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第100話 友達になった子

「お疲れさまー!」


 晴れやかな笑顔だった。自分の背負っていた重荷を全て下ろしたときの、解放的な笑み。子供のように椅子をくるくると回しながら、如月さんはいや本当によくやったよ、と喜色を声に乗せる。


「大量の薬物売買、脱獄した死刑囚の処理、動物一斉誘拐。全ての事件が片付いた。警察の摘発でアイドル、ティパの所業も明らかになった。事務所も摘発され、彼女が中心となって運営していた施設も解散、イメージアイドルとして販売されていた栄養ドリンクや菓子食品からも微量の薬物が検出されたことから販売は中止。良かったじゃないか、犠牲者もこれ以上増えないだろう」

「終わり良ければ総て良し、だな!」


 そう言って、私の隣で太陽くんが豪快に笑った。

 ライブから数日が過ぎた日のお喋りオウム。まだ午前中という珍しい時間帯に、私達は報告と報酬の連絡のため集められていた。

 キッカリと口座に支払われた報酬。早速その使い道を考えて、太陽くんは何を買おうか何に使おうかと思いを馳せていた。そんな彼の顔に、あざみちゃんが呆れた視線を向ける。


「まだ数日しかたってないのに馬鹿みたいな体力ね。重傷じゃなかったの?」

「入院って寝てるだけで退屈じゃんか。痛み止めだけもらって帰ってきた」


 親には喧嘩しただけって言ったし、と笑う太陽くんにあざみちゃんはもう一度溜息を吐いた。

 彼女が心配するように、たった数日しかたっていないのに太陽くんはもう元気に満ち溢れていた。まだ顔の痣は痛々しく残っているし、骨だってくっ付いたわけじゃないだろうに。怪我は全部ペイントですよと言われても納得できそうなほど、太陽くんはいつも通りの調子で明るい笑顔を浮かべていた。


「さて、今日はこれで解散だ。休養を取って次の仕事に臨んでくれ」


 しばらく報告をした後で如月さんが言う。途端に顔を輝かせた太陽くんが、私達に振り返る。

 犬のしっぽがぶんぶん振られている幻覚が一瞬見えた。いや気のせいか、と頭を振る。


「なあなあ遊びに行こうぜ! まだ時間はあるだろ? なっ、な!」

「だからあんた、自分が怪我人ってこと忘れてないわよね。家で大人しくしてなさいよ」

「いいじゃんかよー、せっかくの冬休みなんだからさー! どっか遊ぼうぜ、和子も東雲も!」


 それだけ元気があれば大丈夫そうだな、と東雲さんが小さく苦笑する。それからひらひらと手を振った。


「遊んでこい。危ない場所には行くなよ」

「東雲さんは?」

「個人的な報告がまだ残ってるからな」


 如月さんを一瞥して東雲さんは言う。個人的な報告とは何なのか少し気になったが、それを訊ねる前に太陽くんがぐっと私の腕を引いた。

 キラキラと光を湛えた両目が私を見つめる。目は口程に物を言う、を改めて理解した。あざみちゃんと同じように安静にしていなきゃ駄目だよと言おうとしていた口を緩ませ、小さな溜息と共に苦笑を吐き出す。


