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第25話 平成遊郭

 冷え切った冬の廊下はまるで冷凍庫のようだ。床からじわじわと競り上がる冷気に体が強張る。わざわざこんな寒い日に廊下に出ようとする人は少なく、近くに教室もないせいか辺りにはあまり人がいなかった。腕に抱えた厚いファイルを急いで届けようと、足を速めた。


「和子ちゃん」


 背後から投げられた声に奥歯が軋んだ。足首に枷を嵌められたような心地で、不快をそのまま表情に出しながら振り返る。楽しそうに笑顔を浮かべた一年先輩が、やあ、と手を振っていた。今出てきたばかりの男子トイレのドアを閉める。


「……お久しぶりです、()()先輩」


 ワザとらしく苗字の部分を強調して喋る。彼は特に気を害した様子もなく笑顔を浮かべ続けていた。

 本当に久しぶりだった。最後に会ったのは終業式、今日は三学期の始業式、二週間程の間が空いている。このままずっと出会わなければ良かったのに。

 彼の話によれば、二年生の男子トイレが今壊れているらしく、わざわざ一階の方まで下りてきたのだと言う。それが本当か嘘か分からないけれど。ツカツカとこっちに歩み寄って来た彼は、そのまま私の顔を見下ろして口を開く。


「冬休みはどうだった? どこか遊びに行った? お正月はどうしてた?」

「どうもこうも、ただの休みでしたよ」


 つっけんどんに返答して話を切り上げたかった。実際、私の冬休みはそれほど面白いこともなかったのだ。お父さんは結局帰って来なかったし、お母さんも数日帰って来ただけだった。まあそれでも嬉しかったのだけれど、できることならお父さんも帰って来てほしかったな。今頃どこで何をしてるんだろう。元気だと嬉しいのだけれど。

 それ以外は特に何もない。お母さんが帰ってしまえば家に一人でいるのが寂しくて、また東雲さんの所に泊まりに行っていただけだ。ああそうそう、東雲さんといえば、ネズミくんを保護したのも一応冬休みに入ってからだったっけ。仁科さんと会ったのもそのときだし、そういうことではこの冬休み、あの二人と知り合うことができたな。…………それに、そうだ、東雲さんがマフラーをプレゼントしてくれたのもクリスマスで、私が東雲さんへの気持ちに気付いたのも……。


「和子ちゃん?」

「はっ! はい!? 何用ですか!?」


 何用ですかって……と一年先輩が苦笑する。寒いはずなのに火照り始めた頬をぐにぐにと揉んで表情を引き締めた。


「で、これからどこ行くの? この先って言ったら」彼は廊下の先に視線を投げる。「技術室か、職員室かな?」

「職員室に課題を提出しに行くんです」

「課題って冬休みの? 朝に出し忘れたんだ?」

「違います、私個人の課題です」


 ここしばらく仕事のせいで学校を休みがちになっていた私には、不足した出席日数を補うために特別課題が課せられた。休んでいた間の授業プリントと、授業内容をノートにまとめること。それなりの量だったが担当の先生方が配慮してくれたのか、それほど大変というわけではなかった。

 殺し屋としての仕事は大半が夜中だ。当然家に帰るのは遅い時間帯や、下手をすれば早朝になることもあるし、食事やお風呂を済ますことを考えれば寝るのはそれこそ遅すぎる時間になる。そんな状態で学校に行くことは難しく、ましてや行きたいという気持ち自体が希薄だった。結果として私は学校をサボりがちになり、出席日数が危うくなってきた。授業自体は後日先生に聞いているし、いざとなったら東雲さんと冴園さん(あざみちゃんもたまに図書館で会ったときに教えてくれる、渋々としながらもどこか嬉しそうに)が教えてくれる。二人の教え方はとても上手いんだ。

 とにかくそういうわけで私は職員室に課題を出しに行く所だった。今日は始業式やホームルームも終わったし、これを出せば帰るだけだ。防寒具を着込んでバッグも持ってきたから、もう教室には戻らない。


「僕も手伝ってあげようか」

「別に手伝ってほしいことないので、いいです」

「遠慮しないでさぁ」

「……急ぎますので!」


 一年先輩から顔を背けて先を急ごうとする。けれど足を一歩踏み出した途端、目と鼻の先に伸びてきた手が壁に叩き付けられた。バンッと大きな音に思わず飛び上がる。弾かれたように彼を見れば、ネットリとした気味の悪い目が私を見てニヤけていた。


