表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/164

第74話 肝試し

 夏真っ盛りの茹る猛暑。熱いコンクリートの上に陽炎が揺らめく季節。けれど私が今いる場所は、しっかりと冷房の効いた涼しい図書館の中だった。

 皆避暑地として訪れているのか、今日の図書館は人が多い。勉強スペースとして設けられた長机もほとんどが学生で埋まっている。夏休みの課題として出された分厚い数学の問題集を睨み付けていると、そんなとき不意に隣の空席に誰かが座ろうとする気配がした。


「お隣座ってもいい?」


 椅子を引きながらその誰かは丁寧に断りを入れてくる。勿論どうぞ。そう言おうと顔を向け、私はあっと声を上げた。


「あざみちゃんっ」


 ひらりと手を振り、あざみちゃんは隣の席に座った。机の上に参考書や塾の課題らしきプリントを置いた彼女だったが、それには目もくれず私に身を乗り出してくる。どうなったの、と真っ先に問われ、何のことかと首を傾げた。


「オオカミとのことよ。それに、体はもう大丈夫なの?」

「ああ……うん。もうどこも痛くない、大丈夫だよ」


 そう言って手の平を見せる。小指にはまだ絆創膏を貼っているものの、安定してきたのか痛みはない。体に付いた他の傷も大分治癒し、普通に過ごしていても問題はなかった。

 東雲さんとは……とまで呟いて私は黙った。無意識に指で唇に振れる。ふにゃりと頬を緩ませて笑う私を見て、あざみちゃんは一瞬悟ったように目を丸くした。それから苦笑いを浮かべ、呆れた様子で首を振る。


「上手くいったみたいね」

「うん」

「そう…………良かった」


 最後の言葉は消え入るほどに小さな声だった。だけどしっかりとその言葉を聞いた私は、笑いながらあざみちゃんの頭を撫でた。やめてよ、と頬を膨らませながらも彼女は私の手を払わない。いい子だなぁ、と思いながらしばらく撫で続けた。

 私達が勉強を再開しようとしたとき、本棚の方から騒がしい声が聞こえてきて視線を向けた。中学生くらいの男の子たちの集団が大量の本を抱えながらこちらに向かってくる。一応は静かにしようと声を潜めて話しているのだろうが、それでも静かな図書館では相当目立つ声量の会話だ。あざみちゃんは疎ましそうに細めた目で彼らを睨んでいる。その視線に気付きでもしたのだろうか。集団の中の一人がこちらに顔を向け、パチリと目を丸くした。


「おーい二人とも! やっほー!」


 図書館中に響き渡りそうな大声を上げながら、その集団の中から太陽くんが駆け寄ってくる。ぶんぶんと手を振って、犬のようにやって来た太陽くんの頭をあざみちゃんが叩いた。


「馬鹿っ、ここは図書館でしょ。静かにしなさい」


 潜めた声で怒鳴るあざみちゃんに謝りつつ、奇遇だなぁと嬉しそうに太陽くんは笑う。太陽くんの友達らしい男子達もこちらにやって来て、私とあざみちゃんを交互に見つめた。一人が太陽くんの肩を叩き訊ねる。


「この人達と知り合い?」

「ああ。こっちがネコで、こっちがクモって言って……」


 あざみちゃんが今度は更に強く頭を叩く。馬鹿じゃないの、と声を荒げる彼女だったが、すぐに周囲から注がれる迷惑そうな視線に気付き、恥ずかしそうに太陽くんを睨み付けていた。

 あはは、と苦笑しながら私は太陽くんの友人達に自己紹介をした。私達の仲は適当に、前困っていたところを助けてもらったのだと説明する。突っ込まれるかと思ったものの、案外彼らは納得したように何度も頷いて笑った。


