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第43話 羨ましい

 春休みが始まった。夏休みよりは短いせいぜい二週間程度の休みだけれど、嬉しいものは嬉しい。昨日から始まった休みにきっと皆浮かれて、友達と遊びに行ったり家族でまったり過ごしたりしている頃だろう。宿題に手を付けている人はほとんどいないはず。だが残念ながら私はその後者に属していた。

 シャーペンをくるくる回しながら、机上に組んだ足を乗っける。誰かが見ていれば行儀が悪いと叱っていただろうけど、今は自室に私一人だ。


「うわー、全然わっかんない!」


 独り言ちてプリントを思いっ切りぶちまけた。ハーッと溜息を付く顔に、宙に舞った日本史のプリントが一枚乗っかる。それを捲って表面に書かれた文字を見るが、日本語で書かれているはずのその文章はさっぱり頭に入ってこなかった。弥生時代の生活なんて、現代に生きている私が知ってるわけないじゃん。

 前まで授業中は真面目に先生の話を聞いていた。だって携帯を弄ったりする勇気はなかったし、こっそり談笑できるような友達もいなかったし、それなら授業に集中する以外なかったから。でも学校自体をサボりがちになった今では授業どころの話じゃない。こうして出席日数が足りない人用のお情けプリントで復習したって内容はろくに頭に入らない。定期テストの結果を見ても、前に比べると大分順位は下がってしまっている。このままじゃ大学のときに不利になってしまうかも。


「…………別にいいかなぁ」


 でも、特に行きたい大学なんてないから。そもそも将来の夢だって特にあるわけじゃない。趣味や好きなことがないわけじゃないけど、それに関わる仕事をしたいかというとそれほどでもない。それなら大学なんて行く意味もないかな。

 将来私はどうしたいんだろう。


 気が付けば手に持っている本が教科書から漫画に変わっていた。パラパラとページを捲ってからそれを閉じ、ベッドに放り投げる。数問しか解かれていないプリントを前に椅子から立ち上がった。やる気がないなら机に向かっていても仕方ない、気分転換に散歩でもして、甘い物を買って来よう。




 駅前のドラッグストアに足を踏み入れる。人通りの多いそこは今日も当然のように混んでいて、たった数人の店員達が慌ただしく働いていた。店内の奥にあった冷蔵の棚からプリンを取って、お菓子コーナーでチョコレートを取って、そういえば柔軟剤が切れかけていたことを思い出して洗剤コーナーへ向かおうとした。途中、化粧品コーナーを通り過ぎかけたとき、はたと足を止めて振り返った。そこに見知った人物がいたからだ。

 裾にフリルが装飾された黄色いパーカーと薄ベージュのショートパンツに身を包み、ふわふわと跳ねた薄い色の髪を左右でお下げにしている。恋路さんだ。

 オレンジのカラータイツを穿いた足をぴったりと閉じてしゃがみ込み、真剣な顔で化粧品を手に取って悩んでいる様子の彼女。声をかけようとは思わなかった。見つかればきっと、ちょっかいを出されてしまう。そう考え黙って通り過ぎようとしたときだった。恋路さんがサッと化粧品を、肩に下げたバッグに突っ込んだ。即座に立ち上がった彼女は小走りに出口へと向かっていく。

 瞬きもせずにそれを見送っていた私は、彼女が出口のゲートを通り過ぎたところでようやくハッと我に返った。持っていた商品を手近な棚に突っ込んで、迷惑そうな店員の視線を背に出口へと走る。ちょうど監視カメラを見ている人もおらず、店内も混んでいて忙しかったためか、恋路さんの万引きに気付いた様子の人はいなかった。

 店を出てすぐ彼女の後姿を発見した。誰も追ってこないからと油断しているのか、その足取りはゆっくりとしていた。早足に追い付きその肩を掴むと、ビクンッと体を跳ねて必死の形相で振り返る。


「あ、秋月っ!?」

「戻るよ!」

「え……、だ、駄目!」


 青ざめる恋路さんの手を引いて来た道を戻る。恋路さんは必死で私の手を引っ掻くが、私はその手を離さなかった。ドラッグストアに戻って化粧品コーナーの前に立つ。周囲に誰もいないのを確認して、恋路さんのバッグに手を突っ込んで化粧品を取り出す。サッと素早く元の棚にそれを戻し、また早足に出口へと向かった。二度目の来店かと思えばすぐ出ていく私達に、レジにいた店員が訝しげな視線を送ってきた。

 痛い、と喚く恋路さんの手首を掴んだまま駅へ行き、適当な場所で手を離す。大きな目がキッと私を睨み上げた。


「何するの馬鹿!」

「こっちの台詞だよ馬鹿!」


 私が怒鳴り返すとは思っていなかったのか、恋路さんはビクリと肩を震わせた。その華奢な肩を両手で掴み、彼女に顔を近付ける。


「何であんなことしてるの! いけないことだって分かってるよね? 他の所でもやったことあるの!?」

「ちがっ、初めてだってば! 今までしたことなんてない!」

「じゃあどうして…………」


 ふと口を噤んで辺りを見回した。周囲を行きかう人の視線が気になったわけじゃない。恋路さんを遠くからニヤニヤと眺めるような人がいるかもしれないと思ったからだ。

 もしかしたら、恋路さんは誰かに命令されてこんなことをしたのかもしれない。よく聞く話だ。似たようなことを私も彼女達に命令されたことがある。

 ……もしかして、一条さんが?