「別に急ぐことないじゃん。せっかくなんだしさ、もう少しお話しようよ」

「やめ……やめてください……っ」


 威嚇しようと奮った声は、予想に反してあまりにも震えて情けないものだった。一年先輩の空いた手がゆるりと私の腰に触れる。自由であるはずの私の手は、小刻みに震えていて使い物にならなかった。

 正体をバラしてからの一年先輩は前よりも積極的になった気がした。私に対して遠慮がない。彼が振舞う優しさには必ず邪気が含まれているし、その笑顔も作り物のようにしか見えない。恐らく私に対してだけだろう。

 一年先輩の手がそろそろと私の体を上る。変な手付きというわけではないのに、やけに気持ち悪いと感じた。必死に身を捩じらせてその手から逃れようとする。それでも中々体は動いてくれない。壁に軽く押し付けられた状態から動けない。彼から放たれる黒い圧力が、怖いから。

 ふと一年先輩の手が止まる。ハッとして私は肩を縮こめた。彼の手がマフラーに触れている。東雲さんから貰った、マフラーに。


「赤いコートに緑のマフラーなんて、クリスマスカラーだね。これも買ったの?」


 と、一年先輩の目が細められる。「それとも」と弧を描いていた唇が下がり、少し低くなった声が告げる。


「誰かからの贈り物かな」

「っ」


 思わず唇を噛んで固まってしまった私に、一年先輩は小さく唸り、俯いた。彼がどんな言葉を返してくるのか気になっていると、壁に突いていた手が素早くマフラーを掴もうと伸びてきた。

 ゾッと背筋を這う恐怖に、反射的に伸びてきた手を払いのける。一年先輩の手が離れた隙に、彼の手からマフラーを引っ張るようにして距離を取った。


「何しようとしてるんですか!」

「マフラーで首を絞めてみようかと」

「は、はぁっ?」

「どうせ送り主も、和子ちゃんのだぁいすきなオオカミさんなんだろう? じゃあいいじゃないか。大好きな彼から貰ったマフラーで死ねるなんて、本望でしょう?」


 一年先輩のあんまりな言葉に唖然と口を開けた。本当に、何を言ってるんだこの人、何でそんなことしようとするんだ。彼ならやりかねないだけに恐怖でしかない。

 よく見てみれば今日の彼の雰囲気は何だかおかしかった。薄い微笑みさえ浮かべず、細めた目は変に光っている。そろそろ帰ろうかな、と呟いて彼は私に背を向ける。その背を見つめてみれば、いつもより僅かに上がっているように見えた。


「一年先輩、もしかして怒ってるんですか?」


 彼の背中にそんな言葉を投げかけてみる。けれど彼は返事をしてくれることも振り返ることもないまま、廊下を曲がって姿を消した。

 …………よく分からない。よく分からないけど、これは。


「これだから学校に来るのは嫌なんだ」


 早く東雲さんに会って、一年先輩とのことを忘れたいなと。そう思った。









『和子、仕事だ』


 帰宅途中、東雲さんから電話でそう伝えられた。了解です、と告げて電話を切り、家に戻って身支度を整える。黒の長袖を着て、タイツの上からカーキー色のショートパンツを穿き、最後に灰色の猫耳付きパーカーを羽織る。それからナイフをパーカーの裾に隠す。スマホをポケットに突っこんで、スニーカーを履いて家を出た。

 電車に乗ってしばらく。第七区に着いた私は裏路地を通って情報屋を目指す。何度も来るうちに道は覚えたし、夜の路地にそれほど恐怖心も抱かなくなっていた、まだ武器も持たないで平気で歩けるわけじゃないけど、表通りよりはマシだ。

 情報屋に着き、扉をノックして開ける。見慣れたアンティーク雑貨と書類に囲まれるように、奥のカウンターで如月さんと東雲さんが話し込んでいた。彼らが私に気が付き顔を向ける。


「二人とも、こんばんは。それで今日のお仕事は?」


 私が尋ねると如月さんが何故か笑った。その反応に戸惑うと、東雲さんが一度如月さんを窘めるように睨んでから私に向き直る。彼の手に掴まれた書類が私の目の前に寄越された。それを受け取って眺めながら東雲さんの簡易説明を聞く。説明と資料の内容に目を通していくごとに、私は自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じていた。


