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第84話 いじめの理由

 一条さんの部屋に上がる日が来るなんて思ってもみなかった。

 彼女の部屋は和室を洋室風に飾った部屋だった。畳の上にカーペットを敷き、背の高いテーブルやベッドを置いている。タンスの上やベッドには雑多に服や小物が散らばっている。なんというか予想ではもっと、オシャレで可愛い洋室かと思っていたが、意外と親しみのある部屋だった。

 部屋の主たる一条さんは椅子に座って、一条さんのお母さんが運んでくれた温かいお茶を飲んでいた。私も床に正座して、しきりにお茶を啜る。この場にいるのが気まずくて、お茶を飲んだり、きょろきょろと部屋を見回していた。そんな私に一条さんが不機嫌そうに言ってくる。


「飲んだらすぐ帰ってよね」

「う、うん……」


 お茶の味もよく分からない。一条さんが脱いだコートが壁にかかっている。傍にもいくつかかかっているのは、見るからに高そうな秋物のアウターだ。それから、ベッドに置かれたショップの袋に目が留まった。隙間から覗いているのは可愛い色合いのバッグだ。袋に書かれたショップ名は、私でもよく知っている有名なブランド。


「わぁ、凄いね一条さん。あのバッグ可愛い」

「人の部屋じろじろ見ないでよ」

「ご、ごめん。でも凄いって思って。だってあのバッグもこのコートも、全部高級そうだし……」


 そう、どれも高そうな物ばかり。年季の入った壁、タンス、長年使ってきたような紐で引くタイプの照明。年季の入った部屋の中で、高そうなブランドバッグや洋服は少し浮いていた。

 服だけじゃない。よく見れば机に転がっていた化粧品も。あのファンデーションもフェイスパウダーもCMで耳にすることの多いブランドの物だ。前に真理亜さんが同じブランドの物を使っているところを見たことがあるけど、彼女の化粧ポーチに入っているコスメはどれも高級品ばかりだ。


「一条さん」

「何よ」

「これ全部、お小遣いで買ったの?」

「そんなわけないじゃない」


 バイト代よ、と彼女は言う。バイト。その単語の意味を更に聞くべく口を開く前に、彼女の方から言葉を続けた。


「男と遊んで、もらったお金で買ったの。……いやちょっと違うかな。直接ねだって買わせたのもあるし」


 黙り込む私を一条さんが怪訝に見下ろす。何その顔、と非難がましい口調で彼女は言って、笑う。


「言いたいことがあるならハッキリ言えば?」

「や、その、ホテルとか、遊ぶとか。一条さん…………体、売ってるの?」

「そうよ」


 直球だった。私が恐る恐る尋ねた言葉に、一条さんはカップを手で回しながら、何てことない顔で即答する。

 体を売ってお金や物に変えるということ。それがどういうことなのか、この子は理解しているのだろうか。


「ど、どうしてそんなこと……。駄目だよ! だってそんなの、えっと、体に悪いよ!」

「他に言うことないの? ……秋月には関係ないでしょ。私が男とホテルで寝ようが金をもらおうが、あなたは一切関わりないんだから」


 確かに関わりはないだろう。私と一条さんはただの同級生、それもお互いを嫌い合っているような関係なのだから。

 いじめられていた当時から彼女のことが嫌いだった。修学旅行で交わした枕投げで更に仲は険悪になった。彼女が売春をしていようと私には関係ない。いや、むしろ陰で馬鹿にしてもいいようなことなのかもしれない。


「関係あるよ! だって、クラスメートなんだから!」


 だけど。一年以上同じ教室にいたクラスメートが売春をしているのを目の前で目撃することになれば。それを止めて説得しないほど、私は非情な人間になりきれなかった。

 一条さんは顔に呆れを浮かべた。馬鹿みたい、と容赦なく罵声を吐き出す。


「いい子ぶってるつもり?」

「そんなつもりじゃない! ただ、私は、どうして一条さんがそんなことをするのか分からないから……」

「分かるでしょそれくらい。お金よ、お金。一回で数万も手に入るんだから、いい小遣い稼ぎになる」

「こんなコートや化粧品を買うために? おかしいよ! そんなの、普通のバイトにしたり、就職して稼げるようになるまで待つとかすれば」


 私が最後まで言い切る前に、眼前にぬるい水が振りかけられた。パシャンと顔を濡らした水に驚き、慌てて袖で顔を拭う。そこでふと香るお茶の香りに、かけられたのは水ではないことを悟った。

