第5話 殺し屋さん
「あ、え…………?」
足腰が震えだしてその場に座り込みそうになる。風に吹かれて力のない手から封筒が地面に落ちたけれど、拾う余裕はない。
はくはくと上手く吸えない酸素がもどかしい。恐怖と、緊張で喉の奥が痙攣する。ポロリと何の感情か分からない涙が、屋上のアスファルトの床に滴る。
目は死体に吸いつけられるように固まり、動かせない。流れ出す血も、生気の失われた顔も、まるで見知らぬ他人になってしまったような保良さんなど見たくはないのに。
何これ?
何これ?
どうして?
「おい」
「あっ!」
恐怖でビクンッと激しく肩を跳ねた。歯を鳴らしながら顔を上げ、声をかけてきた目の前に立つ男の人を見る。
二十代中頃の印象。それなりの長身で、わたしより頭一つ分は高い。
端正な顔立ちは固く冷たい。静かにわたしを見据えるその三白眼からは力強い意思が伝わって来た。
その手に持つ、黒々とした重圧感のある銃。
ああ、殺される。
「――――……やっ……やだ、やだ……っ。来ない、で、こ、ない……や、やぁ、や……」
叫びたいのに声が出ない。引きつり、掠れた呼気の音だけが響く。屋上の壁に背をくっつけた。爪が何度も何度も、戸を引っかく。
保良さんが殺された。この人に殺された。保良さんが死んだ、保良さんが死んだ。悲しい、悔しい、憎い。
「お前…………」
男性は小さくそう呟いた。それから、目を細め、静かに銃を構える。わたしの眉間辺りに向け、少しの乱れも躊躇もなく。引き金に指をかける。あとは、その指に力を込めただけでそこから銃弾が飛び出るだろう。後に残るは、保良さんとわたしの死体のみ。
いくら物騒な明星市だからといって、殺人現場を見たことはこれが初めてで。死体を直接見るのだって、これが初めてで。
いじめられてはいたけれど、命の危機に陥るようなことまではされたことがなかった。銃だって見たことがなかった。生まれて初めて自分に向けられる、本気の殺意。
「やだ……やだ、やだ」
さっきまであんなに死にたいと思っていたのに。実際に、死のうとしていたのに。
どうしてわたしは今、こんなにも死にたくないと考えているんだろう。
わたしの心境などお構いなしに、彼は短く息を吸う。その目には感情の色など一切ない。ただ、目撃者は殺すだけだと、そう目で訴えているようだった。
嫌だよ、怖いよ、助けてお父さんお母さん。喉が痙攣する。やけに熱い呼吸が喉に押しあがる。
殺される、殺されてしまう。足元がぐらぐらと揺れ、視界がじょじょに暗く狭まっていく。
まだ、死にたくない。
「あっ…………う、うわああああああああああっ!!」
恐怖に耐え切れずに絶叫を轟かせた直後。彼の指にくっと力が入ったのが見えた。
二度目の発砲音は、どうしてか、先ほどよりも激しく鼓膜を震わせた。
「は?」
思わず出てしまったというような驚きの声。ポカンと口を開ける彼の足元に、空薬莢が一つ転がった。
その目の前で。わたしは呆然と涙を流しながらその場に座り込んでいた。
ぐしゃりと折れたスカート。空中に舞った数本の髪が手の平に落ちる。熱く荒い呼吸をしながら、ゆっくりと視線を上に映した。
つい一瞬前までわたしの顔があった場所。扉に軽くめり込んだ弾丸があった。
「……おい」
彼の強張った声に我に返る。返事も返さず、わたしは踵を返して屋上から飛び出す。階段を転がるように駆け下り、ビルから飛び出した。
痛みと疲労と恐怖で足がもつれ、何度も転んだ。全身を襲う痛みに涙が零れたけど、今はそんな場合じゃない。心臓も頭も足もどこもかしこも凄まじい痛みを伴っていた。今日だけでどれだけ走り、恐怖し、心臓を速めたのか。
けれど、その全てがわたしが今生きているということを実感させていた。
「ああああ!! あ――――! あ――――! わあああぁぁ――――――――!!」
ビルから飛び出したわたしは絶叫しながら道を駆ける。夜空の星と月が照らす道の先、全身を包む恐怖がわたしの足を急がせる。