「欲しかったんだもん」


 けれど、恋路さんはそんな言葉を呟いた。見ればムッと頬を膨らませた彼女が下から私を睨み上げて不満げな顔をしていた。


「メイクとかしてみたかったの。でも、こういうのって高いでしょ? 一個で三千円とかするじゃん」

「だったらお小遣いとか貯めて……」

「お小遣いなんて貰ったらすぐ使っちゃうもん。それにもし肌に合わなかったら損でしょ? 他の子に売ったりすれば、お金も貰えるし!」


 名案でしょ、と胸を張る彼女に、呆れ果ててものも言えなかった。額を手で覆って溜息を付く。


「何でそんな顔するの? あや、変なこと言った?」

「変なことって言うか、馬鹿なことって言うか……そういえばどうやってゲート通れたの。あれタグ付いてる商品だったでしょ」

「えっへへー。じゃーん! 見て、このバッグ!」


 そう言って恋路さんがバッグの口を開いて私に見せる。小さめのバッグの中には財布に携帯、棒付きキャンディーにチョコレートに袋の中で砕けたクッキーなんかが散乱している。けれど私の目を引いたのは、バッグの内部にアルミホイルが張られていることだった。首を傾げる私に、恋路さんは自慢げな笑みを見せる。


「あのね! 万引き防止のゲートって、アルミに反応しないんだって! だからこうしてアルミホイルとかで隠せば、堂々と通れるってわけ!」

「へーそうなんだ。没収ね」

「あーっ!」


 回収したアルミホイルをくしゃくしゃと手で丸めていると、背後からハイヒールがコツリと床を叩く音がした。



「綾?」


 そんな声に振り返ると、そこに瀬戸川さんがいた。いつもは縛っている髪を下ろしてハイヒールを履いている彼女の姿は、いつも以上に大人びて見えた。私と恋路さんが一緒にいることに戸惑ったような顔を浮かべながらも近付いてくる。軽く挨拶を交わしてから彼女が口を切る。


「二人でお出かけ……なわけないよね」

「聞いてよ小夜! 秋月ってば、うるさいんだよ!」


 瀬戸川さんという味方を得たことで、恋路さんは水を得た魚のように生き生きとした表情で語り出す。けれど瀬戸川さんの真面目な性格を考慮していなかったのか、自分のしたことの意味をよく理解していないせいか、その口が語るのは至って嘘のない事実だけだ。聞き終わった瀬戸川さんは柳眉を逆立てて恋路さんに瞬いた。


「駄目に決まってるでしょそんなの! 何考えてるの!」


 恋路さんは一瞬キョトンと呆けた後、その双眸を潤ませた。赤らんだ鼻を啜って涙声で言う。


「小夜まであやのこと怒るのぉ?」


 当たり前でしょ、と瀬戸川さんが腕を組む。うえぇ、ととうとう泣き出してしまった恋路さんにちょっと罪悪感も抱いたが、ここで彼女を叱ることは間違ってないはずだ。ぐずぐずと恋路さんが目を擦る。数滴の涙が頬を伝って顎先で震える。


「だって、だって、羨ましかったの。えりなばっかり、ズルいよ!」

「えりな?」


 瀬戸川さんがその名前にピクリと眉を顰めた。どうしてここで一条さんの名前が出てくるのか、私も理解不能だった。恋路さんが続ける。


「三人で遊びに行くとき、えりな、いっつも何か買ってるでしょ? 靴とかアクセサリーとか化粧品とか、こないだも可愛いコート買ってたじゃん。きっとお母さんからいっぱいお小遣い貰ってるんだ」


 ズルいよ、と恋路さんがもう一度言う。瀬戸川さんが顔を顰めた。僅かな苛立ちと多量の切なさを帯びたその表情は甘ったれた言葉を述べる恋路さん自身に向けられていると思ったが、少し違うような気もした。


「あやのお母さんは優しくないもん。お金が全然ないの。でも、欲しい物はいっぱいあるの。だったらしょうがないでしょ!」


 自分の行いを肯定させたがるような台詞を言って、恋路さんは瀬戸川さんを見る。彼女の何かを堪えているような表情になど気付かないようだった。


「小夜さ、えりなの幼馴染だったら、えりなの家とか行ったことあるでしょ? 高そうな物とかいっぱいあった?」

「恋路さん、一条さんの家に行ったことないの?」

「うん。家に行きたいって言ってもえりな毎回断るの」


 変だよねー、とふくれっ面になる恋路さんを見て、もしも彼女が遊びに行ったらそれこそお高い壺とかを割りそうだからじゃないかな、なんてふと思った。

 だけど瀬戸川さんはその言葉にますます顔を歪めた。ぐっと下唇を噛み、震える声を吐く。


「えりなのお母さんは……お小遣いとかそんなくれるような感じじゃないよ」

「えーぇ? うっそだぁ。じゃあ、お父さん?」


 瀬戸川さんは首を振る。一層怪訝そうに首を傾げた恋路さんが、何かを思い付いたように手を叩いた。


「アルバイト! どっか給料高いとこでバイトしてるんだ!」


 瀬戸川さんはそれ以上何も言わなかった。正解か不正解かを問う恋路さんに首を動かすこともなく、黙ってその頭をポンと撫でる。それから私に向き直り、困ったような顔で笑った。


「ごめんね秋月さん。もう綾のこと、許してやって。私から言っておくから」

「うん、それはいいけど……」


 戸惑いを含めた視線を彼女に向ける。瀬戸川さんは恋路さんの肩を押して私から去りかけ、言い残すかのようにこんな言葉を残した。


「えりなはあなたのことが羨ましいんだと思う」

「え?」

「ごめんね」


 唐突な言葉にポカンとする私に、瀬戸川さんは「また学校で」と手を振って恋路さんと共に去っていった。一人その場に残された私は、疑問の残る頭で考える。


 一条さんが私のことを羨ましい? ……どういう意味だろう。

 ごめんねという瀬戸川さんの言葉が、耳に張り付いて消えなかった。

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