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第8話 情報屋

 駅から出るとそこはすぐ紅街だ。まだ夜になりかけたばかりだからか、それほど混雑しているわけじゃない。それでももう少しすれば人だかりもできてくるだろう。

 眩しいネオンサイン。目に入ってくる店や人も、それとなく怪しい雰囲気を醸し出している気がした。高層ビルの液晶モニターに流れるいかがわしい店の宣伝、際どい格好で呼び込みをしている大勢のお姉さん、道端で人目も構わず濃厚なキスを交わすカップル、昔の遊郭のような外装をした風俗店。

 そこら中から腐りかけの果実のような、刺激的な甘いにおいが漂ってくる。頭が痛くなりそうだ。


「やだぁおじさん、こんな所じゃなくて、あっちで休んでいきましょうよ」


 不意に聞こえた甘い声に顔を向ける。わたしとそんなに歳の変わらないだろう女の子が、派手な化粧と酷く露出された服に身を包み、ねっとりとその細腕をどこかの中年男性の腕に絡ませていた。その男はスーツを身に纏ったサラリーマン風の人。わたしのお父さんじゃない。

 二人はねばねばと糸を引きそうなほどに熱い視線を絡ませ、そのまま寄り添うようにホテルへと入っていく。神妙な気持ちにかられ、わたしは眉を顰めながら目を逸らした。


「和子」

「あっ、はい!」


 名前を呼ばれて気が付けば、東雲さんは大分遠い先に立っていた。ぼんやりするな、と叱咤しったされ、わたしは足を急かした。





 表通りを抜け、裏路地を進んでいく東雲さんの後を追う。キラキラと光で飾られていた表通りとは違い、裏路地はまるで、そこから排出された汚れを引き受けているかのような通りだった。ようするに臭くて汚い。鼻をつまみながら歩く。

 何度か細い道に入ってくと、そのうち人気はほとんどなくなった。泥酔しきったおじさんが一人転がっているくらいだ。

 東雲さんが路地の中央で立ち止まる。彼の目の前にはレンガ造りの小さな建物があった。扉の上にぶら下がって点滅を繰り返すオレンジ色の電球は、寿命なのか、扉の周辺をほんのりと照らしているだけだ。パッと見、隠れたバーのような所。けれどそのときわたしは足元に立てられた看板の存在に気が付いた。ネオンの切れた看板。表面には埃が張り付き、文字がぼやけて読みにくい。それでも何とか目を凝らしてそれを読む。……『「お喋りオウム」結婚相手の身元調査から、ストーカーの対策まで。何でもお気軽にご相談ください』。

 首を傾げるわたしを置いて東雲さんがその建物へ入っていく。カランコロンと響いたベルの音にわたしも続いた。


 外の電球よりかは幾分明るいオレンジ色の明かりに包まれた、しっとりとしたジャズの流れる店内。わたしは目をくるりと回して部屋を観察した。

 寂れた外装がまるで嘘のように綺麗な室内だった。外側が外側なら内側もと言ったところだろう。ダークブラウンの木家具が並ぶ室内もまるでバーのような雰囲気だった。けれど壁に並ぶ棚に、酒は置かれていない。代わりにずらりと並ぶのは大量の紙束に分厚い本にファイルといったものだ。三方にある窓、何人も座れそうな横長の赤いソファー、インテリア雑貨として飾られているアンティーク雑貨。

 そんな部屋の奥にはカウンターがあった。そしてそこに座る一人の男。彼は東雲さんに気が付き、その目を愉快そうに細めた。


「久しぶりじゃないかオオカミ。のたれ死んだかと思ってたのに」


 オレンジ色に染めた髪を短いハーフアップにまとめた、二十代後半ほどに見える男性だった。ラフな青いワイシャツから覗く左手首には、何やら精密な造りの、高級そうな腕時計が巻かれていた。