後ろを一度も振り返らないままマンションへと転がり込む。異様なわたしの雰囲気に気づいた数人がぎょっとした視線を向けてきた。恥ずかしがる余裕もないまま、血走った目でエレベーターへ向かう。ボタンを連打しても一定の速度で下りてくるエレベーター。早く早くとその場で足踏みをしながら、今にも彼が追ってくるのではないかという恐怖に何度も背後を振り向いた。
エレベーターに乗りこんでいる間も気が気ではない。部屋に戻ってもそれは同じだった。靴を投げ出すように脱ぎ、チェーンとロックを厳重にかけ、玄関先にそのまま座り込む。
全身、炎に炙られているように熱い。滝のような汗と火照る体。それとは裏腹に頭は冷たく冷えていった。くらくらと視界が回り、チカチカと白黒の光が点滅する。激しく鼓動する心臓。
「……おか、おかあ、さん。おとう、さん」
涙と涎と共に、うぅーっと弱々しい声が零れる。散々泣いても混乱が止むことはなく、ふらつく足取りのままキッチンで水を飲んだ。また力なく床に倒れ込む。冷たい床が火照った体に心地良く、立ち上がりたくなかった。
お父さんとお母さんに電話したかった。けれど二人とも電話に出はしないだろうし、そもそも携帯は学校の鞄の中だ。ぐちゃぐちゃと乱れる思考が涙となって床に垂れていく。
保良さん。男の人。銃殺? 死んだ、殺し屋って何? 知らないホラ話嘘。殺され死やだ。保良さん? 死体、何で。嘘だ。演技、テレビ、遊び、明星市。誰。遺書? 自殺、わたしは、生かすだけ。死ぬ。怖い。自殺? 死んだ。チャンス。嫌? 嘘嘘嘘。違う。夢、夢? 夢、夢。夢。
「そうだ。全部、夢だ。悪い夢だ」
これはただの悪い夢。わたしが見ている悪夢。朝になればわたしはベッドで目が覚めて、いつも通り学校に行って、いつも通りいじめられて、でも公園に行って保良さんに慰めてもらって……。
夢だ。早く、早く目が覚めろ。ねえ、早く……。
床の冷たさも、熱い体も、頬を流れる涙も、全部全部幻なんだ。
「おやすみなさい」
静かに言って、目を閉じた。
夢は見なかった。
ひんやりと冷えた朝の空気が全身を包み込む。毛布をかぶりたいところだったけれど、あいにく手近に毛布はなかった。それどころかシーツも、枕も。
だって床に寝そべっているのだから。
涙が乾いてまつ毛に張り付き、目を開けるときに少し痛んだ。それでもなんとか目を開けて周囲を見回す。時計の針は午前五時を過ぎた頃だった。
喉が焼けつくように痛い。床で寝ていたから、体の節々が痛い。全身が痛い。
重たい体を引きずってベランダに出て外を見た。まだ青白い空の色。だけど確実に夜が明けていた。
くふっと奇妙な笑いが喉から零れる。両手を下げ、そこにあった布を握りしめる。しわだらけの制服に更にしわが刻まれた。
「ははは」
乾いた笑い声を上げながらわたしはその場に崩れ落ちた。乾いていた目からまた涙が溢れ、床へと落ちていく。
夢じゃなかった。
夢じゃなかった。
無性に、叫びたくなった。
茫然とソファーに座りテレビを見ていたわたしは、いつも見るニュースが終わりを告げたことにより、登校する時間だということに気が付いた。
「…………どうしよう」
あれが現実のことだと分かっていても、いまだ理解はできない。保良さんが死んだこと、殺されたこと、あの男の人のこと。全てがどこかおとぎ話のようで、素直に飲み込めなかった。
そして今、そんなわたしが一番恐れていること。それはあの男の人と遭遇してしまうことだった。
あの人はわたしを殺そうとしていた。躊躇なく銃を向け、撃ってきた。殺人現場の目撃者を殺そうとしていたのだろう。……じゃあ、もう一度出会ったら、そのときはもう逃げられない。
殺されてしまう。
「嫌だっ……!」
ぶるぶると震え出した体を必死に抑える。恐怖で頭が真っ白になりそうだ。
家にいたい。このままベッドの中で震えていたい。でも、でも、それは本当に安全といえるの? だって、ここにいればわたしは一人だ。鍵が壊されたら? 窓から入ってこられたら? そしたらもう、格好の餌食だ。
