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第136話 敵対

「ラスボスと対面する前には、いくつも試練があるってもんだろ。あと少し、もう目前。だけど残念だったな、最後の試練もそう簡単にはいかないんだ」


 吹き抜けのホールに女の声が響く。

 広いホール状の作りになった空間だった。ずっと高い天井を見るに、およそ三階から四階分ほどの天井が抜かれている。部屋の中央には大きな螺旋階段が置かれ、天井付近までぐるりと渦を巻いていた。

 盛大なパーティーでも開けそうなほど広いホールに、けれど今はたった一人の女がいるのみだった。今まさに私達を歓迎してくれた女が、こちらに笑顔を向けて立っている。

 その笑顔は好意的なものと言い難いものだけれど。


「まだ戦えるよな? お前達、殺し屋だもんな。少しくらい怪我してても余裕だろ。ほら、早くやろうぜ」


 好戦的な物言いに東雲さんが眉根を寄せた。面倒だ、と呟く彼の隣で私も同意の意を込めて顎を引く。

 ギラリと光る鋭い目。

 獣性的な笑みを浮かべるのは、二十代後半頃に見える、まだ若い、普通の女性だ。裾がビリビリに破けくすんだ灰色のミリタリーコートに、ホワイトシャツとデニムのショートパンツ。いたって普通に街を歩いていそうな女だが、唯一、その手に持つ銃が普通じゃない。


「黙って通して…………なんて言っても、通じませんよね」

「通すわけねーだろ」


 笑って彼女は髪を掻き上げる。トゲトゲとしたダークブラウンの髪は彼女の肩を流れ、ところどころに入っているホワイトメッシュをちらつかせた。

 この人を倒せばもう私達を足止めする人はいなくなる。あと少し。

 だがそのあと少し、が辛いのだ。


 女が笑って銃を持ち上げる。銃口がこちらに向けられた瞬間、大きく上体を捻った。真横の壁からストンと音がする。見れば、壁に深く突き刺さっているのは、さっきと同じ針だ。

 視線を下げれば綺麗に磨き上げられた硬質の床に幾本もの針が散らばっていた。ぼんやりと反射する私達の姿。その周囲に散らばる針。


「まだまだいくぜ?」


 ジャキリと銃を構える女。その指が引き金にかかるのを見た瞬間、私は咄嗟に床を蹴り走り出した。

 真後ろから、ドリルで壁に穴を開けるときのような、意を震わせる振動音が聞こえてくる。ダダダ、と連続した重い音に胃が竦んだ。

 私のすぐ傍で東雲さんも攻撃から逃げていた。彼は左手にネズミくんを抱え、右手で仁科さんを引っ張り走っている。激しい攻撃の音に、ネズミくんがひゃあと悲鳴を上げて両耳を塞いでいる。


「逃げんなよ、おい!」


 乱暴に女が笑う。引き金を引きっぱなしの銃から放たれるのは、弾丸ではなく針だ。

 引き金に指をかけるだけで、何十何百という針が光の速さでこちらに飛んでくる。

 ほんの一瞬でも足を止めれば、即座に体は剣山になってしまうだろう。膨れ上がる恐怖に顔を歪める。だがすぐに唇を噛み、私は女を睨み付けた。

 息を止め、倒れるようにその場にしゃがむ。ダダダッと盛大な音と共に針が私の頭上を通り過ぎていく。走り続ける東雲さん達に気を取られた女は、咄嗟に私一人を認識することができない。

 私の動きに気付いた女が銃口をこちらに向けるより先に、私は彼女に突進する。飛んでくる針を身を低くして走ることで回避する。駆けながらナイフを振り、その切っ先で彼女の肩を狙う。床を蹴って飛ぶ。相手との距離はもう一メートルもなかった。

 しかし。頭上の螺旋階段から、何かが落ちてくる音を聞いた。女と私の顔に影がかかる。ナイフの先が女のシャツに触れるかどうかという瞬間、凄まじい衝撃が後頭部を貫いた。


「めぇ」


 目の奥で火花が弾ける。状況を理解できないままに顔から倒れた私は、頬骨を強かに打ち付け、痛みに呻いた。

 ぐわりと回る視界の端で白い色が見えた気がした。その正体を視界が捉えるより先に、今度は腹部に激痛が走る。


「あぐっ!?」


 へそを何者かに蹴られた。胃液がせり上がり、開いた口から唾を吐き出す。体を丸めて呻きかけた私は、視界の端にもう一度白い色が見えた瞬間、渾身の力を振り絞って体を転がした。私を蹴り損ねた誰かの足が、ガツン、と床を強打する。