「わ、私も行くんですか?」


 当然だろ、と東雲さんが言って出口へ向かう。如月さんが肩を揺らすように笑いながら、行ってらっしゃいと手を振る。多少の困惑を浮かべつつも仕方なく私は『お喋りオウム』を出た。

 今晩の目的地はそんな遠くない。私達は表通りに出て、そのまま歩く。ピンクや紫の蛍光色に照らされていると、何だか怪しい異世界にでも迷い込んだような不思議な気分に陥ってしまう。辺りから聞こえる賑やかな会話や艶めかしい会話に、気恥ずかしさが込み上げてきた。

 ……第七区の表通りは何度通っても慣れない。どこもかしこも大人向けのお店ばかり。ネオンでチカチカと眩しい看板は、どれもこれもがいかがわしい店であることを堂々と主張しているようだった。奇妙な道具が店頭に並んでいる店があり、また別の方向を見ればその先にあったのはあからさまにエッチな本が並ぶ本屋さん。顔を熱くして俯くも、人とぶつかりそうになってまた視線を前に向けるしかなくなる。東雲さんの背に視線を注ぎ、緊張を解すように唇を舐めた。

 ここを通ったのは一度目じゃないけれど、今まで以上に恥ずかしい。目の前を歩くのは私の好きな人だ。しかも、ついこの間気持ちを自覚したばかりの。そんな人とこんな所を歩いていて、平常心でいられるはずがなかった。


「…………わ」


 ふと右に目を向けると、ガラスウィンドウ越しに見えた店内で、一人の女性が踊っていた。蛍光色のピンクに輝く店内の中央に立つポール。そこに艶かしく、そして華麗に体をくねらせポーズを取る。化粧のせいか、整ったプロポーションのせいか、彼女は妖艶な色気をその身に纏わせている。とろりと伏せがちの熱っぽい瞳が私を一瞬捉えたような気がした。思わず視線を逸らしたのは、それまでのような羞恥心からだけじゃない。彼女という一人の女に自分を見られるのが嫌だったからだった。

 反射するガラスに写る私の顔。丸い目、桃色に染まった頬、小さな唇、垢抜けない幼さの滲む顔。さっきの彼女や真理亜さんのような大人の顔とは程遠い、子供っぽい顔。

 ……東雲さんはやっぱり、大人びた女の子の方が好きなのかな。


 そうこうしているうちに、私達は足を止めた。顔を舐めるように照らしていく明かりに目を細める。

 深い夜の中、そこだけが淡いオレンジ色の光を放っていた。通りゆく人々が足を止め、その店を見て口々に弾んだ声で驚く。一風変わった店だと面白そうに笑う。店内から流れてくる三味線の音が、和の音色を奏でていた。店先にあるは大きなまがき。鳥籠のようなそこに座って道行く人々を眺める、着物姿の女性達。髪を結い、おしろいで顔を白くした、古風な人達だった。

 第七区の風俗街。平成の時代を切り離すように和の輪郭を持って建つその店も、れっきとした風俗街だった。瓦屋根の、木造の赤い建物、かなり大きな建物だ。淡いオレンジ色の明かりが零れて通りを微かに照らしている。まるで昔の遊郭のような店。

 ここが今回の仕事場所だった。




「ようこそお越しくださいました、初めての方でございますか?」


 私と東雲さんが暖簾を潜った途端、軽快な声と共に小太りの男性が迎えてくれた。店主さんだろうか。店の雰囲気を壊さないようになのかこの人も着物に身を包み、髪をちょんまげに結い上げていた。私達が靴を脱いで上がると、彼は笑顔で口を切る。


「本日はどのような子をご所望で?」

「いやそういうのじゃないんだ。経営者はいるか?」


 東雲さんがそう言うと、男性はスッと表情を訝しげに変えた。しかしそれは一瞬で、直後にその顔は元通りのにこやかな笑顔になる。


「申し訳ありません……只今、楼主ろうしゅは留守にしておりまして、恐らくそろそろ戻りそうなのですが」

「そうか。だったら、一度出直して……」

「せっかくいらしたんです、どうぞお上がりください、ささ!」

「いや俺達は……」

「さあ!」


 私と東雲さんは顔を見合わせた。困ったように眉を寄せる彼に、私も苦笑する。どうやらこの人は人の話を聞かないタイプらしい。東雲さんが顔を寄せ、私にしか聞こえない小声で言う。


「如月から貰った資料にこの店の間取図はなかった。ターゲットを狙う前に、一度店を見た方がいいかもな。人目を撒いて隠れながら」

「ですね……でも、どうやって?」

「俺が何とかする」

「私は?」

「頑張れ」

「何を!?」


 と、不意に手をやんわりと引かれて顔を上げる。痺れを切らした様子の男性が私達に顔を向けていた。じろじろと頭から足元までを遠慮ない視線で舐めるように見つめてくる。てっきり私の年齢に突っ込んでくるのだろうかと思ったけれど、続く台詞はそういうものではなかった。恐らくお客の年齢はあまり気にしていないのかもしれない。……性別は?


