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第39話 同じ命だろ

「正面突破は無理、か……」


 廊下の曲がり角で身を隠しながら私は呟いた。今覗いている進行先に見えるのは、厳重な重い扉(こちらも管理室と同じように掌形認証式のようだ)によって隔たれた通路。管理室の地図ではこの先行き止まりのはずだが、だったらこんな厳重に締め切らなくてもいいはずだ。十中八九、あの先に地下室へと繋がる階段でもあるのだろう。

 一人偵察として施設内をこそこそ歩いていた私は、踵を返して廊下を戻る。そのまま工場の外に出て少し離れた先にあるゴミ収集所に向かった。すえた臭いを放つ大量のゴミ袋が置かれたそこで、東雲さんと仁科さんが私を待っていた。他に人がいないことを念のため確認してから、手を振って駆け寄る。


「どうだった?」

「やっぱり正面からは入れそうにないです。他に侵入できそうな場所もありません」


 私の情報に、東雲さんは嘆く様子もなく一度頷いた。元より正面から侵入できるはずもないと分かっていたからだ。仕方ないな、と溜息を吐いて東雲さんがその場にしゃがむ。彼の足元にあるのは道路などでよく見かけるマンホールだ。その蓋をコンコンと叩いて、ここから入るしかないか、と言った。


「マンホールって……地下室に繋がってるんでしょうか?」

「さあな。地下室の構造なんて見えないし、これが繋がっているかも分からない。だけど他に通路がないんじゃ試してみるしかないだろう」

「そもそもここって人が入れるの?」

「水が満ちていなければ、きっと入れるさ」


 私と仁科さんの問いに答えながら東雲さんは作業着のポケットから工具のような物をいくつか取り出した。それでマンホールの縁を叩いたり引っ張ったり挟んだりしていると、しばらくしたところでズリズリとマンホールが外れた。専門の道具がないから無理かと思っていたけれど助かった。

 黒々としたマンホール内に梯子があった。錆びているそれを手袋をはめた手で掴みながらゆっくりと下りていくと、汚れで手袋がぬめりとして悪寒が走る。下水道の中は排水溝のような、胸が詰まる臭いが漂っていた。道と水路が分かれているものではなかったらしく、足を付ける場所にはぬちゃぬちゃとした濃い緑色の水が流れているし、先頭の東雲さんが持つ小さなライトで照らされる壁は黒く汚れきっている。幸運なのは外の凍えそうな寒さより大分温かいことと、ライトが弱いせいで天井や足元で蠢く気配のある生き物を直視しなくて済むことだろうか。何も見えないフリをしてゆっくり進むことができる。

 東雲さんは入ってきたマンホールと工場の大まかな距離を頭に叩き込んでいるようだ。途中で何度か道が分かれていたけれど、迷う様子もなく黙々と足を進めていた。狭い下水道の中を置いて行かれないよう必死で彼について行く。


 しばらくすると行き止まりにぶち当たった。そこに梯子がかかっており、上へと繋がっている。頂点は真っ暗で何も見えないが、蓋をされているのだろう、きっとそこに出口があるはず。

 梯子を上った東雲さんがポケットから取り出した工具で再度ゴツゴツと天井を叩く。パラパラと金属の破片が降り落ちてくるのを目に入らないように瞼を下ろした。しばらくすると東雲さんが開いたぞと小声で言うのが聞こえる。目を開けると、既に彼は梯子を上り切って、私を見下ろしていた。手を差し伸べられたのでそれを掴みながら私も出る。最期に仁科さんを引っ張り上げて蓋を閉じてから辺りを見回した。

 暗くてほとんど何も見えないが、空気と床の感覚にどこかの部屋だということは分かった。埃を被った段ボールや大量の本が積まれているところも見るに倉庫かもしれない。

 どうやら無事、地下室のどこかには潜り込めたらしい。汚水で汚れた作業着を脱いで普段の服に戻り、脱ぎ捨てた服で汚れた靴裏を拭く。それからすぐにその部屋を出た。

 途端、廊下の白色の眩しさに目を細めた。今まで暗闇の中にいたから眩しい白色に目がチカチカする。けれどすぐに視界は慣れて、廊下の左右を見た。人はいないようだ。天井にいくつも監視カメラが仕掛けられていたけれど、管理室に潜り込んだときカメラの操作スイッチを切っていたから、今あのカメラには何も映っていない。廊下を進むと左右にいくつかの部屋があった。全ての部屋はガラス張りで、中の様子が窺える。

