第104話 二人だけの結婚式を
誰かに愛されるというのはとても幸せなことだ。
「ただいま和子ちゃん」
「おかえりなさいっ昴先輩!」
部屋にやって来た先輩の元に、私は一目散に駆け寄った。飛び付く私の頭を撫でながら先輩が幸せそうに微笑む。廊下の鍵をコトリとテーブルに置く。あまりにも無造作に。けれど、私はそれに手を伸ばさない。鍵の傍には随分前に私の手足から外れた手錠と足枷が並べられていた。
寂しかったと頬をすり寄せて甘えれば、僕もだよと彼が言う。些細なやり取りにさえ私は満足げに頬を緩めた。
先輩が学校に行っている間。私は部屋で一人、映画を見たり、ぼんやりして時間を過ごすようになった。勝手に外に出たことはない。あのとき以来、一度もだ。といっても私がここに来てからどれだけの日数がたったのかは分からない。体感的にはもう数週間が過ぎているような気もする。けれど実際はそんなにたっているわけじゃないのだろう。先輩がいまだ制服を着て登校しているのだから、卒業式さえ迎えていないはず。
この部屋はまるで時間が流れていない世界みたいだ。私と先輩二人だけの世界で、朝を一緒に過ごして彼が登校するのを見送って、昼はずっと一人で過ごし、夜に帰って来た先輩を出迎える生活がずっと続いている。
「新婚さんみたいですね」
ベッドの上で、先輩の膝の間に座りながら言った。新婚かぁ、と先輩が目尻を赤らめる。
「エプロン姿の和子ちゃんに『おかえりなさい、あなた』って出迎えてもらいたいなぁ」
「腕によりをかけた料理を振舞いましょう」
「和子ちゃんの手料理だったら、焦げてても完食できるよ」
「ひっどーい! 私だって最近料理練習してるんですからね」
肉じゃがだって美味しく作れるようになったんだから。
苛立ちをぶつけるように先輩の胸にポスポスと後頭部をぶつける。先輩は私の手錠を擦りながら笑った。
「新婚さんか」
素敵な響きだな、と先輩がうっとりとした溜息を零す。私は振り返り、柔らかな顔をした先輩を見た。
「愛する人と結ばれるのは幸せなことだね」
「ええ」
誰かに愛されるというのはとても幸せなことだ。
そのことはとても、よく分かっている。
先輩が私の手に自分の手を重ねた。私の手を包み込んだその指が、左の手の薬指をなぞる。
根元、筋、爪の先。彼の手の平が最初はやんわりと、そして力強く一本の指を握った。
「ねえ和子ちゃん」
「…………なんですか昴先輩」
私は目を閉じて先輩にもたれかかった。私の頬に流れた横髪が彼の指で払われる。
吐息混じりの声が、すぐ耳元で聞こえた。
「――――結婚式を挙げようか」
女の子なら誰でも、いや、男の子だって。愛する人がいれば誰だって結婚式に憧れる。
幼い頃は特に夢を見ていた。美しい真っ白なドレスに身を包み、愛する人とキスを交わす花嫁さんになりたかった。
今でもそうなりたいと願っている。
「どんな結婚式がいい?」
「綺麗な場所で挙げたいな。海とか、やっぱり憧れます」
「森の中なんてのも素敵だろう」
「鹿やリスでも連れて?」
「ふふ……いいね、メルヘンチックだ」
「お花をいっぱい飾り付けるのも素敵だなぁ。いい匂いが広がって。きっと綺麗ですよ」
「じゃあ今からたくさん花を育てなきゃ」
私はベッドを指でなぞり、いくつもの透明な花を描いていく。美しい花、可愛い花、鮮やかな花を周りに散らした。
俯くと頭に被ったシーツが顔に影を落とす。先輩の手が私の前髪を軽く掻き上げた。明るくなった視界の先で、微笑む彼の顔が見える。
「綺麗だよ」
嬉しい、と私は笑った。
「本当に花嫁さんみたいだ」
「……ただシーツを被っただけですよ」
「ううん、和子ちゃん、凄く綺麗だ」
「……………………」
「本当に、綺麗だ」
先輩がうっとりと私の頬を撫でる。気のせいか、その指先は微かに震えていた。
ヴェールの代わりにシーツを被って。ドレスの代わりにワンピースを着て。綺麗な教会の代わりに薄暗い小さな部屋で。指輪なんてないけれど、私達は結婚式の真似事をする。
