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第85話 囮

「あのときの男性が犯人ってこと……?」


 恐らくは、と東雲さんが頷く。

 一通り東雲さんの話を聞く限りこういうことだった。昨晩私が一条さんを引っ張って逃げたとき。あのとき一条さんと一緒にいたセンター分けの男性は、他の子に声をかけられて車に乗り込んでどこかへ去って行った。そして翌日の今日、その声をかけた子が第七区のホテルで死体となって発見された。


「そうと決まれば話は早いです。早速、あの男性を捕まえに行きましょう!」

「待て。決め付けるのはまだ早い」


 勢い込んで探しに行こうとしていた私を東雲さんが止める。どうしてですか、と首を傾げると彼は説明してくれた。


「俺達はあの男が被害者と車で去って行く場面しか見ていない。あの男が犯人だと確定するには早すぎる。俺達の仕事を今一度理解しろ。俺達が犯人だと決め付けることはつまり、相手を殺すという意味になるんだ。判断を誤って無関係な人間を殺してしまうことの方が問題だ」

「……でももたもたしてても、また犠牲者が」

「ああ。だから、どうするか……」


 次に誰が犠牲者となるか分からない以上、犠牲者となりそうな人に目星を付けて見張る、なんてことはできない。疑わしいあの男性を見張ることにするとしても、新しい犠牲者が出ない以上こちらから手出しはできない。

 どうしたものか、と私と東雲さんは難しい顔をする。いい解決策が思い付かない。

 カラン、とベルが鳴って私達は顔を上げた。冷たい風をまとって靡いた黒髪を撫でながら、お喋りオウムに入ってきた真理亜さんが私達を認めた。


「あら和子、こんばんは」


 ふっと口元に笑みを湛えた真理亜さんが私に声をかけてくる。そういえばこの事件の第一犠牲者は真理亜さんが調べていたのだったか、と思い出した。


「ちょうどいい人魚。今オオカミ達にも、お前が調べてるのと恐らく同じ案件を依頼している。情報共有も兼ねて、分かったことがあったら伝えてくれ」

「ここで?」

「ああ、この場で」

「……あまり和子には聞かせたくない話なのだけど」


 私の方を一瞥し、真理亜さんは渋々といった様子で口を開いた。


「被害者の女子高生は両親と不仲で学校でも浮いてる存在だったみたい。彼女のクラスで流行っていた噂は、彼女が売春を繰り返していたって話よ。悪い男に捕まって殺されたんだって言われてるみたい。それから……死体の体内には男の体液が残っていたって。それも、扼殺された後に」

「最中に衝動的に首を絞めたわけじゃなくて、殺してから性行為を行ったってことか」

「そういうこと」


 生々しい話だ。こんなことを平気で行える犯人に、改めて怖気が走る。


「最初の被害者も次の被害者も、そして三人目も。全員売春していたところを狙われているみたいだね」

「昨夜広場で張り込んでいたのは正解というわけだ。あそこなら、そういう目的の男女も多いからな」


 如月さんの言葉に東雲さんが頷く。

 と、その言葉を聞いていい案を思い付いた。これ以上一般の犠牲者を出さず、あの男性が犯人だと特定できるいい案を。

 あの、と挙手をする私に皆の視線が集中する。私は思い付いた案を張り切って発言した。


「誰かが囮になるのはどうですか? 売春目的の女性を装って、あの男性に声をかけるんです。三人目の犠牲者があの男性に声をかけて殺されたんだとしたら、あの男性は最初から特定の女の子を狙っていたわけじゃないはずです。こちらから声をかければ乗ってくるかもしれない。新しい一般の犠牲者が出ることもないし、少なくともあの男性が犯人かそうでないか特定できる」

「誰かが囮って、誰が?」


 如月さんの言葉に頷き、私は自分の胸に手を当てて言った。


「勿論私が」


 皆の丸くなった目が私を見つめる。一瞬の沈黙が訪れる。検討違いな案だったろうかと思いかけたとき、如月さんが静かに笑い声を上げた。


「いいじゃないか、囮作戦。なるほどそれなら新しい犠牲者も出ないし、犯人か知ることができるな?」


 でしょう、と言いかけたとき、カウンターを力強く叩く音がして驚く。見れば真理亜さんが顔を赤くして如月さんを睨んでいた。


「駄目よそんなこと!」


 真理亜さんがキツイままの視線を今度は私に向ける。美人の怒り顔には迫力がある。少し尻込みしながらも、私は首を傾げた。


「真理亜さん……どうしてですか? 囮作戦なんて前にもやったことあるじゃないですか。コンテストのときとか」

「あのときと今回は別よ。分かってるの? この事件は、加害者と一対一で対話しなくちゃいけない。前回は三人がかりで犯人と対峙できたけれど、今回はターゲットに襲われてもすぐ助けに入れない。その役目を和子、あなた一人で担う気?」