そう考えると無理にでも外に出た方がいいのかもしれない。学校だったら無理に入ってこれないだろうし、大通りを通れば人通りだって多い。流石に人混みでわたしを殺すだなんて馬鹿なマネはしないだろう。
考えながらわたしの足は玄関へと向かう。スニーカーを履いて、上靴をビニール袋に入れて持つ。鍵をポケットに突っこんで、それからドアノブに手をかけて……。
そうして最後に勢い良く扉を開け放った。
「秋月、来たんだ? 以外と神経図太いのね」
何とか無事に学校に着き、教室に入って席に着いた途端。一条さんがやってきてそんな風にわたしをからかった。顔の痣や傷跡はまだ痛々しかったけれど、その邪悪な笑みはいつもと変わらなかった。わたしたちのやり取りを数人のクラスメートが見つめ、そしてすぐ顔を逸らす。
机の横にかかっていた鞄を取って中を開く。「…………」牛乳のパックや丸まったティッシュや埃が詰まっている。ゴミ箱かと思って、なんて笑う一条さんの言葉を無視して、そこから筆箱やファイルを取り出して授業の準備を始めた。
「……ちょっとあなた、聞いてるの?」
「えっ……あ、ああ、ごめん」
わたしの曖昧な反応が期待外れだったようで、一条さんは歯を立てて爪を噛む。綺麗なピンク色に塗られた爪が少し歪んだ。
「反応も鈍いの? 救いようのない奴」
「ごめん」
「今日は小夜も休みだし、綾は別のクラス行ってるし、退屈だから遊んであげてるのに」
「ごめん」
「バーカバーカ。ブス女」
「ごめん」
「……もういいっ!」
ささくれ立った捨て台詞を残すと、彼女は自分の席に戻って行った。
適当な返事しか返せなかったのは悪かったと思う。でも、しょうがないじゃない。別のことに気を取られているんだから。
早く授業が始まらないか。授業が始まりさえすれば、そっちに意識がいって、昨夜のことを忘れられるかもしれない。そう思った。
わたしの考えは外れ、結局その日は一日中授業の内容もろくに覚えていなかった。
のろのろと鞄に物を詰めていると、恋路さんが弾むような声でわたしを呼んだ。振り向くと、彼女は笑顔を浮かべてわたしに鞄を突き付けていた。もふもふとしたウサギ型のバッグだ。
「秋月一緒に帰ろう? 鞄、持ってくれるよね!」
「う、うん」
苦笑しつつバッグを受け取る。と、一条さんもやってきて当たり前のようにわたしの手に自分の鞄を押し付けた。手ぶらの二人は先に廊下に出て、「遅い秋月」と冷たく言った。
こうして鞄を持たされることは今までに何度かあった。いつもなら嫌だと思うけれど、今日に限ってはむしろありがたい。途中までは二人と帰れるということだから。一人で帰っているより、ずっと安全だ。
「なぁにニヤニヤしてんの? あ、とうとう変になっちゃった?」
「何でもないよ。さ、早く帰ろう」
笑って言うと、二人はそんなわたしを気味悪そうに眺めた。
玄関で靴を履き替える。楽しげに談笑する二人の後ろを、三つの鞄を両肩に下げて必死についていく。
と、恋路さんが急に立ち止まった。恋路さんの横を通り過ぎかけた一条さんとわたしも慌てて立ち止まる。
「どうしたのよ」
「ね、ねえ、あれ、あの人っ! 格好良くない?」
「え? どこ?」
「門のとこに立ってる人だよっ」
頬を赤らめてきゃあっと黄色い歓声を上げる恋路さん。一条さんも釣られて校門の方へと目を向け、ぱちくりと瞬いた。
二人の視線の先にわたしも目を向けた。そして、恋路さんの言った通り、門の所に立つ一人の男の人を見つける。
息が止まりそうになった。
「あの人? 確かに中々……綾、身長高い人好きだもんね」
「うん! だって、だって凄く背高そう! 八十超えてるかもよ!」
ドサリと音がした。二人が振り返り、地面に落ちた三つの鞄を目にする。
「あぁーっ! ちょっと秋月、何してんの。汚れちゃったじゃな……い?」
「落とすとかマジ勘弁して……よ?」
