敵な道路なのだろう。しかし今は寒々しい枯れ木しか見えず、何より悠長に景色を楽しむ暇がない。
前方を走る乗用車を追い越しバックミラーを見る。今追い抜いたばかりの乗用車の陰から現れた車とバイク。走りやすい条件は相手も同じ。だから、距離を縮められる前に限界までアクセルを踏み込む。
速度が上がっていく。メーターの百の数字をとうに超え、百四十、百六十とみるみるうちに数字が変動する。景色は高速で流れていき、ポール向こうの反対車線を走る車など、もはや目にも止まらない。
「ね、ネコッ! 大丈夫なのかそんなに速度出して!」
「あは……何だか楽しくなってきました」
死と隣り合わせのスピードに頭がおかしくなってきた。背筋をゾクゾクと這う恐怖に似た快感に、思わず舌を舐める。無茶な運転をしているのは決して運転に慣れたからではないし、コツを掴んだと言ってもそもそもこんな短時間で運転の技術など身に付いているわけがない。ただ自棄になっているだけだ。
止まることができないなら進むしかない。速度を落として捕まるか速度を上げて事故に遭うか。どっちにしろ死の危機が高いなら、いっそ限界までいってしまえ。
しかしどうにも追手を撒くことができない。このままでは振り切る前に目的地に着いてしまう。
「……………………」
この自動車道の中央分離帯は、定間隔で並ぶラバーポールによって区切られている。常に混むような自動車道や高速道路とかならもっと柵や縁石などしっかりした作りがされているだろうけれど。
以前ニュースで、ポールを飛び越えて反対車線に突っ込んでしまった車の交通事故映像を見たことを思い出した。セメントなど固い素材の物でなければあのポールはきっと柔らかいはずだ。高速でぶつかれば障害物だとも感じないほどに。
反対車線を走る車はちらほらと見える。数は少ないといえ、こちらがスピードを出しているせいで、擦れ違う一台一台が風を切る音は猛烈だ。
前を見る。こちらも車通りは少ないが、視界に映るギリギリ遠くの位置で数台の車が固まって走っているのが見えた。あそこで足止めを食らえば後ろの彼らに追い付かれざるを得ない。
「よし」
私はぐっとハンドルを握り、アクセルを靴底で踏みにじる。メーターを振り切った位置で針はゆらゆらと揺れている。
「しっかり捕まっていてくださいね二人とも」
「何をする気だ?」
「ドキドキすること」
これ以上に? と東雲さんが引き攣れた声で言う。振り返ってどんな顔をしているのか見てみたかった。それほどまでに強張った声音だったから。
遠くに見えていた前車がいつの間にかすぐ目の前に迫っていた。反対車線を一台の車が通り過ぎ、次の車がやって来るまでの間に僅かな空白ができていた。
素早く吸い込んだ息を止め、ハンドルを右に切る。フロントガラスに中央分離帯のポールが一瞬映ったと思えば、タイヤでそれを踏み潰す感触がした。その次にフロントガラスに映ったのは、真っ向からこちらに向けて走ってくる乗用車の姿だった。運転手の恐怖に引き攣った顔と一瞬目を合わせる。
間髪を入れずハンドルを左に切り、またポールを乗り越えて従来の車線に戻る。バックミラーに数台で固まっていた乗用車が見えたが、その車達との距離は見る間に離れていく。その更に後ろに見える追手達は、苛立った様子でその場に留まっていた。
「――――っは!」
ずっと止めていた息を吐き出した。死の恐怖に縮こまっていた心臓が一気に血を全身に巡らせ、ドクンドクンという鼓動が脳にまで聞こえる。汗びっしょりの手でハンドルを小刻みに操作しながら反対車線を見ると、幸いにか数台の車が続けて走っている。数秒とは言え十分に時間を稼げるだろう。
やりましたね、と歓喜に声を弾ませた。如月さんと東雲さんから返事はなかった。
自動車道を抜け速度を落としながら公道を走る。目的地である中古車販売店に入り、たくさんの車が並ぶ一角に車を止めた。販売店と言ってもどうやら店は経営していないようで建物の下りたシャッターに閉店しました、とだけ書かれた黄ばんだ紙が貼られていた。並ぶ中古車もよく見ればどことなく古めかしい。