 オオカミ……? と台詞の一片に首を傾げていると、彼が東雲さんの後ろにいたわたしに気が付く。


「その子は? 誘拐でもしてきたのか、それとも愛玩用?」

「こいつは……新入りだ。俺のサポート役として使う」

「……えっ、マジ!? 嘘だろどうしたんだよ東雲! あの一匹狼なんて呼ばれてたお前が、相棒!? しかもこんな初心者の女の子…………そういう趣味だったのか!」

「違う」


 何を納得したのかは分からないが、彼はうんうんと頷いた。それから朗らかな笑みを浮かべてわたしに手を振る。


「ようこそ可愛いお嬢さん。ここは『お喋りオウム』、表向きは浮気調査から行方不明者の捜索までなんでもござれの興信所。裏向きは愛人との逃避行に使う秘密の抜け道から、見つからないようにこっそりと子供を誘拐する方法まで、何でも教えちゃう仲介業者を兼ねた情報屋さ。オレの名前は如月きさらぎ当真とうま、よろしく」

「情報屋……」

「聞いたことはない? ほら、外国の映画なんかでよく出てくるだろ。渋い年寄りがパイプを吹かしながらカウンターに座ってるんだ。『今日は何の頼みだい、旦那? ……ああそれか。勿論情報は入ってきてるとも。そう急かしなさんな。まずは前払いといこうか』なんて! 人生の夜って映画は知ってる? あれの後半に出てくる情報屋が酷く格好良くてね。いやー、痺れた」

「は、はは……」


 立て板に水のように喋り続ける如月さんにぎこちない笑みを返す。わたしの反応など最初からどうでもいいようで、彼は身振りを加えながら熱く語り続けていた。確かにオウムのようによく喋る人だ……。

 と、そのときふとした疑問を思い出す。東雲さんと如月さんの顔を交互に見つめると、如月さんがそんなわたしの視線にようやく気が付いた。


「どうかした?」

「あ、あの……さっき如月さん、東雲さんのことをオオカミって言ってたじゃないですか。それってどういう意味なのかなと思って……」


 如月さんが東雲さんを見る。その丸くなった目は、教えていないのか? と言いたげだった。それから一瞬の沈黙を置いて、如月さんが一度柏手を打ち、教えてあげよう! と高らかに声を上げた。



「秋月和子さん。君は、この明星市がどんな所か説明できる?」

「え? えっと…………物価が安くて治安が悪い。小さな犯罪から大きな犯罪まで日常的で、星の綺麗な犯罪都市……かな?」

「正解。そんな明星市にはね、いわゆる裏社会というものが身近に存在しているんだ。誰でも治療してくれる闇医者、()()()掃除してくれる掃除屋、何でも運んでくれる運び屋、誰でも殺してくれる殺し屋、何でも教えてくれる情報屋。――それでね、明星市の裏業者のほとんどは、自分達に生き物の名前を付けているんだよ」

「生き物ですか?」

「オレが知ってる限りでも、人魚、クモ、白ウサギ、カラス……とにかく生き物なら何だって。オレがオウムを名乗っているようにね。それで東雲はオオカミ。殺し屋業界の中では屈指に入る実力者だ」

「へぇ…………」


 生返事をしながらも、わたしの頭の中にはぐちゃぐちゃとした混乱が渦巻いていた。

 改めて思い返してみればここ一週間ちょっとの間にわたしは思いっ切り道を踏み外してしまった。それまで生きてきた日常とはかけ離れた裏社会などというものに初めて触れてしまった。それを承知の上でいたにはいたのだけれど、あまりに急激な変化に、心が慣れないのだ。殺し屋? 情報屋? 裏社会? 以前までなら何を漫画みたいなこと言っているんだと笑い飛ばせたはずの言葉が、今は全く笑えない。

 今になってそんなことを思うのはこのお店の雰囲気に飲まれているからかもしれない。バーのような大人の空気が漂う場所など来たことは初めてだ。いつもとはちょっと違うその雰囲気と音楽が、わたしを淡い緊張に包み込む。

 ああ、また別の疑問が浮かんできてしまう。……東雲さんはどうしてわたしを傍に置くようなマネをするのだろう? だってプロなんでしょう。オオカミなんて名前を付けられるほどなんだから、きっととても強い人なんでしょう。なおさら、どうして?


