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第44話 ねこ探し

 瀬戸川さん達と別れた後も、しばらくさっきの話が頭から離れなかった。ぼんやりと歩いて駅の近くの公園に入り、ベンチに腰かけてさっきの話を考える。

 公園には数人の小学生達がいた。遊具で遊んだり、サッカーをして笑い声を上げている。まだ冷える風が身を震わせるが、子供達のほとんどは頬を紅潮させて白い息を吐き、頬に汗を滲ませていた。賑やかな声を背景に私は天を仰ぐ。空色の絵具を水で薄めたような空に、さっと筆を引いたような白雲が漂っている。穏やかな気候だ。

 顔を下ろしたとき、ふと視界の端に何か動く物を留める。何だろうと視線を向けてギョッとした。公園をぐるりと囲む垣根。そこに上半身を突っ込んで動く人がいた。肩まで突っ込んでいるのだろう、顔は見えない。飛び出た下半身に黒いプリーツスカートを身に付けているが、それは極端に短く、下着が丸見えになってしまっていた。

 誰かが蹴ったサッカーボールが転がって、その人のお尻にコツリと当たる。いてっ、と小さく声を上げてその人が上半身を垣根から出した。ボールを取りにきた子供がその人を見上げて首を傾げる。他の子達も一旦遊びを中断して、その人の周りに集まり始めた。


「なー、ここで何してんの?」

「ん? 探し物よ。あなたもお姉ちゃんと一緒に探してくれない?」

「不審者じゃないの?」

「喧嘩売ってんのかガキ!」


 ガァッと吠えたその人から、キャーと悲鳴のような笑い声を上げて、蜘蛛の子を蹴散らしたように子供達が散っていく。腰に手を当てて溜息を付いたその人は首を振り、私を見付けて歩み寄ってくる。私は立ち上がることもなく座ったまま、近付いてくるその人から目を離せなかった。目と鼻の先で立ち止まり、口を開く。


「ね、この辺りで緑の首輪付けた子猫見なかった?」


 私と同じくらいの年頃の女の子だ。肩甲骨まで伸びた黒髪は左右にピョンピョンと跳ね、数枚の葉っぱが付いている。その葉っぱを取りながら、彼女は手振りを交えて子猫の説明をしてきた。黒猫で、大きさはこれくらいで、性別はメスで……。けれどその説明のほとんどを私の耳は受け流していた。

 何だか既視感を覚える子だったのだ。髪型が、染める前の私の髪と似ていたからかもしれない。けれどそれだけではなく、もっとこう、前にどこかで見かけたことがあるような……。

 私が黙ったままでいると、彼女は気の強そうな目を細め、怪訝の色を顔に浮かべた。濃いピンクと紫色のボーダーのオフショルダーシャツから伸ばした手の平を、私の顔の前で振る。


「もしもーし。聞いてる? 死んでる?」

「き、聞いてる、聞いてる」


 こくこくと頷いて彼女に微笑んだ。それから首を傾げて訊ねてみる。


「えっと……子猫探し? 手伝おうか?」

「本当っ?」


 私の言葉に彼女はパッと顔を輝かせた。私の方も暇だったしちょうどいい。

 それから二人で公園中の垣根や遊具の中を覗き込みながら子猫を探した。黙って探すのもあれなので、会話を広げながらだ。


「お家の猫なの?」

「いや、他所の飼い猫でさぁ。猫探しの依頼みたいなもん。仕事だよ」

「仕事? ああ、ペット探偵のアルバイトとかそういう」

「んー、まあそんな感じ。連日ずっとその猫探せって言われてさ、もううんざり」

「毎日って、もうバイトってより仕事みたいだね」

「言ったでしょ、仕事よ仕事」

「本当? 私とそんなに歳違わないよね?」

「そうね、今十六。六月入って五日になれば、十七になるけど。高校の方はちょっと事情があってさ」

「嘘、私六日生まれ! 一日違いだよ!」

「へー、偶然」

「凄いね! ……あ、そうだ、名前は何ていうの?」

「名前?」


 そこまで話したところで彼女はピタリと垣根を開く手を止めた。怪訝に思って彼女の顔を覗きこもうとすると、くるりとその顔が横を向いて私の間近に迫ってきた。驚く私の前で、彼女がニヤリと口角を上げて笑う。


「あーちゃん」

「え?」

「わたしの名前。あーちゃんって名前なの」

「じゃあ本名は」

「あなたの名前こそ何なのよ?」

「私? 和子だよ。秋月和子」

「そっ。じゃあ和子、あっち探してきて」

「分かったー」


 指で示された方へと向かう最中に名前のことをはぐらかされたことに気付いた。人に名前教えたくないのかな。あーちゃんだから、歩美とか杏奈とかそんな名前かな。

 一通り辺りを探した後、別の所かなと呟くあーちゃんと一緒に公園から出た。彼女が公園で子猫を探していたのも、その辺りに子猫が向かっていた目撃情報を聞いたからだという。けれどその情報自体が一時間以上も前の話だから、この周囲にいるかどうかも分からない。見つかるかなー、と二人で話しながら歩いているときだった。