ただのごっこ遊びのようなものだった。他にやることなんてなんにもないから、退屈しのぎのただの遊び。ただの真似事。
でもきっと先輩は。ずっとずっと、私とこうすることを望んでいたのだろう。
「結婚式って何をするのかよく分からないんです」
「簡単だよ。愛を誓い合えばいい」
「それだけ?」
「それだけさ」
結婚式なんて出席したことがないから勝手は分からない。だけど先輩がそういうのなら、きっとそれでいいんだ。
先輩の瞳に間接照明のオレンジ色が揺れている。静かな部屋に、そっと泳ぐように先輩の声が響く。
「良きときも、悪しきときも、富めるときも、貧しきときも、病める時も、健やかなる時も。死ぬまでずっと、死んでからだって、僕は和子ちゃんを愛しているよ」
はぁ、と先輩が震えた息を吐く。緊張でもしているのか。歪んだ表情と、今にも泣きそうに揺れる瞳が私を見つめる。
「――――ずっと好きだったんだ、君のこと」
言葉に重さがあるのなら、きっと先輩の声は随分と重いものだったろう。しっとりと濡れていて、少し震えた、重い声が私に絡みつく。
絶対に逃がしたくないとでもいうかのように。
「入学式のときに君を見つけて、それから目で追っているうちに好きになった。コロコロと表情を変える素直な君に惹かれたんだ」
「……ええ、聞きました。あなたが自分をカラスと呼んだ日に」
「でも本当はそれだけじゃないんだよ」
それだけじゃない?
目を丸くして彼を見た。
あの日、私が先輩の正体を知った日。彼は私を好きになった理由を教えてくれた。けれどそれ以外のことを、私は知らない。
きっと覚えていないだろう、と呟いて彼は続ける。
「部活見学の日があったろう。あのとき、君は僕の絵を見てくれた」
言われてふと蘇った記憶があった。
入学して数日後にあった部活動見学。いくつかの部活を見て回って、結局どの部活にも入ることはなかったけれど。
確かにどこかで絵を見たはずだ。絵画のように飾られたいくつかの絵を。
「僕ら美術部は文芸部と同じ教室で作品を展示していた。色んな人が来てくれたみたいだけど、ほとんどは一瞥して帰ってしまうような、本気の子達ではなかったんだろう。僕は教室を抜けて辺りをふらついていた。受付役も足りていたし、なにより自分の作品を見たくなかったからね」
「見たくなかった?」
「酷い作品だったから」
そう言って先輩が苦笑する。
「本当は展示する予定のものも一部の部員のものだけだったんだけど。締め切りに間に合わないとかで、数日前に急遽僕にも作品を描いてくれないかって頼まれたんだ。だけど絵なんてそう簡単に描けるものじゃない。イライラと焦りが混じった挙句、できた絵は随分と荒っぽいものだった。色んな色を塗りたくっただけの稚拙な作品だった。昴くんらしくないって当時の部長にも言われたよ」
先輩は困ったように微笑んだ。その微笑みの理由がなんとなく分かる気がした。先輩らしい作品。それは多分、昴くんらしくないねと言われた絵の方なのだろう。
本人が稚拙だと言っていても。人の目を気にして描いた作品より、怒りでも喜びでも感情のままに描いた作品の方が彼らしい。ただ綺麗な絵なんかよりよっぽど。
私が初めて本当の彼の作品を見たとき。気味が悪いと思った。酷いものだと思った。だけど、あの絵こそ先輩が皆に伝えたかった表現なんじゃないだろうか。
「終了間際に教室に戻ったときもまだ何人かが教室で絵を見ていた。僕の絵を見てくれる子も。だけどどの子も顔を顰めて、『よく分からない絵だね』って通り過ぎていくだけだった。そして、君が来た」
「私?」
「君は教室に入ってから、キョロキョロと作品を見て適当に歩いていた。この子もどうせ入部はしないんだろうなって思いながら僕は片付けの準備を進めていたよ。最後の方で暇だったんだろうね。部長が君に話しかけたの、覚えてる?」
絵に興味はある?