 中にいた人がこちらを見た。しまったと思ったけれど、ガラスはマジックミラーのような作りなのか外側からのみ見ることができるようで、私達に気付いたような反応はなかった。安心しつつも警戒は怠らず、部屋の中を観察する。


 一見理科室を思い出すような部屋だった。水道付きの大きなテーブルが六つほど並んでおり、一つのテーブルに数人ずつが付いて何か作業を行っている。部屋の壁にかけられたホワイトボードには何やら小難しい数式と別に動物の名前と○×マークが書かれていた。「犬:× 猫:× モルモット:○ ラット:○」といった具合に。何の表記だろう? けれど、なんとなく想像が付いた。

 表記から目を離してテーブルを見る。そこに置かれているのはそれこそ理科の実験に使うような試験管に顕微鏡などなど……それから台や棒に固定された動物達だった。

 一つのテーブルで、十字架のような形の棒に貼り付けにされたラットがひくひくと髭を震わせている。そのラットは水風船ほどの大きさに膨らんでいた。でっぷりと重力によって垂れ下がった贅肉は今にも千切れてしまいそうなほど。白衣姿の女性がそのラットをじっと見つめ、胸ポケットに差していた赤ペンでラットの腹部に短い線を引く。それから机上のリストに何かを書き込み、その隣に置かれていたピンセットで小瓶から取り出したオレンジ色の錠剤をラットの口に詰め込んでいる。

 隣のテーブルで特殊な形のマスクを付けた男性が台に四肢を固定した子猫を観察している。子猫は頭部が半分切断されており脳味噌が露出していた。薄い腹を小刻みに上下させ、浅い呼吸を繰り返している。そこに男性が金属棒を突き刺してその棒が繋がっている機械のスイッチを押す。すると子猫は大きく仰け反るように体を痙攣させ、白目を剥いて口端から白泡を噴き出した。男性がスイッチを止めてもまだビクビクと痙攣している。

 また別のテーブルでは数匹の兎が首輪で壁から繋がれていた。まだ若い男女の研究員が興奮した様子で兎達に近付く。その手には香水のような形の小瓶が握られていた。彼らは兎の耳を引っ張るようにして顔をもたげさせ、赤い目に小瓶の液体を吹き付ける。それが無害の物質でないことは、激しく暴れ出す兎の様子を見れば明らかだった。

 動物達が拷問のような扱いを受けている部屋。ごくりと唾を飲み込んで胸に混み上がる不快感を飲み込む私の横で、東雲さんが静かに呟く。


「実験動物か……まずいな」


 眉を寄せた東雲さんが部屋から顔を背け、先を進んだ。他の部屋も大抵同じように動物が集められて実験をされていた。いくつかの部屋は動物ではなく薬の研究をしているらしく、試験管を慎重に扱う様子の研究員達の様子が見れた。あの少年のように他の部屋に子供が逃げていないだろうかと、途中人気のなかった部屋に立ち寄って探してみるも収穫はなかった。やはりF-6室に集められているのは間違いなさそうだ。ケースに保管されている薬剤などに手を振れないように部屋から出かけたとき、部屋の奥で背を丸めている仁科さんに気付く。


「仁科さん? 行きますよ?」

「うん」


 一人帽子を取らなかった仁科さんが帽子を深くかぶり直しながら振り返る。ちらちらと視線を泳がせる様子が気になったが、特に追究はせずに部屋から出る。

 すぐに東雲さんが立ち止まった。一つの部屋の中を覗き、息を吐く。私も彼の後ろから部屋の中を覗き込んで思わず声を上げそうになった。子供達がそこにいた。その中にネズミくんもいる。冷たそうなコンクリートが剥き出しになった床の上で他の子供達が固い顔で震えている中、ネズミくんだけはじっと目を伏せて膝を抱えていた。神妙な顔で、まるで何かを待つように。

 すぐにでも飛び込みたいところだった。けれどそのとき、私と東雲さんの肩が急に掴まれる。振り返ると険しい顔の仁科さんが静かに告げた。


「誰か来る」

「え……わっ」


 そのまま私達の手を引いて仁科さんが廊下の角に身を隠す。その直後、私達がやって来た方向から五人の男達が姿を現した。足音もほとんど聞こえてこないけれど、仁科さんには聞こえたのだろうか。

