表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/164

第78話 演劇部

 黒板をカツカツとチョークが走る。丁寧に書かれた白い文字。チュロス、コスプレ喫茶、お化け屋敷……いくつもの案の下に、正の字が書きたされて行く。

 書記の人が下がり、委員長が黒板を見て大きく頷いた。それから教室中を見回して視線を集めるように手を叩く。


「では今年の文化祭。二年二組の出し物はボディペイントをやることに決定しました。皆さん拍手」


 パチパチと疎らな拍手が上がる。ペイントかぁ、なんて声があちこちから聞こえてきた。

 十月の終盤に迫った文化祭の出し物決め。いくつもの案がでていたが、時間や金額その他諸々を考慮して最終的に決まったのがこのボディペイントだった。教室にやって来たお客さんにペイントを施して、文化祭を盛り上がってもらう。そんな目的らしい。

 去年のような飲食物の販売や、希望の大きかったお化け屋敷などではないことにがっかりしている人が多いみたいだ。一条さんや恋路さんに至っては明らかにやる気のない顔で愚痴を言い合っている。

 今年の文化祭、私はどうしようか。去年は仕事だ何だと結局は参加しなかった。今年は別に仕事が詰まっているわけでもない。だがクラスに溶け込めないのに参加してもつまらないんじゃないだろうか、だったら手伝いはするとしても、当日はやっぱり欠席してしまおうか。


 出し物決めは六時間目の総合の時間に行われた。そのまま掃除時間になり、ホームルームが終わり、放課後になる。

 帰り支度を整えて校舎を出た私だったが、明日が期限のプリントを忘れてきたことを思い出し、急いで学校に戻った。教室には既に誰もおらずひっそりとした空気が漂っていた。いそいそと自分の席からプリントを取って教室を出ようとしたとき、視界の端に誰かの机に置かれていた紙が留まる。近付いて見てみれば、カラフルな文字と可愛いイラストが描かれた紙だ。


「えーっと、『演劇部、部員大募集! 初心者大歓迎!』……演劇部?」


 どうやら演劇部の部員募集ポスターのようだ。演劇部なんてうちにあったんだ。私はどこの部活にも所属していない上、どんな部活があるのか特に気にしたことがなかったからな。

 ここは誰の席だったろう、と考えているときに開けっ放しだった教室の扉から一条さんが入ってきた。あ、と思わず声を出す。彼女は教室にいるのが私だと分かると、露骨に嫌そうな表情を浮かべ、私を無視して自分の席に向かう。彼女も私と同じく携帯か何かを忘れたのだろうか。


「何見てんの」


 私の視線に一条さんが振り返る。何でもないよ、と言い訳をするも彼女はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。思わず仰け反るように机に手を突くと、ポスターが床に落ちる。落ちたそれを拾い上げた一条さんは怪訝そうに眉根を寄せた。


「演劇? あんた演劇部だったっけ?」

「ううん。ただ置いてあったから、気になって」

「人の物を勝手に見るとか礼儀がなってないんじゃない?」


 相変わらずの毒舌だ。一年先輩目当ての子達からの嫌がらせがなくなろうがおかしな噂が流れようが、一条さんだけは私に対する態度を変えてこない。いじめレベルとは言わなくなったものの時折こうして鉢合わせれば毒を吐いたり睨みを効かせてくる。

 そうだねごめんね、と肩を竦めて謝る私に一条さんは首を振る。近くの適当な机に腰かけ、足を組んで人を見下すようなからかいの笑みを浮かべてきた。


「一回やってみなさいよ。ほら、ペットの犬の役とか。せーのっ」

「え? えと……わ、わんわんっ?」

「駄目駄目、全然なってない。もっと役に成りきらなくちゃ」


 靴でも舐めてみる? と一条さんが爪先を私の眼前に突き付ける。口紅を塗った唇を舐め、一条さんは軽やかな笑い声を上げる。曖昧な笑みを浮かべて私は顔を逸らした。犬は犬でも、彼女が言うのは違う犬なんじゃないだろうか。