「こいつ昔っからそういうとこあるもんなー。ヤクザっぽい奴が道で喧嘩してるの止めにいったり」

「そうそう。太陽お前本当、見てるこっちがハラハラするからそういうのやめてくれよ。ただでさえ第六区は変な奴が多いんだから」

「悪い奴を倒さないでどうするんだよ! ヒーローってのは街の平和を守るもんだろ?」


 また出たよヒーロー願望、と笑いながら彼らは持っていた本を机に置く。一番上にあった本の『日本の歴史』というタイトルを見て、感嘆の声を上げた。


「今日は皆で勉強会? 偉いね」

「違いますよ。俺達、ただ遊びに来ただけで」


 言いながらその子は本の山を崩す。科学の本、歴史の本、小難しい論文の本なども数冊紛れているものの、その大半はライトノベルだったり漫画だったりといったものだ。

 夏休みの自由研究テーマに悩んでいる友人同士で集まって、今日は図書館に資料を探しに来たらしい。だが真面目に探していたのも最初の十分だけで、残り大半は好き勝手に面白そうな本を漁っていたのだという。何冊かの本を勧められてページを捲る。


「あ、この漫画面白そう。……へー、殺人鬼のお話かぁ。この男の人凄く綺麗だね」

「『ぼくと罪深い隣人たち』って漫画なんですけどめっちゃ面白いんすよ。今度アニメ化が決定したって話で、もう今から楽しみで!」


 死体の山の前で笑う殺人鬼に、主人公の女の子が冷めた視線を送っているシーン。これがアニメ化されるのならきっと深夜遅くに放送されることになるのだろう。

 他にもこんな漫画があるんですよ、とその子は色んな漫画を勧めてくる。不思議な喫茶店が舞台のコーヒー漫画、コズミックホラーをテーマとした怪物の出てくる漫画……。漫画話に花を咲かせる私達を、横からあざみちゃんが呆れた目で見つめていた。


「あざみは自由研究何やるのか決めた?」


 太陽くんの問いにあざみちゃんは頬杖を突いて少し考え込む。そうね、と思い付いたように顔を上げた。


「昆虫の生体でも調べようかな。例えばこの間本で読んだ、蜘蛛はコーヒーを飲むと糸が上手く張れなくなる、っていうのを検証してみたいわ。せっかくだし蜘蛛の天敵だって言われているハチの弱点を調べてみたりも…………何よその目」


 梅干しを食べたときのような顔をしていた太陽くんは、うへぇと舌を出して嫌々と頭を振る。


「いかにも頭が痛くなるような内容だなー。せっかく自由って書いてるんだし、もっと楽しいこと調べようぜ。花火百本まとめて燃やしたらどうなるかとかさ!」

「自由とは言えど研究でしょ? もっと為になるようなことを調べなさいよ!」

「えー、だってつまんないよそんなの」

「人が何を調べようがいいでしょうが。あたしはこれがやりたいの!」

「夏休みだってのに、真面目に勉強するのも飽きないか? ほどほどにして遊びに行こうぜ」

「太陽あんた絶対、宿題最終日にまとめてやるタイプでしょ?」

「残念不正解! 結局終わらず職員室に叱られに行くタイプですー!」

「最悪じゃない!」


 騒ぎ出す二人を宥めつつ、私は隣で太陽くん達に呆れたような視線を送る友人達を見た。そのうちの一人が抱えている本にふと視線を向けていると、その子は抱えていた本を私に見せてくれた。

 漫画かと思ったがそうではない。『日本都市伝説』、『異界研究論』、『明星市の噂』などなど、少々オカルトチックなタイトルが並んでいる。ずいっと身を乗り出してきたその子は、眼鏡越しに目を輝かせ、興奮したように私にまくし立ててきた。


「これ気になります? おれ、都市伝説とか異界とか、そういうオカルトに興味あって! 自由研究も明星市のオカルトについて調べようと思ってるんですよ」

「ああ、今夏だもんね。確かにオカルト話を調べるにはちょうどいい時期かも」

「この市の歴史と関連付けて調べたら民俗学としてもいい研究になると思うし……お姉さんも何か知りません? 明星市のオカルト話。例えばほら、一時期話題になった口裂け女とか!」

