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第82話 楽しくない枕投げ

「お好み焼きおいしー!」


 焼けた鉄板からじゅうじゅうと漂うソースの香り。広島のお好み焼きは私が普段食べているものとは違い、キャベツや焼きそばがたっぷり入っていてボリュームがある。全部食べ切れるだろうかと思ったが、この調子ならぺろりと平らげられそうだ。

 三日目の夕食は先生の引率でお好み焼きを食べに行った。あちこちにお好み焼き屋が並ぶ街中を、数人ずつのグループに別れて好きな店に入る。店によって多少なり味は変わるだろうが、私達の入った店は見事に当たりのようだ。


「本当美味しいここのお好み焼き。明星市でも食べられたらいいのに」

「だったら毎日行くかも。あーあ、明日にはもう帰るのかぁ」


 鉄板でお好み焼きを切り分けながら鈴木さんが嘆息する。明日の昼には新幹線に乗って明星市に帰らなければならない。もう少し遊んでいきたい思いもあるし、だけど早く帰って東雲さん達の顔を見たいという気持ちもあった。

 早海さんがソースを塗ったお好み焼きに齧り付き、口端に付いたソースをぺろりと舐め取って、そういえばと言葉を零す。


「今日泊まるのは和室だろうか、洋室だろうか」

「和室じゃない? 二日連続で洋室だったし。秋月さんはどっちがいい?」

「私は自分の部屋だからベッドの方がいいかな。まあどっちでも寝れるけど」


 東雲さんの所で寝るときは大抵ソファーだし、と心の中で付け足す。

 どっちになるかな、と三人で語りながら、でも今日寝るときはグループではないのだったなと思い出した。一条さんの顔を思い出し、少しだけお好み焼きの味が薄れたような気になる。

 何もないといいけれど、と憂いた溜息をお好み焼きと共に飲み込んだ。




 廊下の自動販売機でジュースを買って部屋に戻る。鍵を開けて部屋に入るも、中には誰もいない。旅館の人が並べてくれたらしき数組の布団、一番入口に近いその上に腰を下ろし、ジュースの蓋を開けた。

 一泊目、二泊目は早海さんと鈴木さん、グループの子達で楽しく過ごしていたから、名簿順の子達と泊まるのは正直落ち着かない。当の彼女達も今は大浴場に行ってしまっていてこの部屋には私一人が残されている。そこまで目立ちはしないだろうが体の傷痕のこともあり、一緒に大浴場に行くのを断ってしまったからだ。皆が戻って来るまで一人のんびりと部屋でくつろいでいるのだが。


「……遅いな」


 とっくに空になったペットボトルをゴミ箱に投げ捨てて呟く。同室の皆が出て行ったのは九時半、だがもうすぐ消灯時刻である十一時になりそうだ。大浴場で盛り上がっているとしても流石に戻って来てもいいんじゃないだろうか。

 テレビもつまらないから消してしまった。読書用の本を持ってきているわけでもなく、暇を潰せるようなことは何もない。荷物の整理だって既に終わってしまっている。そわそわしながら布団の上に寝転んでいると、廊下からスリッパの音が聞こえてくる。ようやく戻ってきたのだろうかと布団から起き上がって入口へ顔を向けた。

 襖を開けて部屋に入ってきたのは一条さんだった。お風呂上りで寝間着姿の彼女はちらりと私を一瞥するも、それ以上何も反応することはなく私の布団を跨いで部屋の奥へ行き、テーブルに置かれていた携帯を取る。

 彼女以外に部屋にやって来た子は誰もいなかった。携帯をしまってそのまま部屋を出て行こうとする一条さんに、思い切って声をかけた。


「他の皆は?」

「他の部屋にいるわよ」


 私の顔も見ずに一条さんは答える。足を止めない彼女に慌てて続きの言葉を投げた。


「他の部屋ってどうして? もう消灯時間だよ、早く戻ってこないと見回りがくるよ」

「戻ってこないに決まってるじゃない」

「何で?」


 しつこい、と痺れを切らしたように一条さんが私へ顔を向ける。お風呂に入ってメイクを落とした一条さんの顔を始めて見る。ガッツリしたメイクをしていると思っていたがあまり変わったようにも見えない。元から華やかな顔立ちなのだろうか、とぼんやり思った。


「だから、皆他の部屋で寝るって言ってんの」

「部屋はここだよ?」

「ばっか、誰がそんなの守るわけ? こっそり友達のとこ行ってるに決まってるじゃない。常識でしょ」


 そういうものなのか。目を瞬かせる私に、律儀に守るなんて馬鹿じゃないのと一条さんは吐き捨てた。彼女も忘れ物を取りにきただけなのだろう。これから瀬戸川さんと恋路さんのいる部屋に向かうのかもしれない。