「ノリが悪いわね。やるなら感情を込めて演じるの。『ああ神様、どうか私をお救いください!』みたいにさ」

「おぉ、一条さん結構上手いね」


 昨夜やっていたドラマのワンシーンを情感たっぷりに演じる一条さん。つい拍手をすると、彼女はさも当然と言わんばかりに白い歯を見せた。

 と、またも教室に誰かが入ってくる。私達は動きを止め、入ってきた人物に顔を向けた。クラスメートの鈴木さんだ。私とも一条さんとも違うグループに所属している彼女は、私達の姿に眼鏡の下の目をパチリと瞬かせる。教室に人がいることが予想外だったのだろうかと思うも、彼女は長いスカートを弾ませるように私達の元へと駆け寄って来た。


「二人とも、もしかして演劇に興味があるの?」


 演劇、と私は呟く。そういえばこの席は彼女の席だったかと思い出したのはそのときだった。

 あんた演劇部だったっけ、と一条さんがポスターをひらめかせながら訊ねる。鈴木さんは頷き、続けるように私達に言う。


「ポスターが気になるなら一度来てほしい所があるんだけど」

「演劇部の部室とか? 別に、私は演劇部に入る気なんてないわよ」

「それでもいいの、お願い。少しでいいから付き合って!」


 鈴木さんは心底困ったような顔で私達に頭を下げる。長い三つ編みがぶんぶんと上下に揺れた。慌てて彼女の肩を押さえて顔を上げさせる。


「わ、分かったよ! ちょっとでいいんだよね?」

「うんっ。ほんの少し話がしたいだけだから。ありがとう二人とも!」

「私は行くなんて一言も……ちょっと!」


 鈴木さんに手を引かれ、私達は教室からそう離れていない二階の空き教室へと連れてこられる。生徒が増えたときの予備教室として使われるこの部屋は、今は壊れた机や予備の椅子、使っていない棚など備品がずらりと並び、圧迫感があった。

 狭苦しさを感じる教室には他に二人の生徒がいた。眼鏡をかけた男の子と、大人しそうな女の子、どちらも上履きのラインが赤色なことからして一年生だろう。ぺこりと会釈をしてくる二人に会釈を返す私、対照的に一条さんは教室を歩いて無遠慮な視線を周囲に巡らせる。それで、と彼女が言った。


「話って?」


 鈴木さんはその問いに頷き教壇の上に上がる。くるりとスカートをひるがえし、パシンと両手を打った。


「二人にお願いがあるの! 文化祭のとき、演劇部の劇に主演として出てほしいんだ!」

「「…………え?」」


 私と一条さんの声が重なる。ちょっと待ってよ、と驚いたように一条さんが身を乗り出した。


「劇とか主演とか、どういうこと? 何で私が? 演劇部でもないのに!」

「実は今年の夏、部内でちょっといざこざがあってさ、大半の部員が辞めちゃったんだよね……。だから今本当に部員不足なんだ」

「それがこの話とどう関係あるの」

「えっとね、文化祭でやる劇自体をそもそも演劇部の部員募集用にアピールするためのものなんだ」


 鈴木さんは切羽詰まった顔で私達に言う。部員不足という言葉に、一年生の子達が俯く。てっきり他の部員はまだ教室に来ていないのだろうと思っていたが、まさかこの三人しか部員がいないのか。

 ほんの少しの話って言ったじゃない、と不満気に一条さんが片頬を膨らませる。


「この二人は照明と音響がやりたくて入った子達だから、演技は苦手なの」

「私だって演技とかしたことないわよ」

「でもさっきの声、張りがあっていい声だったよ。それに一条さんなら舞台の上で凄く映えそうだし!」


 鈴木さんのここぞとばかりの賞賛に一条さんは満更でもなさそうな顔になる。畳みかけるように鈴木さんは大仰な身振りを踏まえて喋る。


「初心者が主演をやるからこそ、演技経験がなくても演劇は楽しめますよってアピールになるでしょ? ね。お願い! 演劇部を助けて!」


 私は思わず一条さんを見た。彼女も同じことをしていたようで、私達の視線がバッチリ合う。すぐに一条さんは目を逸らし、眉間にしわを寄せながら溜息を吐いた。


「何をやるの? まずそれを聞かなきゃ。やっぱり演劇部だし、ロミオとジュリエット?」


 鈴木さんはよく言われるけど違うよ、と笑って首を横に振る。手近な机に置かれていた数冊の台本、その一冊を手に取って私達に見せてきた。既に何度も読み返されているのだろうくしゃくしゃになった台本。そのタイトルが目に映る。