「あれー? 何してんのー?」


 背後から声をかけられた。また子供達だろうかと一瞬思ったが、それにしては低いし聞き覚えのある声だ。振り返ってみると、手を振ってこっちに近付いてくる人物がいた。冴園さんだ。

 黒いコートの裾をひらひらと靡かせながら冴園さんは駆け寄ってくる。私とあーちゃんの顔を交互に見て、小首を傾げる。


「和子ちゃんと、それから」

「初めまして! わたし、あーちゃんっていいます!」


 聞かれる前にあーちゃんが前に出て冴園さんの手を取る。ぶんぶんと上下に振り回される手をキョトンと見てから、冴園さんもふっと小さく笑って手を振り返す。


「あーちゃんね。俺は冴園佑、初めまして」


 そういう子だと思ったのだろう。冴園さんもあーちゃんの本名を追求することはなかった。

 で、何してたの? と再度訊ねられ、私達は子猫を探していることを説明した。すると冴園さんは「猫かー」と私とあーちゃんを見て可笑しそうに笑って、暇だからと手伝いを申し出てくれた。断る理由もなく、三人でまた辺りを捜索する。


「猫ってどういう所にいると思う? 二人とも分かる?」

「知らない。暗くて狭い所じゃないの?」

「高い所とかも好きかもしれませんよね」


 猫の生態に詳しくはないけれど、きっとそんなところじゃないだろうか。と、冴園さんが上を見てあっと声を上げる。私とあーちゃんも釣られて顔を上げた。道端に生えている街路樹の一本、その枝先からゆらりと小さな黒い尻尾が垂れていた。風に揺らぐ葉の隙間から黒い子猫が顔を覗かせる。にゃあ、と一声小さく鳴いた。首に緑色の首輪が付いている。

 いたー! とあーちゃんが歓喜の声を上げた。隣にいた冴園さんのコートの裾を引っ張って子猫を指を差す。


「ちょっと冴園、あれ届く?」

「いやー……流石に無理かなぁ」


 冴園さんが木に近付いて手を伸ばす。指先が葉っぱに届きそうだけど子猫にはもう少し届かない。仕方ないわね、とあーちゃんが冴園さんをその場にしゃがませ、その肩に飛び乗った。ポカンとする私の前で冴園さんが立ち上がると、彼の肩に跨るあーちゃんが歓喜半分恐怖半分の悲鳴を上げた。


「めっちゃ高いんだけど!」

「あっはっは。届くかなー?」


 楽しそうに笑いながら冴園さんがくるくる回ると、あーちゃんは可愛らしい悲鳴を上げてバシバシと青髪を叩いた。

 あーちゃんが木の枝にいる子猫に手を伸ばす。子猫は特に警戒心がないのか、ゆっくりとその手に近付いて鼻先を引くつかせる。


「あっ」


 だけど、あとちょっとのところで子猫がまた一枝上に登ってしまった。あーちゃんの手が空を掠める。いくら冴園さんの背が高くても、いくら肩車をしていても、届かないものは届かない。ぐぅ、と喉を鳴らすように唸ってからあーちゃんが私を見下ろした。


「こうなったら三人合体しかなさそうね。トーテムポールみたいに」

「よーし、お兄さん頑張っちゃうぞー」

「いや無理ですからね!?」


 冗談、と二人とも笑うけれど何だかこの二人のノリなら本当にやってしまいそうな気がした。あーちゃんと冴園さんは今会ったばかりだというのに、ノリが合うのか、昔からの友達だったかのように互いに遠慮がない。二人ともコミュニケーション能力が高いんだろうな。

 そんなことを考えていると、あーちゃんが私の名前を呼んだ。目一杯に首を伸ばし、彼女を見上げて何? と訊ねる。


「木登りできる?」

「木登り?」


 んん、と顎に手を当ててちょっと考えてみる。あーちゃんが言っていることは、私が木に登って子猫を捕まえてくるということなんだろう。この街路樹は幹の幅もそんなに太くはないし、かといって折れそうなほど細くもない。子猫がいるのは伸びた枝先で、そこまで行くと流石に強度が心配だが、枝の太い部分に乗って手を伸ばせば届きそうだ。問題は私が木登りをできるかどうかだけど……。


「多分……やってみる」


 木登りをしたことはない。けれど、東雲さんと訓練をするときに似たようなことをすることはあった。階段の上り下りのような体力作りではなく、体術やナイフを駆使したものでもない。例えばパイプやゴミ箱などの障害物が溢れた薄暗い路地裏や、早朝で人気のない駅前の広場、深夜の廃ビルが連なった場所での()()()()だ。

 私が逃げて、それを東雲さんが追う。捕まったらアウトの単純な鬼ごっこ。けれどただ走って逃げただけでは体力的にもスピード的にも私は彼に負ける。だから私が使うのは周囲の環境だ。塀を乗り越え、ゴミを散らかして追手の足止めをし、ビルの屋根と屋根の間を跳ぶ。そんな鬼ごっこ。

