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第53話 学校の不審者

 生ぬるい空気が教室に充満している。全開にしているはずの窓からは同じくぬるい風しか入ってこない。喧しいセミの声を耳に、私は手持無沙汰にシャーペンを回していた。

 七月中旬の今日、土曜日だというのに私が二年二組の教室にいるのは訳がある。夏休みに入る前、今月の頭にテストがあった。だが仕事と被ってしまいどうしてもテストを受けることができなかったのだ。そのため補習という形で今日ここにいるというわけだ。


 同じように教室には数人の人がいた。教壇に座って漫画を読んでいる男子四人はそれぞれテストをサボった人達。杉山すぎやまくんと新田にったくんと荒木あらきくんと大西おおにしくん。めんどくせえ、と騒がしく笑っているが、こうして補習には来ているのを見ると何だかんだ真面目なんじゃないだろうかと思う。

 窓辺に寄りかかり、教科書をうちわに気だるげな顔をしているのは一条さんと恋路さんだ。聞こえてくる会話によれば、恋路さんは点数不足、一条さんはテスト自体を受けていなかったらしい。

 教室のど真ん中の席に座るのは早海はやみという一人の女子。暑さなど感じていないとでも言いたげな、涼やかな目で携帯を弄っている。


 くるくると回していたシャーペンが指に弾かれて机上に転がる。そのまま私はぼんやりと視線を上げ、思わず眉間にしわを寄せた。

 補習開始時刻は九時からだと金井先生は言っていた。しかし、時計の針は既に九時半を指している。先生は誰も来ていない。

 これが平日、通常通りの授業があったなら皆も気にしなかっただろう。けれど今日は話が違う。補習用の課題が早く終わった人から先に帰ってもいいと事前に言われていた。始まる時間が遅くなれば当然終わる時間も遅くなる。先生がいつまで経っても来ないことに他の人達も気が付き始めたようで、教室の空気に不満の色が混ざり始めた。


「……あーくそっ! まだ来ないのかよ!」

「いっそ帰ろっか?」

「落ち着けって。いいよ、俺見てくるよ」


 苛立ったように貧乏揺すりを始める新田くんを見て、荒木くんが苦笑しつつ立ち上がって教室を出ていく。皆がそれを一瞥して見送ってから、また元の会話に戻りだした。

 先生達、何かやってるのかな。それとも課題用のプリントが見つかってなかったりして。そんなことを考えながら私は目を伏せた。

 そのときだった。


 絞り出すような悲鳴と、何かが激しく叩きつけられる音が廊下の方から聞こえてきた。

 ズダン、ズダンと叩き付けられるような音は何度かに渡って響き、それはまるで重い物を転がすかのような。

 そしてその音が止んだとき、悲鳴はもう聞こえてこなかった。


「…………荒木?」


 大西くんが険しい顔でその名を呟いた。それで皆確信が付く。さっきの悲鳴の主が、今教室を出て行ったばかりの荒木くんのものだということに。

 男子達が互いの顔を見合わせて不安気な表情を浮かべる。何があったの、どうした、と固い声で疑問を囁き合っていた。


「誰か見に行った方がいいんじゃない?」


 窓辺から一条さんが教室を見回してそう言った。思わず椅子から腰を浮かせると、それを目敏く見つけた一条さんが唇に弧を描く。


「秋月行ってきてくれるんだ」

「……う、うん」


 本当ならこうやって、誰が行くかなんて決めている場合じゃないだろう。荒木くんと親しくはないけれど彼が大丈夫なのか見に行かなくちゃいけない。

 行ってくるね、と誰にでもなく呟いて教室を出ようとする。そのとき、待って、と背中に声をかけられた。


「私も行く」


 振り返って少し驚いた。そう言ってこちらへ近付いてきたのは、さっきまで一人で携帯を弄っていた早海さんだったからだ。


瑠唯るいも行くの?」


 一条さんも驚いたように早海さんの下の名を呼んで言った。秋月だけでいいじゃない、という台詞に小さく首を振り、私の頭上から扉に手をかけ、こちらを軽く見下ろす。


「行こう」

「う、うん」


 二人で廊下に出て、荒木くんが向かったであろう方向に小走りで向かう。その間私は横をチラリと見て、早海さんを窺った。


 早海瑠唯さん。私と同じ二年二組で、去年から一緒だけど話したのはこれが初めてだ。

 彼女は俗に言うクールビューティーな子だ。長く艶やかな黒髪と涼やかな目元、キリッとした大人の女性っぽい顔立ちは女子達から憧れとして見られていることも多い。クラスではもっぱら一人でいることが多いが、それは自ら望んでのことでそこに悄然しょうぜんさなど一切ない。彼女とは違う悪い意味で一人でいることの多い私も、早海さんにちょっと憧れていた。


