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第36話 ハーメルンの笛吹き男

「お大事に。お薬はちゃんと飲んでくださいね」

「はい、ありがとうございました」


 薬品とアルコールが混じった清潔なにおい。綺麗に磨かれたリノリウムの床に靴音が響く。病院特有のどことなく無機質な雰囲気が辺りに満ちていた。

 第二区の明星平和病院。市民の多くがやってくるこの病院は今日も相当に混んでいて、早めに来たにも関わらず一時間半以上待たされる羽目となってしまった。そのくせ診察時間はたった五分程度。「ほとんど治ってますね」と言われて薬を処方されておしまいだ。こんなことなら来なくても良かったかもと思ったが、東雲さんに念のため病院には行っておけと言われたのだから仕方ない。


「お腹空いたな」


 ぐぅ、とお腹が空腹を訴える。ホールの壁にかけられた時計は十二時を少し過ぎていた。朝に食べたのもおかゆだけだったからお腹は完全に空っぽだった。


 今朝、起きたら東雲さんがリビングにいたのには驚いた。昨晩私が眠ったときからずっと家にいてくれたのだという。彼の献身的な看病のおかげか、ぐっすり寝たからか、一晩経って体調はほとんど良くなっていた。……そういえばおかゆを食べている最中、昨日の話について尋ねられたけれど、何のことだかよく分からなかった。熱のせいで記憶が曖昧になっていたから。だから彼が何を言ってきたのか、私が何か言ったのかなんて覚えてない。そう言うと彼はちょっとぎこちなく視線を逸らしていたっけ。

 だけど、何か嬉しいことを言われた気がするっていうのは覚えている。だって起きたとき、心を締め上げていた寂しさがスッと薄れていたのだから。


 病院内にある売店に寄ってパンと飲み物を買う。適当な場所に座って食べようと思ったが、生憎近くに空いている席はなかった。どうしようかと辺りをうろついていると目に留まったのは中庭に通じる通路だった。そこから中庭に出てみると、緑が茂った柔らかな草花の中央に遊歩道が通る空間が広がっており、そこで幾人かがゆったりと思い思いに過ごしていた。誰かは芝生に直接寝転がり、誰かはベンチで本を読み、誰かは花壇の花を見下ろしながら誰かと談笑している。今日は日差しが強く降り注ぎ、冬にしては暖かく心地良い日だった。

 ここで食べようと考え、空いているベンチに腰かけパンにぱくつく。食べ終わってフルーツ牛乳を啜っていると、不意に視界に影が差した。目の前に人が立っている。


「こんにちは。お隣、いいですか?」

「ええ、どうぞ」


 ありがとう、と微笑みながら私の隣に座る一人の女の子。ストローを小さく噛みながら、私はちらりと横目でその子を観察した。

 櫛の良く通りそうな、褪せた色の細い黒髪は、空気をふわり含んだように緩い癖を持って肩に零れている。白い肌は日光に照らされているというのにどこか青白い。そして彼女の服。薄い青色のパジャマのようなそれは、この病院の病衣だ。


「今日は暖かいね」


 突然彼女が呟いた。一瞬虚を突かれたものの、すぐに笑顔を浮かべて、ですねと同意する。


「こんなに天気がいい日はどこかにお出かけしたくなる。君もそう? 今日はどうして病院に?」

「いや、風邪を引いてて。治ったんだけど念のためにね。そういうあなたは?」

「あたしは去年からここに入院しててね、ちょっとした病気で」そこまで言ってその子はふにゃりと笑う。「だから話し相手がいなくて退屈なんだ。良かったら、少しの間お話してくれない?」