「如月。お前のくだらない話に付き合う時間が勿体ない。何か依頼は来ていないか? こいつにもできるような簡単な――……」


 わたしの疑問と東雲さんの声は、キィ、という扉が開く音に中断された。続いて鳴るカラコロというベルの音にわたしたちは揃って背後を振り向く。

 一人の女性が入ってきた。



「――――こんばんは」


 しっとりとした艶やかな声。わたしは何も言葉をかけることができず、半ば茫然と女性に見惚れた。

 何よりも特徴的なのは、背中まで伸びた黒髪。濡烏ぬれがらすという言葉を彷彿させるそれは、淡い青色の艶を伴い、一本一本が空気を纏うようにさらりと滑らかだ。離れていても分かる長いまつ毛と、その下に伏せられたガラスのような目。肉感のある唇はぷるりと潤みを帯びていて。女性にしては長身で、その上細身でありながら出るところは出てスタイルもいい。黒いシャツに青いスキニージーンズというシンプルな服を着ているけれども、そのシンプルさがむしろ彼女の妖艶さを際立たせている。

 モデルさんだろうかと思った。それくらいに美人な人だったから。

 彼女はカツコツと靴底を鳴らしながら部屋の中央へ進む。そして東雲さんの隣に立ち、彼の目を見つめた。東雲さんもまた、彼女の目を静かに見つめ返した。


「「……………………」」


 数秒間の静寂。わたしは二人を交互に見て、それから如月さんの方を見た。彼はニヤニヤと二人を見つめているだけだった。どうやらこの二人には面識があるようだ、どんな関係なんだろう。……恋人? だってどっちも美男美女だし、お似合いだ。

 素敵だなぁなんて思いつつわたしも二人を見ていると、不意に双方の眉間にしわが寄った。空気は一変して、ピリッと張り詰めたものになる。


「どうしてここにいるの」

「いちゃ悪いか」


 ぶっきらぼうな二人の声色。違う、これ恋人だなんて甘いものじゃない、逆だ。

 女性が眉根を寄せ、東雲さんを睨む。呆れたような溜息がその唇から漏れた。


「別に悪いなんて言ってない。聞いただけでしょう、勘違いしないで」

「仕事を貰いに来ただけだ。そんなことも分からないのか?」

「そう突っかかってこないでよ。そんなしつこいから、嫌な男なのよ、あなたは」

「しつこいのはお前の方だろう。ちっとも変わらないな、最初に会ったときから」


 女性の目に鋭い怒りが走る。一瞬、ぐっとその整った表情が歪んだ。何故か全く関係ないわたしが身を竦ませる。

 パンパンと音がした。如月さんが手を叩きながら、二人に笑顔を向けた。


「オオカミ、人魚。二人ともそのへんでやめとけって。やるなら外でやれ」


 張り詰めた空気の間をすり抜けるような軽い声だった。けれどその声の中に、『迷惑だ』という意思が込められていることはこの場の全員が理解した。

 東雲さんが深い溜息を付く。それから如月さんへ視線を向け直し、彼が持っていた一枚の紙を取って眺める。


「……この仕事を頼む」

「毎度あり」


 それからしばし二人の間でやり取りが交わされた。数分もしないうちに、東雲さんが踵を返して店から出ていこうとする。扉に手をかけながらわたしへと振り向いた。


「外で煙草を吸ってくる。お前は後から来い」

「そんなに煙草ばかり吸ってると早死にするわよ? それともその方が本望なのかしら」


 去り際に投げつけられた女性の言葉に耳も貸さず、東雲さんはそのまま外に消えた。部屋の中に三人だけが残される。



「あなたは?」


 直後に女性が尋ねてきた。何と説明するべきか戸惑っていると、代わりに如月さんが口を開く。


「その子は秋月和子。東雲の相棒なんだってよ」

「相棒? あいつの?」ピクリと女性の眉が顰められる。

「秋月和子さん、こっちの女は人魚。殺し屋の一員だ」


 この人も殺し屋? わたしはパチパチと目を瞬かせて、彼女の顔をじっと見た。そういえば人魚という名前はさっき聞いた覚えがある。人魚というわりに尾ひれはなく普通に足があったけれど、一体どういう由来でそんな名前になったのだろう。

 ぼんやりとそのまま彼女を見つめていると、不思議そうな顔で、何? と問われる。


「す、すみません。その……お姉さん美人だから、そんな人も殺し屋やるんだーって……」


 頬を掻きながら素直に言った。すると女性も一瞬目を丸くして、それから「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。その笑みも様になる。