部長は私にそう話しかけたらしい。だけど生憎、会話は記憶には残っていなかった。先輩の言う通り、さほど絵には興味がない。展示を見に行ったことだってただの興味本位だったのだろうと思う。
「『難しそうだから』、君はそう言って曖昧に笑った。部長はそれでも会話を続けようとしてた」
慣れると簡単だよ。
絵を描くのはそれほど得意じゃないんです。
心を表現するのが芸術ってものだよ。上手い下手は関係ない。ほら、この作品だって意味はよく分からないだろう?
「そう言って部長が僕の作品を指差した。ムッとしたね。そんな説明の例題に挙げられたくはなかったよ」
意味がよく分からない作品。言われて嬉しいと感じる人はそれほどいないのではないか。
だけど先輩の絵を見た私はこう言ったらしい。
「『私、この絵好きです』」
先輩の唇が過去の私の言葉を紡ぐ。
淡々とした声の中に、微かな喜びが滲んでいた。
「『よく分からないけど嫌いじゃないです』って。そう言って君は笑ってた。展示が終わったら作品は廃棄しようと思ってたんだ。……だけどできなかった。恥ずかしいとさえ思っていた作品だったのに、捨てられなかったんだ。だって誰かに僕を認めてもらったから」
当時の私がどんな思いでその作品を見ていたのかは知らない。もしかしたら、お世辞だったのかもしれない。何も考えず適当に言っただけかもしれない。単純に好きな色が使われていたからとか、そんな理由だったかもしれない。
記憶にさえ残っていないほど私の中では些細な言葉だった。先輩にとってはそうじゃなかった。
これほどまでに私を愛するきっかけの言葉だった。
「嬉しかったんだ。凄く嬉しかったんだ。僕は、本当に嬉しかったんだよ、和子ちゃん」
「……私以外にも、きっと先輩の絵を好きだって思った子はいます。私じゃなくたって、きっと、きっと誰かがあなたのことを本当に好きになってくれた」
「それでも。初めてだったから。初めて、僕の絵を、僕を、認めてくれたのが君だったから」
先輩が強く私の肩を掴む。ぐっと息を詰まらせたような切ない顔で、先輩は震える声を吐き出す。
「僕を認めてくれたから。だから僕は、君が好きなんだよ」
何も言えなかった。
少なくとも、純粋に先輩の絵を好きだって思えたのは多分その一回だけだ。展示されていた絵と準備室に隠されていた絵は違う。もしも見学のとき展示されていたのが隠されていた方の絵だとしたら、絶対にこの絵が好きだなんて言わなかった。
先輩は私が彼を否定したとき、どんな思いだったのか。一度は自分を認めてくれた相手から拒絶されるのはどんなに辛かったろうか。笑顔の裏にどんな悲哀を隠していたろうか。
私の言葉が彼をおかしくしてしまったのかもしれない。
何気ない、本当に何気ない一言が、彼を崩してしまった。
「……誓いのキスをしよう」
仕切り直そうと先輩は声音を変えた。激情を潜めた、優しい声。
私は一度声を上げようとして、それから何も言わないまま唇を閉ざして、無言で小さく頷いた。
「好きだよ和子ちゃん」
「……嬉しいです」
先輩は薄い笑みを浮かべて私の頬を包むように両手を這わせる。緩く顎を持ち上げられ、彼の顔が近付いた。
ガラス細工に触れるかのような優しいキスをされる。食むように、触れるように、何度も何度も彼の唇が私に触れる。
厭らしさはなかった。ただ、狂おしいほどの愛情に溢れていた。
プールでされたときの熱くも冷たいものでもなく。嫌がる私を押し付けるような恐ろしいものでもなく。心の底から好きだと、愛していると、そう伝えてくるような。あまりにも優しい愛おしさに溢れた熱だった。