「一緒に来てくれてありがとう」


 何か話さなくちゃと考えてそんな言葉を口にする。早海さんは私を一瞥し、淡々とした声で答えた。


「別に。職員室にも行こうと思ってたから」

「先生呼ばなきゃだもんね」

「……荒木のことも、見ないと」

「……そうだね」


 僅かに細められた目は心配そうな光を揺らしていた。そういう理由を置いていたとしても、こうして一緒に外に出てくれたことが嬉しかった。けれどそんな淡い喜びを吹き飛ばすような光景を私達は目にすることとなった。

 廊下を進んで階段の前まで来たとき、早海さんが階段の下を見て目を見開く。私もその視線の先の光景を見て、顔を強張らせた。


 一階に向かう階段の踊り場に荒木くんが倒れていた。横を向いてぐったりと動かないその体は、ここからでは息をしているかどうかも分からない。ただ分かるのは、彼の左足があらぬ方向に折れ曲がっていることだ。

 職員室に向かうためには階段を使わなければならない。恐らく荒木くんも階段を使って、そして足を踏み外してしまったのだろう。

 すぐに私は階段を駆け下りて彼の元へと膝を突く。そこまで近付いて、彼の薄く開いた口から震える呼吸音が聞こえてくることが分かった。少なくとも生きてはいるということにほっと息を付く。


「荒木……っ」

「大丈夫、生きてるよ」


 階段の上からこちらを見下ろす早海さんに答えながら、もう一度荒木くんの体を見てハッとする。彼の左足はただ折れているだけじゃなかった。

 学生ズボンごとスッパリと切り裂かれた切り傷があった。鋭利な刃物で切ったように、その傷は大きくそして深い。大量の血がすね毛を巻き込んで足を濡らしている。けれど、そんなに大量の血が足に付いているというのに、何故か傷口から床に血は垂れていない。どういうことだろうとまじまじと顔を近付けて観察してみれば、どうやら傷口が透明な何かで塞がれているように見えた。


「接着剤?」


 そっと触れてみると、その感触は接着剤に似ていた。触れた指先が血でぬめることはなく、ほんの少しべた付くような、でもつるりと乾いている感触に瞬間接着剤を連想する。

 傷口を接着剤で塞ぐ治療法というのは確かあった気がする。けれどその接着剤はちゃんと医療用に用意されたもので、私達が使う文具用の接着剤で傷口を塞ぐのはどうだったか。……いや、今考えるべきところはそこじゃない。

 荒木くんが階段から落ちてこの怪我を負ったとして…………誰がこの傷を塞いだんだ?



「大丈夫なのか?」


 神妙な顔で動かない私を怪訝に思ったのだろう、戸惑った様子の早海さんがそろりと階段を下りてくる。けれど荒木くんから体を遠のけ、曲がった足から視線を逸らして、尋ねる声も震えている。私が勢い良く立ち上がると彼女はビクリと肩を跳ね上げた。


「早海さん、職員室に行こう」

「え?」

「保健室……いや、救急車? どっちにしろ先生達を呼んで来よう」


 早く、と言って私が職員室に向かって走り出すと、早海さんも慌てて私を追いかけてくる。バタバタとうるさい足音を立てて階段を駆け下り、角を曲がろうとしたとき。


「っ!」


 咄嗟に足を止め、早海さんの腕を引いて角に身を隠す。驚き声を上げようとした彼女の口を慌てて塞ぎ、静かにと小声で牽制した。

 職員室前の廊下を歩く人影がある。先生でも生徒でもない私服姿の男の人。それだけならここまで警戒はしなかっただろう、先生の誰かに用事があってきた人かもしれない。私が警戒する理由はその人物に見覚えがあったからだ。

 少し右に曲がった鼻、前歯が欠けて空いた隙間から研いだような呼吸を繰り返している。この間よりも落ち着いた色だが動きやすそうなジャージ姿だ。彼の顔がこちらを向き、ギラついた目が合ってしまった気がして慌てて顔を引っ込める。