 涙の滲んだ目で攻撃をしかけてきた者の姿を捉える。倒れる私の視界に真っ先に入ってきたのは、その者の足だった。

 蹄。

 驚きが浮かぶ。何故って、ふわふわの羊毛が生えた足が、黒い蹄の付いた足が、そこに見えたから。

 獣に蹴られたのか。そんな疑惑は、すぐに消えた。落ち着いてみればそれは作り物で、ただ獣の足をイメージして精巧に作られた靴なのだと分かったから。

 ゆっくりと視線を上げていく。細い足を包む白タイツ、繊細なレースをこれでもかと飾り付けた真っ白なスカート、同じく可憐なあしらいがされた滑らかな生地のブラウス、そして…………。


「……………………」


 その上にある顔は可愛らしいものだった。『可愛い』。今のそれは、女性の容姿を褒めるための可愛いという言葉ではなく、もっと小さい、幼い、そんな者に対して使う場合の言葉だ。

 子供だ。

 私を攻撃してきたのは、まだたった十歳ほどに見える幼い子供だった。


「めぇ」


 その子はもう一度鳴いた。カツリ、と音を鳴らした蹄に警戒心を膨らませ、同時にその場から飛び退った。

 風を切って蹴り出される足を避ける。一発で終わるわけもなく、少女は私を追ってこちらに迫ってくる。ガツンガツンと、蹄が床を踏むたび、通常ではありえない重い音が響く。


「くそっ!」


 目の前の少女は、華奢な体をしている。だが先程の攻撃はまるで屈強な男に攻撃をされたときのような重量と痛みを感じた。実は随分と力があるのか、それとも靴に仕掛けでもあるのか……。どっちでもいい。彼女の攻撃を受けたらまずい、ということだけが重要だ。

 歩きづらそうな靴なのに、少女は雲の上を歩くかのごとく軽やかに歩く。蹄が床を鳴らす重い音がアンバランスだ。

 ふわり、と少女が動くたび髪が揺れる。空気にさらりと流れる髪は、手に触れた瞬間溶ける雪のような、柔らかな白色だった。滑らかな肌までもが、白い。

 白い子供。

 真っ先にそんなことを考える。けれど白の中で唯一瞳だけが赤かった。新鮮な血液が滲むとろりとした赤い色。吸い込まれてしまいそうな怪しさを放つその瞳は今、私へ敵意を向けている。


「くっ、う!」


 蹴られた痛みがズキズキと響く。苦痛に細めた目を、直後大きく見開いて前を見つめた。女と少女が同時に構え、こちらに攻撃をしかけようとしている。銃口が、その蹄が私を狙う。やばい、と焦りが膨らんだ。

 二発分の銃声が弾けた。空を飛んだのは、針ではなく弾丸だ。それは女の銃を弾き飛ばし、少女の足元へと穴を開けた。


「ネコ!」

「東雲さん!」


 引き金を引いた東雲さんが私を呼ぶ。パッと彼の元に向かうと、彼は一度頷いてから女達を睨んだ。


「お前ら二人が今回の足止め要員か」

「酷い言い方だなぁ。ま、その通り。あたし達二人がここでお前らを食い止めるように言われてるのさ」


 なぁ? と女は少女に顔を向ける。銃弾から逃げるように女の脇に立つ少女は小さな声で、うん、と頷いた。白く長いまつ毛がふさりと揺れ、その下の赤い目が私達を見る。


「足止め。それと、お願い、するため」

「…………『自分達の仲間になれ』って?」

「そう。ボスに、頼まれたから」

「ごめんなさい。お断りします」


 誰が仲間になどなるものか。返答を分かっていた少女はそうだろうと言いたげな顔で頷く。だが女の方は、酷く苛立った様子で頭を掻いた。尖った髪が自身の指に刺さりそうなくらい乱暴に。