 一条さんは廊下に出ようと襖を開け、数センチ開いたところで素早く閉めた。チッと舌打ちをして苦い顔をする。


「最悪、菅原じゃん」


 襖の間から一瞬、私にも廊下の様子が見えた。学年主任の菅原先生が廊下をゆっくりと歩いて辺りを見回している。柔道部の顧問で体格の良い彼は、その体格に見合ったように怒ると凄まじく怖い。廊下を抜け出しているところが見つかったら、まずいだろう。

 先生がいなくなるまで待とうと考えたのか一条さんは苦い顔のまま自分の布団に戻ってくる。その際嫌みったらしく、「秋月のせいで」と愚痴ることを忘れずに。

 手持無沙汰に携帯を弄り出す一条さんは私に話しかけてくることもない。一人でいるときより余計に気まずい。私はバッグからまとめたお土産を取り出して、一度整理したにも関わらず、もう一度布団の上に並べてまとめ始めた。


「あっ」


 と、手が滑ってストラップが一条さんの布団に落ちる。しまったと慌てて取りに行く前に一条さんがそれを拾い、しげしげと眺めてから私に放り返してくる。


「お土産?」


 うん、と頷くと一条さんは黙って私の布団に並ぶお土産を見た。広島の名産品に、綺麗に包装されたストラップやハンドクリーム。


「あなた随分親戚が多いのね」

「ううん。私、親戚いないんだよね。おじいちゃんもおばあちゃんももう死んじゃってるし、親はどっちも兄弟いないし」

「じゃあ誰にあげるの?」

「知り合いの人達」


 自分でもこの量は買い過ぎだったかなと今更思った。郵送するべきだったろうか、と悩みながらお土産を見下ろしていると、一条さんがまた話しかけてくる。


「ふぅん、お金持ちね。バイトでもしたの」

「お母さんにお小遣いもらってさ」

「旅費も全部?」

「うん。……ところで、一条さんは何か買っ」


 ひょいと顔を上げた私の目の前に、備え付けの目覚まし時計が飛び込んできた。咄嗟に首を捻ってそれを避けると、背後の壁にガシャンと叩き付けられたそれが畳の上に転がる。

 何を、と言いかけながら顔を戻した瞬間、二発目として投げられた枕が直撃した。もすんと顔にぶつかって落ちた枕。ぷはっと息を吐いて目の前を見ると、苛立った顔の一条さんが私を見つめていた。


「急に何するの!」

「別に? 何となくだけど」


 反射的に枕を掴んで投げ返した。ぼすんと彼女の顔に当たる枕にしまった、と我に返ったものの、理不尽な彼女の行動に対する怒りは静まらなかった。

 突然怒って、意味も分からないようなことをしてきて。こんな所でまで彼女は私のことをおもちゃだと思っているのか。


「一条さんって何なの! そうやって急に怒ったりして……訳分かんないよ!」


 声を荒げる。ずるりと枕が落ち、憤怒にまみれた一条さんの顔を見て、頬が引き攣った。僅かに濡れている彼女の金髪が、部屋の明かりの中につやりと輝く。

 一条さんが落ちた枕をまた投げてくる。それを両手で受け取ってすぐに投げ返す。ボスンバスンと力のぬける音が続いた。ドッチボール、いや、枕投げか。二日目の夜に鈴木さんが言っていたことを思い出す。けれどこんな枕投げ、楽しくもなければ青春なんてものでもない。

 私と一条さんの声は段々と熱が上がっていく。中身のない罵声を繰り返し、しまいには掴み合いになった。枕を投げ合っていた手が直接相手に掴みかかる。髪を引っ張られ、お返しに襟を引っ張る。布団の上で二人もつれあいながら怒鳴り合う。


「いい加減にしなさいよ! いつもそうやって周りに甘えて、馬鹿なの!?」

「はぁ? 何のこと言ってるのかさっぱり分からない! 一条さんこそ馬鹿なの。もっと理解できること喋ったら!?」

「うるっさいわねこのブス! こんなことも理解できないくらい頭が弱いの?」

「そっちの説明が悪いんでしょ、分かってないのはそっちじゃない!」


 経験の差はあっても体格差はほとんどないし、何より私も一条さんも頭に血が昇っている。押さえ付けることも手加減することもできず、ギャアギャア騒ぎながら互いを引っ掻き、引っ張る。

 少しして、荒々しい足音が聞こえてきたと思ったら、突然部屋の襖が勢い良く開け放たれた。そこに立っていた菅原先生は赤黒い顔を私達に向け、怪訝な顔をする。


「うるさいぞ、何してるんだ!」


 一条さんが手元にあった枕を掴み私を叩いてくる。だが途中で手が滑ったのか、ワザとなのか、彼女の手から枕が飛んでいき菅原先生の顔にぶち当たった。直後に菅原先生は大股で私達の部屋に入ってくる。女子の部屋だからとか、そういうのは一切関係ない。大きく分厚い手が私達の首根っこを掴み無理矢理引き剥がす。そして先生は廊下中、いや、旅館中に響くのではと思うような怒号を放った。