 一条さんが中身のなくなったカップをゆらゆらと小指で揺らす。カップの中身をぶちまけられたのだとようやく理解して唖然と一条さんを見上げると、彼女は静かに言った。


「できるわけないじゃない」


 カッと頭に血が昇る。修学旅行のときのように物を投げ返すことはしないけれど、一言言わないと気が済まない。私は彼女に詰め寄ろうと立ち上がりかけた。

 そのとき、部屋の襖が静かに開く。一条さんのお母さんが来たのだろうかと振り向くも予想は外れていた。廊下から姿を現したのは寝間着姿の小さい子供が二人。子供達はこちらを見て、ぱちくりと瞬きをした。


「えりなー、どうしたの?」


 二人のうち一人、眠そうに目を擦る男の子がそう声をかけてきた。まだ小学校低学年くらいだろうか、ふっくりと膨らんだ頬がまだあどけない幼さを表している。

 もう一人の子は、男の子と同い年くらいに見える女の子だ。あちこちにぴょんぴょんと跳ねた黒髪を手で撫でつけながら、ぼうっとした目で一条さんを見ている。

 二人の子供は私に気が付き、驚きと戸惑いの混じった視線を向けてきた。見慣れぬ人がいて怖がっているのだろう。安心させようと私は微笑みを浮かべ、小さく手を振った。


「こんばんは」

「……こんばんは」


 女の子の方が小さな声で返事をしてくれる。それでもまだ慣れないらしく隣の男の子の後ろに隠れようとした少女だったが、当の男の子はおずおずとながらも部屋に入り、私の傍にちょこんと正座した。


「お姉さん、えりなの友達?」

「こらひろ! こんな遅い時間まで起きてないで寝なさい。日菜ひなも!」


 広、と呼ばれた男の子は一条さんの叱咤も気にせず、だって声で起こされたんだもんと笑って私を見る。その様子を見て日菜と呼ばれた女の子も同じような動きで広くんの隣に座る。二人とも好奇心に満ちた目で私を見上げていた。

 ふと、二人の寝間着がまだ夏物であることに気が付く。半袖短パンの寝巻着は、今の時期寒いだろう。よれっとくたびれた襟を直してあげた。

 この子達は一条さんの弟妹か。素朴な愛らしい顔立ちをしている二人は一条さんとはあまり似ていない。染髪していない純な黒髪なせいもあるのだろうし、キツイ表情しか見せない一条さんと違い、穏やかな表情をしているからかもしれない。

 えりなが友達を連れてくるなんて珍しいね、と広くんが言い、日菜ちゃんも頷く。


「いち……えりなさんがお友達連れてくることって、あんまりないの?」

「うん。小夜くらいかな、今まで来たのって」


 広、と一条さんが咎める声を出す。それでも段々と私に慣れてきたのか、広くんは言葉を途切らせることなく続けた。


「小夜近く住んでるから、よく来てくれるんだ。たまに持ってきてくれるお菓子めっちゃ美味しいんだよ。……そうだえりな! 今日も友達と遊びに行ってたんだろ? お土産とかないの?」

「毎回買って帰るわけないでしょ。今日はないわよ」

「えー、つまんねー。おれプリン食べたい。なあ日菜?」

「わたしはケーキがいいな」

「我儘言わないの。……はいはい、今度買ってきてあげるから、新しい冬服とか」

「食べ物がいいなぁ」


 日菜ちゃんの頭を撫でる一条さんの顔を見て、思わずドキリとした。愛おしさを滲ませた優しい微笑み。自分の弟妹に向ける彼女の顔は、こんなにも優しいものなのかと驚いた。

 私の視線に気が付いた彼女は一転して表情を引き締める。それから二人の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で、その背を部屋から押し出すように叩いた。