速度感覚が変になっていたためか止める際にガクンと車体が揺れたが、無事に止められたから良しとしよう。車から降りた如月さんに続き私と東雲さんも外に出る。地面に立ち止まっているのが何となく慣れず、少しだけふらついた。
ここからどこに向かうのかと思っていると、如月さんが辺りを見回して、タクシーを止めるかのように大きく手を振った。しかし周りには誰もいない。誰に対しての合図だろうかと見ていれば、並ぶ車の中からスッと音もなく一台の車がこちらにやって来た。光沢のない黒い車、運び屋の車だった。何も言わず如月さんが助手席に乗り込み、私と東雲さんも後部座席に座る。
「目的地は先程連絡した通りで」
如月さんが運転手さんに伝える。先程ということはもしや、走っている最中に如月さんがやっていたのは信号を変えることだけじゃなかったのか。
畏まりました、と初老に見える運転手さんが静かに答える。スーツの袖を軽く直した運転手さんは、バックミラー越しに私と東雲さんへと視線を投げかけた。
「シートベルトをお締めください」
「は、はい」
急かす様子もなく淡々と言う様に、少し気を抜かれる。おかしな方向に昂ぶっていた気が静められたようだった。運転手さんの眼鏡越しの冷たい目に射竦められながら、すぐにシートベルトを付ける。
それを確認してからようやく車は走り出した。店を出て道路を進んでいく。車が変わったことで追手も乗っているのが私達であると気が付かないんじゃないか、なんて期待を抱いたものの、その期待はすぐに冷めてしまう。数分もしないうちに後方に見えた追手の車とバイクは真っ直ぐにこの車の方向へと向かってきていたからだ。店に止まっていた、片方のサイドミラーがなくなっている車に気が付いたのかも。もしくはこの車が運び屋の車であると分かっているとか。
けれど運び屋の車は一向にスピードを上げはしなかった。制限速度を超えないラインの速度は、さっきまで運転していた車と比べれば天と地ほどの違いがある。私はしきりに後ろを確認して焦りに手を握る。
「大丈夫なんですか? 追い付かれちゃいますよ? もうすぐそこまで……」
思わずそんな言葉を漏らしてしまう。隣の東雲さんは何も言わないものの、彼もまた銃を握り、いつでも撃てる用意をしていた。運転手さんは何も言わない。如月さんが代わりとばかりに大丈夫だと呟いた。
ウィンカーを出し、車はゆっくりと右に曲がる。しかしその先は家と家が建つ間の狭い路地で、左右をコンクリートの塀に囲まれていた。車一台通れるかどうかも怪しい。
だが私の不安を解消するかのように車はスムーズにその道を走り出した。滑るような運転で壁の間を通り、狭い曲がり角も難なく曲がる。何気なく窓の外を見て、車体と塀の間に数センチの隙間もないことにぞっとする。車は道を抜けるまでどこにぶつかることも一切なく、その間スピードは限界速度ギリギリを保っていた。追手の車は私達と同じ道を通ろうとしたものの、塀に激しく車体を擦り付け、最終的に電柱に激しく衝突して動かなくなった。
残りの車一台は迂回するためか別の道へ消えていく。だが小回りの利くバイクは事故に遭った仲間の車の横を通り抜け、路地を通ってこの車を追う。路地を出た私達の横に並走するように残る車が姿を見せ、バイクも二台の車の後ろを追う。
車の窓が開き、伸ばされた手に握られた銃がこちらに向けられる。今にも引き金が引かれそうな銃に思わず身が跳ねる。しかし私が身を低くする前に、突然運び屋の車が急ブレーキをかけた。うわっと私が声を上げるのと、外から聞こえた銃声が見当はずれの場所から聞こえてきたのは同時だ。
ガコガコと運転手さんがシフトレバーを動かしながらハンドルを切り、ブレーキをかけたことで衝突しそうになっていた後ろのバイクを避ける。かと思えばギアをバックに入れ、アクセルを踏み込んだ。今まで前に進んでいた車が後ろ向きに走り出す。後ろの乗用車からクラクションを鳴らされるも、運転手さんはバックミラーを見ながら他の車を巧みに避けていた。