「廊下に正座しろ!」





「昨日怒られたんだって?」


 朝食の席。隣に座っていた早海さんが、豆腐を箸で掬いながら私に訊ねてくる。焼き魚をもそもそと食べながら私は頷いた。逆側から鈴木さんも身を乗り出すように口を開く。


「喧嘩したって聞いたけど。何があったの」

「別にー」

「えりなとだって聞いたが」

「……別にぃ?」


 二人は私と一条さんを交互に見やった。一条さんは遠く離れた席で瀬戸川さんと恋路さんと共に食事を取っている。不機嫌さを隠そうともせず、苛立った様子で箸を動かしている。

 結局昨夜はずっと怒られ、一条さんが他の部屋に行くことはできなくなってしまった。そのせいで私と一条さんは一晩隣の布団で寝るはめになった。お互い一言も喋らず背を向けて横になっていたものの、怒りのせいで上手く寝付くことができず、今も寝不足だ。

 溜息混じりに遠くの彼女をじとりと睨むと、視線を感じたのかふと彼女がこちらを見た。バッチリと目が合う。私達は眉根を寄せ、ふんっと同時に顔を背けた。ありゃりゃ、と鈴木さんが苦笑しながら私に言った。


「どっちが悪いの?」

「あっちが悪い!」


 これ以上口を開くと一条さんの文句が止まらなくなってしまいそうで、私はお茶を勢い良く飲み干して口を塞いだ。大分重傷だね、と隣の二人が肩を竦める。

 ああもう本当に。一条さんなんか、大っ嫌いだ!






 午前中は残りの観光地を見て過ごし、散々遊んだあとは新幹線に乗って名残り敷くも広島を離れた。車内では皆疲れていたのか椅子にもたれて眠りに着いた。 午前中は残りの観光地を見て過ごし、新幹線に乗って名残惜しくも広島を離れる。

 明星市に着いたのは夕方だった。聞き慣れた駅の名が放送され、旅行が終わったのだとちょっとした寂しさが込み上げてくる。駅でしばし集会をしたり駄弁ったりして解散したのは夜になるだろうという頃だった。

 皆と別れてそれぞれの帰路に着く。だが私が真っ先に向かったのは第四区の自分の家ではなく、第五区にある東雲さんの住むマンションだった。インターホンを押して笑顔を浮かべる。


「東雲さーん、ただいまー!」

「おかえり、和子」


 今日帰ると告げていたからか、東雲さんがすぐ私を出迎えてくれる。ニコニコと笑みを浮かべたまま部屋に上がる。数日しか離れていなかったというのに東雲さんの部屋がやけに懐かしく感じる。ソファーに座って東雲さんがお茶を淹れてくれるのを待つ間、テーブルの上にお土産を広げる。小山になったお土産を見てやはり買い過ぎたろうかと考えていると、案の定お茶を持ってきた東雲さんがテーブルを見て呆れたような顔をした。


「えーっと、この化粧用の筆が真理亜さんのでしょ? もみじ饅頭の食べ比べセットが太陽くんで、このドリームキャッチャーをあざみちゃんに、こっちの川通り餅が冴園さんので、ご当地限定万年筆が如月さんの……」

「随分と買ったな」

「東雲さんのもありますよ、はいこれ塩レモン。東雲さんレモン好きでしょ?」


 まったく、と東雲さんはお茶を啜る。私は彼に向けて修学旅行のことを語った。ちょうど満潮で美しい景色が見れた厳島神社、新田くんと荒木くんが鍵を部屋に忘れて廊下に正座させられていたこと、バスの中でやった診断テストで盛り上がったこと。思い出話は尽きることがない。


「でね、一条さんって子が本当嫌な子で、喧嘩したのだって元はといえばあっちが悪いんですよ!」


 一条さんのことを話題に出して私はむくれっ面になる。廊下に立たされて怒られている私達を、近くの部屋の子達が覗いて笑っているのが恥ずかしかった、と話すと東雲さんは苦笑した。

 相槌を挟みつつ私の話を聞いていた東雲さんは、ふと私を真っ直ぐに見つめて訊ねる。


「で、どうだった? 修学旅行は楽しかったか」

「……はい。喧嘩したり、そういうのもあったけど。楽しかった」

「行って良かった?」

「はい」


 二度目の問いには即座に頷いた。そうか、と東雲さんは頬を緩ませるように笑う。

 恐らく人生で最後の修学旅行。東雲さんに促されていなければきっと行っていなかったはずだ。最初はあれほど行きたくないと思っていた旅行も、終わった今、行って良かったと心から思えるものになっていた。

 楽しかったなぁ、と噛み締めるようにもう一度呟く。携帯に撮ったグループの皆で撮った写真を見て思わず表情が緩んでいく。


「見てください。これ、船の上で撮ったんですよ」


 嬉々として言いながら私は東雲さんに写真を見せる。写真の中、楽しそうな笑顔の私の周りには同じ笑顔を浮かべた皆がいた。

 高校の修学旅行。思い出も、友達も、たくさんできた素敵な日々だった。

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