「ほら、もう寝なさい。お父さんが帰って来たら怒られるわよ」


 途端にギクリと二人の顔が強張った。いかにも、それだけは勘弁願いたいと思っているような顔だ。

 弾かれたように立ち上がった二人は急ぎ足で部屋を出ていく。おやすみなさい、と言葉を残して襖を閉じて去って行く。静かに溜息を吐く一条さんは、そのまま私へ顔を向けた。


「あなたも早く帰ってよ」

「兄弟思いなんだね」

「は? 何言ってんの。帰ってって言ったんだけど」

「うん、分かってる。帰るよ。お茶ごちそうさま」


 私は床から立ち上がって膝を払う。けれど帰る前に部屋をもう一度軽く見回し、目を細めた。

 ブランド物の衣服、高そうな化粧品。一条さんが体を売るのは、彼女が欲しいものを買うためだと言う。けれど。


「もしかして、あの二人のためだったりするの? 一条さんがこんなことをしてるの」


 一条さんが顔を強張らせた。怒りとも、驚きとも言えない複雑な顔が私を見る。こんなことを言ったら何様だと怒られるだろうか。


「お菓子とか洋服とか、そういうのってもしかして全部一条さんがプレゼントしてる? おうちの生活費とかじゃなくて、一条さんが稼いだお金で……」


 多分、一条さんの家はそれほど裕福じゃない。困窮するほど貧乏というわけでもないだろうけれど、それでも衣服や食費なんかにお金を節約するといったことはしているはずだ。

 広くんと日菜ちゃんも、欲しいお菓子を買ってもらえなかったり、お古の寝間着を長い間着続けたり。きっと日頃から、我慢していることは多いだろう。

 一条さんが夜に出かけて稼いだお金を、自分の弟妹のために使う。少しでも幸せになってもらうために。全て私の憶測だが、恐らく外れてはいないだろうと思う。

 だから彼女は夜遅く、こうして男の人の元に行っているのだろうか。


「頑張ってるんだね、一条さん」


 心からの言葉だった。

 それなのに、一条さんの表情は更に怒りに歪む。


「――――ふざけないで!」


 怒声が私を直撃する。ビックリして目を丸くする私に、一条さんは苛立ちをぶつけてくる。


「秋月が私の何を分かるっていうの? 適当なこと妄想して、勝手に人の行動に意味付けて、何様のつもり? 馬鹿にするのもほどほどにしてよ!」

「ご、ごめん……。でも、馬鹿にしてなんか」

「馬鹿にしてる! いつもいつも、あなたは私のことを馬鹿にしてくる! 入学したときから、そうだったじゃない!」


 入学したときから。その言葉の意味が分からず困惑する。

 馬鹿にされたことはあっても、私が一条さんを馬鹿にしたことなんてこれまでなかった。入学したときからなんて更に意味が分からない。馬鹿にしてきたのは、いじめてきたのは、そっちの方じゃないのか。

 私が理解していないことを察した一条さんは、更に顔を赤くして声を荒げる。薄い襖一枚閉じられていたところで、彼女の大声は広くん達の寝室にまで聞こえているだろう。


「あの子達が起きちゃうよ」

「頑張ってるって何? 私がこんなことしてお金を稼いでるのはね、あの子達のためでも、家のためでもない。私自身のためなんだから! 欲しい服や靴が高いから、ちょっとした小遣い稼ぎでやってるだけなんだから!」

「落ち着いて……」

「頑張ってるなんて言われたら、私が……っ、私がまるで、可哀想な子みたいじゃない!」


 言葉に詰まった。伸ばしかけていた指先がピクリと跳ね、自分の服を掴む。

 この言葉を、私は前にも一条さんにかけたことがあったかもしれない。彼女はそのとき何を言ってきたんだっけ、どんな顔をしていたんだっけ。

 頑張ってるね、なんて。ただ私は、本当に、偉いと思って言っただけなのに。


「秋月なんて、何一つ頑張ってないくせに」

「え?」


 突然私の話題になって呆けた声を出す。一条さんは馬鹿にした声音で続けた。


「あなたの家ってお金持ちでしょ? あなたが住んでるマンション、それなりに高そうな所だし」

「私の家知ってるの?」

「入学してすぐの頃、あなたの家にノート渡しに行ったことがあったのよ。留守だったからポストに入れただけだけど」


 言われておぼろげながらも記憶を思い出した。

 まだ四月の半ば、授業が始まってすぐあたりのことだった。先生からノートを返却される際、まだ生徒の名前に慣れていない頃だったからか先生が数人分のノートを間違って返却してしまったことがあった。あのとき私のノートはすぐ後ろの一条さんに渡ってしまっていたのだっけ。

