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第12話 先輩と花壇

 十月二十八日、月曜日。月曜日は毎週どこか億劫な空気が漂うものだが、今日のそれはまた特に重苦しかった。それもそのはず。この土日には道仏高校の文化祭があった。先生達の都合なのか代休はないようで、今日からすぐ普段通りの授業が再開される。

 文化祭は大いに盛り上がったようだと生徒達の会話で聞いた。だから、代休も挟まず翌日から始まる授業が億劫で仕方ないのだ。一、二時間目は文化祭の後片付けのはずだが、真剣に作業をしている人は少ない。誰もが面倒そうにゴミを丸めていたり駄弁っていたりと思い思いの自由時間。そんな中、私は黙々とゴミ袋を手に教室とゴミ捨て場までを何度も往復した。


 文化祭に参加しなかった私は、クラスとの間に明確な一線を引いた気がする。そう思ったのは今朝登校したときのことだった。

 教室に入った途端聞こえてきたのは楽しげな話し声。けれどその全てはこの二日間の文化祭の話題。ドーナツがよく売れた、あそこの出し物が面白かった、体育館のライブが感動した。どれもこれも私にはさっぱり分からないものだった。

 当たり前のように青春の一ページとして皆の心に刻まれる思い出。高校時代のアルバムに深く刻まれるであろうそのイベントに参加しなかっただけで、クラスの絆からは弾かれる。

 でも後悔はしていない。参加したところで楽しめはしないのだから。私が髪を染めたところで、自分を変えようとしたところで、皆がそう簡単に私を仲間に入れてくれるわけはないんだから。

 道仏高校では三年間クラス替えがない。三年間ずっと、私とクラスメート達が仲良くなることはこれからも決してないだろう。


 まあそんなこととは関係なく文化祭の後片付けだ。息を吐きながらゴミ袋を持ち直す。もう何度も捨てに行っているはずなのに、後から後からゴミが溢れていく気がする。

 半透明な袋に入っているのは、カラフルな紙花や紙テープで作られた星、モール、それから輪繋ぎ……。お祭りの残骸のようなそれを見ていると少し物悲しいものが込み上げる。

 切ない気持ちを引き立てるように、冷たい風がひゅうひゅうと身にしみた。地面を見下ろせば、赤や黄色に色付いた落ち葉のほとんどが茶色く枯れかけていた。十一月に入れば、冬の気配も一層感じられるのだろうと思った。



 ゴミ捨て場は校舎の端にある。夏はともかく、寒くなってきたこの季節、そんな遠くまで重い袋を持っていくゴミ捨て係は当然のごとく嫌厭けんえんされていた。だからか、着いたところで人気はない。ゴミを放り投げ、ふーっと手を払った。

 あと三回は往復しなきゃ、教室に戻ろう。

 そう思い歩き始めた私の視界に雪の色がちらついた。


「雪?」


 地面の一箇所が白くなっていた。雪、にしてはまだ早すぎる。何だろうと思いつつ近づいてみると、それが花壇に植えられた白い花だということに気が付いた。

 ふわふわと可愛らしい小さな花。マーガレットだろうか? それが、小さな花壇に咲き誇る。それはまるでそこにだけ雪が積もっているようで、しんと心にしみるように綺麗だった。

 思わずしゃがみ、そっとその花弁に触れる。柔らかく滑らかな感触。微笑みながら風に揺れる花を見ていると、突然背中を強く押された。


「うっ、わ――」


 体勢を立て直す暇もなく目の前の花壇に手を突く。湿った土に手が滑り、そのまま花壇の中に倒れ込んでしまった。体の下で花が潰れる。



「何で避けないの? ドンくさいわね」

「……おはよう、一条さん」


 馬鹿にするような声。低く返事をしながら振り向くと、そこに愉快そうな笑顔を浮かべる一条さんが立っていた。両手に下げたゴミ袋がゆらゆらと揺れている。……背中に汚い汁が付いていなければいいけど、とぼんやり思った。