 四人は灰色のスーツを着た長身の外国人。残る一人は四人よりも背の低い白衣を着た日本人の男。その白衣姿の人物を見た瞬間、私は大きく目を見開いて息を呑んだ。

 森近先生だ。


 五人は子供達がいる部屋に入っていく。先頭の一人が鍵を使って扉を開ける。最後に入った森近先生が扉を閉めたが、僅かに手が震えていたせいか閉まり切っていなかった。私はそっと角から出て扉の傍で耳を立てる、東雲さんもすぐ横で同じように耳を扉に近付けた。外人の男が森近先生に対して何やら話しかけているようだ。英語かと思ったが、どうも発音的に違う気がする。東雲さんがポツリとイタリア語? と呟くのが聞こえた。

 森近先生はイタリア語が分かっているのか返事をしているものの、その声は固く張りつめており、ぎこちなかった。呆れたような溜息が聞こえ、多少たどたどしい日本語が聞こえてくる。


「森近? あんたに分かるよう、もう一度最初から伝えてやろう。あんたに言われた通り()()は集めた。金はしっかり払ってもらうぞ」

「あ、ああ……」

「後悔するようなら最初からやるな」

「……しょうがないんだ」


 思いを押し殺したような苦い声に、それまで話しかけていた男が愉快そうに笑い出す。


「『人体実験』がしょうがないことだとはねぇ! これまでの材料も、可哀想なもんだよ」

「材料と呼ぶのは止めてくれ。あの子達は、犠牲者は、一人の人間……」

「あんたが言うなよ」


 思考が凍り付いていくような感覚に見舞われた。沸々と湧き上がる怒りが、扉の向こうにいる森近先生に向けられる。人体実験? 森近先生が、それに関わってる? 何で? 先生も子供達と同じように誘拐されたのだと思ってたのに……。

 これまで誘拐されてきた子供達は人体実験に使われたに違いない。治験などの合意的なものではないことは確かだ。さっきの部屋で見た動物実験のような非人道的なものに決まってる。きっともう……。

 軽く首を振って淀む思考を振り払う。とにかく今ここに集められている子供達だけは救わなくちゃ。奇襲をかければいけるだろうか? 背後から……いや、いっそ三人で一人ずつ……他に通路はないのか。

 頭に血が昇る私に気付いた東雲さんが、私の肩を掴んで小声で宥める。


「ネコ、落ち着け。あいつらが子供を連れて出てくるときに――」

「動くな」


 すぐ後ろから声が聞こえた。ひゅっと掠れた息を呑んで、愕然とした顔の東雲さんと私がゆっくりと振り返る。眼前に突き付けられた暗い銃口と、それを構えて私達を見下ろす男の姿。

 所々に黒が混じった金髪と、端正な顔に生えた無精ひげ。彫りが深い顔をしており、影が落ちたように暗い眼孔から覗く、青空を吸い込んだような綺麗なアクアブルーの瞳。部屋内の四人と同じ外国人だとは分かったが、彼らとは違う薄いベージュのスーツを着ていた。

 気付かなかった。気配に敏感な東雲さんも、流石にここまで接近されれば気配ぐらいはあるはずなのに私だって全く気付かなかった。彼はジロジロと私達を眺め、口を歪めた笑みを浮かべて銃を軽く上下に振る。そして顎を引いて部屋を見る。入れ、ということだろう。迂闊に抵抗はできない。私と東雲さんは一度視線を合わせてから立ち上がり、銃を背に突き付けられたまま部屋に入った。

 部屋の中の全員が私達に目を向ける。子供達は脅えと戸惑いが混じった顔で、男達は怪訝そうな顔で。森近先生も同じように怪訝な顔をしていたけれど、私に気付いてサッと顔色を白くさせた。子供達の中にいるネズミくんがただ一人パッと顔を輝かせて何かを叫ぼうとしていたけれど、東雲さんが小さく咳払いをすると、その意図を察したのか口を噤みニコニコと微笑んでいた。