二人の顔が同時に怪訝そうに歪む。恋路さんが珍しく、わたしの顔を心配そうに眺めてきた。
顔面蒼白で固まるわたし。目を大きく見開いて、眼前に映る光景を信じられないものを見るように見つめる。
「あ…………」
その男はこっちに気が付き、わたしの顔をその目に捉えて歩み寄ってくる。それほど遠くないその距離はすぐに縮まり、男はわたしの目の前に立った。
頭一つ分程高い彼の顔を見上げながら、わたしは頭から血の気が引いていくような恐怖に包まれるのを感じた。それとは対照的に、心臓がドクンドクンと痛いほどに跳ねる。
そんな、今にも死にそうなわたしを見下ろし、彼は知人にでも声をかけるように気軽に言った。
「よう、探したぞ」
忘れるはずもない。忘れるはずがない。
彼は昨夜保良さんを殺し、わたしを殺そうとしたその人だった。
「秋月の……知り合いの人ですかぁ?」
ひょいとわたしたちの間に恋路さんの声が割り込んだ。その顔は興味津々そうに輝いていて、どう見ても邪な感情が含まれていた。
違う、全然違う。そう答えようとするもわたしの喉は乾ききったように言葉が出てこない。代わりに彼が「ちょっとした知人」と答えた。ちょっとしたというにはあまりに語弊がある。
彼は恋路さんに尋ね、地面に落ちたわたしの鞄を拾い上げて手に持った。もう片方の開いた手でわたしの手首を掴む。ビクッとわたしが離れようとしても、彼の力強い手からは抜け出せなかった。
「悪いがこいつを借りていく」
「ひぃえっ!?」
素っ頓狂な声が出る。彼はそんなわたしを無視して、ずいずいと先を歩く。必死に踵で地面を踏みつけても彼の力には敵わない。普通に歩かないと殴るぞと言われ、わたしは涙目をこさえながら素直に従った。
最後の抵抗とばかりに門を出るとき、一条さん達へ振り返る。助けて、という念を込めて無言で見つめてみたものの、彼女達は唖然とこっちを見るばかりで、動く様子もないまま視界から消えた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「コーヒー」
「…………ホットミルクをお願いします」
午後四時過ぎ、学校帰りの学生や家族連れで賑わうファミレスの、その窓際隅の席。そこにわたし達は向かい合うように座っていた。身を強張らせながらわたしは彼の顔を観察する。
見た目は若い、二十代中頃か。短い黒髪にすっと整った顔立ち。黒いTシャツの上から羽織っている深緑色のモッズコート。三白眼の目が威圧感を与え、ただ無表情でいるだけでもやけに怖い印象を受ける。
この状況と彼の姿が心底恐ろしく、わたしはビクビクと怯えながら震えていた。
ウェイトレスのお姉さんがニッコリと笑顔でお水を渡してくれた。呑気に注文をする男の人と対照的に怯えているわたしが異様だったのか、怪訝な視線を一瞬向けてくる。
注文を取ってからそんなに時間も経たないで飲み物が運ばれてくる。彼はコーヒーに砂糖もミルクも一切入れないで一口啜り、話を切り出した。
「どうして昨日あそこにいたんだ?」
「すみませんちょっとトイレに」行くと見せかけて逃げてしまおうか。
「鞄と携帯は置いて行けよ」バレてるし。
泣きそうになりながらトイレに向かい、ここの窓から脱出できないものか考えて無理だと思ってちょっと泣いて、それから席に戻る。置きっぱなしにしていた鞄はそのままの位置にあった。
緊張で乾ききった喉が痛い。目の前に置かれたホットミルクを手に取り、一気に半分まで喉に流し込む。と、妙に呆れた顔でわたしを見ている彼に気が付いた。
「警戒とかしないのか?」
「な、何のことで……」
「お前がいない間、俺はそれに毒入れることだってできるんだぞ」
「ぶっ!?」
思いっ切り噎せた。ゲホゲホと何度も咳き込みながら、中身が半分以上減ったカップを見る。
そうか、毒を混入させて苦しませながら殺す作戦だったのか……ど、どうしよう、半分も飲んじゃったよ!? どうしよ、どうしよう……吐けばいい!?