 突然の誘いだったが、暇を持て余していた私が頷いたのは言うまでもない。


「――――へぇ、道仏高校に通ってるんだ」

「知ってるの?」

「知ってるも何も、あたしが志望してた所だよ! 入院なんかしてなけりゃ今頃受かってたかもしれないのになぁ。ね、授業ってどんな感じなの?」

「やっぱり難しいよ。英語一つでもリーディングとかライティングとか、よく分かんない二つに分かれたりしてさー」


 相坂あいさか未来みく。彼女は自分のことをそう名乗った。

 歳は私と同じ十六だが、昨年から続く入院のため高校には通っていない。病院の外に出ることはほとんどないらしく、外の様子を知れるのはテレビや新聞だけ。それを教えてくれるような家族は彼女の入院費を稼ぐために仕事に忙しく見舞いの回数は少ない上、中学校時代の友達も一年が経った今では高校の友人関係の方が大事らしく、最近では滅法連絡もない。

 理由は違うが私と同じように孤独な彼女に対し、親近感を覚えたのも当然といえば当然の結果だった。


「ふふ。いいな、凄く楽しそう。それから? 他にもあるの?」


 他愛もない日常の話をする度、未来は心底楽しそうな顔で続きを催促した。僅かに頬が紅潮し、目が潤んだように輝いている。その顔を見るのが嬉しくて私も身振りを交えながら話し続けた。

 まだ出会って一時間も経っていない。それでも、彼女と話していると面白くていつまでもどんなことでも話せるような気がした。

 もしも彼女が病気になっていなければ、もしも道仏高校に入学していたら。そのときは私達、いい友達になれていたんじゃないかな。






 深夜の情報屋。カウンターで頬杖を突いていた如月さんが、入って来たのが私と東雲さんだと知るや否や顔を綻ばせた。


「よっ、待ってたよ」

「今回は?」


 開口一番東雲さんが言った。そう急かすな、と如月さんが笑う。


「今回は誘拐事件。まだ公に報道されてはいないんだけど、裏では結構噂になってる。――養護施設ってあるだろう? 最近、そこから子供がいなくなるなんて事件が起こってるんだ。一人や二人だけじゃなく、それこそ全ての養護施設で合わせると十人を超えている。施設の職員や警察はただの反抗による逃亡かと思ってたらしいんだけど、あちこちで同様に起こっているんだ、おかしいと思うだろう? 一部では『ハーメルンの笛吹き男』が現れた、なんて揶揄されてるみたい」

「ハーメルンの笛吹き男、ですか?」


 確かおとぎ話か何かで見た記憶がある。ピエロみたいな恰好の男の人がネズミの被害に困っている街にやって来て、報酬と引き換えに笛を吹きながら街中のネズミを川に引き連れて溺死させた。だけど人々は報酬を出すのが惜しくなり、男に報酬を払わなかった。すると男は怒り、また笛を使って今度は街中の子供達を集めて、大人達がいない隙に洞窟へ連れ去ってしまった。唯一残されたのが、足が悪くて歩くのが遅かった子供だけ……という話だったはず。


「あれって本当にあった事件なんだよな」

「え!?」


 思わず声を上げた私に如月さんが微笑む。それから眉根を寄せる東雲さんの顔を見て、くくっと肩を揺らして笑った。


「変な顔。二人とも知らなかったんだ。昔、ドイツで実際にあった事件なんだって。現代の話とは色々違いもあるらしいけど、大体は同じ内容だ。子供達も本当に失踪したと言われているが、その原因は伝染病、事故死、少年兵、身売り、ペスト、新地開拓……色々あるようだけど。まあ、事件自体が古い時代の話だから、実話っていうこと自体オレは疑わしいと思っているけど」


 如月さんは神妙な面持ちで黙りこくる私達を見て肩を竦めた。


「近頃明星市に怪しい連中が目撃されているらしい」

明星市ここに怪しくない奴なんているのか?」

「いないな」一度小さく笑って如月さんは続ける。「見たところ外国人の連中らしい。マフィアあたりじゃないかって話だ」

「それが絡んでるって?」


 二人の会話を聞きながらふと口を挟んだ。


「マフィアって外国のヤクザみたいなものですよね? それがどうして子供を誘拐なんてするんですか?」

「どういうことだ?」

「だって、誘拐って身代金目的にやることでしょ? お金に困ってる強盗みたいな人がやるじゃないですか。わざわざ外国から来てまでお金が欲しいってのもちょっと……」


 そこまで言って、二人が僅かに呆れを含ませた目で私を見ていることに気付いた。何ですか、と片頬を膨らませて眉間にしわを寄せると、東雲さんが躊躇いを見せつつも口を開いた。