「…………あぁー、もう、本当……うざってぇ! まどろっこしいんだよなぁ!いちいち、いちいちこんな尋ね方しろって! 無理矢理引き入れればいいじゃんよ、なぁ!」

「ハリネズミ。静かに」


 少女が淡々とした声で女を窘める。ハリネズミ、と私が繰り返すように呟けば、女がこちらを見てふと気が付いた様子で言った。


「自己紹介、まだだったな? あたしはハリネズミ。そんでこっちは、ヒツジ。どっちも可愛い生き物だろ?」


 酷く可笑しそうな声でハリネズミが笑う。ヒツジという少女はそれを横目で見て、静かに、ともう一度窘めるだけだ。

 ハリネズミとヒツジ。確かにどちらも可愛い動物だ。けれどこうして敵として対峙するのはまた別の問題だ。

 ハリネズミさんがゆるりと銃口を振る。思わず肩に力を込め、いつでも走れる準備を整えようとする。


「マスター?」


 ネズミくんの声に目を向けた。私と東雲さんの後ろにいる仁科さん達。その仁科さんが、胸を押さえ、大きく肩を上下させていた。息が荒い。もぉー、と不満げな声を上げるネズミくんが服の裾を掴んで、何度も引っ張る。


「なんでとまるの? すわっちゃだめだよ。マスター、はしろうよ。ねぇ、ま」


 ますたぁ、と続けようとしたネズミくんの声は途切れる。代わりにぶぉんと風を切る音がして、彼が吹き飛んだ。呆けた顔をする私の前で、宙を飛んだネズミくんの体が壁に叩き付けられる。


「ギャ!」

「仁科さん!?」


 彼の狂行に目を剥いた。小さな体を振り払った仁科さんへと顔を振る。

 仁科さん、と声をかければ俯いていた彼はゆっくりと顔を上げる。


「仁科…………さん?」


 ふぅ、と荒げた息が彼の口から零れた。

 血走った目が私を睨む。苛立ちを過度に含んだ視線に、ぞくりと恐怖が込み上げた。

 顔が赤い。苦しそうに肩を上下させた仁科さんは、一歩こちらに近付こうとして、ふらりと足を崩した。思わず駆け寄ろうとした。背を丸める彼に手を伸ばそうとした。

 ヒュゥ、と鋭い笛の音がした。それが目の前から聞こえたものだと、仁科さんの足が風を切る音だと、咄嗟に理解できなかった。


「かふっ!」


 靴底が地面から浮いたと思った直後、背中が壁にぶつかった。

 何が起こったのか分からない。ただただ全身を襲う衝撃に息を詰めた後、遅れて激しい痛みがじわりと全身を包み込む。

 胃から込み上げる酸っぱい唾を吐き出す。酸素を取り込むため潰れた肺を膨らませようとした私は、眼前に迫る仁科さんの姿を見た。

 全力で横に顔を反らす。バコン、と脳味噌を揺らす大きな音が真横から聞こえた。向けた視界に映ったのは、仁科さんの拳によってへこんだ壁だった。骨ばった拳が固い材質の壁をへこませ、零れる破片に、血を滲ませている。

 固まる私へ仁科さんの視線が向けられた。白い髪の隙間から覗く、殺気立った真っ赤な目。


「ひっ…………」


 足が竦んで動けない。向かってくる拳を避けることができない。

 しかし、仁科さんが振り下ろした拳は私の鼻先を掠めた。首を掴まれ後ろに飛ばされた私は、そのまま床に尻餅を突く。


「白ウサギ!」


 私の前に躍り出た東雲さんが仁科さんへと銃口を向ける。威嚇のために放った一発は、仁科さんの肩すれすれを掠め、壁を抉った。しかし彼は恐怖一つ浮かべない。ふっと息を吐き、床を蹴る。

 ぐんっと、まるでロープで引っ張られたかのように、仁科さんは勢い良くこちらに飛んできた。ウサギ、という名がよく似合う、驚異的な跳躍力。

 東雲さんが手にした銃へ仁科さんが足を振り下ろした。床に叩き付けられた銃に舌打ちをして、東雲さんは顔の前で両腕を組む。再度振り下ろされた蹴りを、その腕で受け止める。


「ぐっ…………ぅ!」


 蹴りは重い。東雲さんが苦痛に顔を歪め、耐えきれずその場に膝を突いてしまう。その隙を相手が狙わぬはずがない。軽やかに着地した仁科さんが東雲さんの顎を蹴り上げる。

 細腕が、仰け反る東雲さんの首を掴み、そのまま壁へと叩きつけた。目を見開いた東雲さんの口から、がは、と空気が吐き出される。

 仁科さんは徐々に腕を上げていった。東雲さんの靴底が床から離れ、爪先さえも届かなくなる。苦悶の表情を浮かべた東雲さんが必死に仁科さんの腹を蹴ろうとするも、器用に足で押さえられ、動けない。仁科さんの手に力が込められる。ミシリ、と嫌な音がした。