 わざわざ家までノートを届けに来てくれた一条さん。彼女はそのときに私の住むマンションを見たのだろう。彼女の住むこの家とは相当違う私の家を。


「お父さんもお母さんも仕事が忙しいからって、実質あなた一人であの家に住んでる。素敵な気分でしょうね。広々とした綺麗な部屋で、一人好きなことをして過ごせるのは」


 入学してすぐの頃は、私も一条さんもまだ仲が悪いわけじゃなくて。クラスに慣れようと、席が近いこともあって何回か喋ったことがあった。何を話したのかなんてとっくに記憶からは抜けている。けれどそのとき、私は彼女に、家のことや自分の生活について話してしまったんだろう。


「毎月たっぷり仕送りしてもらって。バイトなんかしなくても、好きなものを好きなだけ買えて。何もしなくてもお金に困らない生活は楽しい? 修学旅行でだって、あの大量のお土産代は全部ご両親のものなんでしょう? あなたが稼いだお金は一切ない」


 本当、甘えてる。

 一条さんは嘲笑うような表情を作った。けれどその目の中に、嫉妬の色を滲ませて。


「だから私はあなたが嫌いなの」


 その言葉に、頭を強打されたような衝撃が襲う。

 私が甘えてるから。働かなくてもお金に困ってないから。自分が必死に稼いでいる横で悠々と暮らしているから。

 だから嫌い。だから一条さんは、私が嫌い。

 そういうことだったのか。


「だからあなたをいじめてるの。分かる?」

「…………分からないよ」


 まだ分からないのか、と言いたげに一条さんが舌打ちをする。足の痛みなど無視して立ち上がった彼女が私の胸倉を掴む。

 けれど、私は逆に、一条さんの腕を全力で握り締めた。


「いっ……! ちょっと、何するのよ! 離して!」

「分からない!」


 彼女の言葉を遮るように怒鳴った。一条さんが驚きに体を凍らせ、その顔に恐怖を滲ませる。

 完全に頭に血が昇っていた。もうあの二人が起きてしまうんじゃないかということも、一条さんのお母さんがこの騒動を聞きつけることも意識の彼方に飛んでいた。玄関の方から戸の開く音が聞こえてきたような気もしたが、そんなことどうでも良かった。


「分からない、何も分からないよ! 私をいじめる理由って、そんなものだったの? 自分の家と全然違うから? 楽をしてるから嫌いだったの? そんなことで私をずっといじめてきたの?」

「そんな……そんなことって、何よ……。そ、そうよ。私が男とホテルにいる間も、秋月は自分の家でのんびり過ごして……私の苦労なんかなんにも知らないくせに……!」

「それは一条さんもでしょ!」


 確かに私はお金に困ったことがない。一条さんの苦労も悲しみも理解はできない。だけど一条さんだって、私の苦しみを理解できるのだろうか。


「私が、どんな気持ちで毎日を過ごしてたか分かる? どんなに綺麗で広い部屋でもね、毎日毎日ひとりぼっちで過ごしていて、楽しいと思うときなんて全然なかった。お父さんもお母さんもいつまでたっても帰ってきてくれないし、電話をしても素っ気なくて、ずっと一人だったんだよ。一条さんにいじめられるようになって、毎日毎日死にたいって思って帰っても、誰もいないんだよ。誰も私を慰めてくれないんだよ」

「それくらい、どうだっていいでしょ!?」

「良くない! そりゃあ恵まれてるところだってあったよ? 二人とも凄く働いてくれるからお金には困らなかったよ? だけど、私だって死にたいと思うほど悩んでた。お金なんていらないから、貧乏でもいいから、私はただ、お父さんやお母さんと仲良く暮らしたかった。一条さんみたいに、怪我を心配してくれるような親とか、懐いてくれる姉弟とかが欲しかった」


 娘が足を痛めていたら心配してくれるような親が。姉に懐いて抱き付いてくるような弟や妹が。そんな人達がいる一条さんのことが羨ましかった。

 お金なんていらない。帰ったらおかえりって言ってくれるような誰かがいてほしかった、一人で暮らす広い家なんていらなかった。

 私から見てみれば、一条さんの方が十分に恵まれていた。


「一条さんの悩みと私の悩みは違うの。私にだって悩みはあるんだよ! 自分の基準で、勝手に人が恵まれてるって、幸せだって、思わないで!」


 ボロボロと勝手に涙が流れてくる。今まで、こんなちっぽけなことでいじめられていた自分が馬鹿らしかった。そんなことを口に出したら、きっと一条さんは更に怒るだろうけれど。