「……………………」
私の目尻から一筋の涙が流れた。
先輩の思いが私の胸を締め付けた。
彼はこんなに私のことを好きなんだって。こんなに愛してくれているんだって。
本当に嬉しかった。
「せんぱい」
先輩。
私はあなたのことが。
ガリッと唇に噛み付かれた衝撃に、先輩が肩を跳ねて咄嗟に体を離した。私は構えていた拳でその顔を殴り飛ばす。
素早くテーブルに手を伸ばし手錠を掴んだ。先輩が体勢を立て直す前にその両手に手錠をかける。
「…………ああ」
両手にかかった手錠を見て先輩が何とも形容しがたい声で呟いた。彼を一瞥し、ベッドから降りた私は鍵を取って扉に走る。
キスをする唇と、噛み付く歯は同じ口。そう言っていたのは真理亜さんだったか。無言で部屋を出ようとする私に先輩が声をかけた。
「一人で出られるかな?」
「馬鹿にしないで」
冷たく言葉を吐く。睨み付けたつもりだが、彼から見た顔がどんなものだったかは分からない。
「あなたがいなくても私は平気だから」
言い捨てて部屋を出た。通路の先、扉の鍵穴に鍵を差し込む。
急がなくては。きっと先輩は手錠の鍵を持っている。あんな拘束、一時の時間稼ぎにしかならない。
鍵は難なく開いた。ダミーの鍵ではなくて良かったとほっと息を吐く。しかし扉を開け放ちその先に飛び込んだ私は、一瞬思わず足を止めた。
「階段…………」
先にあったのは外ではなく階段だった。人一人ずつしか歩けないだろう狭い階段が上に向かって続いている。前回出たときは先輩に気を取られていたせいで分からなかった。
剥き出しのコンクリートが冷たく階段の周囲を囲っている。ひやりと冷えた空気が肌に纏わりつく。
地下室。今まで自分がいた場所は地上ではなかったのか。
一瞬戸惑ったものの、すぐに階段を数段飛ばしで駆け上がる。上りきった先の扉も押し上げて身を乗り出すように転がり出た。
そこはなんだかよく分からない空間だった。体が欠けた銅像が置かれている。干からびた水槽が並んでいる。枯草がばら撒かれ、ランタンが転がっている。物置のような広い部屋だ。
窓はあった。けれど駆け寄ってみると、そこには鉄格子がはめられていた。必死に揺すってみるも動かない。そうしている間に、階段の方から声が聞こえてきた。
「ほら、早く逃げないと捕まえちゃうよ」
ぞっと全身が粟立つ。
トン、トンとわざとかと思うくらいゆっくりとした足音が階下から聞こえてきた。咄嗟に何かで扉に重石をできないかと部屋を見回すもすぐに重石にできそうなものはない。別の部屋から重石を運んでこようにも、そんな時間はない。
部屋を飛び出して廊下に出る。廊下にも段ボールやぬいぐるみなど大量の物が散乱していた。玄関に向かって走ろうとして、近くの段ボールに足を取られる。中身をぶちまけながら盛大に転んだ私の眼前に、ゴトリと拳銃が降ってきた。
一瞬ギョッとして、それからおもちゃかと考えて胸を落ち着かせて、だけどもう一度よく見てそれが本物であると確信してまたギョッとした。
今しがた蹴り飛ばした段ボールを見ると、そこから散らばっていたのは過激な道具の山だった。銃、ナイフ、ロープ、金鎚、ハサミ、……。そのほとんどに赤茶色の汚れが付き、共に入っていたボロボロの手袋にも同じ汚れが付いていた。
殺し屋カラス。彼がどんな風に仕事をしているか知ろうとしたことはない。
だけどこの道具を見ただけで、どんな風に人を追い詰め、どんな風に殺しているのか。その一端を垣間見た気がした。
「っ」