「嘘だけどな」
「嘘!?」
しれっとした顔で彼が言う。信じられない。何かもう、色んな意味で。
思いっ切り咳き込んだせいで喉が痛む。けれど残ったホットミルクを飲む気はなかった。
「――――何で昨日はあそこにいたんだ?」
わたしが落ち着いたのを見計らってか彼は淡々と同じ質問をする。答えなければいけない雰囲気。嘘をついても、殺されそうな雰囲気。ここは、恥を忍んで正直に言ってしまうのがいいだろうか。
「…………し、死のうと、思ってまして」
「どうして?」
「……クラスの子から、いじめられていて。入学してから七ヶ月ずっと。それで、両親もわたしに構ってくれなくて、辛くて……それで、屋上から飛び降りて死のうと」
簡単にまとめて説明した。じっくり話せばそれこそお店の閉店時間までは語れそうな気がしたけれど、多分彼は親身に聞いてはくれないだろう。
実際彼は興味がなさそうに目を細め、長い息を吐いた。そして囁くように言う。
「知ってたけどな」
「え?」
「ほら、これ」
彼のコートのポケットから取り出されたのはすでに開封済みの、端が折れた細長い茶封筒だった。何なのか、一瞬で理解して顔が熱くなった。
そういえば昨日から遺書を見ていない。
「――――……『お父さん、お母さん。先立つ不孝をお許しください』。出だしは定番なんだな」
「わっ、わあぁっ!? わーっ! わぁ――――っ!!」
遺書を取り出して音読するという彼の行動に思わず叫ぶ。テーブルから身を乗り出して彼の手から遺書をもぎ取ろうとするも、大きな手がわたしの額を押さえつけて届かない。
幸いにも店内はそれなりに騒がしく、彼の声は周囲には聞こえていないだろう。それでも羞恥心から叫んでしまうわたしを、数人のお客が怪しそうに見つめてくる。ウェイトレスさんが苦い顔をしてやってくる。
「お客様、申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になるので……」
「あっ。す、すみませ……」
「…………『この度、私秋月和子は自らの命を――――』」
「ぎゃあぁっ!?」
「お客様!」
結局彼の音読は最後まで続いた。よく通る声だから、わたしの耳にど直球で入ってくる。くっそ、あんなに長く書くんじゃなかった。
「まあ、これだけでもお前の事情は大体分かった。どうしてあんな所にいたのか、どうして死のうとしてたのか」
「知ってたなら言わせなくてもいいじゃないですか…………」
それから、と彼が続ける。
「お前の体質についてもな」
ちらりと彼の目を見つめる。静かな鋭い目が見つめ返してくる。
わたしの忌み嫌うもの。それが他人である、しかもわたしを殺そうとしてきた人に知られていい気分はしなかった。
けれど神妙な顔をするわたしのことなど気にせず、彼は話を続けた。
「昨日銃弾を避けたのもそれのせいなのか? あんな曲芸みたいなことできるなんて、曲芸師かよ」
「知らないですよ! ……銃なんか撃たれたの昨日が初めてでしたし。それに銃弾避けるっていうより、引き金が引かれそうになったのに反射したっていうか……自分でもよく分からないです」
昨夜のことを思い返す。あのときわたしが反応したのは飛び出した銃弾にではなく、彼が引き金を引き切るその動作についてだった。いくらなんでも銃弾を反射的に避けるほどの身体能力はありえない。
……そうだ、あのときのこと、わたしも彼に尋ねたいことがあった。彼をじっと見つめ、わたしは一度唾を飲み込んでから決心して口を開く。
「そのっ! 聞きたいこと、わたしからもあるんですけど……」
「何だ?」
「あなたは――――殺し屋さん、なんですか?」
「ああ」
予想以上にあっさりとした返事。目を見開くわたしに、彼はまたもあっさりと続ける。
「昨日のあの男。あいつも昔、殺し屋だったらしい。随分前のことのようだが」
「保良さんが…………」
茫然と彼の名を呟きながらも、心のどこかでそれを納得している自分がいた。昨晩の彼らの会話は恐らく嘘ではない。そう思えば、一昨日保良さんに聞いたホラ話……あれは全部本当のことだったのか。
殺し屋だなんて、そんなの物語の中でしかありえない存在だと思っていた。それもあんな優しい保良さんが……。
不意に彼が紙ナプキンを一枚取り、ボールペンを取り出して何やらを描き始める。しばらくして彼が渡してきたそこには、簡単な地図のようなものが描かれていた。『駅』という字から広がる幾重もの線。
「これは?」
「第五区の地図だ。丸で記された場所があるだろ?」と彼がとある一箇所を指す。駅からそれなりに進んだ先に丸く囲まれた箇所があった。「明日の五時、動きやすい格好でそこに来い」
「え……じゃあ、学校終わってからすぐに……」
「午前だ」
「午前五時!?」
素っ頓狂な声を上げて彼の顔を見る。冗談を言っているようには見えなかった。学校は、と尋ねると、サボってしまえ、と簡潔な言葉が返ってくる。
断ることはできないだろう。すでに学校まで知られているんだ、住所だって知っているに決まってる。……ああ、そうか、そこでわたしは殺されてしまうのか…………。
暗い未来を想像し、泣き出しそうになるのを堪えるわたしに、彼は静かに目を細める。
「いいな?」
わたしができたのはただ頷くだけだった。