「…………うーん、ごめんね。なんにも知らないや」


 そうですか、とその子は残念そうに肩を落とす。口裂け女と聞いて思い出すコンテストのこと。だが当然言えるわけがなかった。

 あざみちゃんを見てみれば、彼女も話を聞いていたらしく複雑そうな顔でその男子を見つめていた。口裂け女のことを思い出しているのか、それともオカルトに興味があるということが心底理解できないからなのか。

 勉強をしましょうよ、とあざみちゃんが言えば皆は本来の目的を思い出し、席に着く。漫画を読んだりノートにペンを走らせたりそれぞれが好きに動く中、ふと見た太陽くんの顔がニヤリと笑っていることが、少し気になっていた。





 太陽くんから呼び出されたのはその日の夜だった。自宅でぼんやり暇を持て余していた私の携帯に一通のメッセージが送られてきた。『今夜時間があったら一緒に行ってほしい所があるんだけど』という文に、暇を潰せるのならと返信する。だがどこに行くのか、何をするのかと聞いても、曖昧にはぐらかされてしまい肝心なことは分からずじまいだった。

 指定された場所は第六区の駅だった。夏とはいえ夜八時前という時間帯、カーディガンを羽織って駅へと向かう。電車に乗って揺られることしばらく。目的の駅に着いて東改札を抜けた所の柱に、あざみちゃんが背をもたらせてじっと携帯を眺める姿を見つけた。

 あざみちゃん、と声をかけて駆け寄る。ポニーテールを揺らしながら顔を上げた彼女は、驚いたように瞬いて、首を傾げた。


「和子も太陽に呼び出されたの?」

「うん。あざみちゃんもだったんだ」

「行ってほしい所ってどこなのよ。やっぱり、仕事関係かしら」


 どうだろう、と二人で駄弁りながら太陽くんを待つ。約束の時間を五分ほど過ぎたときに太陽くんはやって来た。やっほう、と明るく笑って歩いてきた太陽くんに遅いと苛立ちの言葉を吐いて、あざみちゃんは腰に手を当てて訊ねた。


「それで、どこに行くの?」

「まあその辺り」


 すぐ近くだよ、と曖昧な言葉ばかりを続けて太陽くんは歩き出す。私とあざみちゃんも怪訝に思いながら彼の後ろを歩いた。

 すぐ近く。太陽くんはそう言ったはずなのに、駅を出てから二十分が経った今も目的地に着く様子はなかった。それどころか私達が歩いているのは街でも住宅街でもなく、人気のない林の中だ。道と呼べる道さえない。獣道を歩き、露に濡れた草木を手で掻き分けて進んでいく。夜の林は暗く、木々の間には闇しか見えない。ぬっとりとした黒の密度が恐怖を掻きたてていく。

 最初こそ普通の調子だったあざみちゃんも、次第に落ち着かない様子で辺りを見回していた。太陽くんが掻き分けた葉の音に顕著に肩を跳ね上げる。私はあざみちゃんの手を引きながら、慎重に太陽くんの後を追う。ぶぅんと顔の周りを飛ぶ羽虫を払い、蒸し暑い空気に汗を流す。

 太陽くんが突然足を止めた。眼前に広がる木々の開けた場所、そこに一軒の家が建っていた。四角い二階建ての建物で、白い壁が闇の中にぼうっと寂しく浮かんでいる。夜にも関わらず窓に明かりが見えないこと、一見綺麗だが建物のあちこちにヒビやツタが絡みついていることから、恐らく廃屋となっている建物なのだろう。