「この店ではお客様にも雰囲気を味わっていただくために、着物を貸し出しているんですよ。着付けはこちらでいたしますので、どうです? 着ますか?」

「えっと…………」


 迷う私の耳元で東雲さんが小さく、着物の方が目立たない、と呟いて男性に向き直る。


「せっかくだからな。じゃあ、頼むか」


 言って、それから薄い微笑みを浮かべて続ける。


「俺は自分でできるから、そいつを頼む」

「えっ」

「承知いたしました。おしげりなんし」


 着物の部屋はあちらです、と男性に促されて東雲さんはスタスタと歩いて行ってしまう。ちょっと待ってくださいよ、と呼びかけようとする前に男性が私の背を押して逆方向へと歩き始める。

 ええっと…………こんな所で一人、これからどうすればいいのだろう。




「――――よくお似合いですよお客様!」

「ど、どうも……」


 別の部屋に案内された私は、そこにいた数人の女性達に着付けをされた。姿見に映し出される着物姿の自分を見て僅かにはにかむ。黄緑の着物に黄色い帯、撫子の柄が慎ましやかに咲いている。髪も後ろで軽く結ってもらったし、薄くだけど化粧もされた。照れくさいけれど嬉しかった。

 着付けてくれた人達は私より年下の女の子三人だった。新造だとか禿かむろだとか言っていたけれど、よく分からない。幼いながらも手付きは流石といったところか。私なんかとは比べ物にならないほどテキパキと着付けをしてくれた。


「着物を着せてくれるなんて……本格的な店なんだね、ここ」


 私が思わず言うと、彼女達はくすくすと微笑みながら頷いた。無邪気な笑顔が愛らしい。


「あたしはやりすぎだと思うんですけどねー。だって今平成だよ? こんな江戸時代みたいな風俗店、浮いてるでしょ」

「ちょっと小町、敬語使いなさいよ。……でもまあ、確かにそうなんですよね。時代錯誤な店ってところは。堕胎にホオズキ使ったりはしないけど……でも仕組みとかもなるべく遊郭っぽくしているみたいですし。そういうのが好きってお客様が多いから、建設して約約三十年もやっていけてるみたいなんですけど」


 そうよね、千代? とそれまで黙っていた子に話題を振る。千代と呼ばれたその子は三人の中でもとりわけ幼い、まだ七つ八つほどの子だ。彼女は一瞬驚いたように目を丸くして、それから気まずそうに俯いた。艶やかな黒髪の隙間から見える頬に紅が差している。千代ちゃんはか細い声で言った。


「あ、わ、わたし……ここ出たこと、ない、から…………」


 そのか細い言葉は私の丸くなった目を見つめ、更にもごもごと尻すぼみしていく。そうだった、と頷く彼女を尻目に、思わず身を乗り出すように彼女の顔を見つめると、対照的に彼女は肩を引いて目を逸らした。


「出たことがないって、このお店から?」

「は、ぃ…………」

「生まれてからずっと? 一度も?」

「あ、あう、ぅ…………」


 泣き出しそうに顔を歪めてしまう千代ちゃんに助け舟を出したのか、小町ちゃんが私達の間に入って説明してくれる。


「千代はここの遊女が産んだ禿なんですよ。大人しい子で、あまり外に出たがらなくて。この店は逃亡が物凄く厳しく制限されてるから、外出の際にも見張りがいなきゃいけなくてさ、千代はその見張りも怖いからって一度も外に出ようとしたことがないの」

「……そうなんだ」

「小町、敬語」

「あれ使ってなかった? 若葉ってば、真面目だなぁー」


 小町ちゃんの説明を聞いて頷いてはみたものの、その内容はさっぱり理解ができなかった。外に出たことがない? ここの遊女の子供? ……だから何だろう。

 この店のことを東雲さんから聞いた限りだと、古風な遊郭(妓楼ぎろうと言った方が正しいのかもしれない)モチーフの風俗店ということだった。遊郭という存在自体は知っているし、ドラマで見たことがあるから内容もおぼろげには分かるものの、てっきりただ和風っぽい店ってだけでここまで忠実に再現されているとは思っていなかった。タイムスリップでもしてきたんじゃないよね。