 前に街で絡まれ、東雲さんと共に逃げ回ったときの、あの青年だった。


 どうして彼がここにいるんだ! 思わず叫びそうになるのを堪え、困惑する頭を振って思考を保とうとする。だがその前に私達は、突如聞こえた甲高い破裂音に身を竦ませることとなった。

 鼓膜を劈くようなその音の直後に、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえる。不安を煽るその音はどちらも職員室から響いてきた。廊下にいた青年が私達と同じようにビクッと体を竦め、すぐさま慌てたように腰から何かを取り出して構える。彼が持つ物を見て、早海さんが息を呑む音が隣から聞こえてきた。

 警察が使っているような小型の拳銃。青年は職員室の様子を小窓から窺いながら、それを両手で構えている。だがその手付きはどこか不安気で、銃を握る手が僅かに震えているのがここからでも分かった。東雲さんのように、扱いに慣れているといった印象はまるでない。

 自然に腰に手を伸ばし、その手の平が制服のシャツを掴んだところで我に返る。しまった、普段使っているナイフは今ここにはない。私は学校へ行くときに武器を持っていくことはほとんどない。あざみちゃんや太陽くんは平然と持って行ったりしているようだが、私にはそんな真似できない。それに冬ならともかく夏服の今、それなりにサイズもあるナイフをどこに隠して持っていればいいと言うんだ。


「あの人は? ……っ、あれってまさか、拳銃……?」


 早海さんが乾いた声で囁く。私は何も答えずに職員室の様子を窺った。出入り口の扉に付いた小窓から内部の様子が見える。角度的にギリギリの状態だったが、それでも何か異変が起きていることは分かった。

 いつ行っても机に座っているはずの先生達は全員が立ち上がり、部屋の隅に固まっていた。その顔は皆酷く怯えきったように青ざめて強張り、一点を見つめている。その一点にいるのは一人の男だ。


 くるりとした黄褐色の髪と、小顔の中で目立つ大きな黒目。ハッキリとは分からないが、近くに壁にかかっているポスターの位置を見る限り小柄な体格なのだろう。可愛らしい顔立ちだが多分男だ。

 私達と同じ高校生くらいのその彼は、制服姿ではなく黄色いパーカーとヴィンテージジーンズというラフな格好で立っている。先生達の真向かいでニコニコと笑顔を浮かべる彼の手には、廊下に立つ青年が持っているのと似たような銃が握られていた。


「何……どうなってるんだ、何なんだこれ……!」


 早海さんが理解できないといった様子で首を振る。だが突然彼女はハッとしたように顔を上げ、もう一度職員室の中を、何かを探すように必死に見つめた。目まぐるしく泳いでいた視線が一ヵ所に定められ、みるみるうちに絶望の色が宿される。

 様子のおかしい早海さんに私が声をかけようとしたとき。ふらりとよろけた彼女が階段に足をぶつけ、カツンと音が鳴った。


「誰だ!」


 廊下の青年が振り返って怒鳴る。私は咄嗟に早海さんの手を取って、もと来た道を大急ぎで駆け戻った。飛び込んできた私達を教室の皆は驚いた顔で見つめる。茫然とする早海さんを横に、私は大急ぎで扉の前にモップをかけたり机を並べたりして簡易式のバリケードを作る。


「は、ちょっと何してんの秋月、頭いかれた?」

「皆、手伝って。誰も入ってこれないようにしてっ」

「いやいやいや、秋月さんいきなりどうしたん? サバゲーごっこ?」

「いいから!」


 苦笑気味に私の奇行を見ていた彼らだったが、思わず私が怒鳴るとギョッとしたように目を丸くして、渋々といった様子で手伝ってくれる。先生来れないようにする遊びかなんか? と言って笑いながら動く彼らに眉を顰め、早口に見てきたことの説明をする。段々と真顔になっていく皆だったが、それでもいまいち納得がいってないようで戸惑いを浮かべたま互いの顔を見合わせていた。


「銃声が聞こえなかった?」


 そう尋ねてみても返って来たのは微妙な反応だった。恋路さんがおどおどとした様子で首を振り、男子達がぎこちない笑みを浮かべて肩を竦める。


「銃? ……いや、え、分かんない」

「何か爆竹みたいなのはしてたけど、あれ花火じゃないか?」


 駄目だ、皆分かってくれない。確かにこんな状況を他人から説明されたところで信じにくいとは思う。でも今は時間がないのに。

 段々と彼らの顔に嘲笑が浮かび始めた。突拍子もない私の言葉を戯言か何かだと思ったんだろう。秋月、と呆れたような声で一条さんが私に詰め寄りかけたとき、別の声が放たれた。