「あんまりはしゃぎすぎるのは駄目だよ」

「やったー!」


 ちょっと、と不服な顔をするあざみちゃんに肩を竦める。太陽くんのことだ、どうせ安静にしていてと言っても家を抜け出して外にでかけるのだろう。

 どこに行こうかとはしゃぐ彼の全身から喜びの色が伝わってくる。止めたってどうせ止められない。あざみちゃんもそれを悟ったように、はーっと肩を落とした。




「それでどこに行こうか?」

「遊園地はどうだ? 俺ジェットコースター乗りてえ!」

「だからあんた大人しく遊びなさいって言ってるでしょ!」

「えー、じゃあ動物園!」

「「しばらく動物はこりごり」」


 私とあざみちゃんの声が重なる。キョトンとする太陽くんの前で、私とあざみちゃんは顔を合わせて苦笑した。

 歩いているうちに第七区の駅に着いた。昼前の時間帯は、遊びに来た女性達や冬休み中の学生やスーツ姿の営業マンなどが行き交っている。

 それで? とくるりとあざみちゃんが服を翻しながら振り返る。薄い青空の色の中に、彼女の茶色い髪がふわりと舞った。心なしかその表情はいつもより柔らかい。


「そう言えばあざみ、今日は塾とか休みなのか?」


 ふと太陽くんが訊ねた。スケジュールに習い事を詰め込んでいる彼女は遊びに誘ってもかなりの確率で断られ、たまにしか一緒に遊べないのだ。それでも貴重な休みのときはできるだけ遊んでくれるのだから嬉しい。

 年末年始だから? と続けて訊ねた太陽くんにあざみちゃんは首を振って答える。


「しばらく休みなのよ。塾だけじゃなくて、他の習い事も、受験勉強も」


 パパとママがね、と彼女は照れたように微笑んだ。


「友達と遊んできていいって。これから少し、スケジュールを見直そうって。三人で話し合って決めたの。これからのこととか、高校のこととか」

「それは……おめでとう!」


 と私は思わず笑みを浮かべて言った。

 ライブの後、青空ホスピスに寄ったり如月さんの所に報告に向かったりして、結局あざみちゃんが家に戻ったのは翌日の朝だった。朝帰りの言い訳の保証人兼ね、付き添いとして同行した私だが、彼女の両親に事情を説明する必要はなかった。帰って来た彼女を見たご両親は怪訝な目を向け叱ることは一切なく、ただ彼女の目覚めと無事を喜ぶばかりだった。邪魔をするだけだろうと立ち去った帰り際、泣き出すお母さんに抱きしめられ、目を潤ませたお父さんに乱暴にぐしゃぐしゃと頭を撫でられていたあざみちゃんは、困惑しながらも目を潤ませて微笑んでいた。

 あの後、三人でどんな風に話したのだろうか。分からないけれど、いい方向に向かっていることだけは分かる。ずっとあざみちゃんを見てきた中で彼女が浮かべていた張り詰めたような捻くれたような険しい表情はなりを潜め、今の彼女は年相応のふわふわとした愛らしい笑顔を浮かべているのだから。


「じゃあ今日はあざみの好きな所に行こうぜ」

「そうだね。あざみちゃん、どこがいい?」


 私と太陽くんが交互に言う。あざみちゃんはパチリと目を丸くし、私達の顔を見た。


「…………いいの?」


 私達は顔を見合わせ、あざみちゃんにニコリと微笑んだ。

 呆けたような表情にじわじわと笑みが浮かぶ。あざみちゃんは丸くした目を輝かせ、それじゃあ、と静かに口を開いた。





「あざみお前買い過ぎだろ!」

「いいじゃない、せっかくお金が入ったんだし使わないと」


 だからってなぁ、とベンチにぐたり腰かけながら太陽くんは隣のあざみちゃんに視線を向ける。

 長ベンチの半分が買い物袋で埋まっていた。色んなお店の洋服に靴に帽子にアクセサリーに。全てこの数時間の間に私達が回ったお店だ。

 ショッピングがしたいというあざみちゃんの要望で第三区に来た私達だったが、日頃の鬱憤を晴らすかのようにあざみちゃんはお店を巡っては商品を買っていた。最初ははしゃぐ彼女を微笑ましく見ていた私と太陽くんも、彼女の両手が袋で塞がった頃から笑みが引き攣り始めていた。


「次はどこ行こうかしら」

「まーだ買うのかよ」

「今日は付き合ってくれるんでしょ? あんたもせっかくなんだし、何か買えばいいでしょ」


 ううん、と太陽くんは頭を傾げて考え、ポンと手を打った。


「シャツが欲しいな、新しいシャツ!」

「また『男』とか書かれたシャツ買うんじゃないわよね?」


 ギクリと太陽くんが顔を強張らせる。図星か。

 何度か一緒に遊びに行ったときも思ったけれど、太陽くんは変な物ばかり買う。変な文字が書かれたシャツとか、妙な禍々しさを感じる骨董品とか、木刀とか。そしてその大半が数日で飽きられ、部屋の隅で山になってしまうので、家族に怒られるのだと言っていた。買わなければいいのに。