「文化祭来なかったでしょ秋月。楽しかったわよー? いっぱい売れたし、他のクラスの店も面白かったし。終わった後に皆で打ち上げもしたんだから」

「そうなの、良かったね」

「……何その素っ気ない返事。どうせ本当は羨ましくてしょうがないんでしょ、正直になりなさいよ。自分が楽しくないからって勝手に休まれても迷惑だったんだけど」

「え? 一条さん、私に来てほしかったの?」

「は? そんなわけないじゃん、馬鹿じゃないの?」


 ゴミ捨て係に決まってるでしょ、と嫌そうに言い切った一条さんに苦笑する。

 そういえば、と彼女が持っているゴミ袋を見つめた。その視線に気付いた彼女が、何よ、と唇を尖らせる。


「一条さんもゴミ捨てやってくれてるんだ。意外と真面目なんだね。頑張ってるね」


 私としては本心からそう思った上での台詞だった。

 けれどそういった瞬間、一条さんの顔色がサッと険しくなる。口の隙間から犬歯が覗いた。


「やめてくれる、そう言うの」


 私がキョトンと呆けていると、彼女はまた同じ言葉を吐いて、続けた。


「『頑張ってるね』なんて言わないで。私は頑張ってない。ただ暇だったからやってるだけで、当たり前のことでしょ」

「え……と、一条さん?」

「私は頑張ってない」


 一条さんの目に、チリチリと弾けるような炎の色が浮かんだ。ゆらりと下がっていた手に血管が浮く。堪らず謝罪の言葉を呟いたところで遅かった。

 強引に乱暴に伸びた腕が前髪を掴む。無理矢理に顔を上げることになるも、髪を引く力は一向に弱まらない。


「痛っ! やめて、痛い!」

「どうして髪なんか染めたのよ? 似合うとか思ってんの? ……それに、あんなにガッシリ制服着てたくせに何? セーターだけだし、シャツのボタンは一個取ってるし、リボンだってないじゃない。よく見ればスカートまで短くしてる。調子乗ってんの?」

「い、一条さんだって髪染めてるし、制服緩いじゃん!」

「私はいいの!」


 理不尽だと思った瞬間彼女が手を離し、私の胸を強く押す。また花壇にしりもちをついてしまった。


「美人がオシャレするから可愛くなるんじゃない。あんたみたいなブスがオシャレしたって目に毒なだけでしょ。それとも何、男ウケでも狙ってんの? だったら先に化粧ぐらいしたらどう」

「別に男の人はどうだって……私はただ、自分自身が満足できる姿になりたくて……」


 気持ちわるっと一条さんが吐き捨てる。頭に血が上り、屈辱と羞恥に顔が熱くなった。


「ところでその花壇」と一条さんは私が座る花壇を指差して「そこ、動物のお墓に使われてるの知ってる?」

「えっ!?」


 思わず座る花壇を見下ろした。濡れた土、潰れた白い花が手に張り付く。それがゾッとおぞましいものに思えて悲鳴を上げながら手を振った。一条さんがお腹を抱えて笑う。

 ぐっと泣きそうなのを堪えて俯いたとき、不意に誰かの声がした。



「こら、何してるの?」



 パッと一条さんが振り向く。私も顔を上げる。そこに、ゴミ袋を持った一人の男子生徒が立っていた。

 黒い天然パーマに黒いセーター……思い出した、この人、この間職員室で見かけたあの人だ。

 朗らかな笑みを浮かべて私達を見下ろしつつも、その細められた目に楽しげな色は浮かばない。私達のことを注意深く窺っているような目だった。

 一条さんがぎこちなく体を揺らし、戸惑うように声を零す。


「す、すばる先輩」

「僕のこと知ってるんだ? 嬉しいな。……えっと、君は?」

「一年の一条えりなです! 昴先輩、昨日の文化祭で二組のドーナツ買いに来てくれましたよね?」

「あー、あれか! うん美味しかった。砂糖がけのやつとか」


 キャッキャと楽しげに話す二人を、しばしポカンと見つめていた。一条さんの頬に仄かに朱色が差しているのに気付く。何これ、っていうか、一体何者なのこの昴って人。

 と、目が合った。彼は柔らかな笑みを浮かべ、私から顔を逸らして一条さんを見る。


「えりなちゃん。こっちの子は友達かな? 駄目だよぉ、こんなことしちゃ。仲が良くても限度ってものがあるんだから」

「あ……はい、すみません」


 一条さんが言って私に向き直る。彼から顔を隠す角度で、ごめんねと一言謝ってきた。嫌悪に歪んだ顔で。苦く笑い返すと、一条さんはそのまま先輩にだけ頭を下げ、「私そろそろ戻りますね」とゴミを捨てて校舎へと駆け去って行った。

 それを見届けてから彼が動く。しりもちをついたままの私にそっと手を差し伸べてきた。その手を掴もうか僅かに戸惑って、結局手の土を念入りに払ってから右手で握り返す。

 ベタリとした感触があった。


「ん?」


 そのまま私は体を引き起こされる。濡れたスカートがお尻に張り付いて気持ち悪い。けれどスカートの汚れを落とす前に右手を開く。赤と黒のべたべたとしたもの……絵具?