「本当だ」


 短く、そしてパシッと通る声が私達の間に抜ける。全員の視線を注がれて立つのは机に手を突いて立つ早海さんだった。

 白い肌を僅かに青ざめさせながらも、鋭く尖らせた目付きで皆をじっと見つめ返す。真摯な声が揺らいでいた空気を穿つ。


「和子の言っていることは本当だ。今も不審者がこっちに向かってきてる。男子達とえりなはバリケードを作って、綾は警察に連絡して」


 冷静な声が的確に指示を出す。私よりも説得力のある彼女の声に、教室が水を打ったように静まり返った。

 そのとき廊下からまたもや銃声が鳴った。バァンと凄まじい破裂音が空気を震わせ、皆が凍り付いていた体をビクッと跳ねさせる。


「……早く!」


 机を強く叩いて早海さんが叫んだ瞬間、教室が喧騒に包まれた。皆が困惑の声を上げながら必死に机や台を運ぶ。早くしろ、そっちすぐ壊れそうよ、こっちに椅子寄越せ……。

 突然、激しい打撃音が響き、机で扉を押さえようとしていた一条さんが悲鳴を上げてよろめいた。誰かが力尽くで扉を壊そうと外から体当たりをしてきたのだ。思わず視線を向けた私の目に映ったのは、扉の小窓から教室の様子を窺おうとする見知らぬ男の顔。ギクリとしながらも急いで近くに落ちていた教科書を拾い、窓にガムテープでくっ付けて簡単な目隠しを作る。

 ドンドンと激しくぶつかる音がする扉。軋んだ音が聞こえ、バリケードにしていた机がズレそうになるのを男子達が慌てて押さえる。不幸中の幸いか廊下にいるのは一人だけのようで、軋む扉は後ろ側の一つだけだ。だが、どうにせよ長くは持たないだろう。



「ね、ねえ、えりな、ねえ!」

「何! 今話しかけないでよ!」

「警察! 警察って、何番だっけ? 分かんない……」

「はぁ!? まだかけてなかったの!?」

「だ、だって! 忘れた! 今忘れちゃったんだもん……!」


 一人扉から離れて窓際にいた恋路さんは、携帯を両手に握り締めおどおどと立ち竦んでいた。こんな状態だからだろう、早くしろよと、切羽詰まった様子で男子達も恋路さんに怒鳴る。けれどそんな声を受けて恋路さんは一際身を竦ませて涙を浮かべるだけだった。

 ひくっと喉を震わせて恋路さんはとうとう声を上げて泣き出した。恐怖に耐え切れず、子供のように泣きじゃくる彼女を慰める余裕のある人は誰もいない。

 恋路さんは置いてあった自分のバッグを乱暴に引っ掴み、前の扉へと走り出した。流石に一条さんがバッグを掴んで止める。


「どこに行こうとしてるの!」

「帰るの! もうやだ、こんなの嫌! あや帰る!」

「帰るって……今出たら、殺されるかもしれないのよ!?」


 一条さんが言っても、恋路さんは錯乱したように帰る帰ると繰り返す。二人の間で引っ張られていたウサギ型のバッグは、チャックが閉まり切っていなかったのか、大きく口を開いて中身が床にぶちまけられた。

 シャボン玉セット、小さな卓球ラケットと六つ入りのピンポン玉、縄跳び、スーパーボール、紐を引くと走るネズミのおもちゃ、刃が引っ込むマジックナイフ、音の出るおもちゃの銃、膨らませてない風船、大量のお菓子……。こんなにたくさんの物を無理矢理詰め込んでいたのだろう。所々パッケージの端が折れ曲がっている。何しに補習に来たんだと言いたくなる中身だが、生憎今は誰も笑わない。

 帰ると言って泣きじゃくる恋路さんと、それを止める一条さん。他の男子達と早海さんは必死になって扉を押さえている。私もバリケードを支えながら、じっと床に転がるおもちゃの山を見下ろした。

 ふと思い出したのはついこの間の出来事。街で繰り広げた鬼ごっこ、ショッピングモールでの逃走。あのときは確か、どうやって逃げたんだっけ。


「…………これ使えるかも」


 無意識に呟いた私に皆が視線を上げる。一瞬静まり返った教室の中で、扉を叩く音が激しく響いた。

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