「――『トスカ』? 何それ、聞いたことない」

「耳慣れないかもね。でもオペラとしては有名なんだよ。プッチーニって人が作曲した作品でね、三幕からなるメロドラマで、登場人物は歌手のフローリア・トスカ、画家のマリオ・カヴァラドッシ、警視総監スカルピア、政治犯チェーザレ・アンジェロッティ……」

「カタカナばっかり聞いててもさっぱり分からないわよ!」

「まあドロドロ恋愛物って感じかな。主役はタイトルの通りトスカって女性。だから、これを二人のうちどちらかが演じてくれれば」


 言葉を区切って鈴木さんはちらりと私達を交互に見やる。一年生の子達も同様に。主役のトスカ、これをやるのは私達のうちだと……。

 私は一条さんに視線を投げる。彼女は皆の視線を浴びていることに気付き、呆れと困惑が入り混じった表情を浮かべた。しばらく唸っていた彼女だが諦めたように肩を落とす。


「分かった、やるわよ、やってやろうじゃない!」

「本当!?」

「私の演じる最高のトスカを見せつけてやるわよ。クラスの出し物もそんなに興味なかったしね、こっちの方がまあ少しは楽しめそうだし」


 ありがとう、と鈴木さんが嬉しそうに破顔する。流石主役、という言葉に一条さんがそっぽを向く。少しその耳が赤く色付いた。それから鈴木さんは私のほうに顔を向けてくる。


「秋月さんはどうかな」

「そうだね…………」


 ううん、と考える。元々参加する気のなかった文化祭だがこうして必要だと求められれば話は別だ。どうせなら誰かの手伝いとして役立った方が遥かに意義がある。

 私も大丈夫。そう肯定すると、鈴木さんの顔が輝く。子供のようにはしゃぐ彼女と共に、一年生の二人も嬉しそうにはしゃいでいた。


「ところで秋月さんはやりたい役とかある?」

「うーん……じゃあ、画家のカヴァラドッシって人かな?」


 やりたい役と言われても内容も分かっていない状況じゃあ誰を選んだって同じだろう。警視総監というなりでもないし政治犯というのも難しそうだ、だったら画家が一番やりやすそう。


「その人か! うんうん、彼も第二の主人公って感じの人だからね、凄く楽しいと思うよ!」

「彼?」

「言ってなかったっけ? カヴァラドッシは男の人なんだよ。といっても、この中で女性役はトスカしかいないから、秋月さんにやってもらうならどれを選んでも男性役になっちゃうんだけど……」


 一条さんを見る。彼女はじろりと私を睨み返し、渡さないわよと言わんばかりの眼力を投げかけてくる。取らないよ、と無言の返事をして苦笑した。

 既に男子にも声をかけて断られてしまっていたんだろうか。鈴木さんとしても、とにかく誰でもいいから演劇に興味がある人を引き抜きたかったんだろう。この際男でも女でも誰でも良かったのかもしれない。


「私に務まるといいけど……」

「大丈夫大丈夫! わたしが余った役やるから、劇の中でもフォローするよ」

「ありがとう。ちなみにカヴァラドッシってどんな人?」

「えーっと、脱獄してきたアンジェロッティを匿う共和主義の人なんだけど、恋人のトスカに女を匿ってると勘違いされて……」


 えっ、と目を丸くする私に鈴木さんが首を傾げる。どうかしたのかと言いたげに彼女は不思議そうな顔をした。


「気になるところでもあった?」

「や、今トスカの恋人って……」

「うん。彼はトスカの恋人でね」

「じゃ、じゃあ私と秋月が恋人役になるってこと?」


 横から一条さんが割り込んでくる。屈託のない笑顔で頷く鈴木さんに、冗談じゃないと一条さんが声を張る。


「そんなの嫌! 演技だとしても、こいつと恋仲になるなんて馬鹿なこと……」

「……やってくれないの?」


 一条さんの剣幕に鈴木さんが眉を下げた。眼鏡越しに見える目に涙の膜が張り、ゆらりと黒目が揺れる。涙を誤魔化そうとするように俯いてしまう彼女の姿を見て、一条さんがぐっと言葉を詰まらせた。

 部長、と二人の後輩達が駆け寄って来て心配そうにその背を撫でる。二人の顔もまた悲し気に歪み、切なそうな瞳が私達を射抜く。うぅ、と喉が詰まるような感覚に頬を引き攣らせた。いいの、鈴木さんがそう言って弱々しく首を振る。