「大丈夫? 秋月和子ちゃん」

「すみません、どこかで挨拶したことありましたっけ?」


 どうして私の名前を知っている?

 もしかしたら前に一度、どこかで出会っていたのかもしれない。そう思い尋ねた台詞だったが、彼は微笑んで「ないよ」と言った。


「ただ噂を聞いてね」

「噂? 私の?」

「うん。学校中でそれなりに話題になってるの、やっぱり本人には聞こえないかな。『中途半端な高校デビュー』だって」


 あはは、と乾いた笑いが零れた。

 適格な表現だ。一年の二学期になって、それも夏休み明けではなく秋の終盤になって。急に格好を崩し始めた生徒はそんな風にしか見えないだろう。

 でも特に目立たない私一人がそうしたところで、噂ってそんなに広まるものなのかな?

 彼がふと私の手を見て、そこに付着した絵具に気が付いた。


「ごめん、そういえば手を洗うの忘れてた。さっきまで絵を描いてたものだから」

「美術部なんですね」

「うん。ほんとは三年生が部長のはずなんだけど、ほとんど受験勉強に忙しかったり幽霊部員とかでさ、僕が部長なんだ」


 説明してから、そうだ自己紹介がまだだった、と彼が平手を打つ。ふにゃりと微笑み、小首を傾げながら口を開く。


「僕は二年四組、一年ひととせ昴。昴先輩って呼んでくれると嬉しいな」

「昴先輩ですか?」

「そうそう。ひととせって、漢字で書くと一年いちねんって書くからさ。二年生になってまで下級生みたいなんて、嫌なんだよね」


 去年は良かったんだよ去年は、と溜息を付く昴先輩に笑ってしまった。彼もまた微笑むのを見て、話しやすい人だと思った。



 ここの花壇、管理してるの僕なんだ。不意に昴先輩が言った言葉に目を見開いた。花壇の管理。ついさっきまで私が倒れていた、足元の花壇。バッと弾かれたように足元を見下ろすと、痛々しく潰れた白い花が土に汚れていた。


「ごめんなさい! 私さっき、お花潰しちゃった……」


 身を硬くしてしどろもどろに謝罪すると、何で謝るのと昴先輩が笑った。ワザと転んだわけじゃないんでしょう? と続けて言われ、ぎこちなく首を折った。


「じゃあ和子ちゃんが謝ることじゃない。雪が降る前にもう一度くらい、花も新しいのに変えようと思ってたところだしさ。動物達だって同じ花ばかりじゃ飽きそうだ」


 彼が花壇を前にしゃがむ。躊躇うことなく湿った土を優しく撫でる。

 動物のお墓に使われている花壇だと一条さんは言っていた。この冷たい土の下に動物が埋められているのかと思うと、少し悲しい気持ちになる。

 一体どんな動物が何匹埋葬されているのだろう。



「――交通事故とか、捨てられたまま息絶えていたとか。ああ、最近だと噂の動物殺しの被害にあったっぽいのもいたな」

「え?」

「ここに埋められてる動物達だよ。皆、路上にゴミみたいに転がっててさ。放っておけなくて」


 可哀想に、と囁きながら昴先輩が潰れた花に触れる。ふと切なくその目が細められる。目尻に一瞬しわが寄った。


「誕生日はいつ?」

「……………………」

「和子ちゃん?」

「あっ、はい! ……えっと、六月六日です」

「そっか。じゃあ次に植えるのはその日の誕生日花にしよう。きっと綺麗だよ」


 立ち上がり、笑みながら言う彼に、私も照れた笑顔を浮かべる。

 チャイムが授業の終わりを告げる。私達は揃って顔を見合わせてから、同時に小さく頷いた。


「それじゃあ和子ちゃん」

「はい、昴先輩」


 またね、と言って昴先輩が去っていく。校舎の角を曲がる前、二階の窓から誰かが彼を呼んだ。それに手を振りながら昴先輩は姿を消す。

 それを見届けてから、私は手に付いた絵具を落とすために近くの水道へと駆け寄った。

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