「でも他に案が思い付かないし、他の子が殺されることもないでしょうし」

「そりゃあ新しい一般の犠牲者が出ることはないでしょうね。失敗すれば一般以外……和子、あなたが殺されるんだから」


 この事件、相手を犯人だと特定するならつまりはそういう行為まで運ばなければならない。

 勿論私にそういう経験はない。男の人とホテルに行くことも、ましてや自分から誘うこともしたことがない。そんな私が上手く犯人を捕らえられるかというのは、難しいところだった。

 下手をすれば殺される。


「私だって、もうこの世界に来たばかりの初心者じゃありません」


 だけどそれは、重々承知の上だった。

 下手をすれば殺される。だったら、下手をしなければいい。それだけだ。


「襲ってきた相手にただやられるような子供じゃない。返り討ちにすることだって、いざとなれば逃げることだってできます。いつまでも東雲さん達に頼るような情けない子じゃありません」

「でも、和子……」

「私がやりたいんです。やらせてください、お願いします」


 そう言って頭を下げる。真理亜さんが言葉を詰まらせる気配を感じた。しばらく頭を下げ続けたままでいると頭上から長い溜息が聞こえてくる。仕方がないわね、と真理亜さんが諦めたように口にした。

 如月さんが私達の光景を見て微かに笑ってから、東雲さんを見て言った。


「どうだオオカミ。お前の許可は出るか?」

「…………好きにすればいい」

「良かったなネコ。保護者から許可が出たぞ」


 ありがとうございます、と東雲さんにも頭を下げる。誰が保護者だと悪態をついてから東雲さんが私に向かって言った。


「ナイフを使わない接近戦の訓練は身に付いているな?」

「はい」

「近くで待機している。危険だと思ったらすぐに知らせろ」

「はい」

「期待しているぞ」

「…………はいっ!」


 くしゃりと東雲さんが私の頭を一撫でする。緩みそうになる頬をぐっと噛み締め、私は真剣な顔でもう一度頷いた。





「そうね、肩が見えているのもいいけれど、こっちの背中が開いた服の方が色気は出るんじゃないかしら」


 真理亜さんが白いオフショルダーのトップスと、背中の開いた灰色ニットを私の前にあてがって唸る。どちらも着比べてみるも、肩や背中をひやりと風が通っていく感覚が少し心もとない。

 ショートパンツやそれに似合うブーツを選んで、更に真理亜さんは私の髪色に近いエクステまで買ってくれた。髪型を変えた方が色々と都合がいいのだという。私としても、顔は見られていないだろうが一条さんを引っ張ったとき一瞬あの男性と擦れ違ったのだ。髪の長さくらい変えておいたほうが安心できる。

 仕事のために使う服を選ぶのはこれで二度目だ。前はあざみちゃんも一緒に、皆でコンテストに出るときの服を選んだっけ。真理亜さんとショッピングをするのはこれが三回目。だが前回二回と比べても、明らかに真理亜さんの表情は沈んでいた。

 化粧品売り場で買った化粧品を手に、休憩所の椅子に座って真理亜さんが早速と化粧を施してくれる。立てた鏡を見ながらヘアピンで前髪を留め、彼女の説明を聞いた。


「メイクも前と少し変えてみるわね。アイシャドウもラメが入ってるものにしたほうがそれっぽく見えるし、いっそ付けまつ毛も付けてみましょう」

「はい。あ、カラーコンタクトとか付けるともっと印象が変わるって雑誌に書いてありましたけど」

「ううん、少し愛らしさは残していた方がいいからそのままで。和子は明るい色の目をしてるから、十分映えるわ」

「そうですかね…………真理亜さん?」


 それまで喋っていた真理亜さんが不意に悲しそうに顔を歪めた。体調でも悪いのだろうかと心配になったとき、彼女がボソリと呟く。


「やっぱり反対。和子がこんなことするなんて」

「真理亜さん……」

「私が代わってあげられたら良かったのに」


 真理亜さんが私の代わりなんてしたら、ターゲット以外からも絶えず声をかけられて逆に目立ってしまうに違いない。

 真理亜さんに群がる男の人達を想像して笑いそうになる。私だからちょうどいいのだ。他の人に声をかけられるなんてきっとないだろう。


「今回の犠牲者は皆中高生だもの。犯人の性癖が若い子だって言うのなら、私は最初から対象外だものね」

「真理亜さん、まだまだ若いじゃないですか」

「ありがとう。でも、学生の子達に比べれば全然若くないわよ」


 真理亜さんがそっと私の髪を指で梳く。はぁ、と溜息を吐いて彼女は目を伏せた。


「あざみにもやらせるわけにはいかないし。年齢が対象内だったら、私でも良かったんだけど。それか他の男達に女装させるか」

「えぇ、それはちょっと、すぐバレるんじゃないですか?」

「あら、案外仁科とか似合うかもしれないわよ。東雲だって化粧で化けるかもしれないし」

「東雲さんがぁ?」


 想像して可笑しくなって、くすくすと笑ってしまう。真理亜さんも可笑しそうに笑い出す。ひとしきり笑ったところで、真理亜さんはふと顔を引き締めた。


「でも和子。あなたがこんなにこの仕事に積極的になるだなんて思ってなかったわ」

「そうですか?」

「ええ。だって、やけに張り切って犯人を捕まえようとして。仕事熱心なのは感心するわ。でも、それで自分の身を危険に晒すことはしないでほしいの。ここまで張り切る理由、何かあるの?」