「子供を目的する理由は身代金以外にもある。肉体労働、臓器売買、愛玩目的、スナッフビデオ……」

「す、すな?」

「海外で子供を売り飛ばせば、時によって身代金なんかより遥かに大金を手に入れることができる。目の色が綺麗な子供やアジア圏の子供は高値で取引されるらしいしな」

「え…………そ、それじゃ、今までいなくなった子供達は……」

「もう無事じゃないかもしれない」


 ハッキリと言い切られた言葉に怖気が走った。東雲さんの複雑そうな面持ちからして、『かもしれない』という言葉はほぼ確定の意味を含んでいるのだろう。

 この瞬間も子供が売り飛ばされて、そこで大人でさえ耐え切れない凄絶な苦痛を味わっているかもしれない。必死に助けを求めているかもしれない。喉から血が出るほど泣き叫んでいるかもしれない。

 それを知って、私が何もしないわけにはいかない。


「如月さん! それで、私達はどうすればいいんですか!」


 ズイと前に進んでカウンターに両手を突く。身を乗り出すように彼の目を覗き込むと、ちょっと怯んだように身を引きながら如月さんが苦笑した。


「やる気があるのはいいけれど、今のところ特に何をすることはない。まだ、マフィアが誘拐に関わっていると確定したわけじゃないから。そんな状態で乗り込んでも意味がない」

「じゃあどうすれば……」

「実際にマフィアが子供を誘拐しているか確認すればいい。そうだな、一番いい方法は……潜入捜査とか」

「潜入捜査? 随分簡単に言ってくれるな。俺達が潜入したところで絶対怪しまれるだろう」

「別にオオカミやネコが潜り込むより、もっと楽な方法がある」


 楽な方法? と疑問符を浮かべた東雲さんがハッとしたように瞼を見開いた。それから不愉快そうに歯軋りをして如月さんを睨む。


「ああ、そうか……確かに俺達よりは怪しまれないだろうな……」

「え、え、どういうことですか? 東雲さん? 如月さん?」


 どうやら分かっていないのは私だけらしい。二人の顔を交互に窺っていると、如月さんが笑った。


「ネコ、これは児童誘拐事件。連れ去られるのは児童、子供だ」

「それくらい分かって……」と、そこでハッと私も息を呑んだ。「…………子供を」


 そう、と如月さんは一度頷いてから微笑んだ。


「ハーメルンの笛吹き男は、子供と()()()を連れ去っていっただろう」


 脳裏に浮かんだネズミくんの顔を、震える吐息に乗せて吐き出した。









「寝不足ですか?」


 そんな声が寝ぼけた思考に入ってくる。ぼんやりする目を何度か瞬かせると、すぐ目の前に未来の顔があった。

 ホールの椅子は柔らかく座り心地がいい。座るだけのはずがいつの間にか眠ってしまっていたようだ。目を擦りながら伸びをして眠気を取ろうとする。未来はそんな私の様子に「猫みたい」と笑って隣に座った。


「寝不足は肌にも体にも悪いんだ。ちゃんと寝なきゃ駄目だよー」

「分かってるよぉ」


 できないだけだよ、という言葉は彼女には伝えなかった。

 未来と初めて会ったときから三日。その間、私は毎日のように明星平和病院に訪れていた、勿論彼女に会うために。見舞いがあまりなく暇なのだという未来は私が来ると本当に嬉しそうに顔を輝かせてくれた。学校帰りや時にはサボってまで私は彼女に会いたかった。たった一時間ちょっとの時間をここで過ごして、その後は家に帰ったり東雲さんの所へ行ったり。