 不思議そうに建物を眺めている私達に太陽くんが振り向いた。興奮を隠せない、と言いたげな笑顔が暗闇の中でもハッキリと分かった。


「肝試ししようぜ!」


 馬鹿じゃないの、と声を荒げたのはあざみちゃんだった。呆れと怒りと恐怖の入り混じった表情で、彼女は彼を睨む。仕事じゃなかったんだ、と私も苦笑しながら呟いた。


「夏と言えば肝試し。肝試しと言ったら廃屋探検だろ! それにあざみだって蜘蛛の自由研究したいって言ってたじゃん。ここならすぐ捕まえられそうだぞ」

「ペットショップで買おうと思ってたの! わざわざこんな所まで来るつもりなかったわよ!」

「ペットショップに蜘蛛って売ってんの? それにここならタダで済むだろー」

「そういう問題じゃない!」


 二人の会話を尻目に私は廃屋を見上げる。確かに幽霊の一体や二体出てもおかしくはなさそうな建物だ。けれど肝試しだったら、もっと雰囲気のある廃屋だってあるんじゃないだろうか。古い時代から建っている日本家屋やら、一家惨殺事件の起こった民家やら。前者はともかく後者なら明星市には何軒もある。わざわざ第六区まで連れてきたのには理由があるんだろうか。

 私の疑問に気付いたのか、太陽くんは廃屋を指差して語り始めた。


「この建物、俺も昔何回か見に来たことがあるんだ。そのときにはまだ人が住んでいたんだけどな。どっかの大学か研究所かの教授が一人。元から気難しくて愛想のない、不気味な人だったんだけど……」

「けど?」

「何を研究してたのかは知らないけど、段々精神を病んじゃったんだ。ある日突然叫び出して刃物を持って街をうろついてさ。すぐ逮捕されたけど、それからずっと精神病院に入院してる」


 第六区にある精神病院。軽度の症状の人から重度の症状を患う人まで、たくさんの精神患者が入院している病院だ。そこで教授も長い間闘病生活を続けているのだと言う。

 殺人事件があったわけじゃないのかと少し安堵する。だが、それでもこの廃屋を肝試しに選んだ理由はよく分からない。太陽くんはなおも話を続けた。


「実はその教授の研究していた論文やら資料が、まだここに残っているんだって。正常だった頃はそれなりに有名な教授で、いくつかの功績も残しているらしい。そんな教授が精神を病むまで研究していた内容だぜ? これは、売れば金になるだろう!」

「……あんたそれが目的なんでしょ」


 あざみちゃんが溜息を吐く。どうして自分が付き合わなければならないのか、と言いたげな溜息だった。


「肝試しなら昼の友達と行けば良かったじゃない。オカルト好きな子もいたでしょ?」

「あいつはこういう建物より、もっと古めかしい屋敷とかじゃないと来てくれないんだよ。他の奴らも部活とか興味がないとかで来てくれないしさ」


 頼むよ、と太陽くんは手を合わせて頭を下げる。


「一人じゃつまんないんだ。一時間でいいから!」

「そんなに嫌よ! せめて十分!」

「四十五分!」

「十五分!」

「四十分! 俺達友達だろ? 夏休みの思い出、作ろうぜ。な?」

「…………三十分。これ以上は伸ばせないから!」


 太陽くんが両手を上げて喜ぶ。決まりだ、と言うが早いか彼は三人分の懐中電灯を取り出し、二つを私達に渡してきた。早速と建物に向かって駆け出す背中を見て苦笑しながら私達もついて行く。

 玄関は鍵がかかっておらずすんなりと開いた。玄関の先に続くのはまっすぐ伸びた廊下だ。左右に数個ずつ、部屋に繋がる扉がある。靴を履いたまま廊下に上がり恐る恐る廊下を歩く。湿ったカビっぽい臭いが建物の中に広がっていた。床板が時折軋んだ音を立てる。何だか急に足元に穴が開きそうで怖い。