 もう少しちゃんと、この店について調べておくんだったなーと考えていると、おずおずと千代ちゃんが話しかけてくる。


「あの……お客様は、その、下見にいらしたんですか?」

「下見?」

「えっと、お、お客様、女性だから……それに優しいから……『お客さん』って感じがしなくて、だから…………ご、ごめんなさいっ」


 恥ずかしそうに俯いてしまう千代ちゃんの代わりに今度は若葉ちゃんが身を乗り出す。少しだけ私の表情を窺うように目付きを鋭くさせていた。


「千代が言いたいのは、お客様がお客様らしくないってことです。このお店って内容がアレだから、やっぱり女のお客様って珍しいんですよ。勿論ここには陰間かげま……男の従業員もいるから、いないってわけじゃないんですけど。女の子がタイプって人もいるみたいですし。でも、お客様ってそのどっちもって感じじゃないんですよね、そういう人達って大抵、わたしたちのことも色目で見てくるから。だから、このお店で働きたいから下見に来た人なのかなーって」


 こんな感じかな千代、と若葉ちゃんが自分の背に隠れた彼女に問いかける。小さな頷きが返って来た。

 私は一瞬迷ってから、はにかみを浮かべて頬を掻く。困ったなぁと言いながら視線を逸らして、嘘を付いてみた。


「実はお金に困っててね。こういうお店も興味があったから、どんな感じなのかなって見に来たんだ。バレちゃったかぁ、あはは」

「へーえ、やっぱりそうなんだ! じゃあ一緒に来た男の人は女衒ぜげん?」

「ぜげ……女衒?」

「要するに人身売買みたいなもん」と小町ちゃんが笑う。「あたしや若葉の親もお金なくってさ、まあ売られたんだよここに。五歳とかそれぐらいのときだったからあまり覚えてないけど」


 ふぅん、と軽い調子で頷きつつも口の中が乾いて突っ張る。こうも身近に人身売買の被害者がいるということに愕然としていた。やっぱり、こういうお店で働くっていうことは色々と事情があるのだろう。

 お喋りはおしまい、と若葉ちゃんが言って手を叩く。私に向き直って申し訳なさげな顔で手を合わせた。


「ごめんなさいお客様、わたしたち、そろそろ次の仕事があるので失礼しますね。お姉様のご仕度をしなくちゃいけなくて」

「あ、ああ、私はいいんだけど……お姉様?」

「この店の一番人気の人、花魁おいらんのことです。お姉様は人気だから急いで仕度をしなくちゃいけない」


 大変なんだね、と言うと若葉ちゃん達は頷きながらも嬉しそうに笑っていた。お姉様という呼び方から尊敬しているような雰囲気だし、ナンバーワンの女性の仕度をできるのが嬉しいのかもしれない。

 それでも三人は、花魁の元へ向かう前に私に部屋の説明をしようとしてくれた。人気の女性がいる部屋や安い部屋や陰間のいる部屋について。けれど私がそれを断って、説明はいいから早くお姉様の元へ行った方がいいと告げると、三人は礼を言って気持ち急ぎ足で部屋を出ていった。直後、廊下をバタバタ我先にと駆け抜ける音が遠のいていく。



「さて、隠れるか」


 独り言を呟いて部屋を出た。三人には悪いけれど、素直にこのお店で遊ぶ気はない、というか遊びたくない。従業員に見つかったらややこしいことになりそうだからこっそりと移動しなくちゃ。

 木目の廊下を摺り足で歩く。着物ってもっとキツイものだと思っていたけれど、案外楽で着心地がいい。少し歩きにくくなるだけだ。

 ……そういえば東雲さんは今頃どうしているのだろう。ちゃんとコッソリ間取を調べているのかな、それとも従業員と話したりしているのかな。


「そ、それとももしかして……!」


 ハッと思ってしまった想像に慌てて首を振る。いやいやまさか、東雲さんがそんな、ねえ? ……でもなぁ、でもなぁ!

 変なことを考えて意識を集中させていなかったせいだろう。


「わっ!」


 廊下を曲がったとき、途端に顔に何かがぶつかった。

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