 三日。誘拐事件のことを知らされてから三日。マフィアや事件について調べていると夜遅くまでかかる。寝ようにもベッドに入ってからも子供達の悲鳴を考えてしまい、どうにもモヤモヤとしてすぐには寝付けなかった。

 こうして頻繁に未来に会いに来るのは、その不安を掻き消すためでもあった。


「悩み事があるなら相談した方がいいよ? あたしに何でも話しなよ」

「いや、些細なことだからいいって」

「水臭いこといわずに!」

「あはは」


 言えるわけがない。乾いた笑いで誤魔化す私に未来はむーっと不満そうに唇を噛んでいたけれど、ふとその顔がハッとしたように強張った。


「未来?」


 ケホ、と小さな咳がした。未来が手を口に当てながら、ケホケホと咳き込んでいる。唾で噎せでもしたんだろうかと思っていると、次第にその咳き込み具合は激しくなっていった。


「ゲホッ! くっ……う、ぷ……ゴボッ!」

「未来!」


 咳が水っぽい音になり、未来が顔を青くして口を両手で押さえた瞬間、その隙間から赤黒い粘付く液体が零れた。血だ。


「未来!? 未来!」


 パニックになった私は彼女の名前を必死に呼ぶことしかできなかった。血を吐き出し、床に崩れ落ちる未来に気付いた周囲の人々が悲鳴を上げて引いていく。そうしているうちに我に返った私は、未来の背を擦りながら叫んだ。


「誰か! 来てください、助けて!」


 私の声に近くの職員さん達が駆け寄ってきてくれた。病原菌が移りそうだと言いたげな顔で離れていく他の人々を横目に、私は床に手を付いて嗚咽する未来の背を擦った。励ますには頼りない、震える声で必死に呼びかける。


「大丈夫、大丈夫。未来、私がいるから、大丈夫」


 返事はない。ゲェゲェと何度も彼女の口から血が床に吐き出される。鉄の錆びた生臭い臭いがむっと広がり、床に突かれた手の色は紙のように真っ白で青い血管が浮いていた。震えている未来の病衣の背中に汗がびっしょりと滲む。

 病気だって言ってた、去年から入院してるって。何だか聞いてはいけない気がして詳しく聞いてはいなかったけれど、そんな長期間入院しているんだ、軽い病気じゃないことは分かっているはずだった。だけどあまりに未来がそんな素振りも見せないから、笑って私と話してくれるから、大丈夫だろうなんて根拠もなく思っていた。

 どうしよう、未来が死んじゃう。


「大丈夫」


 突然そんな言葉が降ってくる。私の声なんかよりハッキリとした声。顔を上げると、私と未来の背後に白衣を着た男の人が立っていた。彼の背から降る照明の光に目を細める。

 彫りの深い顔をした、四十代から五十代に見える男性。彼はしゃがみ、震える未来の肩を力強く掴む。少し浅黒い顔に薄く笑みが浮かんでいた。安心させるように優しい声で、任せてくれと言った。近くの看護師にテキパキと彼が指示を出し始めると、焦っていた彼らは次第に我に返り始め、冷静に動き出す。それを見届けてから男性は未来を抱き上げ、不安そうな私に目を向ける。


「この子の友人かな? すまないが、今日はもう……」そこまで言ってから彼はふと困ったように薄く笑んだ。「そんなに泣きそうにならないでくれ。分かった、付いてきてもらえるだろうか」


 私は潤んでいた目を拭って、小走りに駆けていくその人の後を追った。




「驚かせてしまったかな」

「いえ…………」


 それから十分後。廊下の長椅子に座っていた私の前にやって来た男性がそう言った。首を振って、弱々しく声を吐く。


「あの……あの子は、未来は、大丈夫なんですか」

「今は落ち着いている。とりあえずは大丈夫だろう」


 そうですか、と頷いてから唾を飲む。そしてまた尋ねる。


「未来の病気って悪いんですか」


 今度は返事がなかった。男性は目を伏せ、気難しそうに唇を真一文字に結ぶ。彼女と何の関係もない私が聞く質問でないのは承知の上だ。それでもあんな様子を見たんだ、気になって仕方がなかった。