 だけど結局今日も何か、不必要な物を買ってしまうんだろう。そんな不要なものに目を輝かせる太陽くんを見ているとどうにも止める気も起きなくなる。


「い、いいじゃないかよぉ。それに今欲しいのは『漢』って漢字のシャツだって。ほら、サンズイのやつ」

「変わらないわよ。はぁ、全く。……和子は何買うの?」

「私は特に欲しいのもないし、いいかな。今回のお金もあまり使いたくないし」

「何でだよ? 勿体ねーよ! せっかくもらったんだから、使おうぜ」

「何だか大金っていうのがちょっと怖くてさ。今までのも全部貯めっぱなしで……」


 海外旅行にでも行ってパーッと使うといいわよ、とあざみちゃんが言った。それもいいかもしれない。今まで手付かずだった貯金を一気に崩せば心のモヤもちょっと晴れるだろう。

 今の貯金額的に海外だったらどこにでも行けそうだ。一ヶ月、ううん、もっと滞在できるだろう。ハワイとかグアムとか……ドイツとかパリもいいかもしれない。

 外国だったらどこがいいか、なんて話で盛り上がる。他愛もない話だ。だけどそれが無性に楽しい。こうしてのんびり友達と遊ぶということは、何にも変えられない嬉しさがある。きっと太陽くんもあざみちゃんも同じ思いを抱えているんだろう。



「次はどうしよっか」


 今日は天気がいい。薄雲が空をゆったりと流れ、風もそれほどなく、陽気が温かい。人気も少ない今日はいいお出かけ日和だった。

 自然公園を散歩とかでもいいかもしれないねと話しているとき、横のベンチにも誰かが座った。三人の女の子達だ。何かを話している声がこちらにも届いてくる。

 何とはなしにあざみちゃんがそちらへ顔を向ける。途端、その顔が固まった。サッと血の気の引いた彼女に目を丸くし、顔を上げる。

 三人組の女の子達が。帆乃夏ちゃんと、蘭ちゃんと、澪ちゃんの三人が。私達の顔を見て同じように表情を硬くしていた。


 数秒だけ、沈黙が流れた。先にあざみちゃんが顔を背けベンチから立ち上がる。行こう、と私達に小さく告げたあざみちゃんは荷物も持たず足早にその場を立ち去ろうとする。

 私と太陽くんはたじろぎながらあざみちゃんと三人を交互に見た。逡巡していた様子の彼女達だったが、帆乃夏ちゃんがあざみちゃんが離れていくのを見てようやく立ち上がって叫ぶ。


「待って……待ってよあざみ!」


 声をかけても立ち止まらないあざみちゃんの腕を、駆け寄った帆乃夏ちゃんが掴む。あざみちゃんは足を止めたが、すぐにその手を振り解き、帆乃夏ちゃんに振り返りもしなかった。

 気まずい空気が満ちる。雑踏の音も風の音もないことが、さっきまでと裏腹に恨めしい。無音の中で沈黙は際立つだけだ。皆なかなか言葉を切り出さなかった。

 更にしばらくたってから、ようやく帆乃夏ちゃんが覚悟を決めたように、吐息混じりの声を吐き出す。


「お…………起きたんだね。良かった、目が覚めて」

「なんで」


 あざみちゃんの返答は短かった。一瞬虚を突かれた様子の帆乃夏ちゃんだったが、どうしてそのことを知っているのかという意味だと分かり、固い苦笑いを零す。


「一度三人でお見舞いに行ったんだ。だから」

「来てくれなんて頼んでない」

「あ…………。……で、でも」

「頼んでない!」


 あざみちゃんが声を荒げる。ビクリと肩を震わせた帆乃夏ちゃんは、少し眉根を寄せてから、悲しそうな視線をその背に向けた。

 太陽くんがそわそわと身を乗り出して彼女達の会話を聞いている。私も隣で、同じようにあざみちゃん達を見ていた。何か言った方がいいのかも。でもまだ、口を出すのはやめておくべきか。帆乃夏ちゃん達とこれからどうするも、決めるのはあざみちゃん自身だから。