「自己紹介がまだだったわね。私は月夜見つきよみ真理亜まりあ。真理亜でいいわよ、和子」

「あ、よろしくお願いします。真理亜さん」


 言葉と共に差し出された手を握り、握手を交わす。細長く綺麗な指だった。わたしたちの様子を、如月さんが不思議そうな顔で見ながら首を傾げる。


「何だかご機嫌だな月夜見。東雲の態度と全然違うじゃないか」

「あいつとこの子は違うじゃない。それに素直で、とても可愛い」


 ね、と微笑まれた。わたしもちょっと首を傾げながら照れ笑いをする。何だかよく分からないけれど好意を持たれたようだ。


「それで今日ここにいるってことは、これから仕事なのかしら」

「はい。実は今夜が初仕事で」


 笑みを浮かべながら言うと、真理亜さんの柔らかく緩んでいた表情が凍った。酷く張り詰めたその表情を見た瞬間、わたしは自分の笑みが緊張に強張っていくのを感じた。


「初仕事?」

「は、い」


 ぎこちなく頷くと、真理亜さんは扉の方向に視線を向けて舌打ちをした。恐らくは東雲さんに向けてなのだろうが彼に聞こえるはずもない。彼女の態度を見て、わたしは慌てて手を振った。


「あのっ、初仕事といっても、わたしが殺すわけじゃないんです。東雲さんが仕留めやすいように相手を傷つけるだけで、わたしが直接手をかけるわけでは……」


 あなた、と名を呼ばれて口を閉ざす。真理亜さんの射抜くような氷の目がわたしを見つめていた。あなた、と再度その唇から言葉が漏れる。


「武器は何?」

「え、あ、っと…………これです」


 服の裾に隠した鞘から、恐る恐る武器を取り出す。銀色に光る両刃の短剣。昨日東雲さんから貰ったもので、確かダガーだとか言ってたか。よく分からないけれどただのナイフだ。

 黒い柄をしっかりと握る。雨や汗でも滑りにくいようにか刻まれた溝のおかげで握りやすい。それでもうっかり落としてしまわないように手に力を込めた。



「戦闘の技術はある?」

「一週間しか訓練してませんけど、何とか」

「大怪我を負ったり、死んでしまう覚悟はある?」

「えっと…………」


 突然真理亜さんはわたしのナイフを握る手にそっと自分の手を重ねた。ビクッと肩を跳ねるわたしに追い打ちをかけるよう、続けて言う。


「刃物で、銃で、武器で。人を傷付けたことはある?」


 答えられなかった。唇をきゅっと結んで黙り込むわたしに、真理亜さんは淡々と言葉を振りかける。


「殺し屋はちゃんとした仕事の一つ。だけどその内容は人を殺すという重罪。人を殺した人間の末路なんてろくなものにはならないでしょうね。東雲も、私も、そしてあなたも。直接殺すか間接的に殺すかなんてことに大きな違いはないわ。手伝いと言えど、あなたは『人を傷付けた、人を殺した』という事実に耐えられる? 人を悲しませるということに耐えられるの?」

「…………」

「それが無理なら今からでも遅くはないでしょう。この世界のことなんて忘れなさい。私のことも東雲のことも全て」


 それはいつか、保良さんに言われた言葉とそっくりだった。人を殺すということの重さ、人を悲しませるということ、傷付けるということの覚悟。耐えられる? 耐えられる?

 耐える、なんて言い方やめてよ。

 ずっと色んなことを耐えてきたのに、我慢してきたのに。

 だから今こんな所にいるのに。



 真理亜さんがそっとわたしの頭に手を置き、一撫でする。その手が離れかけたとき、わたしは無意識にその手首を掴んで口を開いていた。


「わたしは」


 真理亜さんの目を覗き込む。不思議そうに丸くなっていたその目に、わたしの顔の輪郭がぼんやりと映っていた。

 だけど表情までは暗くて見えない。


「きっともう戻れないし、戻りたくもない。人を傷付けるのは嫌だし、殺すことだって嫌だし、悲しませるのも嫌だし……けど、けど」


 今まで散々傷付いてきたから。

 もういいでしょう?


 力のない、へらっとした笑みを顔に張り付ける。神妙な顔をする真理亜さんと如月さんを一瞥し、そのままわたしは扉の方向へ体を向けた。

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