 彼女が口を開こうとする。そこから罵声が飛んでくると覚悟した。けれどそれを遮ったのは、勢い良く襖が開く音、そして脳を揺さ振るような大声だった。


「手前らうるせえぞ! 夜中に近所迷惑だろうが!」


 私も一条さんも驚きに肩を跳ねて振り返った。赤ら顔の、大きくお腹が膨らんだ男性が私達を睨み付けている。

 そっちの方が近所迷惑に思えるほどの大声で怒鳴ってくる男性は、私達に近付くと、大きく拳を振りかぶった。唖然としていた私達は避けることもせず、その拳を頭に受ける。手加減なしの重い衝撃が頭蓋に響いた。


「っぅ……! 痛いじゃん、やめてよこのくそ親父! ノックして入ってこいって言ってんでしょ!」


 一条さんが男性に叫ぶ。一条さんのお父さんなのか。この人が?

 薄い頭髪に横に膨らんだ体型。美容に気を使う一条さんとは似ても似つかない。一条さんのお父さんは真っ赤に酔っぱらった顔のまま、一条さんの全身をじろじろと眺めた。


「あぁ、んだお前また性懲りもなく男のとこ行ってたのか。いい加減にしたらどうだ、このバカ娘!」

「そっちがろくに小遣い寄越さないからでしょ! そっちこそ今日も飲んだくれて、先月の酒代も酷かったこと忘れたの!?」

「子供が一々口出すな! また殴らねえと分かんねえのか!」

「さっき殴ったじゃない!」


 私はギャアギャアと騒ぐ親子を茫然と見つめていた。しばらく騒いだ後、一条さんのお父さんは寝ると言い残して部屋を乱暴に出ていく。荒々しい空気を残して。肩で息をしていた一条さんがきつい眼差しを私に送ってきた。


「帰ってよ」

「あ…………うん、お邪魔しました」


 気が削がれてしまった。私は素直に一条さんに頭を下げて、部屋を出る。と、廊下から様子を窺っていたのか一条さんのお母さんとばったり会った。

 ごめんなさいねぇ、と申し訳なさそうな顔でお母さんは腰を折る。頬に手を添えて、呆れたように溜息を吐いた。


「あの人いつもあんな感じで。お酒を飲まなければ、いい人なんだけど」

「そうなんですか」

「えりなのしてることを知ったときも凄く暴れてねぇ。えりなの顔に傷が残らなくて、良かったけど」

「……一条さんのしてること、ですか」

「あ、やだわごめんなさい。何でもないの、気にしないで」


 パタパタと忙しなく顔の前で両手を振って、一条さんのお母さんは苦笑した。

 一条さんのしていることを知ったとき。それはもしかして、私が自殺をしようと思ったあの日のことだろうか。


「それじゃあ、また来てね」

「……はい。お邪魔しました」


 一条さんのお母さんに頭を下げて彼女の家を出る。少し歩いてから振り返ると、ちょうど玄関の明かりが消えたところだった。

 明かりの消えた一条さんの家は、更に暗く、汚れて見えた。






「次の犠牲者が出た」


 如月さんがそう言って、私と東雲さんに写真を二枚を見せてくる。

 一枚目の写真に写っていたのは愛らしい顔立ちの美少女だった。チアリーディング部の練習だろう、ポニーテールを揺らし、輝かしい笑顔で足を上げているユニフォーム姿の彼女が映っている。

 だが二枚目の彼女の顔から、その輝きは失われていた。前に見せてもらった写真と同じように服を脱ぎソファーに横たわった彼女。鬱血した顔と、首に巻き付いたままの紐が痛々しい。


「三人目が出ちゃいましたね。犯人の特定、急がなきゃ。ねぇ東雲さん。……東雲さん?」


 返事がないことを不思議に思い、隣の東雲さんを見る。彼は真剣に考え込むような顔で写真を凝視し、如月さんに訊ねた。


「この子が殺されたのはいつだ?」

「昨晩。場所も今までと同じ、ホテルで発見されたらしい」


 そうか、と東雲さんは頷いてもう一度呟く。


「犯人に心当たりがあるかもしれない」

「本当ですかっ!?」


 私は身を乗り出すようにして東雲さんに詰め寄った。犯人に心当たりがあるのなら、すぐにでも捕まえられる。

 誰ですか、と急いて尋ねる私に東雲さんは静かに頷く。昨日の広場だ、と彼は言った。


「あのときお前が連れて行った女と一緒にいた男。そいつと車に乗り込んでいたのが、この三人目だ」

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