 ゆっくりと深呼吸を二度繰り返し、あざみちゃんはもう一度、低く、静かな声で言う。


「今更何の用。あたしはもう、あなた達とは他人でしょう。こんなノリが悪いつまらない女なんて放っておいて、三人で仲良く遊んでいればいいじゃない」


 必死に。必死に感情を押し鎮めているのは、私にもよく分かった。白くなるまで握られた拳、小さく震える肩。ちょっとでも触れれば爆発しそうな声の震え。


「最近よく会うわね。これまでずっと会わなかったのに。……会いたいときには会えなかったのに」

「あざみ……あざみ、聞いて」

「でもまあ、住んでる市が同じなんだから? 今までもすれ違ったりしてたかもしれないわね。ああそれとも、そっちがあたしを避けてたのかも?」

「ねえ…………」

「どうでもいいわ。だって、もう関係ない人達だから。一縷って呼べばいいじゃない。名前じゃなくてさ」


 帆乃夏ちゃんはとうとう俯き、何も言わなくなってしまった。

 声色も言葉も酷く棘を持っている。いや、もしかしたらわざとなのかもしれない。わざとあざみちゃんは、こんな酷いことを彼女に言っているのかもしれない。揺れる気持ちに惑わされないように。

 二度も裏切られる苦しみを味わいたくないから。



「見たい映画があるんだけど」


 唐突に蘭ちゃんが言った。ベンチに座ったまま、彼女はギュッと自分の胸を強く掴みながらあざみちゃんに語りかける。


「先週公開されたばかりのやつなんだ。でもホラーでさ。流石に一人で行くのは怖いし、できるだけたくさんの人で見たいじゃん? あざみも一緒に見に行こうよ」


 あざみちゃんは返事をしない。 蘭ちゃんは続けて、色んなことを提案してきた。服を買いに行こう、遊園地に行こう、甘い物を食べに行こう。声を弾ませて。

 だがその声も、ぽつりぽつりと力が抜けていく。澪ちゃんが不安そうに、俯いて震える蘭ちゃんを見た。ぽたり、と蘭ちゃんの膝に涙が一つ落ちる。


「ごめんね」


 じゃり、と砂を踏み締め、あざみちゃんが僅かに反応を示した。相変わらずこちらに背を向け。だが今にも振り返りそうな、それを堪えるような、そんな立ち姿で。

 蘭ちゃんが何度も謝罪を繰り返す。ごめんね、ごめんねと繰り返される声には悲痛な色が混じっていた。


「突き放してごめん。一人にしてごめん。あざみのこと、何も考えずに酷いこと言ってごめん」

「……………………」

「ずっと謝りたかった。あのとき、私達がどれだけ最低なことを言ったか随分してからようやく気が付いた。だから、だから」

「……………………」

「もう一度だけでいいから、一緒に遊びたいな」


 蘭ちゃんの言葉にあざみちゃんがビクリと肩を跳ねた。ぶるぶると大きく体を震わせて、大きく肩を上下させて呼吸する。


「あざみ」

「……あざみ」


 澪ちゃんと、そして帆乃夏ちゃんもあざみちゃんの名を呼んだ。帆乃夏ちゃんがあざみちゃんの腕を掴む。

 今度は振り解かれなかった。


「…………あのときに言ってほしかった」


 あざみちゃんが静かに呟く。熱く、震えた声だった。


「あのときに謝ってほしかった。あたしがあの日教室に入った、あのときに言ってほしかった。今更とか遅すぎるよ」


 あざみちゃんと三人が仲違いをしたのは、彼女達が小学五年生のときのこと。

 習い事を詰め込まれ時間が取れなくなったあざみちゃんを、ノリが悪いからと三人が突き放した、そんなこと。ノリが悪いから、つまらないから、生意気だから。そんな単純な理由で人は人を嫌う。そんな単純なことが、あざみちゃんにはどれだけ苦しいことだったか。

 彼女と初めて会ったとき、それを話されたときの、涙混じりの彼女の顔を思い出す。数週間数ヶ月数年たっても彼女の心に刻まれた傷。今更謝られたところで、容易にそれを受け止められない。あざみちゃんの傷が消えるわけじゃない。