「エミリオ、そいつらは?」

「実験から逃げ出したネズミだ。外でチューチュー鳴いていた」


 くくっと肩を揺らすように笑い、男の一人にエミリオと呼ばれた彼は森近先生の顔を見てふと表情を引き締めた。先生の強張った視線の先に私がいるのを見て訊ねる。


「知り合いか?」

「…………いや」

「森近先生」


 知らぬフリをしようとする先生に声をかける。それだけで先生は顕著に肩を跳ね、気まずそうに顔を下げた。


「どういうことなんですか? 実験って、材料って。今までの誘拐事件も、先生が絡んでいたんですか?」

「それより、どうして君がこんな所に。君は未来さんの」

「質問に答えてください。先生は人の命を助ける医者のはずでしょう? それなのに、どうして……!」


 私が全てを把握したことを悟ったのだろう。森近先生は諦めたように顔を歪めて、食いしばった歯の隙間から零れるような声で語った。


「病を治す薬を開発するのは難しいんだ。効果が発揮されても、それを上回る副作用や苦痛が発生すれば意味がない。そんな薬は使用が認められない」

「じゃあ、その薬の安全を立証するためにこの子達を使うってこと?」

「……しょうがないんだ」

「しょうがない!? 馬鹿言わないで! そんなの、ただのモルモットじゃないですか! 命を救うためとはいえ他の命を犠牲にするなんて本末転倒じゃ……」

「そうだよ! モルモットだ!」


 突然がなり立てた森近先生にビクッと体を震わせた。怒りで顔を真っ赤にさせた森近先生が、その怒りをぶつけるように私に怒鳴り声を放つ。


「この子達はモルモットと同じだ! 彼らの命で特効薬ができるんだぞ!? 彼らがいなければ、薬は開発されないんだぞ!?」

「でっ、でも、だってこの子達だって生きて……」

「いいか!? 薬だけじゃない、君達の日常生活の中に、どれだけ動物の命が使われているか知ってるか! シャンプーやリンスといった日用品だけじゃない、煙草や化粧品といった娯楽品までもが人間の体に安全かどうか確かめるため、動物を使って実験してるんだ! モルモットやラットや兎が何匹も何匹も死んでいるんだ!」


 森近先生はそこで一度言葉を切り、込み上げる思いをぶちまけるように叫ぶ。


「同じ命だろうが!」



 さっき見た動物実験を思い出した。あのときの私は気持ち悪さと、動物に実験を行う研究員達に対する嫌悪感を覚えていた。

 ……だけど森近先生が言うように、たくさんの動物達が私達の生活のために死んでいるのだとしたら。私がそれを思える立場なんだろうか。


「動物達を実験に使うことが嫌なのは分かる。だがな、だったら今更自分達の生活から安全さと便利さをなくすことができるのか? できないだろう? それを当たり前のように生活に取り入れながら『実験なんてしてはいけない』とどの口が言う!」

「森近先生……」

「どんなことにも犠牲は付き物だ。それが理解できないなら、何もするな、黙っていてくれ」


 泣きそうに声を震わせる森近先生にそれ以上何も言えなかった。と、エミリオが空気を裂くように弾んだ声で言う。


「じゃあ早速実験を始めようか。もう薬は用意されているんだろう?」

「ああ……もうすぐ、もうすぐ完成だ。あとは数種類の新薬のうちから、もっとも体に負担がないものを選んで……」


 説明されてもサッパリ分からん、と手を振っていたエミリオがふと私達を見る。歯を見せて笑い、楽しいことを思い付いたような顔になる。


「こいつらも使ってみよう」

「はっ!?」


 冗談じゃない。咄嗟に逃げようとするも、エミリオに指示された男達が私達に向かってくる。ナイフを取り出すべきか逡巡したとき、突然扉が勢い良く開け放たれて何かが飛び込んできた。それは私達に向かってきていた男をふっ飛ばし、それに驚くもう一人の顔に蹴りを叩き込む。咄嗟に反応して抵抗しようとした男の前から、トッと床を蹴って飛び退く。軽い体は驚くような跳躍をもって私達の前に立った。パサリと帽子が落ち、一本に縛った長い白髪が背に垂れる。