 ……ううん、やっぱり彼に恋する身としては、そういう殺伐としたものじゃなくて、もっと甘い雰囲気の鬼ごっこがしてみたいんだけどなぁ。海辺できゃっきゃうふふって感じに……。いや、東雲さんは絶対それも訓練の一環にしちゃいそう。砂に足を取らるハンデとか言って。


 逸れてしまった思考を一旦停止させ、私は早速木の幹に手をかけた。幹の窪みに足をかけ、ぐっとよじ登る。訓練でこそ建物の壁を上ることはできなかったけど、ボコボコして足場が多い木だったらいけそうだ。冴園さんとあーちゃんの応援の声を背に、私はなんとか子猫のいる枝に辿り着いた。幹に右手を添わせ、左手を子猫に伸ばす。


「ほら、おいで。ニャー」


 鳴き真似をしながら更に手を伸ばす。子猫は気だるげに欠伸をしてそっぽを向いていた。限界まで延ばした指がその耳先を掠めると、子猫は疎ましげな視線を私に寄越した。確か首根っこを掴むと大人しくなるんだったろうか、とテレビの知識をおぼろげに思い出し、幹から手を離して子猫の方へ慎重に近付く。また逃げてしまうのではと不安に思ったが、何とか子猫の首を掴むことができた。ぐにょぐにょと温かく柔らかい肉の感触が伝わってくる。そーっと傷付けないようにそのまま子猫を近寄せて、両腕に抱いた。胸の中でもぞりと動く子猫にホッと安堵の息を吐いて、少し下に見える二人に笑顔を向けた。


「やった! 捕ま」


 えた、と言う前に、バキッと嫌な音がすぐ足元から聞こえた。足場が揺らぎ、耳元を風が切る。ぐんっと重力に任せて体が滑り落ち始めた。


「あ」


 体重のかけ方を間違った。枝が折れれば、当然子猫を抱いた私は下に落ちるわけで。ポカンと呆けた表情をする冴園さんとあーちゃんが間近に迫るわけで。

 あ、待っ、やば。



「ふぎゃあっ!」

「ギャアッ!!」

「うおおっ!?」


 ドカッと何かにぶつかって視界が暗くなる。受け身を取る前にそのまま地面にぶつかってしまったはずだけど、衝撃が体を襲うことはなかった。何でだろうと疑問に思いながら、痛む額を擦りつつ身を起こす。まず最初に目に入ったのは向かいで、私と同じように痛む後頭部を擦りながら上体を起こすあーちゃん。……あれ? 冴園さんは?


「あ」

「え?」


 あーちゃんの視線に釣られて顔を下げる。そこに、私達の下敷きになった冴園さんが倒れていた。固まる私達に向けて、彼はぐっと親指を立てながら白い歯を輝かせた。


「せ、セーフ……ぐはっ」

「冴園さん? 冴園さーん!?」


 ガクリと頭を傾ける冴園さんと、彼の肩を揺する私。それを見て、あーちゃんは冴園さんの上から降りないままお腹を抱えて爆笑していた。




「本当に、ほんっとーにすみませんでしたぁ!」

「いいっていいって。和子ちゃんは怪我してない? 痛い所とかある?」

「い、いえ。私は大丈夫です」

「それなら良かった」


 ペコペコと頭を下げ続ける私に、そう言って冴園さんがまるで天使のように微笑む。大きな手に頭をぽふぽふと撫でられながら、うぅ、と感涙を零してしまいそうになった。


「そうそう。そんな謝ることないわよ。冴園だって、可愛い女の子二人に乗られて本望だったんじゃない?」

「そうそ…………いや待て待てまたそんな誤解されるようなことを」

「違うの?」

「いやー、違うか違わないかって言われれば、それはその」

「うわ、思ってたんだきっも」

「どうしろと!」


 コントのような会話を繰り広げる二人に思わず笑う。そのとき、遠くの方から十二時を告げるチャイムの音が響いてきた。冴園さんが腕時計に目をやって、もうそんな時間かと呟く。


「じゃあ、俺はもう行くよ。近いうちに咲の所にでも寄るかな。またね、和子ちゃん、あーちゃん」


 ありがとうございました、と去っていく冴園さんに手を振った。それを見届けたとき、あーちゃんもくるりと私の前方に顔を傾け、ニヤリと笑った。


「わたしももう行くよ。ありがとね、和子」


 彼女の腕の中に抱かれた子猫がニャアと鳴く。じゃあね、と私に背を向けて歩き去ろうとするあーちゃんに、何か話しかけようとして口を開く。けれどそのとき突然強風が吹き、砂埃が入りそうになって咄嗟に目と口を閉じる。その間はたった数秒だ。でも、目を開けたとき、視界の中にあーちゃんの姿はなかった。キョトンと辺りを見回してから、まあいっかと息を吐くように一人微笑んだ。

 次に会ったらあーちゃんの本当の名前、教えてほしいな。

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