「理由って、そんな大げさな……」


 笑ってはぐらかそうとするも、鏡越しに見えた真理亜さんの顔は酷く真剣だった。

 私がここまで張り切っている理由は、近い年齢の被害者がこれ以上増えるのを防ぐためか。それとも猟奇的に女の子を殺す犯人に怒っているからか。そのどちらもあるけれど、他の理由が一番強かった。


「実は…………」


 私はそっと口を開いて、ぽつぽつと話し始めた。そこまで長くもないつまらない話を、真理亜さんは真剣な顔で相槌を交えながら聞いてくれた。

 話し終えた私の顔を、真理亜さんがそっと撫でる。穏やかな微笑みを浮かべた彼女の顔が間近にあった。


「その子のためにこの事件を解決しようとしているのね」


 私が真理亜さんに話したのは一条さんのことだった。

 具体的なことは一切話していない。ただクラスでちょっかいを出してくる子が犠牲になりそうだったと、そんな話をしただけだ。それでも敏い彼女は大体のことを悟ったらしい。


「和子は優しいわね」

「優しい?」

「憎いその子が犠牲になりそうになっていて。それを見捨てなかった。見なかったフリをして、その子が被害に遭うのを待っていれば良かったんじゃないの?」

「そんな酷いことできませんよ」

「でもそうしてもいいくらいの酷いことはされたんじゃないの?」


 本当に真理亜さんは鋭い。私の周りの大人は、何で皆こんなに敏いのだろう。

 私は首を振って彼女の言葉を否定した。優しいなんて言われる価値、私にはないのだ。


「本当は……本当は、少しだけ思っちゃいました。ここで私が彼女を助けなければ、もしかしてあの男が犯人だったとしたら、彼女はこのまま死んでしまう。でもそれでもいいんじゃないかって」

「…………でも助けたんでしょう?」

「それは私が弱虫だから。だっていくら嫌いでも死んでほしいって思っても、実際にクラスメートが殺されそうになってたら、助けちゃうじゃないですか」


 だから私は一条さんを助けた。いくらなんでも、目の前で殺人犯に殺されそうなクラスメートを助けないのは目覚めが悪い。


「殺したいほど憎いけど……本当に殺されてほしいわけじゃない」


 真理亜さんは私の言葉を聞いて笑い声を上げた。どうして笑うんですか、と頬を膨らませる私に、彼女は明るい声で告げてくる。


「そうね、そうよね。だから和子、あなたは人を殺せないの」

「どういうことですか?」

「そのままの意味よ。ああもう、どうして、こんな子が私達と同じ仕事をしているのかしら」


 真理亜さんは可笑しさと少しの切なさが混じった複雑な声音で言った。よく分からなかったが、私は真理亜さんに自分の意思を告げる。


「でも真理亜さん。私が今回の仕事をやろうと思ったのは、その子を見返したかったからでもあるんですよ」

「つまり?」

「その子に私、甘えてる、って言われたんです。他人に頼って甘えてばかりの子だって。だから一人で仕事をしようと思ったんですよ。最初から最後まで、私一人の力だけで事件を解決するんです」


 今まで私は誰かに頼ってばかりだったから。今回は、自分一人の力で事件を解決したかった。東雲さんや真理亜さんや先輩や……とにかく誰の力も借りず、自分一人で。

 そうすれば一条さんに甘えていると言われても言い返せる、そんな気がしたから。

 私の意思を組んだのか、真理亜さんはそれ以上私を止める言葉を言ってこなかった。ただ彼女は静かにこう言っただけだった。


「和子」

「何ですか?」

「死なないでね」


 私は一瞬目を丸くして、それから自分にできる最高の笑顔を浮かべた。勿論です、と力強い言葉を放って。






『和子、聞こえてるか?』

「はい、聞こえてますよ」


 実行当日の夜。第七区の広場に向かいながら、私は通信機でそんなやり取りを交わしていた。

 ニットの内側と耳元に取り付けた通信機。ノイズ混じりの音声だが、聞き取れないほどではない。小型のものだから服に隠せばバレないし、耳元のそれも長いエクステで隠れてくれる。


『事前に伝えた通りだ。俺と真理亜でお前を尾行する。犯人が行動を起こしたら、すぐに知らせろ』

「分かりました」

『くれぐれも気を付けてね、和子』

「はい、ありがとうございます」


 通信機から聞こえてくる東雲さんと真理亜さんの声。礼を述べ、私はゆっくりと深呼吸を繰り返した。心臓がうるさい。大丈夫だ、落ち着け、何度も練習したじゃないか。

 第七区の広場に立ち、男性を待つ。ナンパをされたり舌打ちをされることはあったけれど、それでも待ち続ける。

 そうして目当ての男性を見つけたとき、彼の元に駆け寄った私は満面の笑みを浮かべ、こう言った。


「私と……いいことしませんか?」


 そんな安っぽい言葉を皮切りに、私達の計画は始まった。

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