 懐中電灯で足元を照らすも、見える範囲はそこまで広くない。朧げな明かりを頼りに進んでいると、不意に太陽くんが言った。


「そういえばここ、他にも何人か探検に来たことがあるらしいんだ。大学生とか俺達みたいな学生や、研究成果の噂を聞きつけてやって来たどっかの会社員達とか」

「え、じゃあとっくに研究内容は奪われちゃってるんじゃないの?」

「それが、研究内容を手に入れたって噂は一つもないんだ。皆何もなかったって諦めたらしい。……それか、見つけることができなかったか」

「できなかったって?」

「いなくなってるんだよ。ここに探検に来た奴らが、何人か消息を絶ってるんだ。何でも遊び半分で家を荒す奴らを憎む、教授の呪いだって」


 嘘でしょ、と私の服を掴みながら歩いていたあざみちゃんが声を震わせた。どういうことなの、と焦ったように髪をぶんぶん振り回す。


「聞いてないわよそんな話!」

「言ってないからなー。だって話したら、絶対ついてきてくれなかっただろ?」

「当たり前でしょ!? あああ……もうやだ、帰りたい……」


 あざみちゃんが痛いくらい私の腕を握りしめてくる。たった三十分だから、と励まして私は廊下を進んだ。不穏な話のある廃屋。本当に何かが出てくるのではないかと、恐ろしかった。けれど同時に少し楽しかった。こうして友達と肝試しをするなんて、久しぶりの経験だったから。

 とりあえず廊下を突き当りまで進み、どの部屋に入ろうかと太陽くんは左右にキョロキョロと視線を巡らせる。しばし迷ってからこっちだと彼は指差した左側の扉を開けた。

 何の変哲もない部屋だった。小部屋として使用していたのだろう。小さな机と椅子、棚があるくらいで、机の中にも棚にも何も残ってはいない。外れか、と残念そうに太陽くんが肩を落とす。


「ひっ」


 びくびくと辺りを見回していたあざみちゃんが、突然引き攣った声を上げた。腕に彼女の指が食い込む。驚き、どうしたのと声をかければ、彼女は大きく見開いた目で一方へと懐中電灯の光を向けていた。

