記憶 ―Disappearance―
学校が始まるのは朝の八時半に対し、俺たちが今いる時刻は朝の6時過ぎ。
明らかな早出だった。生徒たちのがやがやとした喧騒はまるで聞こえず、まだ静寂を保っている時間。
急な現実への帰還をして安心はしたものの、一体こんな朝早くから学校へ来て何をしろと言いうのだ。
勉強?論外だ。面倒臭いし眠い。かといって一眠りするには刺激が強すぎる起こされ方をした。眠れるわけがない……
そう頭を悩ます俺は今、錠前学園生徒会室にいる。というか連れ込まれた。
公立だろうが私立だろうが、どっちにしても高校生には不釣り合いなほど豪勢な装飾を施された家具類一式が生徒会室に設けられていた。一つひとつが手の込んだ作り方なのだ。生徒会長が座る椅子は肘掛け椅子なのだが、それひとつとってもこの有様。普通なら固い座面に冷たい背もたれ。ひどければ足はぎったんばったんと安定しない。だが、ここの椅子はまるで高層ビル最上階社長室にあるような深くて柔らかくて暖かくて、しっかりと体を支えてくれる社長イスのような高級さ。それに加え、床には赤いカーペット。机というよりは西洋の城あたりにでも出てきそうな絢爛な長テーブル。必要性をまるで感じない豪華さを持ったティーカップ。探せばまだありそうだ。なんせ壁際には色々詰まっていそうな食器棚に箪があるのだから。
そんな生徒会室で、俺はふかふかの二人掛けソファーに寝転がっていた。七夏はまだ安静が必要だと判断して保健室においてきた。一応星間三兄弟を置いてきている。なぜ、俺が置いて行かれなかったかというと──
「さて、じゃあ話してもらおうか。君が誰なのか……」
「分かってるよ。めんどくさいけど、こうしないともっとめんどくさそうだし」
俺が詰問対象だからだ。色々絞られそうだが、抵抗するのはもっと面倒くさそうなので従った。
とりあえず、だれかが聞いてはまずいということでここへと場所を移されたというわけだ。青年は俺の寝ているソファーと差し向かいの社長椅子っぽいのに座っている。なんだか妙に似合っていて、王様が玉座についたみたいな威厳があった。そして、そんな無礼な態度を取る平民に何一つ文句をつけずに王様は、再度同じ質問を俺にぶつけた。さっきと同じ、何かを拒絶するような目で──
「君は誰なんだ……?」
「俺は広瀬勇人だよ。ただ、何か腑に落ちないなら、それは俺が記憶をなくしているからだと思う。
家族とか友達とかの記憶が無いせいで、ほんと苦労してるよ……朝から訳わかんねぇことばかり起きる。
俺には、お前が誰だか見当もつかないんだ。
だから、内輪ネタとか持ってこられてもわからないんだよ」
俺は憮然とした態度で答えた。いきなり攻撃された相手に向かって、いい人でいられるほど人間できてないしな。若干、七夏の時に感じた「記憶がない」という点に関してはどうするか迷ったが、こう説明するしかあの時の俺がいつもの行動でない理由を説明できないと考えて、言い放った。どっちみちいつかはばれることだ。
「なるほど。あの世界はまだ謎が多い……
仮にそういう人間が出てもおかしくはないな」
青年は顔を伏せていて表情がわからないが、小刻みに肩を震わせている。
俺には彼にどういった思いがあるのか分かったものでは無いが、あの時の七夏と同じようなものを感じさせた。俺の言った事実をゆっくりと頭に染み込ませるように、黙ったまま時間が過ぎていく。壁に掛けられた時計がチクタクと規則正しく時を刻む。やがて、彼は一息大きなため息をついて椅子の背もたれに体を預けた。
「記憶がないことを証明するには記憶がいる。この矛盾はどうにもならないな。
まったく……勇人の言葉を借りるなら、面倒だから信じとこうか。今は……!」
苦笑いで応じる青年はどこか悲しそうだった。それもそうか……面倒だから信じとこう。そんな言葉も俺は言った記憶がない。大切な思い出も無いんだ。案外それは、記憶のない本人よりも周りを傷つけるものなのかもしれない。
無性に俺は、俺という人物がどういった人物なのか気になった。どういった思い出を七夏や今の俺が覚えていない誰か達と紡いできたのか。それもあの変な声の野郎に会わないと思い出せない。早く【鍵】を集めないとな。いくら怠惰な俺でも、こんな悲しまれる顔を何度も見たくない。笑っていてもらう方が面倒臭くても楽しいに決まってる。
「記憶はないけど、俺はいる。今からの記憶なら覚えていける。
これからでもいいだろ?記憶は大事だけど、それ以上に今からの方が大事だろ?
だから、早くお前の名前を教えてくれ。わかんないままだとやりにくいんだ」
「そうだな……」
ふっ──と青年は小さく笑うと、俺と出会った当初のような飄々とした掴みどころ無いニヒルな笑顔をこぼして、そして右拳を突き出して殴るように言い放った。
「確かにお前は広瀬勇人だ!!その俺さえ舐めたような態度に、だるそうな言動。
そんでもってそれにそぐわない位熱い心を、臆せず俺に突っ込んでくるような迷いない心を秘めているのは勇人くらいだ!!
認めてやるよ。お前が広瀬勇人だってこと。──相棒の周防大樹の名に誓ってな!」
ぐっと突き出した右拳をさらにきつく握りしめて、俺のことを熱く見つめる大樹。その目は何かを期待するように見えた。ソファに寝たままの姿勢で俺はしばらくじっとしていたが、面倒臭いので付き合わないことにした。
「俺にそっちの趣味はないぞ!」
「ははっ!!そんなんじゃねぇ!