「無理矢理連れてきたのはこっちだから。演劇なんてしたくないよね……ごめんね」


 ずっと鼻を啜る。どうしよう、と私が投げかける言葉に迷っていると、一条さんが舌打ちをしてああもうと声を上げた。


「やめるとは言ってないでしょ!」


 両手で顔を覆っていた鈴木さんは、俯いたまま、やってくれるの? と呟いた。一条さんは苦々しい顔のまま何度も頷く。


「一度言ったことはやるわよ! で、台本はどこにあるの?」

「さっきの机の所のやつ、人数分あるから……」

「一冊もらっていくからね!」


 机に置かれていた台本を荒々しく取って、一条さんは部屋を出ていく。多分家に帰って読むのだろう。

 私もいそいそと台本を一冊取り、不安な視線を鈴木さんに向けた。彼女はまだ顔を覆って俯いたままだったが、後輩の子達が大丈夫だとアイコンタクトを送ってくれる。


「あー、えっと……私も家で読んでくるよ。じゃ、じゃあまた明日、鈴木さん」

「うん、ありがとう秋月さん……」


 教室を出て扉を閉める。昇降口に向かおうとするも、鈴木さんは大丈夫だろうかと思い、途中で引き返してこっそり扉に耳をそばだてた。中から聞こえてくる三人分の声。


「よーっし! これで二人ゲット、いえーい!」

「やりましたね部長!」

「あと一人だけですね部長!」

「えへん、あと一人くらい、楽勝楽勝!」


 文化祭頑張るぞー、と気合の入ったかけ声と笑い声が教室の中から聞こえてくる。さっきまで漂っていたしんみりとした空気はどこへやら、全員はしゃいだ声を上げていた。

 流石演劇部、と言ったところだろうか。教室から聞こえるその声を聞きながら、私は一人片頬を引き攣らせて笑った。






『あなた、あの絵は誰を描いているの? 美しい金髪……あの青い目!』

『世間にはよくいるだろう、誰を描いているわけでもないさ。愛しの君よ』

『いいえ、いいえ、見覚えがあるわ……あの女。そう、教会によく祈りにくる女ね!』


 華麗なドレスを身に纏った女性と男性が歌うように語り合う。画面の向こうの煌びやかな世界が私の目に映る。煌々と照りつける照明と、大道具の設置された舞台、広い会場に響き渡る役者の声。

 レンタルビデオ店で借りてきた『トスカ』。古い作品ではあったが、その迫力は色褪せることなく伝わってくる。カヴァラドッシに他の女の影を感じるトスカ、カヴァラドッシを捕らえトスカを手に入れようとするスカルピア、最終的にスカルピアに騙されたことを知り絶望するトスカ……。

 高校生の演劇、それも初心者がやる稚拙なもの。これほどまでのレベルには到底辿り着けないだろう。けれど本格的なオペラを参考に、登場人物の感情の変化をしっかりと感じることが必要だ。手伝うと言ったからには全力で取り組まなければ。

 台本を手にううむと唸っていると、不意に目の前にマグカップが置かれる。台本を閉じ顔を上げると、コーヒーを手に東雲さんが立っていた。


「ミュージカル?」

「オペラですよ。トスカって作品なんですけど」

「ふぅん……聞いたことがないな」


 私の横に腰かけ東雲さんがコーヒーを飲みながらテレビを見る。私も台本を鞄にしまい、ホットミルクを一口飲んだ。鍋で温めたホットミルクはコクがあって美味しい。

 テレビは着々と場面が進んでいく。スカルピアが本性を現しトスカを追い詰める場面だ。悲痛なトスカの歌声が会場に響いている。


「オペラなんかに興味があったのか?」

「あ、えっと……今度授業で習うっていうから、予習として、ですね」

「変わった授業だな」


 何となく誤魔化してしまった。別に言っても構わないだろうが、ふと頭によぎったことがあったのだ。

 もしも文化祭、東雲さんが学校に来たりしたら。それは勿論嬉しい。だけど私が演劇部として劇をすることを伝えたら、彼なら一目覗くくらいはするんじゃないだろうか。それはちょっと恥ずかしい。拙い演技を見られることも、役に成りきって演じている様子を見られることも。

 幸い東雲さんはそれ以上追及してくることはなかった。ほっとしつつ私はまたホットミルクを飲む。鈴木さんのためにも、演劇部のためにも、頑張って覚えようと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