 だけどこれ以上どうやって聞けばいいか分からなかった。そんな歯がゆい気持ちに唇を噛む。


「あたしさ、治らないんだ」


 突然の声に横を見た。廊下の曲がり角から、てへっと舌を出した未来が顔を出す。車椅子に乗って、看護師さんに支えられて。その姿に私がショックを受けたのを感じたのか、未来はカラカラと笑いながらもどこか固い声で言った。


「去年から入院してたって言ったでしょ? 部活中、急に具合が悪くなって倒れちゃってさ。救急車に搬送されて病院送られて、そのまま緊急入院ってやつ? 検査したら難病だったらしくて、しかも結構進行してたんだって。かなり珍しいやつみたいで、治す薬なんてないの。ただ毎日鎮痛剤打ってじわじわ悪くなってくばっかでさ。……おかしいでしょ? その前の日まで元気だったんだよ? 部活だって運動部で、活躍してたのに」


 気楽に言おうとする未来の姿に、胸が詰まった。鼻が痛くなって視界が滲む。彼女の言葉が重く心に突き刺さり、ドッドッと激しく心臓が痛んだ。

 難病? 薬がない? じゃあ、それって、つまり。


「未来、死んじゃうの?」


 それは当人に言うにはあまりに配慮がない言葉だった。車椅子を握っていた看護師さんが困ったような顔をする。けれど当の未来は私の言葉に怒ることも泣くこともなく、ただ綺麗な顔を綻ばせたように笑いながら、


「うん」


 そう頷くだけだった。



「未来さん。君は私がここにいることを分かって、そんなことを言ってるのかな?」


 場にそぐわぬ笑い声が聞こえたのはそのときだった。見ると、白衣の男性が肩を揺らして堪え切れぬように笑い声を零していた。唖然とする私の横で、今度は未来が楽しそうに笑い出す。


「やだなぁ先生ってば、ほんの冗談ですって」


 先生、と呼ばれた男性と未来の顔を見て私だけがポカンと口を開けていた。未来がいたずらっ子のような表情を私に向け、車椅子から身を乗り出す。


「和子。この先生ね、かなり有名な医者なんだよ。名医ってやつ。今まで、匙を投げられてきたたくさんの患者を救ってきたんだって」


 そういう言い方は照れくさいからやめてくれ、と男性が頬を掻きながら私に向き直る。その顔に浮かんでいたのは、未来の言葉を背負ったような威厳溢れる表情だった。


「自己紹介が遅れたね。私の名前は森近もりちか茂雄しげお、名医というわけじゃないが、彼女の病気の治療法もきっと見つけられる」

「本当ですか!」


 飛び付くように尋ねると、彼は大きく一度頷いた。彼の地自信に満ちた表情のせいだろうか、その言葉はただの出まかせなどではなく、本当のことのように思えた。


「完全に治す、とまではいかないが、彼女の体内にいるウイルスの増殖を止める薬があと一歩で開発されそうなんだ。その薬があれば、後は徐々にウイルスの数を減らしていくだけだ」


 望みは近いぞ。そう確信を持った強い言葉を聞いて、体の奥底からぶわっと安堵と喜びが溢れてくるのを感じた。衝動に駆られるまま、私は車椅子に座る未来に抱き付いた。力を入れないように慎重に、けれど全力で薄い体を抱き締めながら、熱い喉を震わせる。


「良かった! 未来、助かるって! 生きられるって! よかっ……良かった、よ、おぉ…………」

「…………やだ、泣かないでよ」


 うーっと嗚咽交じりの声で唸りながら、未来の震えた声を聞いていた。そろりと私の背に伸ばされた手が震え、強く服を握ってしわを刻む。

 出会ってたった数日。たったそれだけの時間の関係。だけど、彼女は私の数少ない大切な友達だ。

 森近先生と看護師さんの微笑ましそうな視線を受けながら、私達はしばらく泣きながらお互いを抱き締め合っていた。

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