なんつか、友情みたいなもんだよ!!」
「いや、俺に記憶は無いんだけど?」
「あぁもう面倒臭いやつだな!!偏屈すぎるとお前の嫌いな手間がかかるぞ。ほら!!」
「……」
俺の論理を逆手に取られてしまってはどうしようもない……なかなかやるやつだ。
確かに、なるべくしないよう画策するよりも、素直にした方が面倒じゃないな。
ゆっくりと、ソファから体を起こして大樹と向き合う。
目の前まで歩き、右手をゆるく握りしめて彼の拳にこつんとぶつける。
「これからもよろしく頼むぜ、勇人!!
俺の大事な相棒だから【裏】世界に来てほしくなかったが、来ちまったからにはどうにもならねぇ。
お互い助け合っていこうぜ!!」
「あぁ。お互い【鍵】としてあそこでやってかなきゃならないんだ。
保健室でのことはチャラで水に流すよ」
「それに関しては悪かった。言い訳もできない。
まさか、『記憶』を失っているとは思わなくてな
それにしても、なんでお前にゃ記憶が無いんだ?」
俺は『記憶』を失った。けれど、それは俺に限ったことなのか?たとえ記憶じゃないにしても、別の何か大事な物を奪われているなんてことがあるんじゃないか?俺以外の【鍵】にだって起こり得ることじゃないのか?
だって、忘れてしまったことを知ることは、できない。他の【鍵】が記憶を失くしていたとしても、その記憶がないことに気付けない。ただ、七夏たちは失くしたことに気付いていない。そう考えれば、俺『だけ』というのは違う。
まぁ、その場合、あの夢の中の人物が気まぐれで俺にだけ『記憶』がないことを伝えたとすれば、その推測は意味ないが……
とりあえず、大樹の知っていることを聞くだけでも手がかりになるだろう。
「ところで──」「あのさ──」
考えたことを言おうとして、俺と大樹の言葉が重なる。少し先に言い出した大樹は、悪いと言って俺に先を促した。
譲り合いになるのも時間の無駄なので、俺は単刀直入に切り出した。
「あのさ、お前達って何か──」
「大変だよおぉおぉおぉおぉっっっっっっ!!」
俺の言葉は再びばたん!!と生徒会室のドアが開く音で遮られる。豪奢な扉の先には、星間三兄弟が肩で息をして立っていた。相当急いだみたいだ。だが、ドアを蹴破ってまで急がなくてもいいと思うんだが……
「何があった?」
そんなテンションおかしげな三兄弟に対しても態度を崩さずに大樹が応じる。その内容は、表層だけで見れば普通のことだった。表層だけなら──
「七夏ちゃんがちょっと目を離した隙にいなくなっちゃってるよ!!」
「トイレにでも行ったんじゃないか?」
俺がそう言ったが、三兄弟は俺を一睨みしていた。そういえば、まだ三兄弟に対しては記憶がないことを言っていない。敵意を向けられてもおかしくはない状態のままだった。
「大丈夫だ。彼はちゃんと広瀬勇人だ。安心していい」
大樹がそう弁明してくれると、三兄弟も敵意を切らして俺の質問に答えてくれた。
「あの傷ですよ。【裏】世界でなら七夏さんは治癒術を使えますが、ここはそうじゃありません。
あの傷で補助なしに出歩くには無理があります」
「……確かにそうだな。悪い、面倒を取らせた」
暁月の説明はもっともだ。あの傷の七夏がすぐ動けるようには思えない。仮に【恋愛】の能力を使って回復を早めるにしても、ここは能力を使える世界じゃない。俺はついさっき身を以てそれを証明している。【裏】から【表】へ世界が転換するとき、俺の【愚者】の能力が掻き消えてしまった。そのおかげで大樹は吹っ飛ばされずに済んだ。
「……誰かによって誘拐されるにしても、その目的はなんだ?
七夏はどちらかと言えば内弁慶なタイプだ。親しい間柄でも無ければ、彼女は引っ込み思案の清楚で無害な美少女だろう」
「……それはお前の評か、大樹?」
「はっはっは!!何を言うこの学校全体の評だ!!断じて俺の主観じゃないぞ!!胸がでかいからって注視したわけではない!!」
「……お前、セクハラで訴えられるぞ」
心外だ!と慌てふためく大樹。
そこへ星七も加わってくる。
「七夏ちゃんは美少女だもん!!私の次にかわいいに違いない!!」
「星七姉、自画自賛はみっともないって聞いたぜ?」
「シャラアアアァァァッッッッッッップ!!!」
「ギャバラァァァァッッッッッッ!!何すんだよ星七姉!!」
ぎゃあぎゃあとじゃれあい始めた長女:星間星七と二男:陽太。それをぼーっと眺める長男:暁月──何とも言えない兄弟関係だ。面倒くさい……
そんな三兄弟を大樹と二人で一瞥したのち、本題に戻った。
「確かに妙だな。相棒どう思う?」
「頭で考えてダメなら、動くしかねぇだろ?
二つに一つだ!行くぞ、大樹」
にっと笑って大樹は快活に答えた。
「さすがだな、相棒!!その答えを待ってたぜ。
さぁ探しますか。まずは──」
ぼこっ!!ぼこっ!!すぱこーーん!!
と、朝の青空に快音が響き渡った。星間三兄弟の頭を大樹が殴って正気に戻した音だ。
俺は頭を掻いて、その光景にふっと笑みをこぼした。