「仁科さん……!」


 感極まった声で彼の名を呼んだ。仁科さんは一瞬私に振り返ってから、すぐ前に向き直る。唯一扉に近付かず角で待機していた仁科さん。私達を助けてくれたのか。


「助かった、白ウサギ」

「面倒だったから寝ようとしてたら、二人とも連れてかれちゃうんだもん。もう少しで帰って寝るとこだった」

「……お前はどれだけ眠いんだ」


 呆れるような二人の会話に、エミリオが苦い顔をする。


「まだいたのか。チッ……おい、お前ら……」

「動かないで」


 仁科さんがそう言ってスッと手を上げた。その手に何かが掴まれている。蓋がされた細長い試験管に入った、薄緑色の液体。彼の意図を掴めず全員が疑問符を頭上に浮かべていると、森近先生が目を見開いた。


「まさか薬品室の……!?」

「危ない物か?」


 エミリオが森近先生に訊ねる。先生は険しい顔で頷いた。


「薬品室に管理してある薬は全て劇薬だ。中には空気に触れただけで蒸発する毒もある。そんな物を落として割ってみろ、この部屋の全員が死ぬぞ!」

「何故そんな物を杜撰に管理している!?」

「ちゃんと鍵はかけている!」


 仁科さんは二人の会話を聞きながらふにゃりと微笑む。気楽な様子で手をふらふらと動かし、試験管を揺らした。私と東雲さんまでもが顔を強張らせて仁科さんを見ていた。当の本人は柔らかい声を二人に投げる。


「子供達をこっちに渡して」

「……従うとでも?」


 エミリオの声に仁科さんがこてんと首を傾げる。


「勘違いしてる? これはお願いじゃなくて、命令。めーれー。分かる?」


 ゆらり、彼の手が揺れる。

 とぷり、試験管の水が揺れる。

 仁科さんは目を細めて子供のような顔で笑った。


「渡せ」


 エミリオは数秒目を伏せて唇を引き締めていた。ふーっと大きく息を吐き、背後の男達に手を振ってイタリア語で指示を出す。男達は一瞬戸惑ったように顔を見合わせたものの、渋々と動き出した。子供達の足の縄を解き、乱暴に立ち上がらせる。


「工場の外まで送ってあげて。そこに、運び屋さんが待ってるから。終わったら戻って来て」

「……分かった」


 仁科さんの注文に舌打ちを繰り返しながらエミリオは男達に指示を出す。男の一人がイライラとした顔で子供達を見下ろし、顎を引く。戸惑う顔を浮かべる子供達は私を見てきた。大丈夫、という意味を込めて頷くと、子供達は恐る恐るながらも男について行く。ネズミくんだけが男について行かず、私達の傍にやって来た。


「ネズミくんも早く。ここは危ないから」

「やだ。ぼくもいる」


 そう言ってネズミくんは顔を上げる。私の服の裾を掴みながら、ふっと柔らかく顔を綻ばせる。青空を吸い込んだような綺麗なアクアブルーの瞳が私を見る。


「おねえちゃんたちがくるの、まってた」

「…………遅くなってごめんね。お待たせ」

「うんっ」


 本当はネズミくんを一刻も早く部屋から出すべきだろう。けれどその笑みを見て何も言えなくなる。

 子供達が全員出ていったのを確認してから東雲さんが銃を取り出す。銃口を彼らに向けて命じる。


「手を頭の後ろに。壁に向いて膝を下ろせ」

「……………………」

「母国語で言わなきゃ分からないか? すまないが、生憎イタリア語は分からなくてね」


 どこか馬鹿にしたような東雲さんの言葉に男達は表情を尖らせたが、ゆっくりと指示に従う。強張った表情の森近先生は私と目が合うと、悲しそうに同じく膝を突いた。子供達を誘導していた男が戻って来てエミリオの傍に付く。エミリオは突っ立ったままだった。


「エミリオさん、あなたも」

「……………………」

「早く」


 と、彼が目を細めた。青い目が煌めく。

 見覚えのある色だと思った。



 彼の腕が蛇のような動きで上がり、そこに握られていた銃の銃口がこちらに向く。真っ先に反応した東雲さんがエミリオに向かって引き金を引いたが、放たれた銃弾は、手を上げると同時にエミリオが隣の男の胸倉を引き寄せていたせいで、全弾男に命中した。盾となり死体となった男を私達に向かって蹴り飛ばしながら、エミリオは引き金を引く。一発の銃弾が仁科さんの肩を貫いた。


「あ」


 痛みというより呆けた声を上げて仁科さんが小さく体を痙攣させた。


「っ!」


 彼の手から離れた試験管が重力に引かれて落下する。

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