 彼女の視線が注がれている先は入ってきたばかりの部屋の入り口だった。怪訝に振り返り、あざみちゃんの懐中電灯が照らす物を見る。開けっ放しの扉、その足元。

 光に照らされる、二本の足。


「……………………」


 声が出なかった。爪先から頭の天辺までを寒気がぞわっと駆け上り、呼吸が止まる。私達の異変に気付いた太陽くんもどうしたんだと言いながら振り返り、声を凍らせた。

 張り詰めた恐怖の空気。ドクドクと心臓が恐怖に喘ぐ。震える懐中電灯の光がじれったいほどにゆっくりと足から上を照らしていく。

 ほっそりとした白い足、黒いミニスカート、露出の多いシャツ……そして、黒髪の下に見える、ニタリと楽しそうに笑う少女の顔。

 あざみちゃんが絶叫した。釣られて私と太陽くんも叫ぶ。パニック状態に陥った私達を見てその人はふっと口元を歪め、お腹を抱えて笑い出した。


「あ、あっははは! もう、なに、めっちゃ驚いてんじゃん。ここまで怖がるとは」


 心底楽しそうな笑い声が部屋に響く。ポカンと呆けた様子で彼女を見つめていた私達だったが、ハッと我に返った私はその子に向かって呼びかけた。


「え……あ、あーちゃん?」


 私の言葉にその子はパチリと瞬いた。すらりと細い四肢、肩甲骨まで伸びた左右に跳ねる黒髪。あーちゃんだ。前に子猫探しを手伝ったとき、仲良くなった女の子。

 わぁ、と声を弾ませて彼女に駆け寄る。知り合い? と怖々訊ねてくるあざみちゃんに頷きながら、私はあーちゃんの手を取って上下に振る。


「久しぶり! まさかこんな所で会うなんて。びっくりした」


 あーちゃんはニッコリと私に微笑み、そのまま首を傾げた。


「誰だっけ?」

「忘れちゃったの!? 私だよ、和子だよ。ほら、前に一緒に子猫探したことあったじゃん!」

「あはは、冗談だって、覚えてるわよ。でもそっちも一度会ったきりの人間をよく覚えてるわね」


 えへへ、と笑いながら私は彼女に何故ここにいるのかを訊ねた。こんな夜にこんな場所で会うなんて、また子猫でも探していたんだろうか。

 あーちゃんが答えようと口を開きかけたとき、廊下を挟んだ反対側の扉が急に開いた。ビクッと驚く私達だったが、あーちゃんだけは驚いた様子もなく振り返る。部屋から出てきた男の人が溜息を吐いてこちらへやって来た。


「駄目だー、こっちにも何もなかったよ……って、あれ? 和子ちゃん?」

「冴園さん?」


 どうしたのこんな所で、と爽やかな笑顔を浮かべてやって来たのは冴園さんだった。彼の脇腹を肘で小突き、あーちゃんは頬を膨らませる。


「ちゃんと探したの? 棚の後ろも見てみた?」

「見たってばぁ。もー、俺一人で探すの疲れたよ、一緒に探してくれって」

「埃っぽくない所ならね」


 探す気ゼロじゃん、と肩を竦める冴園さんは、それから私達に向き直る。彼が持つ懐中電灯の明かりが揺れた。

 冴園さんとあーちゃんも偶然ここで出会ったというわけではなさそうだ。何か目的があって、二人でこの廃屋にやって来たのだろう。いつの間にこんなに仲良くなっていたんだろう。私が二人が一緒にいるのを見たときは、あの猫探しのときだけだったのに。二人とも人とはすぐ仲良くなれそうな性格だから、あのときから交流していたのかもしれない。


「それで、どうしてこんな所に?」

「肝試ししてたんですよ。夏の思い出に」

「それと宝探し!」


 私の後ろから身を乗り出した太陽くんが声を張る。宝探し、と冴園さんとあーちゃんは顔を見合わせて同時に手を打った。


「もしかしてこの研究所に隠されているっていう、教授の研究?」

「まさか二人も?」


 あーちゃんはニヤリと笑う。何も言わずとも、その表情がお宝目的であることを明確に表していた。

 私達やあーちゃん達と同じように、お宝目当てでこの廃屋に来る人は案外多いのかもしれない。そもそも本当にお宝などあるのだろうか。教授が入院するときに、書類は全て破棄してしまっているのではないだろうか。あるとして、それがまだ誰にも見つかっていないと断言はできないのでは。

 馬鹿みたい、と呟いたのはあざみちゃんだった。しばらく床にへたり込んで黙り込んでいた彼女は、その場に立ち上がり、キッと潤ませた目で私達を睨む。


「こんなの肝試しでも何でもないじゃない。他人の家を物色するなんて失礼よ。もう知らない、あたし、帰る」


 涙に濡れた声で言うが早いか、引き留める間もなく彼女は廊下に出た。あざみちゃん、と呼びかけても振り返らず真っ直ぐに出口へと向かってしまう。少し怖がらせすぎたかな、と太陽くんが申し訳なさそうに呟いた。

 あざみちゃんは玄関の扉へと手をかけた。だが直後に手の動きを止める。一瞬固まった彼女は、すぐにハッとしたかと思うと、焦ったように何度も扉を開けようとしていた。

 おかしな動きをする彼女に、あーちゃん達も次第に怪訝そうに首を傾げる。しばらく経って彼女は完全に動きを止めてしまった。凍り付いたように動かない姿に、あざみちゃん? と声をかける。弾かれたようにこちらに振り向いた彼女は、泣き出しそうな声で叫んだ。


「開かない。鍵がかかってる!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