「やめてっ!」


 私は叫びながら仁科さんへと突進した。足を狙って体をぶつければ、彼は床に転がった。壁にずるりと背をつく東雲さんの肩を支えれば、彼は汗ばんだ顔で息をしてから、私の手を引いて仁科さんから距離を取った。


「白ウサギ…………!」


 掠れた声で怒鳴った東雲さんは、すぐにハッと神妙な顔で仁科さんを見る。隣で同じ光景を見ていた私も、同じ反応を示した。


「…………うぅ」


 ゆらりと立った仁科さんは、酷く気分が悪そうに頭を振る。うー、うー、と獣のように唸り、剥き出しにした犬歯を擦り合わせる。

 鋭い眼光が私達を射貫く。ぐしゃりと前髪を掻いた彼は、その口を大きく開けた。


「あー。あ、ぁ。あー……! ああああ――――っ!」


 それはもはや絶叫だった。髪の毛を引っ掻いて背を丸め、仁科さんは何度も叫ぶ。顔を真っ赤にして目を血走らせ、ボタボタと口から涎を垂らしながら。

 様子がおかしい。いつもの仁科さんとはまるで違う人物がそこにいた。だって仁科さんはいつも、感情を剥き出しにすることなんてない、ぼんやりとしている人だ。

 それが今はどうだ。こんなにも叫び、顔を赤くする。これが仁科さんだとは到底思えない。


「あははっ」


 笑い声がした。見れば、螺旋階段に座るハリネズミさんがこちらを見て楽しそうな笑みを浮かべていた。その隣でヒツジちゃんも、無感情な目をこちらに向けている。


「仲間割れをする気分はどうだ?」

「っ……、仁科さんに、何をしたんですか!」


 十中八九、彼女達が何かをやらかしたに違いない。私が吠えれば、ハリネズミさんは可笑しそうに笑って、腕を振る。そこに握られている銃が重々しい金属の色を光らせる。


「お前達、さっきキノコを殺したよなぁ?」


 彼女の言葉に先程の戦いを思い出す。胞子により幻覚を見せ、私達を翻弄してきた、厄介な敵。苦労して倒した彼の話が出てきたことに、私は訝し気な視線を返す。


「あいつの薬は便利なのさ。幻覚を見せる薬だけじゃない。神経を過敏にする薬も、粘膜に触れれば全身を激痛に悩ませる薬も、痛みを緩和させる薬だって、なんだって作れた」


 だからさぁ、と彼女は引き金を引いた。ストン、と針が誰もいない壁に突き刺さる。鋭い針。簡単に人の表皮に穴を開け、その先の肉を抉る針。


「人を興奮させて乱暴にする薬ってのもあるんだぜ?」


 まさか、と仁科さんを見る。鋭い眼光に険しい顔付き。見ているだけでざわざわと恐怖が込み上げるほどに恐ろしい相貌は、狂暴化したものだと言われれば、納得ができた。

 エレベーターから降りるときに私達へと飛んできた針。私達の中で唯一、その攻撃を受けてしまったのは仁科さんだ。その先端に薬が塗られていたのだとすれば。

 正規に処方される薬には副作用がある。その中には精神を昂らせたり、乱暴になったり、意味もなく苛立ちを感じてしまう、というものもある。仁科さんが受けたそれは副作用なんてものではなく、その効果をより高めた薬。仁科さんでさえこれほどまでに荒ぶるほどの強力な薬。


「……ネコ」

「…………オオカミ、さん」


 私と東雲さんはごくりと喉を鳴らした。緊張に滲んだ汗が、頬を濡らす。

 この明星市にはたくさんの殺し屋がいる。殺し屋ネコ、殺し屋オオカミ。生き物の名前が付けられた殺し屋達は何十と存在する。

 オオカミさんはその中でも屈指の人物だ。殺し屋の中で、オオカミという存在を知らぬ者はほぼいない。そんな実力のある殺し屋。

 その彼は仁科さんのことを、以前、こう言っていた。

 『本気を出せばきっと殺し屋の誰よりも強い』。


「……………………」


 私と東雲さんの沈黙が重なる。

 手汗で滑るナイフをぎゅうっと強く掴めど、指の震えは押さえきれなかった。


 仁科浩介。殺し屋、通称白ウサギ。

 最強の殺し屋は今、最悪の状態で、私達の敵となった。

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