足音が聞こえた。目の前にあった銃を取り、床を蹴りつけるように立ち上がる。廊下の先に見えた玄関らしい扉に向かって一目散に駆ける。鍵がかかっていてもこの銃で鍵を壊せばいけるのでは、という考えを思い浮かべた。
しかし数歩もいかないうちに背後から空気が破裂したような音がした。同時に、頬の横を通り過ぎていった小さな塊が玄関の扉に当たり、床に転がる。弾丸だった。
思わず足を止め振り返る。落ち着いた足取りでゆったりこちらに歩いてくる先輩は、その手に銃を握っていた。
「ああもう、暴れん坊だな」
私が構えた銃を見て先輩も足を止める。お互いに構えた銃が相手を狙っていた。
「ここから出して」
「ずっとここにいればいいじゃないか」
「そんなのごめんだ」
「先輩って甘えてくれていたのに」
残念だなぁ、と肩を竦める彼を睨む。銃口をぐっと彼に向け、強く否定の言葉を吐いた。
「あなたのことを、心から、昴先輩って呼んでいたわけじゃない」
苗字で呼ばれるのが嫌だと言っていた彼のことを、私は一年先輩と呼んでいた。
監禁されて甘えるフリをし出してから、私は彼を昴先輩と呼んでいた。
だけど心の中でまで、昴先輩とは呼んでいなかった。
そんなの分からないよと先輩は苦笑した。
「銃を下ろしてください」
「じゃあそっちが先に下ろしなよ」
「嫌です」
私が手を下ろした途端に撃ってくることは分かっていた。銃弾に撃たれ崩れ落ちる私を、彼は笑顔で地下室に引き戻すだろう。
硬直状態が続く。仕方ないなぁ、と先輩が笑顔を浮かべた。
「じゃあこうしよう。いち、にの、さんで同時に下ろす。それなら問題ないだろう?」
「……その合図、ガンマンの早打ち勝負みたいなものですよね」
「せーの、で下ろすよりはいいだろう」
違いがよく分からない。眉根を寄せる私に、先輩はじゃあいくよと告げた。
同時に手を下ろす。下ろした瞬間、相手にとびかかって殴ればまだ勝機がある。いち、にの、さん。合図を何度も頭の中でシミュレーションする。
先輩が口を開いた。
「いち」
発砲音が二発。
いち、の合図で彼が引き金に指をかけた瞬間、反射的に私の指も引き金にかかっていた。同時に大きく体を捻ったお蔭で弾丸は私の横をすり抜けていく。私が撃った弾も、見当外れの方角に飛んでいった。
「嘘つき!」
二発目を撃とうとしていた彼に叫びながら銃を投げ付けた。跳ねるようにその場から逃げ、傍の二階へ続く階段を駆け上がる。そしてもう一階分上がり、三階へ。それ以上はもうない。
逃げろ。逃げろ。頭の中の警笛に従うままに足を動かすが、どこに行けば正解かが分からない。すぐ傍の部屋よりは一番遠くへ、と階段から一番離れた部屋に飛び込んだ。
部屋の中は油臭かった。鼻に来る強烈な臭いに、ぐっと顔を顰める。しかしここが正解だったかもしれない、と部屋の中を見て思う。
大量のおぞましい絵が並ぶ部屋。それは美術準備室に飾ってあった絵もあれば、これまで見たことがない新たな気味の悪い絵もある。廃棄品か絵画の倉庫か。換気のためか分からないけれどもこの部屋にはいくつもの窓があり、鉄格子もない。僅かに開いた窓から入ってくる風がそよそよと黒いカーテンを揺らす。日の光が入らない方角の部屋らしく、外は昼のようだが、日の光が入っていない部屋は薄暗い。
絵画を押しのけるように窓に向かって進む。背後からいくつかの絵画が倒れる音がしたが、今は構っていられなかった。
早く、外へ。
その思いだけが私の足を突き動かす。
けれど、その足がふと止まった。
私の目が一つの絵を捉える。一番奥にひっそりと飾られている絵。多少の塗り残しはあるが、ほぼ完成している絵だ。
そこに描かれていたのは私だった。