「辛かった、苦しかった。だってずっと友達だったのに。ずっと一緒だよって言ったのに。勝手に嫌われて、また勝手に謝られて、あたしはそれで納得できない」


 帆乃夏ちゃん達が傷付いた表情になった。けれど何も言えないのだろう、ただ黙って、視線を落とす。


「…………悔しい」


 ぽつりとあざみちゃんが言った。私達が当惑した面持ちを向けると、彼女はゆっくりと、一言一言言葉を紡ぐ。


「今更意味ないのに。納得、でき、ないのに。なんで。なんで?」

「あざみ?」

「なんで…………嬉しいのよ」


 鼻を啜り、乱暴に顔を擦って、あざみちゃんはどうしてと繰り返す。顔は見えない。だけどその仕草で、震えで、彼女の感情が痛いほどにこちらに伝わってくる。

 帆乃夏ちゃんが耐え切れなかったように腕を引く。あざみちゃんがようやくこちらを向いた。真っ赤な顔。涙を堪えようとしているのか大きく目を見開き、だがその両目からボロボロと大粒の涙を零して。


「あたしだって、わ、悪いとこあって。遊びたかったのに、遊べなくてっ、そ、れに。いつも、忙しいからって、すぐ帰るから、お喋りとか、全然できなくて……それで、それで…………」


 うぇ、とあざみちゃんが涙で顔をぐしゃぐしゃに歪める。帆乃夏ちゃんが釣られて泣き出し、蘭ちゃんと澪ちゃんも目を潤ませて鼻を啜った。

 ごめんね、とあざみちゃんが呟く。それに対して帆乃夏ちゃんが首を振る。ごめん、と互いに言い合ってそうして目を合わせる。


「寂しかった」

「うん、うん」

「あたし、捻くれちゃったし。結局あのときと変わらない。もっと悪くなっちゃったのに。酷いことも言ったのに」

「ううん、そんなことない。そんなことないよ」

「それでもまだ遊んでくれるの? 一緒にいてくれるの? 本当に?」

「本当だよ」

「また友達になってくれる?」


 帆乃夏ちゃんがギュッとあざみちゃんの手を握る。涙を流しながら、彼女はニッコリと微笑んだ。


「初めて会ったときから、ずっと友達だよ」


 その答えに。あざみちゃんがへらりと力なく笑い、そして嗚咽を漏らしながら泣いた。




「よーし! 全員で映画見に行こうぜ!」


 太陽くんが明るい声で言った。釣られて泣きそうになっていた私はビクッと肩を跳ねて彼を見た。

 ぎこちない空気が彼の一声で払拭される。泣いていたあざみちゃんも帆乃夏ちゃんも、残る二人も呆けた顔で太陽くんを見つめる。それからふっと息を吐き出し、声を上げて笑った。


「もう。余韻も何もないじゃん」


 帆乃夏ちゃんが涙を拭いながら言う。いいじゃんか、と太陽くんが笑った。


「見たいのあるんだって? いいじゃん、行こう。今の時間やってるか?」

「でも……あざみも三人で遊んでたんでしょ? いいの? 私達が混じって」

「別にいいわよ。ねえ和子?」

「そうだよ。人数多い方が楽しいし」


 三人より六人の方がもっと楽しい。それに、久しぶりの友達との休日を、あざみちゃんに目一杯楽しませたい。

 そっか、と帆乃夏ちゃんが照れたように微笑んで頬を掻く。それからふと視線を澪ちゃんに向け、澪は、と眉を下げて訊ねた。


「澪は平気?」

「うん、大丈夫。歩けるから」


 その会話が気になって澪ちゃんを見る。ロングスカートを穿いている彼女はしかし今、そのスカートを膝まで捲り上げていた。白い膝から血が滲んでいる。転んだの、と彼女は困ったように笑む。