追手の車が慌てて向きを変更しようとするも上手くいかず、横から突っ込んできた乗用車と衝突してしまっていた。激しいクラクションが聞こえる。バイクだけは同じく急ブレーキをかけ大きく車体を逆向きにすると、即座に私達の車を追ってきた。
「っ!」
運転手さんの手が驚く勢いで動き、ギアが次々に変わっていく。タイヤが唸りを上げて回り、車の向きが逆になる。今度こそ正面向きに戻ったこの車は、また右へ左へと進行方向を変えて道路を進む。道のせいか車通りはさっき私達が通ってきたところより遥かに多く、障害物である他の車が増えている。それでも障害物なんてまるで最初からないかのように、見事に隙間を塗って進んでいく。
バイクも必死に食らい付いてきているものの、それでも車にぶつかりそうになって慌ててスピードを落としたりと、上手くいかない様子だ。それでも諦めずに追ってくる。最後の一人になったという事実が更に彼の執着に火を付けているのだろう。
「って、そっちは工事中!」
車がまた小道へ進むと思えば、この先工事中と描かれた看板が道の入り口に立っていた。私の叫びも看板も、気にも止めずに運転手さんはそちらへ車を進める。何で、と目を剥くが答えを教えてくれるわけはない。
まだ舗装されていない砂利道を走るとガクガクと車体が上下に揺れる。侵入してきた車に対し、工事をしていた作業員達が大きく手を振って制止の声を上げていた。先に見えたの砂利も何も敷いていない、ぼっこりとした大きな穴が開いている。
車が徐々にスピードを落とす。背後からバイクが迫ってくる。その距離がたった数メートルまでになったとき、突然私の体が横にふっ飛ばされそうになった。シートベルトが体に食い込みながら、体が飛ばされるのを押さえている。ギャルルとタイヤが砂利を踏みにじる音がする。パニックになりながらも、車がその場で素早く向きを反転させようとしていることに気が付いた。
後輪が踏みにじった砂利が周囲に飛び散る。勿論それはバイクにも容赦なく降りかかる。大量の砂利に堪らずバイクの運転手が片腕で顔を守る。そして車は追い打ちをかけるように、バイク目がけて強烈なハイビームを向けた。後部座席に座る私も一瞬目を細めるような光。それを眼前に浴びせられたバイクは一瞬顔を伏せた。一瞬で十分だった。
車はバイクの横を擦り抜けて逆方向へ。すぐさまそれに気が付いたバイクの運転手だったが、スピードを出していたバイクが工事中の穴に突っ込むまでに一秒とかからなかったろう。
激しい衝突音とバイクの壊れる音を背後に、運び屋の車はゆっくりと工事中の道を出て行った。
駅前で私と東雲さんは車から降りた。助手席から身を乗り出した如月さんが本を振りながら私達に微笑みかける。
「今日はどうもありがとう。助かったよ」
「もう大丈夫なんですか?」
運び屋がいるから、と如月さんは答えた。
最初から私達を護衛として逃げ、その後運び屋の車で目的地まで行く予定だったのだろう。確かに運び屋と言うだけはある。この車ならどんなことがあっても無事に目的地まで辿り着けそうだ。
運び屋の車が去って行った道路を私はぼんやりと眺める。夜の道路、ライトを眩く照らして走る多くの車の姿。等間隔に並んでのんびりと走る様を見てうんうんと頷く。
「速いだけが上手い運転ってわけじゃないんですねぇ」
そうだな、と隣で小さく東雲さんが同意を零す。運び屋の運転を見習って私ももっと技術を磨かなければならない。今日みたいなことがまた起こったときのために。
えへへ、と思わず笑い声を零す。怪訝な東雲さんの視線に見下ろされつつ私は頬を掻いた。
「今まで運転なんて考えたこともなかったですけど、来年になったら教習所に行って免許取っちゃおうかな」
「お前は二度と運転席に座るな」
「なんでぇ!?」
東雲さんは重い溜息を吐き、どことなく青い顔で歩き出す。どういうことですかと頬を膨らませながら私は彼の背を追いかけた。