「水で洗いはしたんだけど中々血が止まらなくて。やだなぁ、スカート汚れちゃう」

「慣れない靴履くからよもう」


 踵の高い靴をぶらぶら揺らしながら、澪ちゃんはへへっと肩を竦めた。

 絆創膏なら持ってるよ。ポケットを探りながらそう言おうとしたとき、ふとあざみちゃんがごそごそ自分の衣服をまさぐっているのが目に入る。しばらく見つめていると彼女はパッと顔を輝かせ、焦ったように取りだしたものを持って澪ちゃんの元に行く。


「あたし絆創膏持ってるから! よ、良かったらこれ、使って!」

「え……あ、ありがと…………」


 突き付けるようにあざみちゃんが絆創膏を澪ちゃんに付き出す。思わずそれを受け取った澪ちゃんは笑顔を浮かべかけ、そしてぐにゃりとその笑みを崩した。


「えっと…………あざみってこういうのが趣味だっけ?」

「え? あっ」


 あ、と思わず私も声に出してしまう。あざみちゃんが澪ちゃんに渡した絆創膏は、全体がピンク色で、可愛いキャラクターの付いた子供用の絆創膏。前に私があげたものだった。

 みるみるうちにあざみちゃんの顔が真っ赤になっていく。ちが、ちがくて、と必死に否定しようとするも小さな声しか出てこないようだった。なんてタイミングの悪い。自分の趣味を誤解されるのではと、そう思って脳内で焦っているんだろう。

 澪ちゃんがぷはっと我慢できずに笑い声を上げる。ひぃ、とお腹を押さえ、肩を揺らして笑う彼女にあざみちゃんは一層顔を赤くさせた。


「なっ、ち、違うってばー! これはあたしの趣味じゃなくて! 別の友達からもらったやつで!」

「ぷ、ははっ。分かった分かったって。ああもう、笑わせないでよ。あざみってば顔真っ赤」

「だからぁ!」


 はいはい、と澪ちゃんがあざみちゃんの手から絆創膏を受け取る。膝に可愛らしいシールを貼り、彼女はそれを見下ろして可愛いと嬉しそうに笑った。隣に座る蘭ちゃんもそれを見て可愛いと声を弾ませる。

 まだ少し唇を尖らせ顔の赤みを残したままのあざみちゃんは、チラリと澪ちゃんの足元を見て言った。


「そういう靴履くようになったのね。昔はスニーカーばっかりだったのに」

「うん。ちょっと女の子っぽくしようかなって。それに、大人っぽいのに憧れて」

「そういう服とか売ってるお店なら、あたし、知ってるけど」

「本当? じゃあ、映画見た後に連れてってよ」


 立ち上がった澪ちゃんがあざみちゃんの手を引く。一瞬戸惑った表情を浮かべたあざみちゃんは、すぐに照れたようにそっぽを向き、それからまたすぐ恐る恐るといった様子で澪ちゃんの顔を覗き込んだ。


「……あたしホラー苦手なんだけど」

「皆で見れば平気だよ。怖かったら目を塞いでおけば大丈夫」

「じゃあ代わりに終わったらあたしの行きたいところにも行ってちょうだい」

「いいよ。どこに行きたいの?」

「ゲームセンター」


 やりたいゲームでもあるの? という蘭ちゃんの言葉にあざみちゃんは首を振った。それからチラリと全員に視線を向け、かくりと俯くように頭を下げる。


「皆でプリクラ撮りたい…………」


 言っていて少し恥ずかしくなったのか、言葉は尻すぼみだった。そんな彼女の姿に私達は思わず顔を見合わせる。それからきゅぅ、と口を引き結び、あざみちゃんの肩を強く掴んだ。


「うん、行こう。絶対行こう。あざみちゃん真ん中で撮ろうね」

「もう決定してるの!?」

「でもまず先に映画だね。知ってる? あざみってばホラー映画見るときずっと下向いて画面見てないのに音だけでびっくりして悲鳴上げるんだよ」

「なるほどなぁ。確かに前にお化け屋敷行ったときもめっちゃ怖がってたしな」

「太陽も帆乃夏も変な会話しないでよ!」


 もう、とあざみちゃんは頬を膨らませて二人を睨む。ごめんごめんと笑う二人に唇を尖らせた。


「許さないんだからっ」


 だけどあざみちゃんは緩んだ表情で。楽しそうに、楽しそうに、そう言って笑った。

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